クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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毎日寄り添っていれたなら…
歳を重ねなければ分からないことがあります
若いうちは見境なく突っ走ってしくじって後悔することも全てが積み重なり見えてくるものが
煮えたぎる怒りの収め方
甘美な誘惑の怪しさ
見知らぬ人々との交わり方
どうしようもない悲しみの堪え方
いつの間にか時代が年寄のことを社会のお荷物のように扱われるように見えてなりません
ほんとはもっと人生の先輩達から学ぶ事があるのだと思います
施設へ預けて悠々自適な暮らしをしてもらうのもいいでしょうが今の私達に必要なものを先輩方から何も受け取らずに「またね」と言って手を振っていいのだろうか
時間をかけて時を過ごし泣いたり笑ったりしながら寄り添って生きたい
生活が楽になり物が増え毎日食べたい物が食べられる
心はどこに置いてきてしまったのか
祖父や祖母、父や母からではなく映画やドラマ、小説から人生を学んでも上っ面だけなのかも知れませんね
人のことは言えません、私も親と離れて暮らしていますから
そんなことを思いながら見入ってしまいました。
老いて無知を知る
やはり正解が欲しい。私の生き方、間違いではないと云う正解がね。
無知を自覚することが、成長の始まりだそうです。ただ、そんな知ったかぶりが多すぎると、逆に何も見えない。私は何を見てきたのかな。
マッチョな二人と、一羽が決めた道。おそらく一本道ではない。それでも踏み出す。踏み出す理由は、その先が分からないから。始めから分かるなら、踏み出す勇気もマッチョである必要も無い。
私、ロードムービーって、普段ピンとこないんですけど、何故か本作は…。今の私が、道を見失っているのかな。ホントは正解なんてない。仮にその先が袋小路だとしても、躊躇いながら踏み出す私を、御大イーストウッドは、静かに微笑んでくれるかな。それにしても、私のマッチョは何処にあるのかしら。近所のコンビニには、なかったですけど。
こんな御時世ですが、最近、ちょっと道に迷われる方は、是非劇場へ。地図もナビも要りません。皆様の、ささやかなマッチョがあればいいのだから。
肩の力を抜いてイーストウッドの人情噺に乗ってみる価値はある
隣国に逃げた少年を連れ戻そうと、金にもならない仕事を引き受け、メキシコ警察の取り調べに「運び屋じゃないんだから」と突っ込むシャレを見ていただきたい。
バートン・ランカスターの「ヴェラクルス」で名を馳せたメキシコ。トランプで悪人にされたメキシコの乾燥した平原を、砂埃を上げて疾走する爺さんと少年のポンコツ車が、アメリカを目指す爽快感が見どころ。ふと寄った食堂で不思議な女家庭に親切にされる時、ロディオで痛めた爺さんとイーストウッドの動きがバッチリ合致して面白いから、ここは、肩の力を抜いてイーストウッドの人情噺に乗ってみる価値はある。ラストのイーストウッドらしからぬ幕切れもお許し願いたい。
イーストウッドはイーストウッド
若い頃はタフガイ。老人になってからは、その老齢を生かした若い頃はタフガイだったの脚本。彼の俳優としての円熟を生かし切った作品。御歳91歳のイーストウッドは、全く畏れ入るほどの名優であり、監督だ。2022年でも彼の勇姿が見れるとは!後、何本くらい彼の作品を目にすることが出来るだろうか-
脚本家ニック・シェンクの過去2作の組み合わせでしかない!!
『運び屋』や『リチャード・ジュエル』に関しても、決して悪い作品ではないが、傑作というには、ほど遠い作品を連発している。しかし「さすがイーストウッドだ」とか言っている人が多くて、いったい何処を観ているのだろうか…….
撮影方法や技術面に関しては、否定することは全くなくて、脚本に入っているかどうかの問題もあるが、物語の構築が単調でしかない。
クリント・イーストウッド監督作品は、なんでも素晴らしい作品と言わないといけないようなバイアスがかかっているのは、いかがなものかと思う今日この頃。
今作も地味な作品の割には、特別濃厚な人間ドラマがあるわけでもなく、描いていることは王道でシンプル。しかも今回は全体的なプロットが『グラン・トリノ』と『運び屋』を組み合わせたようなものであって、それは2作の脚本家ニック・シェンクを再び起用していて、脚本家の問題にも思える。
もはやイーストウッド作品に新しさを求めるのは無理な話で、いつものような作品を撮る監督だと割り切って観るのであれば、ある程度の安定感はあるだろうが、観ている側が無理に良い点を探さなければならない負担に疲れる。
当てつけというべきか1週間差で公開される元イーストウッド組ロバート・ロレンツの『マークスマン』がコテコテに、麻薬カルテルや人身売買といった治安の悪さを主張した「ザ・メキシコ」的作品だったのに対して、別方向からのメキシコのアプローチが随所にあることと、少年ラフォ役のエドゥアルド・ミネットの演技が上手いのが唯一の利点だ。
イーストウッドが終始、学校に孫を迎えにきたお爺ちゃんにしか見えず、悪役の女性やメキシコの未亡人からアプローチをかけられる不自然さを感じてしまう。そこはイーストウッドの女性好きな部分や、いつまでも自分を美化する意識が抜けていないようでならない。
未亡人と孫たちと擬似家族のような関係が築かれていくが、たまたま会った80代後半か90代の老人に恋愛感情を抱くだろうか……物好きと言ってしまえばそうだろうが、さすがに無理がある。
強くなりたい
かつては優秀な馬乗りとして名をはせた老人が、恩人からの依頼で毒母のもとから連れ出した少年と旅するロードムービー。
恩人とは言えちょっと他力本願すぎる父親に頼まれ、煽り度MAXアバズレ母さんの元へ行くマイク。
探せるものなら探してみろとのことで、成程、ここから少年を探す冒険が始まるのかと思ったら…見つけるの早ッ‼
程なくして、警察や母からの刺客をやり過ごしながら、テキサスを目指す旅が始まる。
強さに憧れるラフォの気持ちが身に染みる‼ワタクシもその年の頃は、自身の弱さ・無力さ故強い男に憧れたものです。自立した今も、やはり強さには憧れますね。
道中は中々面白かったですね。酒を飲むなと注意するマイクだが、あんたも今はダメでしょw
緩いのかなこの地域は。
アウレリオはちょっとおバカさん!?助けてくれたメキシカン達、正義感あって素敵だがちょっとやり過ぎではw?
そしてマルタは最高‼察しの良さと優しさで沢山助けてくれましたね。女の子たちとの時間もホンワカしてて、ホントこのままで良いのではと思ってしまうほど。
形は違えど互いに孤独なマイクとラフォの暖かな交流を描きながら、時折訪れるピンチにはハラハラしたし、物語としてはとてもグッド。
「運び屋じゃないぞ」には少しツッコみそうになったが(笑)ここファンサ!?
そしてアウレリオ…もはや何だか可哀想に(笑)
終始良かったんだけれども、ラストに向けての流れは、何と言うか打ち切りドラマの如き詰め込み感が激しくなかったですかね?ちょっと色々展開が唐突過ぎて。。んで、ここで終わりなの!?お父さんの考えもあったし、なんか重要なポイントが残ったままのような…
まぁ、ここからはラフォ自身が本当のマッチョになって頑張れ‼…って思う所かな。
話が良かっただけに、後半のテンポの良さというか端折り感が少し気になったので、あと20分長くて良いからじっくり観たかったな~と思った作品だった。
運び屋じゃないぞ!
とにかく印象的な言葉がこの「運び屋じゃないぞ」と「ドリトル先生じゃないぞ」でした(「ムツゴロウじゃないぞ」ならもっと良かった)。91歳を迎えたイーストウッド御大が自身の集大成ともいうべき内容で彼の過去作品をも思い出してしまうのです。
鑑賞前には世話になった牧場主の依頼によって彼の一人息子を元妻から取り戻すためのロードムービーだとか、その放蕩息子ラファエロの成長物語だとかを想像していたのですが、なんのこたぁない。イーストウッド自身がマイク・マイロに投影し、自分の死に場所を探し求めるのがテーマなんだと感じました(あくまでも個人的な意見です)。
『運び屋』のオマージュというかセルフパロディを取り入れたり、少年との交流なんてのも『グラン・トリノ』に繋げているし、マイク・マイロの設定自体も『許されざる者』に近かったり、砂漠なんてのも『続・夕陽のガンマン』をはじめとしたマカロニ・ウェスタン風だったりする。動物好き(特に馬好き)という性格もいくつかの作品にあったような気がするけど、猿が出てきたら失笑してしまったかもしれません。
強さを象徴する言葉のマッチョはむしろ今までイーストウッドが演じてきた男であり、物語でもかつてロデオスターだったことと共通している。そんな中で闘鶏(ルースター)のマッチョを「チキン(弱虫)」と表現したりして、虚勢を張ることだけが強さではないとマイロの心も変化していったりする。「強さ」ってのは何だったんだろうなぁ~と、人生の特等席ならぬ終着駅に向かう哀愁漂う老人の姿が清々しい。さらに現代的なDV問題などをさらりと組み入れている素晴らしさ。
「バーベキューにして食っちまうぞ」などいうと笑えないジョークも少年と心が通じ合ったことの証し。ただ、マルタの差し入れた朝食にはスクランブルエッグが入ってたように思えたし、イーストウッドが調理したのも鶏の唐揚げのように見えた。マッチョに共食いさせようとするブラックジョークだったのかな・・・それにしてもマッチョの演技が最高すぎる!
「グリンゴ」「メヒコ」なんて言葉も印象に残りましたが、最も痺れたのは「手話を覚えたのは長い人生の経験の中で」・・・って台詞。使ってみたい!
乾いた大地に潤う魂
個人的な話ですが、ココでの5点(満点)は「思い入れもしくは魂が響いた」場合によるので、映画的な云々は割愛しちゃってます。だもんで、ココまでのクリント・イーストウッド監督の歩みに満点でございます。
序盤の二人旅始まりシークエンスのやり取りに物語都合的な違和感は感じたものの、それ以降のドライに柔らかいストーリーテーリングは流石ですね。奇しくも盟友の「マークスマン」と被る形になりましたが、熟成具合の差が出たかな?って感じでした。アッチも面白かったんだけどね。
熟達の監督采配と気負わない演技。近年の事実ベースものとはまた違う味わいの、現代的西部劇になっておりました。
クリント・イーストウッドだからこその
老いた姿が落ちぶれたカウボーイに映される情感。
それでもアウトローの如く、アメリカ南部からメキシコへ続く平原に音楽が流れる。
新しい世界に身を投げる若者と、彼の地に安らぎを見い出す老いたマッチョと。
原作と違いすぎとか、91歳が演じる役ではないとかいろいろ言いたくな...
原作と違いすぎとか、91歳が演じる役ではないとかいろいろ言いたくなりますが、あのペイルライダーの人が!マグナム構えてGo a head.Make my day.の方が!いまだスクリーンで監督主演です。私なんかが生まれる前から、スクリーンでご活躍されているんです。永らくクリント・イーストウッドを見てきたファンが楽しむ作品でして、私はファンなのです。
辿り着いた安息の地
起こってしまうトラブルが起こらなくても良い程に差し障りもなく淡々と単純極まりない物語がシンプルで潔く清々しくて心地良い。
少年との交流が『グラン・トリノ』を『運び屋』のように不安定なロードムービーがありながら、メキシコへの目的が何故か『ランボー ラスト・ブラッド』を想起させられる危うさにドキドキしながらも基本的には老人に優しいスタイルを保ちながら。
90年代のアクション映画みたいなオープニング、エンディングでの字面と本作のマッタリ感に変な違和感も、ちゃっかり自分の居場所を確保しながら行って戻って戻る旅、老いても残りの人生は希望と幸せだらけなハッピーエンドが突拍子もない位に呆気なく中心にいる筈の少年が置いてけぼり。
イーストウッドの哀愁漂う老人三部作がここに完成??
さすがにムリがあります
最初に断っておきますが、私はイーストウッド監督作品のファンです。
ですが、今回はちょっと…。
他の方の感想もさくっと読ませていただきましたが、皆さんお優しい。イーストウッド監督への敬意を感じます。
でも本当に?と思ってしまうのです。
イーストウッド作品じゃなくても同じ評価ですか?
あんなヨボヨボ(失礼!)のおじいさんにそんなこと頼まないっしょ、から始まって、ツッコミどころ多過ぎです。
何よりも残念だったのは、俺もまだまだ男として魅力的なんだぜ、な場面を散りばめてたこと。
脚本の雑さ、脇役の演技等々、今回の作品はがっかりでした。
老いとともに無知な自分を知る。
近年のイーストウッド映画のデフォルトである、若いころの栄光を持つ落ちぶれた孤老人。家族も顧みなかった男の今の姿は、物静かでよぼよぼだ。だけど、ぬるぬるっとしたその言動と風貌に、僕は次第と信頼感を寄せていた。それは、人生の山をいくつも越えてきたからこその円熟味ゆえだろう。知識豊富で機知に長け、しかしけして奢らず、人間の奥ゆかしさに溢れている。マッチョ(もちろん肉体的な意味だけでなく)であるのに自分をマッチョだと誇示しない。これこそ、真の強さなのだ。
できればイーストウッドがあと10歳若ければ、ラストシーンがもう少し華があった。あの歳では先が短い。
偽りなき強さ
優しさとは弱さではなく、それを理解し生きる姿に“マッチョ”な精神は宿る。虚勢を張らず、物静かに佇む彼の姿勢が好きだ。彼の作品は変わらずに「埋もれさせてはならない真実」を我々に届けてくれる。その信念と情熱は衰えを知らず。安請け合いが滲むコマーシャルでは、この素朴な魅力は伝わりづらいのだ。
イーストウッドのファンです!!でも・・・
そろそろ引退されてもいいのでは…
齢91才、もう十分ご活躍されました。
ほとんど観ました、好きな作品もいくつもあります。
・・・が、今作は私は無理がありすぎると思いました。
ストーリーも、設定も。
歩くのもしんどそうな老人にこんな大変なこと頼むでしょうか?
バディ役の少年も、今ひとつ。
依頼してくる父親も、今ひとつ。
イーストウッドも、声が出てなくて聞き取りにくい。
残念です。
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