「自分のスタイルに妥協なし」リル・バック ストリートから世界へ Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
自分のスタイルに妥協なし
「サウスメンフィス」とか、「オレンジマウンド」とかいう地区名が出てくるので地図を見ると、東京23区の一つの区と同じか小さいくらいの面積のイメージだ。
ストリートビューを眺めると、都会の“下町”という感じは無く、なぜこの地区が治安が悪いのか、地図からは理解できなかった。
(ちなみに、エルビス・プレスリー等が録音した「サン・スタジオ」や、キング牧師が射殺されたモーテルは地区の外だが、すぐ北側にある。)
自分は「ジューキンとバレエを融合」という謳い文句に惹かれて観に行ったのであるが、この点はあまり期待しない方がいいと思う。
少なくとも、“モダンバレエ”や“バレエ音楽”と親和性があっても、“クラシックバレエ”とは関係ない。
映画の中で、「ストリートと“クラシック”の化学反応」と語られるが、額面通りには受け取れない。
自分は専門的なことは分からないが、ジューキンとは、主に上体を安定させて足で踊り、柔らかい足首でさりげなくスピンを多用するダンスと言えそうだ。
荒れた地面でやれば、スニーカーはたちまち履きつぶされるだろう。
リル・バックにとってバレエへの興味は、(1)つま先で何度も回る、(2)身体を柔らかく使う、(3)足を高く上げるといった要素技術や、ヒップ・ホップに限らずに多様な音楽に合わせて踊れるようになることが目的のようだ。
実際、つま先立ちの長さや運足の滑らかさは、さすがというか、群を抜いているように見える。
ただし、バレエはあくまでジューキンを“拡張”するための方法であり、バレエとのハイブリッドなスタイルのダンスを目指しているわけではないと思う。
例えば「白鳥」を踊るが、題名にあるような「Real Swan」とは言いがたい。肩から肘までは動かすが、手は畳むことが多く、白鳥の“羽根”にならない。
むしろジューキンに“ぴったり”だったバレエは、人形を演じる「ペトルーシュカ」だった。これには非常に驚かされた。
上体を固定したまま、足がスルスル動くので、パリ・オペラ座バレエ公演では観たこともない、素晴らしい表現が実現できる。
バレエに近づいたことで、バンジャマン・ミルピエやスパイク・ジョーンズたちの白人社会に受け入れられて、有名になったと言えるだろう。
しかし、リル・バックは白人社会に迎合せず、自分の“スタイル”を妥協なく貫いているように見える。
“Fワード”満載の作品かと懸念したが、その点は杞憂だった。
リル・バックの身体には、「メンフィス・グリズリーズ」のロゴマークこそあれ、タトゥーは意外なほど少なかった。
「ダンスをしていなければ、ギャングになってしまう」という地域に生きるということ。
ジューキンによって、フラストレーションを吐き出し、自分たちの“文化背景を表現する”ということの本当の意味合いは、自分のような極東の門外漢には理解できなかったものの、興味深い作品だった。