ファーザーのレビュー・感想・評価
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認知症の老人側からみた世界という解釈
映画をサブスクで見る事が習慣になっている中で、もう一つ習慣になっているのは、ここで皆さんの評価のみ垣間見てからにする というもの。
人生が、私も漏れなく終盤に差し掛かって来たと(夫を亡くしてから特に)感じる日々の中、あまり見たくないものは見ないと切り捨てられる。ようになった。
そのレビュータイトルの多くに
「何がなんだかわけがわからない」とあって、
そんなに難解なやつなの?と思いつつ見始めて、ああそうか、彼の この映画全体の主題である老いの
その セリフ なのだと 気づく。
なるほど。
私の父は 前頭葉あたりの強打(多分そうだろうと医者は言った)
による血痕が脳の中で固まったことによって血腫になり手術した。
一旦 失語症を患うも一気に回復しその後 商売(書店経営)の悪化も伴い 脳の一部からどんどん硬化が始まる認知症を発症した。
父の場合 こんなに穏やか(に見える)な状況ではなく
本人にしてみれば まさにもう 筆舌尽くし難き状況を経て最終的には、老人施設に入居して その後数年で亡くなった。
父の場合を考えてみるに
この映画に描かれている内容をまさにこれよと 思う感じはなくて、老いとは 認知症とは それぞれのものだろうなあと実感するに至った。
それとは別に この 作品としての構成力や説得力
そして演技による吸引力が 凄まじい。
イギリス。
私の娘夫婦がコロナ騒動直前の2020年2月(もう始まっていたが)に 偶然 帰国するまで住んでいたので
何度か渡英した。
孫が生まれてからは一年に四度行った年もあった。
イギリスのフラットは なので 空気感に馴染みがあるし
日本人として アメリカ英語に比べ 非常に聞き取りやすいイギリス英語は 字幕は補助的な程度でも理解出来て
その分の感情移入が可能である点はありがたい。
バスルームに金属のタオル掛けがあって
かけておくと乾くんだよね とか。
廊下の感じや部屋のドアなど
まあ この映画のは かなり広めのお家ではあるが。
イギリスのお家事情は 日本より大変で、新しく建てることが禁じられているため 若い夫婦が自分の家を持つことが非常に困難らしい。
国営の、あっさりしたビルは 難民などの低所得者のためのもので、こういう所の治安は良くないと言っていたが
イギリスという国は 自国民とそうでない永住者との待遇の違いがかなりあって 日本ってその点 外国籍の永住者に厚いなあとしみじみ思ったりもした。
そういう事も思い出しながら
イギリスという国でイギリス人男性が老いるサンプルの1つを見せてもらった。 んだなあ と思った。
「え、どういうこと」が正解の作品
まるで認知症の疑似体験
よくある父親介護問題を描いた軽いモノだと思い、
軽い気持ちで何気なく観たのですが・・・
間違いでした!観てビックリしました!甘く見てた!
最初のうちは、普通に話が進んでいくのだが、
途中から「あれ!?何か変だな?」と、なっていく。
そいて観ていくうちに混乱していき・・・
まるで自分が認知症の疑似体験しているかのような錯覚に陥る。
1回観ただけでは絶対に完全には理解出来ない!
何度か観たくなる作品。
話の構成、脚本、演出、演技、どれをとっても素晴らしい!
とにかく観てほしい!
今まで観た事のないタイプの映画でした!
しかしアンソニー・ホプキンスは、本当に上手い役者ですよね。
年老いても尚、この素晴らしい演技!
サーの称号を授与したのも納得です。
自分が認知症と気づいてない事が怖い
なかなか難しい映画でした
認知症視点という予備知識があっても、どれが今の話しか映画が進まないとわからない。幻覚と時系列が前後していると思うけど、最後のシーンで前半のシーンであの人達がそのセリフを言っていたのかとわかって、流れが掴めました。
映画の序盤はこっちも困惑します。
見終わったらそういうことかとわかります。あるシーンで返事しなかったこととか他にもいろいろ。
認知症の困惑した感じなどよく演じていたなぁと思います。
さすが、ハンニバル・レクター!
高齢化社会、他人事ではない
認知症「側」の観点から描かれる世界。人物や時間軸や場所や出来事が入り乱れて、トリックのような現実の「老い」。
偉そうな姿から愚かで赤子のような姿まで晒すアンソニー・ホプキンスは流石。
高齢の親が居る身としては他人事ではないなぁ。
さすが名優
認知症の世界
自分がわからなくなる!
自分を失う恐さを体感しました。
仕事の関係で介護施設でお世話になったことがあり、認知症の方と接する機会がありました。
どうしていいかわからないのょと急に混乱をしたり、数分前に食べ終わったごはんを、今日のごはんはまだ?早く食べたぃと言ってくる。
夕方になれば、帰宅願望がある。
突然、陽気に歌い出す。
その薬で殺そうとしてるのね?の言葉。
現場では介護の他に、もっと深い心のケアも必要だ。
その場所でその時間で、生きているのは事実。
記憶、とはなんだろう。
実際その方たちに触れていても、いまだに根本的ななにかがわからない。
寄り添おう。
笑顔でいられるように。
快適に過ごせるように。
劇中の男性は、本当に主人公の前にいた人物だったのかな、娘のアンと接点はあったかな?と考え直してしまいました。
実は主人公の妄想やせん妄や幻覚から来るものだったら、、と考えずにはいられませんでした。
ちょっと重い。。
介護する側だけでなく、認知症患者の視点も描かれているのが秀逸だ。 ...
オヤジの立場で観ていた
途中幻なのか、現実なのか、朝なのか、夜なのか、よくわからなくなって...
自己の崩壊を明晰に演じるアンソニー・ホプキンス
2020年(イギリス/フランス)監督:フロリアン・ゼレール
恐ろしい映画でした。
認知症の父親役のアンソニー・ホプキンスが実に名演でした。
2度目のアカデミー賞主演男優賞受賞も納得です。
56年に渡る役者人生の集大成に相応しい演技でした。
同作品は同時にアカデミー賞の脚本賞も受賞。
非常に観客(わたし)を惑わせる映画でした。
娘(アン)の視点と、
父親(アンソニー)の視点の両方で描かれる。
そしてアンソニーは認知症がかなり進んでいます。
そこに脚本も映像も意地悪い。
娘のアンがある時は別人だったり、
アンの元夫なのか現夫なのか?居間にいる男。
この男は現実の人物なのかも不明です。
「お前(アンソニー)にはイライラする。俺たちの邪魔をいつまでするつもりか?」
と、面の向かって聞いてくる。
長生きは身勝手で我が儘・・・とまで言う。
私はちょっと考えたのですが、このポールと名乗る見知らぬ男は、アンの分身で、もしかして、アンの本音を話すのが彼なのではないのでしょうか?
アンの姿は、優しく父親思いで献身的な娘そのものです。
しかしそんな優しい娘が、60歳過ぎて出会った男の住むパリへ移り住んだりするものだろうか?仕事も捨てて・・・。
あるシーンでは、精神科医にはハッキリとパリ行きを否定しています。
本当にこんがらがります。
新しい介護人のローラは、若く美しく妹娘のルーシーに似ていて、
嬉しくなったアンソニーはタップダンスを披露したりする。
しかし翌日現れたローラは中年の女の人でした。
全てはアンソニーの妄想で、顔の識別も出来なくなっている・・・
見知らぬ男が居間にいる・・・アンの顔も忘れる・・・
と、認知症の症状と思って観ることも出来ます。
認知症患者の見ている心象風景は、これほど歪んでいるのですよ!!・・・と。
娘のアン役は「女王陛下のお気に入り」でアカデミー賞主演女優賞を受賞したオリビア・コールマン。
善意の娘を演じて、「本音はそれだけではないだろう!」
と、ツッコミを入れたくなる好演でした。
監督は2012年にこの映画の元となる戯曲を書いたフロリアン・ゼレールで、
今回戯曲を自ら監督しました。
ミステリー映画やサスペンスのように謎がいっぱいで、疑心暗鬼になってしまいます。
騙し絵のようなシーンがいっぱい
アンソニーのフラット(家)から私(アン)のフラットに越して来たのよ、
ここは私(アン)の家・・・と言うのに、
アンソニーが慣れた手順で紅茶を入れるキッチンは、
キッチンの壁はベージュ模様のタイルだ。
(アンの家はブルーの壁紙。)
アンソニーの壁に飾られてるルーシーの絵は、アンが自宅だと言う居間にも
飾られていた。
騙してるのは誰?
記憶が薄れてるアンソニーを良いことに嘘を付いてるの?
映像は騙し絵のように仕組まれている。
アンソニーが窓から見下ろす景色にもフェイクが隠されているのだ。
年老いると自分の目に見えるものを疑わなくてはならないのか?
アンソニーは常に、自分の判断に懐疑的です。
自分で何も出来なくなる。決定権がなくなる。保護者の指示のままに行動するしかなくなる。
ここに相手への信頼が失われたら・・・と思うと本当に恐ろしい。
そこに付け込まれて、ロフト(住居)も財産も失い、
何より時間、自由、尊厳さえ失う。
死んだら何ひとつ持って行けないのだから当然なのだけれど、
生きてる間に奪われて行くのを見るのは辛い。
老いの現実を突きつける衝撃作でした。
認知症の世界を見る
見応えたっぷりの名作
「ロンドンのフラット」は、リビングも寝室もベージュの壁、木製のキッチン、クラシカルな家具、黄色系のカーテン。ある時からブルーグレーの壁、モダンなキッチンになり、インテリアや照明も変わっていた。アンソニーの寝室のベッド、タンスも微妙に違う。ものすごい変化なのに、アンソニーとアンに魅せられている間に鑑賞者の脳も混乱する。
忘れないうちに時系列を整理したい。合ってるかは分からないけど。
①アンは近くに居て日常的に会いに来てくれる
→「アンはそばに居てくれる」
②アンソニーの認知症が進み、トラブルを起こしてアンジェラが辞めてしまう。
アンはパリで暮らすことになったと告げる。
→「アンはパリに行ってしまう」
③父を一人にはできないので、パリのフラットで夫のポールと同居することに。
ポールはいつも赤ワインを飲んでいる。
→「イタリア旅行をキャンセルしたのは私のせい?」「老人ホームに入れろ?」「いつまで居座る?」「イラつく?」
④アンは新しい介護士を探している。
→「ローラはルーシーに似ているのでお気に入り」
⑤介護生活に疲弊したアン(父に殺意さえ抱いた)は、父をロンドンの老人ホームに入れることを決める。キャサリンとビルがアンソニーの世話を見ることに。
⑥施設に入って数週間が経つ。①〜⑤とルーシーの死とが混同し前後しながらループしている。
頭の中のロンドンのフラットが、アンのモダンなフラットとミックスされ、病室の青色ベースに徐々に侵食されていくところがリアル。偽ポール(ビル)と偽アン(キャサリン)が早い段階で出てくるのは、この物語が入院後の幻想だからだ。
人物と会話のすり替えがサスペンスホラーのようだが、映画を最後まで観ると納得する。
冒頭のポールは、介護士ビルの顔に、冷たい感じのアンの夫のイメージがミックスされている。
世話を見てもらっているうちにアンとキャサリンがごっちゃになる。
アンが買い物から帰ってきたと思ったら、キャサリンが現れ、困惑する。
5年前にジェームズと離婚した話は、アンではなくキャサリンとの会話だと思う。
ローラとキャサリンもごっちゃになる。2回目に会ったローラは言葉遣いからしてキャサリンだが、ローラに見える。だから次にローラを待ってると、キャサリンが現れ動揺する。
アンソニーは、(亡くしたルーシーは別として)アンや妻、周囲の人を見下していた傾向がある。快適な空間を整えるため、誰が家事をこなしてきたのか。シャツにアイロンをあててくれるのは誰なのか。その存在に対する認識が抜け落ちている。
自分が人に見下されるなんてあり得ない。だからポールに言われた嫌味が理解できないまま脳にこびりつく。
葉が落ちていくに従って、無条件の愛=母に帰依するが、人は生きている間にエゴを捨てきることはできないから悲しい。かつて豊かに繁っていた樹々の緑が切なかった。
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