「スマホのセキュリティだいじ」アオラレ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
スマホのセキュリティだいじ
激突のようにぜんぶオンロードだと思っていたがOn/Offで粘着してくる。
肉付マシマシなラッセルクロウの安定したキレ芸もよかったし、レイチェルを演じたCaren Pistoriusも艶っぽかった。(チョン・ウンチェに似ている気がする)
ところで本作はアオラレと邦題がつけられ、あおり運転をモチーフに据えているが、じっさいレイチェルの最大の失策は“トム・クーパー”(ラッセル・クロウ)を怒らせたこと──よりも、スマホを奪われたことだと思われる。
もすこし厳密に言うと、スマホを奪われたこと以上に、スマホのセキュリティを設定していなかったことが、数々の禍害へつながっている。
この「めんどくさいのでスマホのセキュリティを設けていない」という伏線は、息子カイルを学校へ送っていく車中でワンカット出てくるだけだが、それが本作の見せ場へ至らしめるすべてのスイッチになっている。
(併せてカイルと語るゲーム上のストラテジーが伏線となる)
よってこの映画に教訓があるとすれば、ロードレイジに遭わないようにしよう──てより、スマホのセキュリティ設定をしましょう──であろうと思う。
わたしはほんの数年前、ガラケーから変更したスマホ新参者だが、スマホに変えてつくづく思ったのは、スマホが全財産を担ってしまうこと。である。
金融機関や官公庁に出むかなけりゃできなかった手続きや、郵送で何日もかかった認証が、スマホだとその場でできる。
パソコンではできないNFCやFelicaやQRの読み取りができ、切符や定期、お金や地図、連絡先、通帳、身分証や保険証の代替となり得る。
まさに、スマホ(及びその中のデータ)が全財産といっても、いささかも過言はないだろう。
そんなスマホのセキュリティ/操作防止機能を、めんどくさいという理由で設定していなかったレイチェルは迂闊としか言いようがない。
(もちろん映画として“トム・クーパー”にやりたい放題させるために、レイチェルの迂闊さが最高に活かされるわけだが)
(余談だが、携帯はスマホに比べたらただの電話に過ぎなかったが、バッテリー寿命やポケットに入れていることを意識しなくていい点においてはベンリだった。)
さて映画は単純だけど楽しかった。
かえりみて、あおり運転のスリラーが、あまりないことを不思議に思うほどだった。
激突とこの映画と、──数えるほどしかない気がする。
あおり運転なら、相手をのすまで凄まじい執念で地の果てまで追ってくる。──という敵を簡単に設えることができる。その敵をつくるのに些細な交通トラブルさえあればいいのだ。
これは映画のストーリーやギミックを大幅に削減できる。
逆に言うと、いや、逆というより現実的に言うと、些細な交通トラブルでどこまでも粘着してくる輩が、じっさいにそこらへんにいる──という話である。
事実は小説(映画)よりも奇なり、なわけである。
というわけで、今や世の中は壊乱し、おかしな奴がいっぱいいる。
社会派やヤフコメ民ならおかしな奴に気をつけろと警笛を発するのかもしれないが、きょうび、なんかまともそうなこと言ってる奴が、じつはいちばんあぶない。
したがって、社会派やヤフコメみたいな常套句を並べるまえに、じぶんがおかしくなんないように気をつけて生きたい。──と、わたしは思ったw。