ファーザーのレビュー・感想・評価
全335件中、61~80件目を表示
なかなか難しい映画でした
認知症視点という予備知識があっても、どれが今の話しか映画が進まないとわからない。幻覚と時系列が前後していると思うけど、最後のシーンで前半のシーンであの人達がそのセリフを言っていたのかとわかって、流れが掴めました。
映画の序盤はこっちも困惑します。
見終わったらそういうことかとわかります。あるシーンで返事しなかったこととか他にもいろいろ。
認知症の困惑した感じなどよく演じていたなぁと思います。
さすが、ハンニバル・レクター!
高齢化社会、他人事ではない
認知症「側」の観点から描かれる世界。人物や時間軸や場所や出来事が入り乱れて、トリックのような現実の「老い」。
偉そうな姿から愚かで赤子のような姿まで晒すアンソニー・ホプキンスは流石。
高齢の親が居る身としては他人事ではないなぁ。
さすが名優
時系列とか人物とか行ったり来たりして、わけがわからない。けど痴呆をそういった演出で表現したんだろうな。途中からあんまり深く考えずに観ることにした。アンソニーホプキンスはやっぱり秀逸だった。名優ってこういうものよね。 評価:3.6
認知症の世界
認知症の人の幻聴、幻覚の世界を見事に演じたアンソニーホプキンスの演技と家の中だけの世界観はとても面白い映画でした。 ただ、軽度認知症の母親がいる身としては今後、重度になった場合、あの世界に母親が入ってしまう恐怖と悲壮感はとても見ていられなかった(/ _ ; ) こちらの希望と我が儘を言わせてもらえば、最後は本人と家族がハッピーエンドで終わって欲しかった。。。 アリスのままのように… アンソニーの名前をそのまま映画でも使ってた理由はなにかあるのかな(。-_-。)
自分がわからなくなる!
自分を失う恐さを体感しました。 仕事の関係で介護施設でお世話になったことがあり、認知症の方と接する機会がありました。 どうしていいかわからないのょと急に混乱をしたり、数分前に食べ終わったごはんを、今日のごはんはまだ?早く食べたぃと言ってくる。 夕方になれば、帰宅願望がある。 突然、陽気に歌い出す。 その薬で殺そうとしてるのね?の言葉。 現場では介護の他に、もっと深い心のケアも必要だ。 その場所でその時間で、生きているのは事実。 記憶、とはなんだろう。 実際その方たちに触れていても、いまだに根本的ななにかがわからない。 寄り添おう。 笑顔でいられるように。 快適に過ごせるように。 劇中の男性は、本当に主人公の前にいた人物だったのかな、娘のアンと接点はあったかな?と考え直してしまいました。 実は主人公の妄想やせん妄や幻覚から来るものだったら、、と考えずにはいられませんでした。
ちょっと重い。。
アンソニーホプキンスの2度目のアカデミー受賞作品と認知症の本人目線での作品という事で興味を持ち鑑賞する。いや〜ホプキンス氏の名演技が光るも認知症知るに非常に勉強となる内容だった。時間(時計)への執着、過去の出来事と現実の狭間の混乱を映像化されており誰もが死の前に経験するかも知れない認知症を赤裸々に描く。誰でも何処でも起こりある意味死よりも辛い病いだと感じる。
介護する側だけでなく、認知症患者の視点も描かれているのが秀逸だ。 ...
介護する側だけでなく、認知症患者の視点も描かれているのが秀逸だ。 ただ忘れるだけでなく、ありもしない事を事実として覚えてしまうという。 娘が2人、娘の夫が2人、訪問介護人が2人、それぞれ別の人間が登場し、娘もパリに行くパターンとロンドンに残るパターンがある。 結局どれが真実だったのだろう。
オヤジの立場で観ていた
楽しみにしていた一作が早くもレンタル旧作に 5回に分けて 戯曲の映画化 日本では橋爪功が主演を務めたのだと 最初から最後まで混乱しっぱなし 元々外人の顔の見分けがつかなくて あれ? これ誰だっけ てなことがよくあるのだが この作品はわざとそうしているのか 最後の30分は酒が結構入っていたこともあり 意識が混濁してグッタリ それがねらいのような気もするし 単にオラの鑑賞力の乏しさによるものなのかもしれぬ これから各種レビューにて確認することとしよう 少し前に長いお別れという映画を観たときは 子どもの目線で鑑賞した記憶があるのだが 今回はオヤジの立場で観ていた
途中幻なのか、現実なのか、朝なのか、夜なのか、よくわからなくなって...
途中幻なのか、現実なのか、朝なのか、夜なのか、よくわからなくなってくる。 きっと認知症は自分でも困惑するほど、わからなくなるんじゃないかと思うと、観ていて老いる将来が怖くなってきた。 アンソニー・ホプキンズの演技がすごくて、なおさらリアルに感じられました。
自己の崩壊を明晰に演じるアンソニー・ホプキンス
2020年(イギリス/フランス)監督:フロリアン・ゼレール
恐ろしい映画でした。
認知症の父親役のアンソニー・ホプキンスが実に名演でした。
2度目のアカデミー賞主演男優賞受賞も納得です。
56年に渡る役者人生の集大成に相応しい演技でした。
同作品は同時にアカデミー賞の脚本賞も受賞。
非常に観客(わたし)を惑わせる映画でした。
娘(アン)の視点と、
父親(アンソニー)の視点の両方で描かれる。
そしてアンソニーは認知症がかなり進んでいます。
そこに脚本も映像も意地悪い。
娘のアンがある時は別人だったり、
アンの元夫なのか現夫なのか?居間にいる男。
この男は現実の人物なのかも不明です。
「お前(アンソニー)にはイライラする。俺たちの邪魔をいつまでするつもりか?」
と、面の向かって聞いてくる。
長生きは身勝手で我が儘・・・とまで言う。
私はちょっと考えたのですが、このポールと名乗る見知らぬ男は、アンの分身で、もしかして、アンの本音を話すのが彼なのではないのでしょうか?
アンの姿は、優しく父親思いで献身的な娘そのものです。
しかしそんな優しい娘が、60歳過ぎて出会った男の住むパリへ移り住んだりするものだろうか?仕事も捨てて・・・。
あるシーンでは、精神科医にはハッキリとパリ行きを否定しています。
本当にこんがらがります。
新しい介護人のローラは、若く美しく妹娘のルーシーに似ていて、
嬉しくなったアンソニーはタップダンスを披露したりする。
しかし翌日現れたローラは中年の女の人でした。
全てはアンソニーの妄想で、顔の識別も出来なくなっている・・・
見知らぬ男が居間にいる・・・アンの顔も忘れる・・・
と、認知症の症状と思って観ることも出来ます。
認知症患者の見ている心象風景は、これほど歪んでいるのですよ!!・・・と。
娘のアン役は「女王陛下のお気に入り」でアカデミー賞主演女優賞を受賞したオリビア・コールマン。
善意の娘を演じて、「本音はそれだけではないだろう!」
と、ツッコミを入れたくなる好演でした。
監督は2012年にこの映画の元となる戯曲を書いたフロリアン・ゼレールで、
今回戯曲を自ら監督しました。
ミステリー映画やサスペンスのように謎がいっぱいで、疑心暗鬼になってしまいます。
騙し絵のようなシーンがいっぱい
アンソニーのフラット(家)から私(アン)のフラットに越して来たのよ、
ここは私(アン)の家・・・と言うのに、
アンソニーが慣れた手順で紅茶を入れるキッチンは、
キッチンの壁はベージュ模様のタイルだ。
(アンの家はブルーの壁紙。)
アンソニーの壁に飾られてるルーシーの絵は、アンが自宅だと言う居間にも
飾られていた。
騙してるのは誰?
記憶が薄れてるアンソニーを良いことに嘘を付いてるの?
映像は騙し絵のように仕組まれている。
アンソニーが窓から見下ろす景色にもフェイクが隠されているのだ。
年老いると自分の目に見えるものを疑わなくてはならないのか?
アンソニーは常に、自分の判断に懐疑的です。
自分で何も出来なくなる。決定権がなくなる。保護者の指示のままに行動するしかなくなる。
ここに相手への信頼が失われたら・・・と思うと本当に恐ろしい。
そこに付け込まれて、ロフト(住居)も財産も失い、
何より時間、自由、尊厳さえ失う。
死んだら何ひとつ持って行けないのだから当然なのだけれど、
生きてる間に奪われて行くのを見るのは辛い。
老いの現実を突きつける衝撃作でした。
認知症の世界を見る
認知症当事者とその周囲の人々、どちらの感覚も疑似体験できる凄い映画でした。 セットや衣装、役者陣を突然ガラリと変えることで、場所・時間・他人、そして自分の変化に追いつけなくなる認知症患者の不安を感じることができる(感じざるを得ない)内容です。 認知症の祖母を持つ自分としては、主人公の娘やヘルパーの女性に感情移入してしまい辛いシーンも多かったです。 ただ、同時に主人公が直面する恐怖にも共感し、自分の祖母が見て生きている世界を理解出来たようにも思いました。
見応えたっぷりの名作
「ロンドンのフラット」は、リビングも寝室もベージュの壁、木製のキッチン、クラシカルな家具、黄色系のカーテン。ある時からブルーグレーの壁、モダンなキッチンになり、インテリアや照明も変わっていた。アンソニーの寝室のベッド、タンスも微妙に違う。ものすごい変化なのに、アンソニーとアンに魅せられている間に鑑賞者の脳も混乱する。
忘れないうちに時系列を整理したい。合ってるかは分からないけど。
①アンは近くに居て日常的に会いに来てくれる
→「アンはそばに居てくれる」
②アンソニーの認知症が進み、トラブルを起こしてアンジェラが辞めてしまう。
アンはパリで暮らすことになったと告げる。
→「アンはパリに行ってしまう」
③父を一人にはできないので、パリのフラットで夫のポールと同居することに。
ポールはいつも赤ワインを飲んでいる。
→「イタリア旅行をキャンセルしたのは私のせい?」「老人ホームに入れろ?」「いつまで居座る?」「イラつく?」
④アンは新しい介護士を探している。
→「ローラはルーシーに似ているのでお気に入り」
⑤介護生活に疲弊したアン(父に殺意さえ抱いた)は、父をロンドンの老人ホームに入れることを決める。キャサリンとビルがアンソニーの世話を見ることに。
⑥施設に入って数週間が経つ。①〜⑤とルーシーの死とが混同し前後しながらループしている。
頭の中のロンドンのフラットが、アンのモダンなフラットとミックスされ、病室の青色ベースに徐々に侵食されていくところがリアル。偽ポール(ビル)と偽アン(キャサリン)が早い段階で出てくるのは、この物語が入院後の幻想だからだ。
人物と会話のすり替えがサスペンスホラーのようだが、映画を最後まで観ると納得する。
冒頭のポールは、介護士ビルの顔に、冷たい感じのアンの夫のイメージがミックスされている。
世話を見てもらっているうちにアンとキャサリンがごっちゃになる。
アンが買い物から帰ってきたと思ったら、キャサリンが現れ、困惑する。
5年前にジェームズと離婚した話は、アンではなくキャサリンとの会話だと思う。
ローラとキャサリンもごっちゃになる。2回目に会ったローラは言葉遣いからしてキャサリンだが、ローラに見える。だから次にローラを待ってると、キャサリンが現れ動揺する。
アンソニーは、(亡くしたルーシーは別として)アンや妻、周囲の人を見下していた傾向がある。快適な空間を整えるため、誰が家事をこなしてきたのか。シャツにアイロンをあててくれるのは誰なのか。その存在に対する認識が抜け落ちている。
自分が人に見下されるなんてあり得ない。だからポールに言われた嫌味が理解できないまま脳にこびりつく。
葉が落ちていくに従って、無条件の愛=母に帰依するが、人は生きている間にエゴを捨てきることはできないから悲しい。かつて豊かに繁っていた樹々の緑が切なかった。
何が怖いって(^_^;
Netflixで観よーとしてたら嫁さんが「あんた、それ、前観てたやん」…んなことあるかい!と観続けたら、確かに…観た!ホプキンスさんごめんなさい!枯渇してゆくあなたの演技がナチュラルでつい…怖わ〜〜。
可視化の手法
ううむ。主人公の主観と劇の外側からの客観がごっちゃに映像化されているという趣向。観客をだますテクニックが映画の手法としては面白いのかもしれないけど、なんか認知を巡るシリアスなテーマを扱うのにふさわしいと思えないんだよなあ(サスペンスとかスリラーの手法だろうよ)。トリックに引っかかって真面目にストーリーに向き合えないのだ。認識があいまいなのでドンピシャこういう手法が使えると言えばそうなんだけど。 クラシック音楽の趣味は良かった。
ブルーの世界
アンソニー・ホプキンスだからこその説得力と可愛らしさと矜持と悲しさ、オリビア・コールマンの美しい眼が娘の思いをよく表していた。脚本も構成も映像も良かった。 ブルーがあちこちで使われている。アンのクリアな青のブラウス、キッチンの壁の水色タイル、青のセブンチェア(クリニックにあったと思ったらフラットにも)、絵画の中のブルー、リビングの椅子やソファやクッション、寝室の壁紙、花瓶、レジ袋、ベッドリネン、タオル。どの時がどの会話が現実なのか、もやの中でわからなくなってくる。ブルーはとりとめのなさでもあれば、恐れや怒りでもあるし憂鬱でもあるんだろう。アンソニーが自分には「象の記憶力」があるんだ!という自慢が悲しかった。アンソニーの最後の台詞:葉っぱも枝もなくなっていく・・・、ママに会いたい、はとても辛かった。 アンソニーがよく聞いていたオペラのアリアもエンドロールで流れる控え目で静かなメロディーもまさにEinaudiで、優しく背中を撫でてくれた。
アンソニー・ホプキンスはやはり名優!
アンソニーは認知症の為に記憶が曖昧。娘のアンがパリに行く、と言っていたのに、物語はアンがまだ夫と暮らしていた時に遡っている。 アンが認知症の父の介護を必死にしてきたこれまでの過程を見せながら、アンソニーが記憶を辿りながら今の状況を理解しようと頑張っている様子が交錯して観せられる。まるで映画を観ているこちら側まで、認知症を疑似体験しているような感覚になる。 とてもよく考えられた構成だと思う。 アンとしたら辛い決断をしたんだろうが、フランスに連れては行けない、というかアンソニーはいかないだろうし、あの選択しかないだろうな。 色々と考えさせられる映画です。
認知の正誤
アンソニーホプキンスは安定の演技力。
視点を認知症患者側から描くので最後まで正誤がわからない。
正誤という捉え方が合っているのか、どうなのか、
考えさせられる。
DNAレベルから治療可能な医療進歩を期待したい。
記憶は財産である。
全335件中、61~80件目を表示