劇場公開日 2022年3月25日

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「それなりに見応えはあった」オートクチュール 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5それなりに見応えはあった

2022年3月29日
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鑑賞方法:映画館

 女性同士の会話は男には理解し難い部分がある。ものの本には「男は知っていることを話し、女は相手が喜ぶことを話す」と書かれていたが、本作品に登場する女性たちは少し違っていて、相手の立場を貶める言葉を連発する。しかしそれには理由があった。
 ひとつは登場人物があまり豊かではないこと。もうひとつは移民の子であることだ。宗教の違いも絡んで、人間関係は見た目以上に複雑である。誰もが不利な立場で生きていて、悩みを抱えている。それは互いに相手を貶めるためのネタでもある。立場がぶつかると言い争いになる。最後は出ていけとなったり、自分が出ていったりする。さすがに死ねとは言わないが、殴り合いになることもある。フランス映画でこんなに激しい女性同士のシーンは初めて観たかもしれない。

 自分の勤めるブランドであるディオールを身に纏ったエステルは、ウールとシルクを好み、フリースを一笑に付す。ナイキのジャンパーなど雑巾扱いだ。ナイキのコレクター青年がコレクションだと主張すると、コレクションとはそんなものではないとエステルは言う。エステルのコレクションは、パリ・コレクションやミラノ・コレクションなどを指しているのだろう。青年には何も理解できなかった。当方にも理解できない。

 洋服について、何が美しいかの判断は人それぞれに認められていいと思う。ユニクロがバカにされてディオールが讃えられる世の中なのかもしれないが、世界でディオールを着られる人の割合がどれくらいいるだろうか。ディオールの背広1着で廉売のスーツが50着は買える。庶民は廉売のスーツを着るのだ。廉売のスーツでもロブションに入店できる。

 衣服は身を守るためのものだ。寒さや紫外線や衝撃や摩擦から身を守る。目的に合わせて洋服は進化し、実用性という点では軍服が最先端を行く。服の中に風を送り込む扇風機のついた作業服もある。とても涼しくて作業効率が上がるらしい。

 本作品はエステルを肯定的な存在としているのか疑わしい。ディオールとかいうブランドに心酔するのは成金趣味と同じである。値段が高いことを自慢するのだ。エステルはそうではないと言うが、ディオールがフリース並みに安かったら納得しないだろう。もっともディオールのドレスが、本作品で見るほどの人件費をかけているのであれば、安くなりようがない。そこで疑問が浮かぶ。そんなに高額なドレスが必要なのか。金持ちの成金趣味ではないのか。
 移民の子ジャドは、そんな趣味に反発する。エステルがどんなにきれいごとを並べても、結局は金じゃないか。美しいドレスを作っても、貧しい人々はそれを買う金がない。結局は金持ちが買うのだ。そして一度着て、飽きて捨てる。
 エステルはドレスの行方にはそれほど興味がない。美しいものを作る。それが仕事だ。それで食っていける。素晴らしい。そういう考え方である。

 価値は永遠ではない。ドレスは経年劣化で破れて朽ちる。人も歴史も朽ちていく。人類の存在のなんと虚しいことか。しかし人生や歴史を長い目で見る必要はない。過去はもはや過ぎ去ったものであり、未来はまだ来ていない。存在しているのは現在だけだ。若くて美しい肉体がドレスをまとえば、一体となって光り輝く。素晴らしいではないか、ジャド。多分それが監督のメッセージだ。
 移民問題や難民問題を抱えるフランスの、移民や庶民の側から見た真実を、お針子の仕事を通して描き出そうとした部分と、人生に背を向けて刹那的な生き方をしていたジャドが変わっていく有様を描こうとした部分の両方がある。呉々も女同士のマウンティングの映画だと誤解しないでほしい。それなりに見応えはあった。

耶馬英彦