劇場公開日 2022年9月30日

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「記録映画としては上質なれど、エンディングテーマは?」プリンセス・ダイアナ 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0記録映画としては上質なれど、エンディングテーマは?

2022年10月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

先月イギリスのエリザベス女王が亡くなり、チャールズ皇太子がチャールズ3世として王位に就きました。本作「プリンセス・ダイアナ」は、今年がダイアナ妃の没後25年であることから制作されたドキュメンタリーでしたが、この時期に封切りということで、何と言う偶然!ダイアナ妃は、死して四半世紀にして、なお注目を集める存在であることに、驚くばかりです。

さて肝心の本作ですが、ダイアナ妃とチャールズ皇太子が婚約・結婚した1981年の数年前から、1997年に交通事故で亡くなるまでの20年弱のダイアナ妃の軌跡を、当時のニュースやトークショーなどのテレビ映像、そして個人撮影と思われるホームビデオなどを繋ぎ合わせて創られた、文字通りの記録映画でした。新たなコメントや解説が付け加えられていない点で、第一次世界大戦の記録映画「彼らは生きていた」が思い出されました。

ダイアナ妃の結婚当時まだ子供だった私でも、このニュースは連日報道されていたためよく覚えています。ただ子供の頃から天邪鬼だった私は、浮かれた感じでダイアナ妃を礼賛する報道に何となく反感を覚え、ダイアナ妃にもその矛先が向くことになりました。詰まるところ彼女があまり好きではありませんでした。その後も日本でのダイアナ人気は、少なくともメディアを見ている限りでは衰えることがなかったように思います。しかし一方でダブル不倫が報じられ、最終的に1996年に離婚。そして世間で称賛された平和的な慈善活動を行う割に、武器商人の一族と付き合うに至るなど、最後まで私個人の彼女に対する評価は変わることはありませんでした。

ただ没後四半世紀を経た現在、今一度冷静に彼女の人生に注目してみることで、新しい発見があるかどうかを確認するために観に行った訳ですが、結論としていくつか気付かされたことがありました。

一つ目は、これはダイアナ妃個人というより、王制とか天皇制と言った君主制という制度に関すること。本作の中で「制度が人を壊す」というコメントが印象的でしたが、本人の意思と関係なく世襲されていくこれらの君主制というのは、君主側の人権を著しく制限しているということが改めて手に取るように分かりました。勿論ダイアナ妃は王室の外部から自らの意思で中の人になった訳ですが、そうした人がいなければ王室自体が途絶えてしまう以上、君主制の継続を前提とするなら、王族と結婚した人の自己責任を追及するのは馬鹿げたことのように思えます。

本作を観る限り、日本の皇室はイギリスの王室に比べて相対的に守られている感じがしないでもありませんでしたが、そんな日本でも、秋篠宮親王の長女・眞子さまが結婚するにあたり、散々と世間から攻撃的な非難を浴びせられたことは記憶に新しいところ。臣籍降下された現在も週刊誌のネタになっているところは、離婚後もパパラッチがダイアナ妃に纏わりついていたことと一致します。またもう少し振り返れば、ダイアナ妃の結婚から12年後に結婚された現皇后陛下である雅子さまにしても、結婚当初の歓迎ムードはダイアナ妃と共通していたものの、ご病気をされたり御世子がなかなか出来なかったりした中で、週刊誌やワイドショーの格好の標的となったこともありました。また今上陛下の皇太子時代の記者会見での「人格否定発言」で表面化した、宮中での雅子さまと宮内官僚との軋轢などは、本作で描かれていたイギリス王室内でのダイアナ妃の苦しい立場とオーバーラップするところもありました。

こうした日英両王室における殺伐とした情景を観たからと言って、私は別に君主制がダメで共和制が良いと言いたい訳ではありません。特に権力と権威が分離されている日英の立憲君主制は、今後も続けた方が良いのではないかと思っています。福沢諭吉が日本皇室論でも述べたように、「皇室は人心収攬の一大中心」であるし、現憲法においても「天皇は、 日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると規定されています。実際日英両王室は、こうした役割を果たしていることは事実でしょう。だからと言って、いやだからこそ、国民が王室に一定の敬意を払うことが必要とも思います。これは現代世界において、否が応でも国家という存在なしに個人の人権も成り立ち得ない以上、国家の安定には一定の求心力が必要であり、王室がその役割を果たしているであろうと考えるからです。勿論これが行き過ぎると強権国家になる訳で、何よりもバランスが重要というのは言うまでもありません。

いずれにしても、世襲という性質上、人権を著しく制限される君主側の人達に、一定の敬意を払うことは、国を安定させ、結果一般国民の生活を安定させる可能性が十分にあると考えます。そうした意味で、本作で記録されたダイアナ妃に対する過剰な報道は、例えそれがイギリス国民の好奇心を満たすために行われたものであったとしても、イギリスにとって決してプラスなものではなかったのではないかと思えました。

本作では「魔法に陽の光を当ててはいけない」というコメントもありました。「魔法」というのは「王室の内情」という意味合いなんでしょうが、パパラッチが密着して何から何まで晒すことは、市井の嫉妬心を煽るだけで、全く生産性があることとは思えません。

随分と制度の話が長くなってしまいましたが、ダイアナ妃個人に関しては、本作を観て今更ながら気付いたのですが、婚約当時彼女はまだ19歳だったということに結構衝撃を受けました。当然当時も報道されていたのは間違いないところですが、自分より年上だったこともあってか、婚約当時彼女がまだ20歳にも達していなかったことに全く注目していませんでした。

元々貴族の家に生まれたものの、特段世間の耳目を集めていた訳ではない立場から、チャールズ皇太子と交際し、結婚に至ることで世界中の注目を集める立場に立つことになる環境変化たるや、天地がひっくり返ったも同然でしょう。しかも夫は結婚前から付き合っていた女性(現夫人のカミラ王妃)と引き続き交際しているし、子供が生まれても直ぐにポロに興じるなど、殆ど家庭を顧みない夫だったことなど、同情すべき点は多々ありました。そりゃあ夫がこんな状態なら、別の男性と付き合うことになるのも心情的に理解できるし、最終的に離婚に至るのも当然と言えば当然。ようやく王室から離れても、パパラッチに追い回される生活が続いたのですから、可哀そうとしか言いようがありません。

そんな訳で、これまでネガティブな印象しか持っていなかったダイアナ妃に対する見方は、本作により同情心が強くなった次第です。(ちょっと単純過ぎるかな?)

以上、いろいろなことを考えさせてくれた本作の評価は、★4としたいと思います。

最後に一つだけ解せなかったのは、エンディングテーマ。日本版限定の選曲とのことですが、何故かZARD(坂井泉水)の「Forever you」が使われてました。イギリス本国でどんな曲が使われていたのか分かりませんが、敢えてZARDを使ったのはどうしてだったんでしょう?歌詞の意味合いをダイアナ妃の人生と重ね合わせたつもりなのかも知れませんが、「我が人生に悔いなし」的な「Forever you」って、ダイアナ妃の心情を表しているのか、だいぶん違和感が残りました。。。

鶏