「技巧に走った脚本と熱い演出の感動物語にある一長一短」とんび Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
技巧に走った脚本と熱い演出の感動物語にある一長一短
父と一人息子の互いに想いやる家族の絆を情感豊かに綴った、重松清の著名な小説の映画化。この原作は、2012年のNHKと2013年のTBSによりテレビドラマ化され、どちらも好評を得た良作だった。多くのドラマファンが慣れ親しんだ、この琴線に触れる感動物語を今回敢えて映画作品したのは何故なのか、その良さを見付けるために鑑賞した。
港岳彦の脚本は原作に忠実と云われるが、冒頭から抱いた印象は解り難さである。時代設定がころころ変わり、旭役の北村匠海のナレーションの説明があっても、初めて接する人には混乱を招くのではと思った。それとタイトルがいつ表示されるのか途中から気になりだし、最後まで引っ張られて驚嘆した。こんな体験は初めてである。ファーストシーンは、出張で東京に向かう主人公ヤスが運転するトラックの夜間走行。仕事序でに大学卒業後大手出版社に就職した息子旭の会社を訪ねるが、守衛に門前払いされ騒ぎ出す。そこに救いの手を差し伸べた女子社員由美が外出中の旭に連絡をとり、ふたりは父の運送会社で会う。その前にヤスは、生き別れた実父がいる病院を訪れ、40年振りの再会を果たしている。でもここで最も表現されなければいけないのは、旭の上司である編集長から渡された入社試験の時の旭の作文を読むヤスが、初めて息子の本心を知る展開であろう。この作文を旭自身のナレーションで導入部から語る映画の構成であると、漸く解るのだから。折角の凝った脚本ではあるが、技巧に走り過ぎている。多くのエピソードをまとめ上げる力量の反面、メリハリの弱い展開になってしまった。
演出の特徴は、兎に角常に熱いことだった。型破りで男気のあるヤスの曲がったことが大嫌いな性分を好感度の高い俳優阿部寛が力演している。同時に不器用さやものぐさな面もあるヤスの人間味の点で不足もある。友人の照雲を演じた安田顕と尾藤社長の宇梶剛士との絡みでは、この役者の濃さと演出の熱さが合わさり、大分もたれる。特に美佐子が出産する病院内の描写は演出過剰で頂けない。周りに迷惑を掛ける騒ぎを起こしても看護師が注意する訳でもなく、いくら喧嘩っ早いヤスの性格表現とは言え閉口するシーンであった。阿部・安田・宇梶と個人的には好きな俳優だけに、演技力を引き出す演出であって欲しかった。
俳優陣で素晴らしかったのは、美佐子を演じた麻生久美子の女優としての清廉な存在感が役に合っていたのと、嫁ぎ先を出されて女独りで小料理屋を切り盛りする女将たえ子役を演じた薬師丸ひろ子の安定感のある演技である。結婚を控えて一目母親に会いたいと訪ねてくる娘の場面は、この作品一番の名シーンとなった。産みの母親の本音と建て前を強がりながら表現する薬師丸ひろ子の演技に魅せられる。ここでの演出はカメラが終始室内の中に入っていたが、たえ子が一度酒を買う口実で消えて再び戻りガラス戸越しに中を窺う演出は、正に映画的な表現であった。本来なら外からたえ子の背中越しに中を捉えたショットを繋げて、次にその強がりを見せない母の優しい顔のアップを入れるべきであろう。それでこそ俳優の演技の見せ所を引き立たせる演出と思うのだが。
準主役の旭を演じた北村匠海は、高校生から直木賞作家として成功を収めた現代までの難役をこなし素直な演技を見せるが、上記のベテラン男優と比較して、もっと個性を出しても良かったと思う。母が父を庇って亡くなったと思い込まされた深層心理の変化が進学に悩む時期の反抗期と重なり、ぐうたらなヤスに不満をぶつけるところなど、演出と合わせ見せるものが弱かった。
映画とは、いい話の美しい人間が泣かせるだけで、いい作品にはならないと思っている。キャスティング含め、この脚本・演出・演技に一長一短がある。過剰演出に関しては、瀬々敬久監督への批判というより、他の日本映画にも見られる悪しき形式というか、それが定石となっている事への不満でもある。声を張り上げることが熱演であり、それが人間の感情表現の素晴らしさと思い込んでいないか。