「あなたの隣の『ジョーカー』」アオラレ サブレさんの映画レビュー(感想・評価)
あなたの隣の『ジョーカー』
2019年に公開されたジョーカーは現代社会において報われない人を(そう感じているだけの人も含めて)中心に大きな共感を巻き起こした。
仲間から見下され、見も知らぬ他人から暴力を受け、尊敬する人から嘲笑され、両親から愛されず、愛する人は自分の妄想でしかなかった。彼はジョーカーとなる以外にどうすれば救われたのか。同年に公開されたパラサイトもそうだ。覆せぬ階級差を前にして、その切り立った崖を越えられるような気がして、悪事に手を染めてしまった。
アオラレはそんな社会問題をちょっとだけ含んだ、『無敵の人』の話だ。ただ、ジョーカーやパラサイトのように報われない人への同情心を誘うような、「仕方がない」と思わせるような作りはしていない。彼が徹底的に社会を憎悪し、効率よく復讐を遂行する悪鬼だからだ。
映画は彼の殺人から始まる。その後、だらしない主婦レイチェルが出てきて、色々あって彼の車に「マナーのなっていない」クラクションを鳴らしたことから、彼の狂気の付きまといが始まる。彼は社会に拒絶されて自暴自棄になったいわゆる『無敵の人』なのだろう。
生きる目的は社会への復讐、直近の目的はレイチェルへの復讐。その過程でいくら人を殺そうが、それを目撃されようが気にしない。執拗にしかしあくまでも賢く復讐を遂行していく姿は狂気・恐怖としか言いようがない。
とはいえ、鑑賞者のほとんどが期待するように、奮い立ったレイチェルが彼に一矢報いて映画は終了する。彼の社会への復讐は人を数人殺しただけで終わる(それでも大変なことだが)。映画が始まる前から彼は社会から拒絶されて絶望し、憤慨し、それゆえさらに拒絶が加速する。彼は映画の中でも、鑑賞者からも同情を買うことなく息絶える。彼はどうすれば救われたのか。
私は本を糺せばイライラして礼儀を欠いたレイチェルの自業自得のような気がするのだ。彼はレイチェルに対して表面的には紳士的に交渉したのだから。
世界がジョーカーやパラサイトに熱狂したのは危機感がないからではないか?ジョーカーで巻き起こった暴動はゴッサムシティでしか起こらないし、パラサイトは韓国の貧民街の話だと、そう思ったのではないか。だから娯楽として観られる。楽しめる。
しかし、この映画アオラレはどうだ。車の煽り運転はいまや重大な社会問題といえる。それに応じて、煽り運転を指摘する正義の執行もまた社会問題のひとつになるだろう。あなたが正義を執行した相手が社会に絶望した『無敵の人』ではないと言えるだろうか。そんなことを考えてしまった。