「やはり野に置けミナリ(セリ)みたいな話ではなかったんですね」ミナリ グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
やはり野に置けミナリ(セリ)みたいな話ではなかったんですね
〝今〟だからこそ必要とされる普遍的な要素のある映画として評価されているのかもしれませんが、個人的には、時代に抜かれてしまった感が強く残る映画という印象です。
自分の感性に、〝アンマッチな映画〟を読み解くのが最近は、なんだかとてもしんどくなった、という面もあるかもしれません。
勿論、受け手側それぞれの感性の問題なので、十分メッセージを受け取った、という方もたくさんいらっしゃると思います。
以前なら、
どうした自分❗️何か大事なものを見落としてるんじゃないか?
と、もう少し時間をかけて考えていたと思うのですが、なんだか駄目でした。
唯一、分かりやすかったのは、高齢者が感じるであろう悲哀がそれほど遠くない将来の自分にも訪れる時がくるかもしれない、という不安。
ついさっきまで、生活に追われる夫婦の代わりに孫二人、特に持病を抱える弟の良き相棒として、人生の先輩としての余裕すら感じさせる(たぶん、計算ずくの)大人げない振る舞いで、頼られ必要とされていたのに、脳卒中をきっかけに一転して家族の〝お荷物〟になってしまったと自分で自分を追い込んでしまう状況にしてしまう。
これは、高齢者に限らず、生活習慣病のリスクを感じている方、或いは健康に自信のある方にとっても、ちょっとリアルな恐怖だと思います。
今、リアルタイムで起きている世の中の自然災害や原発事故の影響を受け続ける方々の存在、各種ハラスメントの被害者などさまざまな事象の当事者にとっては、数えきれないほどの理不尽があるので、
『理不尽な運命に翻弄されながらもたくましく生きる姿』
というキャッチコピーが、ほとんど響いてきませんでした。映画の内容からしても、自分たちの選択に自分たちで責任を取るのは当たり前で、寧ろ問題は、真面目で働き者の人間が、家族を巻き込むほどのリスクを負わないと、生活苦から抜け出せない世の中の仕組みなのだと思います。
(なんか誰でも思ってる当たり前のことを偉そうに言ってるみたいになってしまいました。申し訳ありません)
生き残るためにどんな苦境も耐え抜いて頑張ることを『逞しく生きる素晴らしい家族愛』として賞賛して終わり。
ということにはしたくないなと思ってます。
日本の「やらな過ぎ」から攻勢に転じ様としたところ文科省が動かない。そこで安倍内閣時代にクールジャパン予算を突っ込む戦略を立てましたが、映画製作にまでは手が回らず。野党の難癖で「意味の無い日本売り込みに金使うな!」ってなって元の木阿弥、が今ですよぉw
韓国政府は韓国文化の海外進出支援に年間300億円使うと公言していて、これは主に映画と所謂KPOPに投入されていると考えられます。実は300億円は「言っただけ」で、実際にどれだけ使ってるのかは私達は知りようがないんですがw
あっちこっちで賞を取り、メディア・文化人に称賛され始めた時期は、完全に一致してます。はちどりみたいな成功例もある一方で、グラミーやアカデミーなんて言うやり過ぎの例もあり、韓国ものに対する反発と皮肉が、北米では目に付き始めてます。賞をとるにはロビー活動は必須でしょうが、やり過ぎるとシラケるってw
端的に言うと「良い映画」だけど「誇大広告も甚だしい」ですねぇ...
実際に多くの賞をもらってるってのが不思議になるくらいの、「普通の良い映画」。視点にも描写されている内容にも目新しさは無いし、見てるこちらには新たな気づきも無かったし、ドキッとする鮮度がある訳じゃ無しでしたw