ミナリのレビュー・感想・評価
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開拓精神
2000年代にLAに住んでいたが、韓国からの留学生が多かった。LAのコリアタウンも急速な勢いで発展していて、LAにいながらにして国の勢いを感じたのをよく覚えている。
アメリカ全体の人口比率からすると少数だが、移民者の中では韓国出身はかなり多くて、米国移民者の出身国として9番目に多いそうだ。移民が増加し始めたのは1980年代だそうで、この映画が描くのはちょうどその頃だ。本作で描かれる韓国からの移民一家は、韓国移民社会にとっての先駆者的な立ち位置になるだろうか。
韓国人一家が主役であるために、言語の多くはハングルで、それが理由でゴールデングローブ賞では外国語映画部門にカテゴライズされたことが物議をかもしたが、本作が描くのは、初期の移民としてより良い生活を求めた彼らの苦労であり、それはアメリカの建国精神とも言える開拓者精神だ。その意味で、本作は確かにアメリカ映画だ。アメリカンドリームという言葉がまだ有効だった時代の物語だが、単純なサクセスストーリーにせず、多くの犠牲を払う夢のほろ苦さにあふれた作品になっている。祖母役のユン・ヨジョンが抜群に良いアクセントになっていて、作品全体を引き締めていた。
この一家の暮らしをずっと、ずっと見守っていたくなる
目下、アメリカ映画が多文化的な進化を続けている。これもその流れを強く感じさせる一作だ。韓国からアメリカ、アーカンソー州へ越してきた家族。彼らを待ち構える運命は決して前途洋洋とは言い難い。だが、本作には眩い光がある。輝きがある。何よりもこの映画は一つの文化に閉じこもることなく、常にあらゆる観客の感性に向けて開かれた大らかさを持っているかのよう。土の香りや植物の緑。農作物のみずみずしさや木漏れ日の美しさ。とりわけ変幻自在に全編を彩る「水」と「火」は印象的で、これらは対極的なイメージでありながら、いずれも家族を写しだす鏡とさえ言える存在だ。兎にも角にも、従来の米映画が描かなかった新たな物語であり、なおかつ”開拓”という意味合いではあらゆるアメリカ人に通底する側面を持った本作。家族を演じた面々のハーモニーが素晴らしい。新風を吹かせる”おばあちゃん”や隠遁者風のウィル・パットンの味わい深さも絶品だ。
本作の成功はほんの1部分に過ぎない
描くのは一言で言って「人生」。アメリカ、アーカンソーの荒れた土地を耕して農場を作ろうとする韓国人移民一家に降りかかる、苦労と災難、夫婦間のすれ違い、子供たちのゆっくりとした成長、世代間の融合、etc。実は最近、あまり描かれることがなかった生きることそのものがもたらす、切実さと静かな感動がここ
にはある。あえて書き加えるなら、慣れない場所に住まい、同化することの困難さ、その力強さが、妙に心をざわつかせる。ミナリとは、どこにでも根を張り、成長する韓国産セリのことだとか。なるほどと思う。それは、監督のリー・アイザック・チョンと主演のスフィーヴン・ユァンたちが築いてきた、韓国にルーツを持つアメリカ人たちが歩んできたリアルな時間にも繋がるからだ。彼らと同じ移民2世3世たちは、この映画に自らを重ねただろうし、また、受け入れた側のアメリカ人たちは、母国について改めて思いを馳せたに違いない。そうして観客の裾野は広がり、結果、今年の賞レースをリードすることになったのだと思う。本作を観て感動したJ.J.エイブラムスは、自らがプロデュースする「君の名は。」のハリウッド実写リメイクの監督にチョンを指名したことでも分かるように、アジアン・パワーはハリウッドに深く根を張り、逞しく成長を続けている。「ミナリ」の成功はほんの1部分に過ぎないのである。
期待値を上げ過ぎずにタイトルの意味を踏まえながら見ると、見え方が変わる秀作。
本作は、本年度アカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、脚本賞、作曲賞の6部門にノミネートされました。
正直この結果には、2つの驚きがありました。
まずは、舞台はアメリカでも言語はほとんど韓国語なので、ゴールデングローブ賞のように「国際長編映画賞」(外国語映画賞)が対象かと思っていましたが、そこにはノミネートされなかった点。
そして、主要な6部門でのノミネートとなった点です。
この映画は、「期待値を上げ過ぎると、アレ?」となる可能性は低くないと思います。
なぜなら、そこまで大きな事件も起こりませんし、基本「家族の日常」を描いているだけなので。
そのため、「アカデミー賞主要6部門ノミネート」ということで期待値を上げないことが大事です。
作風としては、小津安二郎監督作品に近いと思います。
今で言うと、その流れをくむ山田洋次監督、是枝裕和監督作品といったところでしょうか。
本作は、韓国系アメリカ人のリー・アイザック・チョン監督が、半自伝的な映画として脚本も書いています。
1980年代のアメリカ南部を舞台に、韓国から移住した一家が農業で成功するという、アメリカン・ドリームを掲げつつ、丹念にその家族の様が描かれています。
アカデミー賞のノミネートで納得なのは、やはり祖母役のユン・ヨジョンの助演女優賞でしょうか。
「おばあちゃんらしからぬおばあちゃん」を見事に演じ切っていました。
さて、本作を楽しむカギは、やはりタイトルになっている「ミナリ」でしょう。
「ミナリ」は韓国語で、日本では「セリ(芹)」と呼ばれる香味野菜のことです。
このセリは、日本でも普通に栽培されていますし、雑草の如く、たくましく地に根を張り育っています。このセリが、どういう風に作品と関わっていくのかに注目するとメッセージ性がより伝わりやすくなると思います。
An Awaited Tale of American Rural Life
The story of a Korean family settling on an Alabama farm in the 80's points to the bigger picture of how the immigration experience in the US and elsewhere is a phenomenon with plenty of terrain for fresh and interesting entertainment. Equal parts heart-warming and sad, the character dynamics of the family members and their religious neighbor make the film fun, though it's melodramatic at times.
何気ない家族の何気ない日常を本当にうまく描く韓国作品・・・・!!
禍 転じる‥
淡々と進む物語
逃げろ、雄鶏。
幼稚園の頃、
すぐ近所に養鶏場と養豚場があって、幼稚園から帰るとそこに入り浸りだった僕。動物がとにかく好きだったのです。
60年も前のことだ。
思い返せばどちらも衛生状態は最悪で、それはそれは鼻がひん曲がるほどの悪臭だったはずなのだが、TVの「野生の王国」のファンでもあった僕は、柵を乗り越えて僕に喰いかかって来ようとする凶暴で小山のように大きな豚の、その絶叫と歯噛みする口腔と犬歯の嫌らしさと、吐く息と血走った目を間近に観察に行く。
そしてブタを堪能したあとには隣の建物に移動し、
今度は聴覚がどうにかなりそうな鶏舎の、耳をつんざくニワトリの騒音と、アンモニアと、高い体温からくる熱気にこの身を任せていた。
毎日やってくるこのチビ助を面白がってか、
「おい坊主、ヒヨコ持ってくか?」とおじさんが訊いてくれる。
メスはやれないがオスならくれると言う。何でオスだけ?
「オスは玉子を産まないからそのままスコップでブタの餌として放り込む」のだそうだ。
ブタの口腔を思い出す。
オンドリに生まれないで良かったと今でも思う。
ヒヨコは貰わずに家に帰り、僕の足もなんとなく遠のいた。
・・・・・・・・・・・・・
【ミナリ】
孵卵場の煙突の煙から映画は始まる。
役に立たないオス雛は焼却処分されるんだ。
弱肉強食の新天地アメリカで、心機一転、大きな借金をして移り住み、韓国野菜をその地に植えて、自分たちの天国を夢見る一家の物語。
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喉がカラカラで水脈が欲しいとき、
そして生きることに疲れ果てて、心と体に 滋養強壮のミナリが必要なとき、
(忘れていたけれど) 自分がさすらいの”移民“だとふと感じる時に、
この映画は鑑賞者にそっと寄り添ってくれるんだろう。
おばあちゃんは命のタネを持って来てくれた。というか、おばあちゃんが命のタネそのもの。
何と言うことはない、普通の家族のストーリー。だからこんなにも地味で「オスカー候補」とか驚くけれど、
移民によって建国されたアメリカという国だ。自分のRootsに思いが及びゆくこの映画で、観衆やアカデミー賞審査員の心が揺すぶられたのも当然だろう。
韓国人農夫の男は後に引かない。
自分の決断を翻すことは出来ない。虚勢を張る。特に妻の前では、だ。
オスのヒヨコは役立たずだ。
男は威勢ばかりが強くて、自分のプライドが引っ込まないのだ。
そして妻。異国での生活と、夫の世話と、子育てでギリギリの妻。
意固地な夫に心底困り果てた妻モニカの目が男には辛い。しかし移民の男は後に引けないのだ。
「男の鑑定士が、(自らの分身である)オス雛を選別して焼却炉送りにする」っていう心的ストレス外傷は、女の鑑定士のそれとは違う。
玉子を生まず、結果を出せないオンドリは燃え尽きて焼却処分されるのだと男は知っているから、だから
かつて文無しになった男が自殺をしたこの農園で、この男は井戸が涸れても、借金を積み増ししても、水道水で野菜を育て続けた。
まるでオス雛の助命を求めるかのような足掻きです。
そんな移民夫婦のクソ頑張り物語でした。
・・・・・・・・・・・・・
さて、
おばあちゃんのあの失火で、彼は自身の生き方が、目が醒めることができるのだろうか、
森のせせらぎにおりていって、そのみぎわで柔らかな緑色の若葉を愛で、人心地を取り戻して、涼しい水辺で彼は憩うことができるんだろうか。
火と水が対照的に、象徴的に描かれていましたね。
アーカンソーの草原は寂しい。
帰ろうか。帰ろうか。
今は、ふるさとを遥か遠くに離れてしまって、ふるさとではではない新しい土地で冒険をし、進学し、就職し、結婚や子育ても体験し、
夢を見て、夢にやぶれて、希望を探し、しかし途方に暮れ、
でも今を頑張っている女も。男も。
・・そんなあなたへ捧げられた映画だと思う。
まったりしているが芯のある作品
セリ
アメリカ人はほぼ移民で、日本人はほぼネイティブ
もういないですが、うちのおばあちゃんはセリ農家でした。
歩いて行けるくらいの距離に住んでました。
地元に「ねまれ」という方言がありまして、
「家に上がってゆっくりしていってね。」という意味です。
さんざん遊んで帰ろうとすると、「なんで?」って言われます。
「晩御飯食べていけばいいでしょ。」と言う意味で言われているのです。
”近所”や”知り合い”ってだけで信頼し合い、
ドアに鍵なんてしない、いい時代のおばあちゃんでした。
助け合うのが当たり前なので、”助け合う”という概念すら
なかったような気がします。
生きる能力がなく、人としての価値観がないと
意味がないから誰よりも頑張る父親。
他の家庭と同じように都会で”普通に”暮らしたい母親。
そして、簡単に周囲に溶け込み、ゆっくりだが
着実に成長している子ども。
時代や科学は急速に変化していても、
自然環境はいつも美しいままそこに存在している。
何をいがみ合う必要があるのか。
他人を否定する必要があるのか。
自分一人では生きていけないだろう?
そこに種さえ植えれば、セリは勝手に生えて
あなたを助けてくれるのに。
2年前にいなくなったおばあちゃんに
笑われているような気がした。
ミナリ
面白かった。
この「面白い」の正体はなんなのだろう。謎に注目してみていたが、わかりやすい謎というものはこのお話にはなかったと思う。
それぞれがそれぞれに思惑を抱えていて、それが全員うまく行っていない。デビッドは、男らしい夢を追いかける。家族との両立をしようとするが、仕事にかける思いはやはり大きい。家族との安定した生活より、やりがいや、欠けるものがある方が燃える。一方妻は、家庭を守ることだけを考える。やりがいや仕事などより、まずは息子と娘、そして旦那。生活水準の向上。より良い暮らしを求める。
これは面白いなと思ったのは「老害」というもの。おばあさんは、周囲から見れば完全なるお荷物である。子供2人のお守りのために呼んだのに、逆にお守りされる側になる。金は盗むし、アメリカの生活に慣れそうとしない。わがままで横暴。責任感など一切ない。が、1番タチが悪いのはそれを悪いことだと思っていないことだ。正義を執行していると思っているところ。間違いなく迷惑をかけているというのに、それが正しいという自分の固定概念が抜けない。
整理してみても、私の思う「生の感情」が出る作品。ということではない。しかし、なんとなくこの作品にも「サスペンス」を感じるのだ。もしかして僕は単純に「悲しい」話が好きなのだろうか。うまくいかない。思うようにいかないところにサスペンスを感じるのか?
「悪者」は1人だって出てこない。さまざまな見方で誰もが「悪者」になる。
前回の映画で出た「生の感情」の発生。それは、もしかしたら観客の「生の感情」なのかもしれない。映画を見ていて、普段は隠しているつもりでもふと出てきてしまう「生の感情」が出る瞬間が心地いいのか。
例えば、子供がおしっこをおばあちゃんに飲ませようとした時、やってしまえ!と思った。おばあちゃんが、火を倒してしまった時、こいつ本当に嫌なやつだな。と思った。
でも、仕方がない。老人だから。このジレンマ。すごく嫌なやつで最低だけど、仕方がない。そういうものなんだと受け入れざるを得ない。
普通の映画レビューみたいになるが、最後木の棒で水源を当てるやつに頼るのが、やはりこの映画のキモ。周りを当てにせず、孤立し、自分の信頼するものだけを周囲に置くことだけが全てではない。主人公はとにかく足掻くが、足掻き方が違う。男のロマンを求めるのはいいが、賢く生活していかなければ、成功は掴めない。これがどんなことにも言えること。
というテーマが見えてきたが、そんなことはどうでもいい。自分がこの映画を見てどう思ったのか。どう感じたのか。
僕はこの映画を見て1番に思う感情は「やるせない。どうしようもない無力感」足掻いて足掻いて頑張っているのに、成功は逃げていく。
全てのおばあちゃんに捧げる
移民生活でさまざまな苦労を乗り越え、子供の病気回復や農作物の新規契約という光明が見えたときに、家庭が崩壊しかかるという光と影。
幸せって何なのかと思う。
そこへ降りかかった最悪の不幸な出来事。でもそこから家族で助け合って生きていこうという光明が見えるという光と影。
人生、上手くいく上手くいかないって何なのかと思う。
逆に言うと、悪いときでも、悪いときこそ、諦めてはいけないということか。
そんななかで、最後のエンドロール「全てのおばあちゃんに捧げる」。
そっかこの映画はそういう映画だったのか。そういえば、おばあちゃん、いい味だしてた。
あの年でアメリカまで来て、孫の面倒をみて、病気になりながらも必死で生きている。
やっぱりおばあちゃんは孫が大好き。最後の表情が忘れられない。
ミナリはたくさん育っていた。さすが、おばあちゃん。
編集がもう少しどうにかならなかったのか・・・
アメリカへ移住した韓国人のルーツを情感豊かに!
2020年(アメリカ)監督:リー・アイザック・チョン。
良い映画でした。各国の賞を総なめにしました。
題名のミナリは韓国の香味野菜・セリのことです。
セリは2度目の旬が最も美味しいことから、子供世代のために、親世代が懸命に生きる・・・との意味が込められています。
すごく辛い苦労話を聞かされる覚悟で観ましたが、
全然そんな心配は入りませんでした。
1980年代に韓国からの移民者の家族。まだ30代の父親のジェイコブ、母親のモニカ、姉娘のアン、そして弟のデビッドの4人家族。
今のアメリカへの移民の事情は詳しくありませんが、1980年代には移民に優しかってようですね。
大きな農作地を買うだけの融資が受けられて、耕作機械も種も肥料も買えます。
トレーラーハウスとお母さんのモニカは不満ですが、私の目から見ると立派です。
ベッドもひとり1台。部屋数も多い。調理器具も揃っています。洋服だって「着の身着のまま」じゃない。
着替えが豊富。食事にも困らない。
第一にお父さんは農園主で小作ではありません。
畑だって、石ころだらけの土地を騙されたり、しません。
土地はそれなりに肥沃です。作物が日照りや大雨で全滅したりもしません。
これは苦労と言えますかね?
お父さんはとても野心家です。
「韓国野菜の生産で、絶対に成功して金持ちになるんだ!!」
側で見ているお母さんは、悲観的な性格です。
心臓の弱いデビッドを連れて行く病院が、1時間もかかる・・・と、気を揉みます。
パール・バックの『大地』とかスタインベックの『怒りの葡萄』などを思い浮かべていた私は拍子抜けでした。
こんなもの、苦労のうちに入らない・・・って思っちゃいました。
口喧嘩ばかりのお父さんとお母さんは、打開策として韓国からスンジャおばあちゃんを呼び寄せます。
まぁまぁ、このスンジヤおばあちゃんの「ぶっ飛んでること!!」
スンジャおばあちゃんの登場で、映画は劇的に面白くなります。
花札が趣味で、孫のデビッドへのお土産は花札です。
そしてテレビでプロレスを観るのが大好き。
真面目でも模範的でも無い年寄りです。
はじめデビッドはおばあちゃんを嫌います。
またこのデビッドも笑わしてくれます。
小太りでチビで、デビッドってミドルネームなのかな?
(ジェイコブもモニカもアンもデビッドも、韓国人の平べったい顔には不似合いです、正直言って!!)
デビッドは、おねしょなど、エピソードに欠きません。
この映画を観ていると、韓国人を迎えるアメリカ人も、同輩の韓国人も、子供たちの学校友達も父兄も、悪い人は一人も出て来ません。
と言っても、ラストには衝撃的な展開がありますが・・・。
お終い行くにつれて盛り上がる映画で、スンジャおばあちゃんの役割が、
この映画を劇的なストーリーへ導きます。
こんなにアメリカ人が良い人ばかりで、間違い無いのかしら?
昔はアメリカは移民を優しく受け入れていたの?
原作者のノスタルジーなのかしら?
(移民を優しく受け容れるような世界情勢はもう過去のことでしょうか)
過去鑑賞(2021年/07/05)
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