「何の感銘も受けなかった」ミナリ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
何の感銘も受けなかった
アカデミー賞にノミネートされるほど評判の高い作品だが、当方にはあまりピンとこなかった。序盤のシーンで韓国女性はやはり暴力的なのかと、まず気持ちが冷めた。続いて、妻の説得に子供を使おうとする夫のやり口にも落胆した。互いに約束が違うと言って相手を非難する夫婦。べらんめえ調の言葉遣いの下品なおばあちゃん。
韓国は儒教の影響が残っていて年長者と家を大事にする。人間に精神的な自由をもたらしたキリスト教とは相容れないはずだが、そのあたりの整合性は問題にされないままストーリーがすすむ。ストーリーといっても、場面は多くなく、家の中と畑、それに教会くらいだ。あとは自動車で道を進むシーン。
ひよこの雌雄の鑑別はかなり難しいというのはテレビで見たことがある。鑑別師として一定の水準に達した夫は、別の仕事に投資してもっと多くの収入を求めようとするが、まだ鑑別師としては伸びしろのある妻は、スキルアップすればそれ以上の安定した収入が得られ、貯金をはたくなどの冒険をせずに済むと考える。どう考えてもふたりの将来展望は平行線だ。
昨年の春に鑑賞した映画「ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方」の大きな世界観に比べるのは可哀相だが、家族のありようが問われる部分は同じである。成功して金持ちになりたいだけの男を、不屈の魂とかいう言葉で褒めたくはない。農業に対する愛、もっと言えば生き物に対する愛がないのだ。いや、あるのかもしれないが、それを感じさせるシーンがない。
将来展望が違う妻は夫の畑仕事を一切手伝わない。妻にしてみれば血の繋がっている自分と子供とおばあちゃんが家族で、夫は家族ではないのだ。そのあたりは夫も感じていて、微妙な疎外感がある。だから子供に自分の存在感を示したい。しかし自分と子供は血が繋がっていることを忘れているようだ。
結局、登場人物の誰にも感情移入できないままに終わってしまった。エンドロールを見ながら、ウィル・パットンが演じた、トラクターをジェイコブに貸してくれたポールを中心にして本作品を見直してみたらどうなんだろうと思った。日曜日ごとに大きな十字架を肩に担いで道を歩くポール。独特なキリスト教徒で、オカルト的な怪しい雰囲気も漂わせている。意外に面白そうだが、本作品とは別の話だ。
当方の感受性のなさを露呈しているのかもしれないが、本作品からは何の感銘も受けなかったというのが正直なところである。