きこえなかったあの日のレビュー・感想・評価
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気づかない事が沢山あった
東日本大震災時の被災ろう者を記録し、その後日本各地で発生した、熊本地震、西日本豪雨、新型コロナウイルスの流行など、相次ぐ災害の中で耳のきこえない人たちが困難に直面している様子を取材したドキュメンタリー作品。
津波注意報がスピーカーから流れても耳の聞こえない人には伝わらないし、コロナで困ってても電話で問い合わせることも出来ない。目で確認できる方法の大切さを実際に耳の聴こえない今村監督を通して知る事が出来た。
この作品を多くの人が観て、障害を持ってる人に優しい日本になったら良いなと思った。
音
津波警報が鳴ってるのに聞こえない……
停電になったら、なんの情報も得られない。
障がいがあるとかないとか関わらず、例え災害が起きたとしても、誰もが安心できる状況になるよう国は対策を考えて欲しいと、改めて思った。
現在進行形
2011年3月から2020年に至る、約10年間の長期にわたって撮りためられた映像作品であった。
東日本大震災とその被災者だけでなく、熊本地震(2016年)、西日本豪雨(2018年)、そしてコロナ禍(2020年)における聾者の話が取り上げられる。
この間に、聾者を取り巻く環境は良い方向に変わったようだ。
のみならず、西日本豪雨の場合のように体制さえ整えば、聾者がボランティアとして人助けをするというところまで来ているのだ。
このことは、自身も聾者である今村監督にとって、「頭を殴られる」ような衝撃で、聾者は助けてもらう存在であるという刷り込みに気づいたという。
現在進行形なのはそれだけではない。
監督自身の考え方、および、映画のテーマも変化していったようだ。
監督は「聾者を“被災者”と、ひとくくりにしていた」ことを反省し、編集段階で一人一人の人生も映像として挿入する。
しかし、上記の監督の意図は分かるのだが、3~4名の聾者を取材するので、内容が拡散してしまった印象がある。
「被災も、聾者の人生の一コマに過ぎない」というテーマを扱うならば、「加藤さん」だけに注目して、あとは「聾者と被災」という元々のテーマに、限定すべきではなかったか?
この作品は、どうやら残念な形で、今回公開されたと思われる。
コロナ禍がなければ、2020年においても「聾者と被災」という観点で取材できたし、「加藤さん」にもう一度会えた可能性が高い。
少し未完成な印象が、ぬぐえない。
この映画のメッセージは、とてもシンプルである。
「手話」ができる人、「手話」が通じる環境をもっと増やして欲しいということ。
そして、もっと多くの自治体で「手話言語条例」を、施行すべきということだ。(2021/2/27現在、374自治体)
聾者が、奇妙な目で見られることなく、堂々とサポートを求めることができる社会が望まれる。
手話がこれほどまでに不可欠なものだということを、独自の切り口で迫って訴えるドキュメンタリーであった。
必要緊急なコミュニケーションの図り方
聴覚障がい者を通して見た3.11以降の日本の記録。聾学校なのに手話が禁止されていたという過去など知り得なかった事も。
自然災害、未知の病原体という脅威にさらされる今の日本で暮らす以上、人と人との助け合いは不要不急ではなく、必要緊急なものとなっている。
コロナ禍の中でいかにコミュニケーションを図るかのヒントが詰まった一本。
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