アメイジング・グレイス アレサ・フランクリンのレビュー・感想・評価
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ただただ陶酔感が湧き上がる幻のライブ映像
正直言ってこのドキュメンタリー映画を舐めていた。本作がいざ始まればおそらく誰もが、1972年、夜な夜なLAの教会に響きわたった歌姫の至福のメロディに呑み込まれる。専門の音楽的知識など不要。南部の教会で老若男女が陶酔感たっぷりに身体を揺らすように、ここでもただ音楽を肌で感じ、身体と心を委ねればいいだけの話なのだ。観客を入れて行われた二日間の収録はのちにレコード盤となり大ヒットを遂げた。と同時に、ワーナーが製作するはずだったシドニー・ポラック監督による映像版は技術トラブルによる映像と音が同期せず、ずっと未完成のままお蔵入りに。それが'18年、ついに日の目を見ることになった。この意味は大きい。観客の服装、表情、歓声、諸手を挙げて祝福を送る姿。額いっぱいに汗を浮かべ魂の響きを紡ぐ歌姫。その背後にポラック監督がちょいちょい見切れているのが感慨深い。この名匠もまた天国で映画の完成を祝福しているはずだ。
ショーアップされていない教会内でのライブだからこそ、歌唱そのものの凄味が伝わる
アレサ・フランクリンの父親は著名な牧師で(本作にも登場する)、アレサは子供の頃から教会でゴスペルを歌っていたという。ソウル歌手としてデビューしてからはラブソングを含め幅広い内容の歌を歌って成功したが、ライブアルバム収録のために企画された1972年1月のこのセッションでは、ルーツに立ち返る狙いだろうか、ロサンゼルスの教会を会場に選び、選曲もほぼすべてゴスペル、つまり神とキリストを賛美する歌に統一された(例外的にキャロル・キングの「君の友だち」のカバーもあるが、歌詞の一部で「友(=私)」を「神」に置き換え、「君は呼ぶだけでいい、私(=神)はそこにいる」といった具合に歌っている)。
スポットライトもカラフルな照明も、華美な衣装もない。マイクも牧師が説教する講壇の上に置かれ、アレサは大半の曲を講壇の後ろに立って歌う(ピアノ弾き語りも数曲あり)。派手な演出がないぶん、このドキュメンタリー映画の観客は彼女の歌唱の力強さ、豊かな響き、魂のこもった歌の世界に直接向き合い、心を揺さぶられることになる。伴奏の録音状態も良好で、バスドラムやベースなどの低音もほどよく分離して聴こえる。
アレサの後ろに並ぶコーラス隊や、席の観客たちが思い思いのタイミングで高揚して立ち上がったり、踊ったりしているのも、いかにも自然発生的で生々しい。客席にはローリング・ストーンズのミック・ジャガーとチャーリー・ワッツもいる。そして、カメラをまわす若いシドニー・ポラック監督の姿も。
実はこの時、ポラック監督は音楽ドキュメンタリーの仕事が初めてで、別々に収録する映像と音声の素材を編集時に同期させるためのカチンコを入れ忘れてしまう。そのせいで、同期をとる試行錯誤をするも結局編集を断念し、数十年もお蔵入りになっていた。
ポラック監督は2008年に死去し、その少し前にプロデューサーのアラン・エリオットが未編集素材を買い取った。近年のデジタル技術により同期の問題が解決し、2011年までには本作が完成していた。だがアレサ本人が公開を望まず、2011年の劇場公開と2015年の映画祭での上映を、2度にわたり法的手段に訴えて阻止。そしてアレサの死後、遺族が上映を希望してようやく2018年に米国で公開された。
こうした経緯を知ると、素晴らしいパフォーマンスを鑑賞することができて嬉しく思う反面、本人が望まなかったものを死後に商業作品として公開することの道義的な微妙さにひっかかってしまう。「アメイジング・グレイス」を冠した映画が歌い手自身に祝福されなかったというのはなんとも皮肉ではないか。
タイムスリップしたみたい
正直に言おう。
曲は2〜3曲しか知らないので、「知らない歌手のライブに来ちゃった」感はありました。
歌詞に和訳がついてるために、「そんな歌だったんだ」もあったり。
だけどそれ以上に、1972年当時の生々しい空気感。
観客の服装とかも、めちゃソウルやな。
1日目は観客は7割だったのに、2日目は超満員。
2日目には、ミック・ジャガーの姿も。
観客と一体となって盛り上がる様。
どこからそんなハイトーンな声が出るの?と驚き。
40年以上幻だったフイルムを、こうして見れたのだけでも。
すんごいなー。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「大事なのは曲じゃない、誰に向けて歌うか」
恍惚
昔、ハーレム見学でゴスペルに身を任せ、体をバイブさせて踊る人たちを共にし、その空間の特異性を体験したことがある。そのことを改めて思い起こした。全く異なる文化体験であり、こちらの尺度では測り得ない。アレサのパフォーマーとしての秀逸さ以上に、彼女のバックグラウンドである教会とゴスペルと黒人コミュニティに溶け合い、浸かる90分であった。
魂って本当に震えるもんなんだ(゚∀゚)
前回劇場訪問時の予告で聴いた歌声に涙が出たのを忘れられず、平日の自分の行動範囲外に位置する目黒に仕事の後訪れ、ラスト一本駆け込み観賞🎥✨
1972年にL.A.のバプティスト教会にて公開録音されたゴスペルライブ。この音源は既に世に出回っていて、翌年グラミー賞を受賞したり、アレサ・フランクリン史上最も売れたアルバムで、かつ史上最も売れたゴスペルミュージックアルバムとだった(らしい)。同時にワーナー社が撮影していたライブ映像は技術的な問題のためお蔵入りとなっていたそうだが、50年の時を経て(テック向上のため?)当時の映像をドキュメンタリー映画として公開することが実現できたそうな。
映画の感想は、『とにかく凄いものを観た』かな。
アレサ・フランクリン=『ソウルの女王』の上手なお歌がずっと聞ける映画なのかな?くらいに思って観たけど、実際は全然違った。
この二日間のライブ映像の第1夜での歌は「パワー」とか「エネルギー」とか「爆発力」とかではなく、「優しく愛に満ちた情感にあふれた」歌い方で天(神)と地(人)とを繋ぐ使徒のような役割を果たしている人なんだと直感的に感じ、とにかく魂が震わされ、まさかの四肢に鳥肌が立ちっぱなし。足に鳥肌なんて初めてたった😅見えないだけで下手したら内臓の表面だってブツブツと鳥肌ってたかもしれないと思えるほどwww
じわりじわりと包み込まれ、だんだんと涙が溢れ出す。そんな素晴らしい歌。
「上手に歌おう」とするのではなく、「皆に届けたい」想いで歌っているのだと感じる。牧師の娘に生まれ、常に信仰とともにあったんだろうと容易に想像できる「他とは一線を画する」歌声。本当に凄い。
第2夜は前夜に比べてパワフルな歌声。
繰り返しだけど、なんかもう『とにかく凄いものを観た』。
アレサ・フランクリン、歌ってるときの顔は和田アキ子ww
魂込めて歌う人って同じ顔になるのかな??
アレ(ク)サ、歌を歌って。
白人中心の教会で歌われる讃美歌と、黒人中心の教会のゴスペルでは、まるで雰囲気が違う。雰囲気だけじゃなくて、この映画では歌詞の和訳を字幕で出してくれるので、ゴスペルに詳しくない私にも少し理解に近づけた気がするが、根底に抑圧と忍従の日々から安穏を求める祈りがある。それはやはり長きに渡る黒人迫害の歴史と切り離すことはできない。
アレサ・フランクリンの一曲目の歌い出しからいきなり泣きそうになった。高音の抜けのいいシャウトは迫力がある(ベット・ミドラーやアイナ・ジ・エンドのようなハスキー系のシャウトも好きだが)。教会でのライヴということで、説教壇から歌うのも奇なる情景だ。キャロル・キングの曲まで宗教色を帯びるのも面白い。一方で、もう少しバラエティに富んだ選曲のコンサートも見てみたいという思いも。
今回の上映は、ジェニファー・ハドソンがアレサを演じた映画に関連したものなのだろうか。フレディ・マーキュリーの伝記映画のヒット以来、同工の音楽映画が続いているが、どういう人選なのか謎だ。
立ち上がり、止むことない拍手を!
彼女が歌い終えるたびに、できることなら、わたしもあの場にいる観客たちと同じく、立ち上がり、何度も何度も手を叩き続けたかった。
迷いもなしに星5つ。今年始まったばかりだけど、今年みた映画のベストに入るのは確実だと思う。(映画の公開自体は今年じゃないけれど)
どうやったら涙を流さずに見れるんだろう。
とはいえ公の場なので、歯を食いしばりながら泣くのを堪える。
けれども流石に、タイトルにもなっているアメイジング・グレイスの歌唱シーンには、もうだめだった。
彼女の歌唱そのものだけでなく、彼女が、彼女の歌が作り上げたあの空間そのものに圧倒されて…
(見たひとならわかるとおもうけど、ほんとにすごかった。)
映像を見たというより、ひとつの空間を目撃し、経験したのだと思った。
それから、すべての歌に日本語字幕がついていたのが本当によかった。
多くの黒人の人々に埋め尽くされた教会で、ソウルの女王と呼ばれる黒人女性歌手が、魂をこめて歌っている内容の、その重み。
ドキュメンタリーということになっているけれど、彼女の私生活に関わる物語やナレーションは一切なく、ただひたすらコンサートの様子だけを見せているのもまた良かった。
彼女たちにしかつくりあげられない世界をただ目撃し、涙をながす。わたしたちにはそれしかできないのだ。もう〜すごい。ただただ拍手。
汗と熱狂のライブ!
「リスペクト」のハイライトともなっていたアレサ・フランクリンのゴスペルライブのドキュメント。
「リスペクト」を観た後なのでよくわかるが、アル中でスランプに陥っていたアレサが、自らのルーツであるゴスペルを教会で歌うことによって蘇っていく、まさしく転機となった貴重なライブ。
最初のうちは、アレサの表情が少し硬い。それが、牧師や聖歌隊、そして観客との相互作用から、ぐんぐん高揚していき、汗まみれになって熱唱していく様は圧巻。
さらに、ライブの2日目では、観客も熱狂の果てに、踊り出し、泣き叫ぶようになるあたりは、凄いものを観た感じ。アメリカにおいて、ゴスペルがいかなるものか、少しは理解できた気がする。
演奏面では、C・レイニー、B・パーディのリズム隊の抜群の安定感が光る。あと、アレサのお父さんがとてもスリムでハンサムなのに驚き。
映像作品としては、撮影スタッフがしょっちゅう写り込んでいたり、ピンボケしたりで、評価しづらいが、とにかく熱狂ライブの臨場感を出すことに徹底している。
今頃になってやっと公開されたことには事情があるのだろうが、自分としては、「リスペクト」を観た後すぐに、この映像を観られたことは、本当にラッキーだ。
恍惚、陶酔、死と快楽(音楽)
私は無宗教だし、日本人の大半は正直無宗教だろうと思う。
ただそれはこの儀式を観に来ていたミックジャガーとて同じこと。
ロンドンのひとたちはアメリカ人の宗教観とかなり隔たりがある。
ミックジャガーが最初遠巻きに一番後ろから観てるでしょ?たぶん遠慮していたんじゃないかな。かれはとても育ちが良いんです。そんな気がする。ただ最後の方では前の方で観てますね。かなり楽しんでるようです。
アレサフランクリンの、というか、もうこのレベルの音楽体験になりますと、宗教もクソもない気がします。恍惚と官能そのものといいますか、もはや自分の中に受信できるアンテナが設置されているかどうかだけかと。
コーネルデュプリー(ギター)、チャックレイニー(ベース)、バーナードパーディー(ドラム)のバックは無敵艦隊のようにどのような展開にも即座に対応し、都会的なソウル、ファンクミュージックを展開する。ロンドンの人がそこまで神を信仰していないのにこのミュージックにハマるのはこのバッキングによるところも大きい。レコードでソウルを聴く私にとっては神みたいな人たちなので、ほんとに幸せな体験でとても貴重な映像です。
爆音のこのマスタリングにはプロデューサーのアリフマーディンが関わっていると最後に字幕で流れました。耳がいい人がマスタリングすると音作りが全然違いますね。ベースとドラムの臨場感が半端ない。これは映画館で観るべきでしょう。モノラル盤のアナログレコードのようなマスタリングです。
サマーオブソウルが無駄なことばかり編集して駄作になったのと対照的に、無駄が一切ない構成。大傑作である。
序盤で進行役の神父さんが突然ブルースを歌い始めるのに驚きました。教会でブルースって御法度なんですよね。この神父さんかなり進歩的な方みたいだ。「今夜は踊りますよ」って言ったりとか、終盤でも女の子が突然かっこよく踊り始めますよね。説明されなくてもこの神父さんがどんな人かわかります。
特に終盤の興奮した観客の1人が暴れ出して4人がかりで押さえつけるシーンがハイライトで、やはり素晴らしいドキュメンタリーというのはこういう奇跡のような瞬間を逃さず撮ってるんだなーと感動。
ここでの評価の低さが、すなわちもはやこのやうな音楽を楽しむ土壌が日本にはないのではないか、という懸念にもつながる気もします。寂しいね。山下達郎やピーターバラカンが嘆くよ(笑)ロッテントマトの評価、トマトメーター99%ですからね。オーディエンススコアも80%。日本と海外のオーディエンスの評価の乖離を最近つとに感じます。はっきりいって嘆かわしいと思ってます(笑)理解力、感受性の衰えが目立つ。あー失礼。
気になってしまう。
今自分は41歳、アレサフランクリンを聴いていたのは15歳から17歳ぐらいの時、その時すでにクラシックスでもあるが、出会いは当時hiphopが流行りだした頃で、丁度バンドブームからクラブカルチャーへ移行する時代だった。そのhiphopの元ネタとしてであったのがソウルミュージックだった。レベルの違う、もの凄い歌唱力を持ってるシンガーが何人もいたが、その中でもソウルミュージックといえば!のような存在でもあるのがアレサフランクリンだ。なので、歌唱力についての新たな驚きは遠い昔に済んでいたのでなかったが、改めてアレサゴスペルの素晴らしさは感じれた。ただ一般的な日本人がゴスペルをアメリカ人や黒人と同じように感動するのは文化的背景の違いから難しいと思う。なので、個人的には音楽映画として最高なものではない。しかし最大の謎は、72年、アレサが30歳の時に撮影され、テクニカルなトラブルが解決して映像化したのが、1991年だと言われている。しかし公開のタイミングでアレサは訴訟を起こして2回に渡って公開を阻止しているらしいのだが、、何故? 彼女の死後、遺族の合意の元で公開に至ったようだが、アメリカをはじめとしたその他の国でも興行にも成功しているようだし、この音源が収録されたCDアルバムも大ヒットを記録している。当時も映像化の予定だったので、当然しっかりと撮影されている。記録映像としても価値のあるものだと思うのだが、何故アレサ本人だけが公開したくなかったのでしょうか。そこがめちゃくちゃ気になってしょうがない。
幻の公開
時を隔て、心酔の空間が公となる。彼女の根底にあったゴスペルを軸に、教会でのLIVEに拘った至上のパフォーマンス。信仰に対する心情は私には分からない。けれども、スクリーンに映し出されたこの貴重な記録を目にすれば、二日間の幸福感が伝承されるはずだ。現代の大物アーティストでは、こうしたある種の素朴な演出は不可能に近いだろう。人の心を真にとらえるものは、決して過剰な煽り方では無い、真心に問う姿勢なのだ。
タイトルなし
ソウルの女王
#アレサフランクリン(1942-2018)
歴史的大ヒットとなった
アルバム「AMAZING GRACE」を収録した
1972年1月13,14日の2日間
LAの教会で行われたライブ
未完のままだった
幻のコンサートフィルムが蘇った
教会… ゴスペル…信仰と音楽
力強い説教
その呼びかけに応えるように歌う
アレサの歌声に皆総立ちになり手を掲げる
…ミックジャガー⁈チャーリーワッツ⁈
(会場にꔛ♥)
美しい魂の叫び?!
言葉はわからなくても心に響く
素晴らしい歌声✨߹~߹)
この歌声は
彼女を知らない日本の方は多いと思う(この作品までは私もその1人でした)けど、この歌声には何かを感じました。
例えるなら「魂の歌声」みたいな表現かと。
そして映像の中、馴染みのない曲なんだけど、観てる観客の心に何かの潤いを与えてくれる心地よい時間でした。
1972年当時の熱気がムンムン感じられる作りになってます。
21世紀の若者こそ、この神のメッセージが必要なはずです 決してマニアだけの音楽映画や、老人の回顧趣味の映像ではないのです
アレサ・フランクリン
米国での彼女の存在は、日本の美空ひばりに匹敵するような泣く子も黙る大歌手です
ことに黒人にとっては歌手の女王様です
レディソウルとは彼女だけの称号です
2018年8月16日に他界、76歳でした
もう3年も前の事になりました
彼女は1942年生まれ
最初のレコードは1956年なので、14歳のこと
初アルバムは19歳の1961年のことです
その彼女の2 枚組のライブアルバム「AMAZING GRACE」
1972年6月1日リリース
レーベルはもちろんアトランチック
300万枚以上売れた空前絶後のゴスペルアルバム
というかソウルミュージックファンにとっても、絶対持ってないとアカン!必聴の名盤とされています
この伝説のライブアルバムの録音をしていた現場を、なんと映画に撮っていたのです
それが本作です
アレサ・フランクリン30歳
もうすでに超有名な大歌手になっています
収録は1972年1月13、14日の木曜、金曜の2夜
場所はロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会
どんなに大きな教会かと思い描いていたのですが、本作の映像でみると、小学校の体育館程度ぐらいです
というか新宿の末廣亭の客席を思わせる大きさです
外からみると田舎の小さな映画館みたいな風情です
そこはどこにあるかというと、ロスの南側
ビバリーヒルズから30キロほど下がったところ
サウス・ブロードウェイ沿いにあります
1965年の黒人大暴動で有名なワッツ地区から西にほんの5キロほどのところ
映画「ワッツスタックス」の会場のロサンゼルス・メモリアル・コロシアムは、その教会の前の道を都心方向の北に7キロほど戻ったところです
そちらのイベントの「ワッツタックス/スタックス・コンサート」は、1972年8月20日のことでした
つまりわずか7ヶ月の間にこの2つのソウルミュージックにとり大きな意味を持つことが、ロスのこの狭い一角で起こっていたと言うことです
収録会場にローリングストーンズのミック・ジャガーと、つい先日の2021年8月24日に他界したチャーリー・ワッツの顔も見えます
昔からレコードでこの感動の歌唱を幾度も繰り返し聞き込んでいる人にとっては、その現場がこうであったのかという感動が深くあると思います
ならば、アレサ・フランクリンを初めて知るという人、21世紀の若者にとってはどんな意味があるのでしょうか?
もちろん、意味も意義もあります
むしろ21世紀に初めて彼女の歌唱を、それも本作の映像と共に受け止めることができるのが、羨ましいぐらいです
なぜ49年もお蔵入りしていたのでしょうか?
もちろん、カチンコを忘れていたとかというトラブルかも知れません
しかし、既に何作も長編映画を撮っているシドニー・ポラック監督がそんなミスするでしょうか?
本作の映像に映り込んでいるカメラなどのスタッフの面構え、動き、実際の映像は素人ではないとすぐわかります
そんな初歩的なミスをするものなのでしょうか?
いずれにしても何らかのトラブルで49年も封印されてきて、私たちはレコードの音でのみ、この素晴らしい感動の共有を許されてきたのです
その封印が解けたのです
確かにデジタル技術が進歩したからかも知れません
しかしBLM 運動が尖鋭化し、人種の分断がまた大きなっ問題となったとき、この映像の封印が解ける
そこに自分は、人智の及ばない神のご意志を感じざるを得ないのです
タイトルになったアメイジンググレイスは、本作の中盤、1夜目のクライマックスとして歌われます
その時、私たちは映像の中のクワイヤのメンバーや観客と同様に感極まってしまうでしょう
この歌は日本でも2003年にあるドラマの主題歌となって知られるようにもなりました
もちろんアレサフランクリンの歌唱は別次元のもので比べることもできません
それでも検索すればすぐ日本語訳詞に触れることができるようになったのはそのおかげでしょう
ぜひ訳詞にも触れて下さい
21世紀の米国社会にも、黒人社会にも、私たち日本人にとっても、今必要な大いなるメッセージに聞こえると思います
本作と同じように、半世紀もの時を超えてハーレム・カルチャラル・フェスティバルの映像が「サマー・オブ・ソウル」として映画となり公開されています
なんという符合なのでしょうか!
これこそ神のご意志なのです
この2つの作品をみて何かを感じとりなさいという神のメッセージなのです
21世紀の若者こそ、この神のメッセージが必要なはずです
決してマニアだけの音楽映画や、老人の回顧趣味の映像ではないのです
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