「複雑な感慨がある」SNS 少女たちの10日間 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
複雑な感慨がある
本作品はSNSを使った実験映画である。12歳の女性を装ってSNSにプロフィールを公開して、交流申請してきた男たちの実情を描く。
一説によると男性は52秒に一度は性的なことを考えるらしい。我が身を振り返れば、そんなに頻繁ではなくとも時々はそんなこともあると思う。しかし若い時のことを思い出せば、文字通り四六時中というのがそのまま当てはまるほど、セックスしたいなあという気持ちは頭を離れなかった。街で若い娘を見かけるとその娘とセックスをするとどのくらい気持ちがいいだろうかなどとすぐに考えたし、ナマ足のミニスカートにはチラチラと視線を送っていた。
といっても妄想するだけであって、実際にそういう娘にちょっかいを出すことはなかった。学校や部活やアルバイトで忙しすぎたのである。それ以外の時間は本をたくさん読んだ。本を読んでいる最中はその世界に没頭するのであまり性的なことは考えない。将棋を指しているとき、麻雀をしているときなどは、性的なことを考えるヒマがない。ということはヒマな人間が性的なことばかり考え、その衝動が高じて女性に声をかけたり、最悪の場合には痴漢をしたりするのだろう。
中国の諺で「小人閑居して不善を為す」というものがあって、つまらない人間は人目のないところでは悪いことをするという意味らしいが、ではつまらない人間とは何かというと、教養のない人間のことらしい。たしかに本作品に出てくるネット住民の男たちの殆どは教養がなさそうに見えた。
日本の諺の「律義者の子沢山」は、真面目で品行方正な人は夫婦仲がよくて頻繁にセックスをするから子供が多く生まれるという意味で、肯定的に使われている。「貧乏人の子沢山」ともいうらしいが、貧乏で他に娯楽がなく夫婦でセックスばかりしているから子供が多いという意味なのか、子供がたくさん生まれたから貧乏になったという意味なのかは不明である。
フロイトは性的衝動(リビドー)が形を変えて芸術や科学の活動のエネルギーとなると説明している。してみると当方が学生時代に本をたくさん読んだのは性的衝動の代替行動だったのだろうか。たしかに52秒に一度性的なことを考えるのであれば、その衝動を別のことに使わないと世の中に性犯罪が溢れることになる。
日本の性犯罪の件数は戦後に比べると大幅に減少している。草食男子などという言葉が生れたように、性衝動のすべてを別のことに変換したり、性衝動の対象を二次元にしたりするなど、異性への欲望を直接から間接に変えたのだ。そうなると生身の女性は不要になるから、当然のように婚姻率は下がり、同時に出生率も出生数も下がって人口が減少する。
日本は世界でも突出した少子高齢社会で、アフリカやインドの人口爆発と対照的である。世界の人口の動勢はよく登山に例えられる。登りがあれば必ず下りがある。登山においては実は登りよりも下りの方がより困難なのである。日本は下りの先頭にいて、右往左往している。
本作品はチェコ映画であり、SNSで見ず知らずの女の子を相手に直接的な欲望をぶつけたり命令したりする身勝手なチェコの男たちを見せられたが、日本でも同じように少女が欲望むき出しの日本人の男たちによってトラウマを与えられていることも考えられる。
しかしそもそもSNSにはそういう危険性が最初からあった筈だ。ノーパンのミニスカートで満員電車に乗る女性はいない。男たちばかりが一方的に非難されることには違和感を覚える。むしろ教育の不足を感じた。国語算数理科社会に加えて、低年齢の段階からインターネットの教育をする必要性があるのだ。そういう時代になったのだという、是とも非ともつかない複雑な感慨がある。