劇場公開日 2021年4月2日

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「やりたくないと叫びたかった」僕が跳びはねる理由 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0やりたくないと叫びたかった

2021年4月8日
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鑑賞方法:映画館

 自分は自閉症なのではないかと考えたことのある人は意外に多いのではないかと推測している。実は当方もそのひとりだ。「ライ麦畑でつかまえて」の主人公も自閉症の傾向を持っていると勝手に思っている。
 他人とコミュニケーションを取るのが面倒くさい。あるいは怖い。世の中の人はみんな人でなしに見える。近寄ると身ぐるみ剥がれるのではないか。何かを強制されるのではないか。痛めつけられるのではないか。殺されるのではないか。

 夏目漱石の草枕の有名な出だしは次の通りである。

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容げて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。

 もしかしたら夏目漱石も自閉症の傾向があったのかもしれない。言い過ぎかもしれないが、小説家の多くは自閉症の傾向があるのではないだろうか。でなければ小説を書く動機が理解できない。他人は信じられないが自分はもっと信じられない。何も信じられないから自分で何かを作り出す。漱石はそんなふうに言いたかったのだろう。極論すれば芸術家はみんな自閉症の傾向があるということになる。坂口安吾が檀一雄の家でライスカレーを百人前注文したのは有名な話だ。

 本作品を観て自閉症の子供たちはすべて芸術家になりうる素質があると考えた。もうひとつ条件があるとすれば、映画「天使にラブソングⅡ」で紹介されたリルケの言葉とされる「もし朝、あなたが目が覚めて、あなたが詩を書くことしか考えられないなら、あなたは、すでに詩人だ」である。寝ることよりも食べることよりもセックスよりも優先することがあれば、既にその道の人である。
 自閉症の傾向を持つ者として、その傾向を隠して生きていることに恥ずかしさを覚える。人に合わせ、世間に合わせ、自分をなくしてただ生きるために生きてきた。やりたくないこともたくさんしてきた。やりたくないと叫びたかった。もう遅いのだろうか。

耶馬英彦