「給料の半分をデーにつぎ込むらしい」走れロム つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
給料の半分をデーにつぎ込むらしい
闇くじ(デー)について、やっぱりこう思うよね。「公式を買えばいいのに」って。
公式は100円買って一億円当たるようなくじで、夢はデカいが現実味がないんだ。
一方で闇くじのほうは、下二桁だけで70倍という配当らしい。つまり、現実味がありそうなラインで、いわば競馬などのギャンブルに近い。
そして何より、貧しい層の国民に根付きすぎた、一種の娯楽的存在でもある。
今では少なくなったというが、それでもまだまだ広く行われていると想像できる。
なぜならば、例えば日本に出稼ぎにくるベトナム人が、思うように稼げず、孤独感もあり、インターネットを眺めると、闇くじがあり、それを買うらしいのだ。
違法であるが、貧困層ならばみんな知ってる、やってる習慣なのだ。
日本だって昭和の頃は、法的にダメだけどみんなやってたことなんてのはあった。
違法な闇くじを中心に貧困層を描いたこの作品は、闇くじによって落ちていく人々や闇くじの裏で暗躍する悪など、負の側面が表に見える。闇くじの問題性が題材といって差し支えないだろう。
地面を自分の足で走るロムと対をなすように映り込む車やバイク。自転車や線路などもそう。貧困層と中流以上の格差をさりげなく見せる。
闇くじの存在こそがこの格差を生んでいるように見えるのだ。
しかし、見方を変えれば、闇くじが貧困層の心の支えでもあるだろうし、何より、主人公ロムのようなストリートチルドレンが生きていく術にもなっている。
ロムの主な収入源は闇くじの走り屋だ。闇くじがなくなってしまったら、死ぬか盗むかしかなくなる。
スラムのアパートを浄化することや闇くじを取り締まる前に、やることがあるんじゃないかと思えてくる。汚いから捨ててしまうかのようなやり方は、捨てられる「人間」を全く見ていない。
ここまで書いたように内容的に興味深い作品ではあったが、本作の目を見張るところは内容以外のところにあったように思う。それは映像の面白さだ。
ロムを後ろから追う手持ちカメラ。ドキュメンタリー風の画。揺れるカメラアングル。青い空。
これらは映画の娯楽性の創造に大きく寄与している。ベトナムにそんなに詳しくないため、どうしてもストーリーラインがわけわからん感じになることを映像の面白さで観られた部分はあるだろう。
なぜ闇くじを買うのか。闇くじのシステム。なぜ墓の位置がわからん?。番号を占いのような方法で導き出そうとするメンタリティ。他にも色々。
ベトナムの文化や国民性に精通していないとちょっとわからんところがある。