「自分の人生は自分でオートクチュールするしかない。」オートクチュール きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
自分の人生は自分でオートクチュールするしかない。
Dior のパリの本店はモンテーニュ30番地。
そしてそのパリの街は、いまは移民で溢れている。
僕の仕事場に大勢いる海外からのアルバイトさん。
アフリカやアジア各地からの出稼ぎの人たちと入れ替わりで、ここのところ大挙して入ってきたのはアラブ系。
彼らはお手々はお留守なんですよ。大声での早口でのおしゃべりが凄くて、ご機嫌な人たちなんだけどちょっと付き合うのはしんどい。
いささか疲れて、帰宅してDVDをかけたら・・まさかのアラブ系の女の子がまくしたてる映画だった(笑)
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「Dior の映画」。
メゾンの映画はさまざまある。どれも違って どれもいい。
◆デザイナー自身を主人公に、その奮闘や苦悩にフォーカスしたもの、
◆客層や縫製室にスポットライトを当てたもの、
◆完成品やコレクションのショーを見せることに特化したもの。
そしてこれは
「お針子として働く人間たちの、 個々のプライバシーと実生活」に焦点を当てたものだ。
僕ですか?
柔かいシフォン生地のワンピースを彼女に縫って贈った事があります。裾のまつり縫いは得意です。
だからこういうメゾンのアトリエ物には目が無いですね。
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昔、イタリアとフランスを旅したとき、満員の地下鉄で、移民の子にカードと免許証をすられた。(帰りの地下鉄で同じ子がいて、乗客に取り押さえられて警察に突き出された、スカートとヘヤピースの少年だった)。
ルーブルの郵便局に並んだ時には、僕の前に並んだ黒人男性と、次に並んだ黄色人種の僕は、白人局員からは「これは笑い話かよ〜」と思わされるほどの意地悪をされた。
ほうほうの体で安宿に戻ったら、フロントのセネガル人移民 (=フランス語圏)の女性にフランス共和国の不始末を代わりに謝られて、そして慰めてもらったことがあった。
映画は、
欧州での移民問題や人種間の軋轢が物語のベースに置かれている。
かつ、カトリック、ユダヤ教、イスラム教の 微妙な確執が更にそこに国内問題の複雑さを加味している。
アルジェリア移民の娘ジャド。
「ハサミは(テロの)爆弾じゃないよ」
「黙れクソ女」
「母親ヅラするな」
その荒れ方と育ちの悪さ(笑)を見せる演技が、これがまったくもって素晴らしいんだな。
ジャドはその強烈な悪態ぶりでエステルをイラつかせて火花を散らす。
けれどもジャドを拾ったエステルはこう宣言するのだ
「美しさで世界を修復するの」。
退職の日が近づき最後の力を振り絞って“大仕事”に取り組んだメゾンの縫製部門のこのチーフ=エステルが、身震いするほど素晴らしい。
訳あり・癖あり・傷ありのこの二人だから、中年も、そしてこの少女も、たくさんの課題を背負ってここまで闘ってきて、そしてその闘いの中から見つけた生き甲斐を、劇中二人で一緒に織り上げていったように見える。
そしてジャドとエステルは、どんなに出自は違えども、母と娘の間の苦しみやら家庭不和、ヤングケアラーとか薬物とか病気とか、お互いの垣根を超えて、どれもこれもが自分たちのおんなじ課題だったと気づくのだ。
剥き出しの感情でぶつかったことによってだ。
カメラは遠くからの撮影で、ボカし気味のフォーカス。
指先と表情はくっきり映す。
人物の配置と視線とそのポーズにとことんこだわる画面演出。
そして うまいところで旨いBGMが流れて、観ているこちらを物語に引き込む。
What a wonderful world.
破れた端切れを縫うジャドにいつしか感情移入だ。
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僕は
君は、他人を救って自分の家族を捨てたんだな
と、再起出来ぬまでに激しくなじられたことがある。
エステルは赤の他人のジャドをとことん可愛がる。持っている良い物をジャドに引き継がせようとする。
自分の息子や娘に してやれなかったことを、悔やみの代償として誰かのために骨を折ってやること、
・・これ、みっともない事かもしれないけれど、責められる事かもしれないけれど、おそらくだれにも覚えがあることではなかろうか。
母親失格。父親失格。
兄や姉として、どうにもならなかった力不足。もちろん子としては自分の親に対しても。
その辛さを、みんな抱えているから。
そして
自分の人生は、いつかは奮起をして、自分自身でオートクチュールするしかないのだが、
「クソ孤独」のエステルとジャドの物語は、驚くべきことに、それを誰かが必ず助けてくれるという《救済》のお話。
家族、同僚、友人たちがホントにいい。
エステルは絶縁していた娘に電話をし、
ジャドはお母さんミュウミュウの所へ帰ってゆく。
引退まえに”生き甲斐“を見つけたエステルの満たされた顔。
「女の子に会った」
「いい子よ」
薔薇の花に語りかけるエステルの幸せそうなこと。
そして、信じてもらって薔薇のように花を開いていくジャドの、なんと綺麗なこと。
いい映画でした。一生忘れられない1本になりました。
「どんなに気に喰わない相手でも、命削って一緒に取っ組み合いをしてくれる誰かが 私にはいてくれるのだ」、という、
《再生》と《幸福》のお話なのでした。
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ゆずり葉の
落ちて林の春日かな
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きりんさ〜ん!お返事コメントと共感をありがとうございました!
いつも丁寧で素敵なお返事をありがとうございます✨✨
お〜…きりんさん、フランスに造詣が深い…! お返事、勉強になります…! 国歌の事とか、真っ先にレ・ミゼラブルが思い浮かびました!
ふむふむ…『フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞を見れば、フランス革命の精神を』 歌詞を調べた事は無かったですが、調べてみたら、確かに現代(この映画に)息づいてますね!
そして~、香水の下り、「ミスディオール」…さすがきりんさん香水、お詳しいですね ✨✨お好きなんですもんね😊
あと、ディオールの指輪が小道具に使われている映画「5時から7時の恋人カンケイ」今、予告編でちょっと観てみたら、いや〜ん!大人じやない??って思いましたが、題名の印象よりずっとチャーミングな印象を受けました😆
また、メモさせて下さい✨✨
長文、失礼しました。
ありがとうございました(^^)/~~
きりんさん、その節はこちらの作品を教えて頂きありがとうございました。ご無沙汰しております。あれから結構すぐ鑑賞しましたが、きりんさんのレビューを読んで、色々考えさせられました…。
『家族、同僚、友人達が、本当にいい…』というきりんさんの言葉、映画を読み解くと、本当にそうだな、と思いました。
ジャドは香水を盗む。
しかしエステルはそのジャドを香水係に任命する。
実は、ムッシュ・ディオールの妹カトリーヌ・ディオールは、レジスタンスの活動家としてパリ解放数日前にゲシュタポに捕らえられ、すし詰めの貨物列車でドイツの強制収容所へ。
兄の奔走にも関わらず過酷な取り調べにも口を割らずに抵抗し、生還した数少ない人とのこと。
メゾンの かいくぐってきた歴史は安穏とはしていなかった。むしろ壮絶でした。
劇中工房でミストされるパルファム「ミスディオール」はこの妹=カトリーヌのイメージで作られたものです。
あの噴霧にはメゾンの気概も象徴的に表されています。
きりんさんのレビューを読んで、私はこの映画をかなり意地悪な心持ちで見たんだなあとその時の気持ちを思い出しました。布、糸、ハサミ、手仕事と(自分は苦手でも)好きな世界なのに。やきもち妬いてたんだろうか?