スペンサー ダイアナの決意のレビュー・感想・評価
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クローズアップで体感するダイアナの生々しい苦悩
周知の事実については今更説明はしないということなのか、本作では背景の注釈は一切なしに、1991年のクリスマスイブからの3日間のみを、ダイアナの精神面にかなりクローズアップする形で描いている。そうすることで、シンデレラ物語と悲劇を背負った手の届かない世界のプリンセスではなく、感情の浮き沈みや弱さを持ったひとりの人間としての、彼女の生身の姿が見えてくる。
本作で描かれた3日間の前後で、現実には以下のような状況があった。
84年に次男ヘンリーが誕生した時点で、ダイアナいわく二人の関係は終わっていたとのこと。85年頃からチャールズはケンジントン宮殿に不在がちになり、87年にはそれが常態化していた。この頃チャールズはカミラ夫人との交際を再開している。ダイアナは息子の養育と慈善事業に力を入れるようになっていた一方、89年頃からジェームズ・ヒューイットと不倫関係になっている。翌92年にはチャールズに批判的な暴露本「ダイアナ妃の真実」が公表され、同年末には二人の正式な別居が発表された。その後96年に離婚が決定している。
彼女がひとりで車を運転し、道に迷う冒頭の場面が印象的だ。従者がいないのはちょっと不自然な気もするが、この時期は既にチャールズはケンジントン宮殿に帰ることはなくなり、ダイアナが事実上宮殿の主人のようになっていたので、ああいう外出もあり得たのかもしれない。この時期の彼女の心理状態を、言葉を費やさず象徴的に表している。
ここで提示された彼女の不安と苛立ちが次第に増してゆく描写が、物語の大半を占めている。抑制された表現にはなっているが、自傷行為や過食症の場面もある。そして彼女はスペンサー家の遠戚であるアン・ブーリンの幻を繰り返し見る。
アン・ブーリンは略奪婚でヘンリー8世の王妃になったが、男児を産めず王の寵愛が離れ、婚姻後3年で姦通の罪を着せられ斬首された人物だ。チャールズ側に根深い不貞行為という非があるのに、王室の中では自分だけが疎外感を味わわされる理不尽さや息苦しさを無意識にアン・ブーリンに重ねたのだろうか。
ラストの展開だけは、ダイアナの魂を救おうとするかのような解放感がある。あの後の史実を知らなければまるで母子が狭くて息苦しい世界から解放されるハッピーエンドの物語のようだ。直前に「プリンセス・ダイアナ」を見たが、このドキュメンタリーに出てくるパパラッチの方が比較にならないほどえげつないので、誰にも追われず海岸やケンタッキーに行くようなことはおそらく実際には難しく、まさに寓話なのかもしれない。
現実には二人の息子が王室から解放されることは当然ないし(弟が結婚を機にアメリカへ渡ったことはまた別の話)、ダイアナの末路は決して明るいものとは言えない。それを思うとラストシーンの明るさと解放感が何だか儚く、物悲しい余韻を伴って見えた。
余談:「君を想い、バスに乗る」以来ティモシー・スポールが好きで注目していたが、大河ドラマを見ている影響か梶原善に見えて仕方なかった。
アンブーリンは彼女の背中を押した。そしてダイアナは雉となった。
本作はダイアナ・フィーバーに沸く1991年のクリスマスが舞台。
皆に愛されたダイアナ元王妃が一大決心をする3日間を描いた寓話だ。
ダイアナの生家に近いエリザベス女王の私邸サンドリガム・ハウス。
今年もそこでロイヤルファミリーはクリスマスを過ごす。
古くからの高貴な伝統と世間のからの好奇な監視から王権を守るため。
そんな中、「瀕死」の状態のプリセンスがいた。
名前は「ダイアナ・スペンサー」
誰もが知るダイアナ元王妃である。
彼女は溺れかけていた。サンドリガム・ハウスから近いはずの実家も
遠くに感じるほど、苦しみの境地にいた。
王室の古く息苦しいしきたりと夫の不倫に特に苦しんでいた。
3日間とは思えないほどの息苦しくも転機となる時を過ごす
ダイアナはアンブーリンの亡霊の後押しもあり、最後は雉となって息子たちと飛び立った。
雉は綺麗だが頭が悪く、車にも跳ねられやすいそうだ。
ダイアナ元王妃の生き様は正に雉そのものだったのだ。
私は悲劇のプリンセスじゃない
ダイアナを映画で描く事は鬼門だ。
2013年のナオミ・ワッツ主演の『ダイアナ』は大失敗。Netflixの『ダイアナ・ザ・ミュージカル』も大不評。
これらは描き方に問題あったと思う。例えば『ダイアナ』は、大衆やマスコミが見たそうなゴシップ的なチープなメロドラマ。本当にそんなダイアナを見たいのか…?
若くして“世紀のプリンセス”となり、世界中の人々に愛された一方、王室や当時の夫チャールズ皇太子との関係に苦悩。が、母として息子たちを愛し、一人の女性として自立。そんな慈愛に満ちた人間像や悩み多き内面の“等身大”のダイアナを何故描かない…?
その点、本作は秀逸だった。定番的な半生や安っぽいメロドラマとして描かず。
ある数日間の出来事。ダイアナが離婚や王室を離れる決意をしたという3日間。
1991年、ロイヤル・ファミリーが集ったクリスマス休暇…。
この時すでにチャールズ皇太子との関係は冷えきり、色々な噂に晒され、大衆やパパラッチに追われる日々…。
ファーストシーンからダイアナはすでに精神的に追い込まれている。
第一声に驚いた。まさかの“Fワード”。あのダイアナがFワードを発するなんて…。
でもこれは偏った見方なのかもしれない。ダイアナだって一人の人間だ。思わず声を上げたくなるし、そういう言葉だって出る。聖人君子ではないのだ。
我々と同じような目線や姿。リアルなダイアナ。
『ジャッキー ファーストレディ 最後の使命』でもケネディ夫人の内面や苦悩を描いてみせたパブロ・ラライン。本作でもその手腕を発揮。
イギリス王室御用達の私邸でクリスマス休暇。さぞかし贅沢な一時であろう。
が、ダイアナにとっては“監獄”でもあった。
古い伝統やしきたりにがんじがらめ。必ず来た時と帰る時に体重を量り、楽しんだ証として1㎏太らなければならない。何じゃそりゃ!?
3日間食事の時に着る服も決められている。
部屋はカーテンが掛けられたまま。周囲の好奇の目やパパラッチ対策。
新任の責任者の少佐。有能で、トラブルからロイヤル・ファミリーを守るのが職務。が、ダイアナにとっては常に光らせている目は終始監視されているかのよう。
そう。ここにはダイアナの自由や居場所は無いのだ。
パパラッチではないのだが、ずっと誰かの視線を感じる。抑え付けられ、息が詰まりそう。
気の休まる瞬間も全くナシ。ここに居たら、どんどん自分が壊れていきそう。
“たった3日間”なのか、“3日間も”なのか…。
象徴的なアクセサリーやシークエンス。
夫から付けるよう言われた真珠のネックレス。実はそれ、夫が愛人に送ったのと同じもの。
何かの嫌がらせか、ただ気付いていないだけなのか。ダイアナにとっては辱しめられ屈辱的。
ある会食の席で付けるが、それが気になって仕方ない。ネックレスに手を掛け、引きちぎろうと…。
ダイアナが何度も見る女性の幻影。アン・ブーリン。15世紀のイングランド王ヘンリー8世の妻で、エリザベス1世の母。ダイアナにとっては遠縁。
後にアンは、ヘンリーが別の女性を妻に迎える為、処刑されたという…。
そんなアンに自分を重ねるダイアナ。
幻影の中で、アンから忠告を受ける。「逃げて!」。
処刑なんて事はない。が、夫と愛人の間に挟まれ、自分と同じ苦しみにならぬよう…。
近くにあるダイアナの生家。生まれ育った所なのに、開幕、道に迷う。それくらいダイアナの精神は疲弊していた。
ある夜、生家に忍び入り…。そこで思い出す過去。自由に満ち溢れていた。
終盤のこのシーン。ネックレスとアン・ブーリンと生家が交わり、ダイアナは決意する…。
印象的、象徴的なシーン。
不安定な精神状態を表すような幻影も交える。
ジョニー・グリーンウッドの音楽が不穏なムードを醸し出す。
部分部分的にサスペンスやホラーのような印象も受けた。
作品は決して万人受けするものではない。重く、暗く、気が滅入りそう。
邸の中は暖房を入れず、寒い。クリスマス時期だからもあるが、邸の中も外も終始寒々とした雰囲気。それは気温だけに留まらない。集った人間関係がそれを発している。
その反面、衣装や美術やヘアメイクや映像の美しさ。何処か寓話的だ。
開幕の一節。“史実に基づく寓話”。確かに史実に基づいているが、何処までが本当にあったか、その時ダイアナが何を思っていたか、創作でもある。
だが妙にリアルさを感じ、こうであったろうと納得すらさせてしまう。
監督の巧みな手腕に脱帽。
大昔の人ではない。
今尚人々の記憶に残り、愛され続けている。
美しさと芯に秘めたもの、複雑な内面と脆さ…。
ダイアナを演じる事はプレッシャー以外の何物でもない。ナオミ・ワッツでさえ酷評された。
誰が演じられるか…?
まさかあの“ヴァンパイアの恋人”とは…!
クリステン・スチュワートの名演が素晴らしい。もう一度言いたい。クリステン・スチュワートが素晴らしい。
話し方、仕草など徹底的にリサーチ。私は日本人なので違いはよく分からないが、クリステン自身はアメリカ人だが、イギリス英語を完璧にマスターしたという。
光り輝くような美しさ。
ヘアメイクなどで似せているが、ダイアナに見えたり、クリステンに見えたり。超そっくり似せ過ぎず、絶妙。だんだん自然にそう見える。
何より複雑な内面を体現。これが本当に素晴らしい。
アップも多く、苦悩や今にも壊れそうな内面を見事に表し、驚くほど引き込まれる。
クリステンの女優人生も山あり谷ありだ。子役としてスタートし、ヴァンパイアの恋人でティーンの憧れに。一時期ゴシップや低迷。インディーズ作品で実力を示し、そんな時に本作。
オスカーノミネートは当然。と言うか、受賞して妥当だろう。私なら彼女に一票投じる。これでオスカー獲れないとは…。
残念で仕方ないが、間違いなく現クリステンの決定打。
少佐役のティモシー・スポール。立ち位置から憎まれ役だが、ただのそれではない好助演。
衣装係のサリー・ホーキンスも好助演。ダイアナとは特別な関係が…。
彼女から愛の告白を受ける。
世界中に愛されるプリンセスだが、こんなに愛を身近に感じた事はない。夫からの愛ももう…。
私はもう愛されていない。いや、そうじゃない。
一人が愛してくれる。大勢が、世界中が、愛してくれる。
ダイアナはその愛を誰に向けられるか。
世界中の人々は勿論だが、何より愛しているのは、息子たち。
この息が詰まる場でも、息子たちと過ごす時だけこそ本当の自分でいられる。
息子たちとゲームに興じる時の表情。“プリンセス・ダイアナ”ではなく、優しさと愛に溢れた一人の母親だ。
王室で自身で育児をするのは異例だったという。それでもしたかった。
未来の王妃として、この王室に、自分が生きたい世界はない。それがあるのは、息子たちの為と、王室の外…。
クライマックス。恒例のキジ撃ち。その最中に現れ、息子たちを車に乗せ、王室の外へ飛び出す。
何物にも縛られない。愛する存在と共に。
ノリノリの楽曲を歌って、ファストフードを注文して、“スペンサー”と名乗る。
自由と解放と。
この直後離婚し、その数年後にあの悲劇に見舞われるが、晴れ晴れとしたダイアナの表情に救われる。
王室の訳あり人間模様。
個々の姿、本音。
スキャンダラスでもあるが、それをこうやって映画として描けるイギリス映画界と王室に頭が下がる。
日本では…。
そんなタブーに挑む日本映画界や開けた皇室は、いつかやって来るのだろうか…?
クリスマスの3日間のダイアナ妃の心の葛藤
オープニング、草原の向こうに見える夕日。
よくよく見るとそこに通る何台もの車。
そして、ダイアナがひとりで車を運転するシーン。
木々の延々とつづく草原。
一本道のようだが、迷ったとフィッシュ&チップスの店に飛び込む彼女。ざわめくお客さんたち。
ピアノの落ち着いた曲が流れていて、この時ばかりは彼女は自由だった。
しかし、エリザベス女王の私邸サンドリンガム・ハウスに近づくに連れ、音楽も不穏になっていく。
軍用車みたいなのが数台邸の前に止まり、兵士っぽい人たちが10人ほど降りてきて、大きなトランクカーゴのようなものを運び入れる。
そして、その兵士たちとすれ違いにシェフが10人ほど邸に入っていく。そのトランクカーゴのようなものには食材が入っていた。
なーんだと思ったが、このシーンで不穏さがいっきに増した。
ダイアナは途中、生家のカカシを見つけて、そこまで走り、昔自分が着せたという父のジャケットを剥ぎ取る。
亡き父にすがるかのように。
女王より遅く着いては行けない、と分かっていても、心が拒否する。夫の不倫、贈られたネックレスは彼女に贈ったものと同じもの。
自分の安らげる居場所は2人の息子とマギーのみ。
3日間で朝食、礼拝、夕食など着る服も決められて、パパラッチやら家のものやらにずっと見張られているようで息が詰まる。
そして、部屋にあった、ヘンリー8世の妻だったアン、ブーリンの本に思いを馳せる。彼女は最初の王妃キャサリンの従者だったが、見初められて王妃となる。しかし不義の罪で斬首されてしまった。
先月に舞台「ヘンリー8世」を見たばかりだったので、とても身近に感じられた。
過食症を患っていた彼女は、ディナーで周りの視線のストレスからネックレスを引きちぎり、そこにこぼれた真珠をスープとともに呑み込む。もちろんこれは妄想の中だが、そこまで精神が病んでいたということなのだろう。
そんな母を気遣う息子たちもいじらしいです。
パパラッチからの盗撮を避けるために、開けられないように縫われたカーテンを切るシーンも大胆。自由に外も見れないなんて鬱にもなりますよね、、
夜、禁止されていた生家に忍び、そこにアンの面影を見る。そして思い浮かぶ過去の自分。好きな服を着て、好きなように踊る、バレリーナを夢見たが身長が高くて諦めたというエピソードも込めているのだろうか。
1番の理解者であるマギーに告白され戸惑いながらも、海ではしゃぐシーンも印象的。(パパラッチはいいのか?とも思いつつ、、)
狩猟のためだけに育てられたというキジがかわいそうだといい、息子が嫌いな狩猟をさせられていることをなんとかやめさせようとしたり、とても心優しい一面もあった。最後は狩猟場に出ていき、息子を返してもらうと、荷物をまとめて車を飛ばして、音楽をガンガン流しながら、最後はケンタッキーでチキンを食べるという、王妃ではなく、全てから解放されて自由になり、母として生きる決意をした生き方はかっこいいなあと思った。
そして何より、クリステン・スチュワートの細かな表情がとても良かった。そして美しかった。
ダイアナさんの苦悩
ダイアナさんを演じたクリステン・スティアートさんがすごくきれいでした。常にカメラを向けられる日常に神経質になってしまう気持ちも理解できます。自由でいたいけど伝統やしきたりもあり、息苦しさもあったでしょうね。豪華な暮らし、ステキな宮殿も温かみってあまり感じなかったのかもなー?なんて感じました。それは夫婦関係が関係してるんでしょうね。同じネックレスもらっても嬉しくはない。男性からすれば同じくらい好きだから?かもしれないが
相手が喜ぶプレゼントのセレクトが大事で、どこからか同じネックレスがブッキングしたら?どうなる?考えなかったかな?( -д-)
ダイアナさんの気持ちを考えると屈辱しかない。ご実家に行かれた時はちょっとオカルトチックでちょっと眠くなってしまった。もう少し具体的エピソードや演出、少し明るめのあったらよかったな。
我がママ
先輩にオススメされたので少し遠出して鑑賞。
ダイアナ妃の事をあまり詳しく知らなかったというのもあるのですが、傲慢な人が苦手というのもあり、全体的にダイアナ妃のワガママさが目立つ作品だなと思いました。
かなり病んでいたという情報はどこかでチラッと聞いたことがあるんですが、その病み様が他人に迷惑を及ばして尚且つ自己中なのもキツかったです。真珠をちぎってそれをバリバリ食って嘔吐したり、すぐに人に当たったり、勝手に食べ物を貪り食ったりと、前半だけでもかなりの不快指数が溜まったんですが、やはり食事を雑に扱った点でもうダメでした。自分が映画を評価する際のファクターとして食事を大切にしているかがあるので、ここでズンと評価を落としました。
全体的に鬱々としたダイアナ妃の様子を見せられるので、たまに出る賑やかしな要素もうまく機能しておらず、中盤以降も面倒な感じが抜けておらず顔を顰めて見ざるを得ませんでした。
終盤の屋敷から抜け出して息子たちとポルシェで駆け抜けてドライブスルーへ向かうシーンはとても爽やかでここは抜きん出て好きです。
キレイに賛否が分かれている今作ですが、自分は否寄りでした。残念。
鑑賞日 10/28
鑑賞時間 19:05〜21:10
座席 E-12
哀しきプリンセス
世界中の人々を魅了した『世紀の結婚』
あれから何年か後…エリザベス女王が主になる王室のクリスマス3日間のストーリー
規則や歴史に従う取決めや従事者の監視…
子供達と過ごせる幸せに満ちたクリスマスとは程遠く何もかも満たされないダイアナの苦悩と苛立ちは見ていられない程切なかった…
冷たく軽薄な夫は別として
彼女の従事達の監視や忠告は反発するダイアナの目線で見てしまえば不憫にも伝わるが
軍隊の様な準備から華麗なる料理を手順通り作り上げていく料理人達をはじめ
王室に仕える身であり完璧な業務をこなす
完奉仕者である彼らはプロなのだと
彼らに対して責めたり人として冷たくないか?などと私達一般人には否定出来る事では無いのだ…
だからこそ知りたくなかった事実として
心の置き場に困惑さえしてしまいました
パンキーでクールなイメージのスチュワートがダイアナ姫を演じると耳にした時は
正直ピンと来なかったが、無邪気で自由な少女のままの様な、未完成な美しきプリンセスはハマり役だった⭐️
そんな息が詰まる様な中、ダイアナが唯一、心を許せる衣装係のマギーの存在そのものの様に
演じるサリー・ホーキンスの深味ある演技に私も心ほぐされた
…メーガンが早々に逃げ出したのも分かる気がしますわ💦
普遍的な苦しみを描いている
ダイアナ妃がイギリス王室ですごす三日間のクリスマスを描いている。
イギリス王室というとスキャンダルだらけ、という程度の興味しかもっていなかったが、この映画を観てかなり見方が変わったように思う。
冒頭で「この映画は事実に基づいた寓話である」みたいなキャプションが出てくるが、まさにそんな内容だな、と思う。エピソードの1つ1つはおそらく実際にあった事件が基になっているのだろうけど、事実を描こうとしているわけではなく、かなりだいたんにダイアナ妃の心境をふくらませて物語にしていると思った。
ダイアナ妃は生前も多くの問題行動が話題になっていたけど、王室側の視点から見る場合と、ダイアナから見る視点で全く印象が変わってしまう。
王室側からすると、「なんで普通にできないんだ」「頼むからお前のわがままで問題を起こさないでくれ」「自分の立場を自覚しろよ」ということだけど、この映画では、なぜそのような一見まともな要求に答えることが難しいのか、ということがダイアナ視点で示される。
ダイアナは多くの問題行動を起こしたが、単にわがままで破天荒だった、というわけではないかもしれない。むしろ、王室の伝統や世間体と、自分の信念や正義にうまく折り合いをつけて妥協して生きるというような不誠実な態度をとることがどうしてもできないような、不器用な生真面目さをもっていて、そのために精神を病むほどに悩んでしまったのではないか。
王太子妃になってからは、それまでの自分の過去(生まれ育ったスペンサー家)、個性、思想といったあらゆるアイデンティティを不要なものとされ、ただ王太子妃という立場としてのふるまいを求められる日々。「自分らしく生きる」「正しいと思ったことを正しいと主張する」「役割としてではなく、一個の人格として認められる」ことを剥奪されることがどんなに苦痛であるか、身につまされる。
チャールズ王太子の発言がもっとも一般的な解決法だろう。「二人の人間が必要だ」という。「やらなければいけないことはやらなければならない」のだから、それをおとなしく受け入れて役割は全うし、本当にやりたいことは目につかないように隠れてやれば良いだろう、と。
余興や伝統のためだけに、殺すための鳥を飼育して、最終的に撃ち殺す、ということにダイアナは耐えられなかったが、実はチャールズも「狩りは嫌いだ(しかしやらなければならないからやっている)」、と告白している。
ダイアナのような特殊な立場でないとしても、誰しも「自分が社会的に求められている役割り」と「本当の自分(本音)」のジレンマには苦しんでいるのではないだろうか。男らしい、女らしい、父親らしい、母親らしい、社会人らしい、大人らしい、子供らしい、お兄さんらしい、お姉さんらしい、公務員らしい、警察官らしい、先生らしい、生徒らしい、そういった「役割」としての人格・思想・行動を身につけることが正義であるという抑圧は大変なものだ。
しかもそうした抑圧を加えている側は、それを絶対的な正義と信じていることが少なくない。心の底には、「自分もその抑圧と義務に耐えているのだから、あなたも耐えるべきだ」という考えもあると思う。多くの人は、「役割」と「本音」をうまく使い分けて器用に生きているが、そうできなかったり、できても自分自身をだまして生き続けることに耐えられない人もいるのではないか。
ただ、この映画はダイアナの苦しみだけを描いているだけではなく、救いも描いている。それは、マギーからの「あなたは皆から愛されている」というメッセージ。これは単に国民から愛されている、という意味ではないと思う。
ダイアナにとって王室にいることは耐えがたいことだったかもしれないが、むしろ王室の人間たちはダイアナを愛していた、ということ。これは重要なことだと思う。ダイアナにとってだけではなく、「役割」と「本音」のジレンマに悩んでいるすべての人にとっても。抑圧を加えている人々ですら、苦しめようと思って苦しめているわけではない、ということに気づくこと。
ダイアナのことはほとんど知りません。
ダイアナのことはほとんど知らない平成生まれが観た感想です。ダイアナのことで知ってるのは車の事故で亡くなられたことぐらいです。まず、自由がない、自分で選べない私可哀想、籠の中の鳥のようだわー。という風に悲観的に描かれているけれど国の女王になるんだからそれぐらい覚悟してたのでは?厳しいしきたりもあって当たり前なのでは?女王になる前に知らなかったの?と思いました。断れない婚約だったのなら仕方ないですが。感動したのは、固いルールがある中でも自由を求めて、自分で行動したダイアナをみた時です。中でもカモを殺さないように前に出て行く所を見た時が一番感動しました。変革できないけど、自分なりに行動するところ。そこが一番感動したので星3つです!
臨界点
フィクションであろうと、事実に近しい内容であったとしても問題作に思われる。
冒頭のダイアナからして周知のイメージからズレてる。とてもとても美しい。また、よく似ているように見える。メークは良い仕事してた。
第一声に「ファ○ク」との単語があったように聞こえた。あのダイアナ妃が?作品が提示する素のダイアナに面喰らう。
序盤から暴発寸前のダイアナが描かれる。
調度品から衣類、食事、環境と全てが一流で、常に王室に気を配る従者がいて、本人の体調や好みまで気を遣ってくれる。
ただ一つ、自由だけがない。
全て用意され、準備され、常にベストを提供される。
なのだが、ラーメン食べたいって時にステーキ出されても食指は動かない。
…言えば作ってくれんじゃないの?とか、平民の俺なんかは思う。
終始、窮屈な生活。
そのストレスからの異常な発言と行動。こりゃ誰でもおかしくなるわ…等と思ったらいけないのだと思う。
ダイアナ妃の最期をなんとなく知ってる。
報道されてる内容で、事実とは異なるのかもしれないけれど。その最期に導くように物語は進む。
あたかも、それが事実であったかのような人物像と環境が提示され、車等の符号も散りばめられている。
そして、王室側の人間はカキワリのようだ。定められた事を粛々と消化していってるかのように。夫がダイアナに言う事も理不尽過ぎる事はない。ダイアナだけが異質と描かれている。
ゴシップの延長のような感触だ。
ダイアナが壊れ始めていた事の裏付けを示し正当化してはいけないのだと思う。
役者陣は皆さま素晴らしかった。
皇太子だけ「?」だったけど、女王様とかロングの後姿で歩く所作だけで女王様だと分かった。とても入念な役作りだったのだと思う。
正直、クリスチャン・スチュアートに惹かれて観に行ったのだけど、彼女は破天荒なダイアナにはピッタリだった。
終始、重たい雲に覆われたような作品だった。
「自由」ってのは、自分が認識している以上に尊いものだと思えた。
寓話、ねぇ…。
【寓話】比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭すことを意図した物語。
【良かった点】 まずは主演のクリステンスチュワートが素晴らしい、ダ...
【良かった点】
まずは主演のクリステンスチュワートが素晴らしい、ダイアナに見えるし、とても美しい。彼女がスクリーンの真ん中にいるだけで目が釘付けになる。演出も見事で、常にダイアナが感じていた圧迫感、窮屈な王族という世界をこちら側に感じさせられた。これは悲劇の御伽噺だ。
【良くなかった点】
海外圏では、ダイアナについては基礎情報で、周知の事実であるという前提で作られた作品。ダイアナが不倫され離婚する辺りから物語が始まるため、予備知識がないと若干ついていけない可能性あり。
いまいち
ダイアナの映画なのに上映館数が控え目だなと思っていたら、案の定だった。
ドラマチックな37年の生涯の中のたった3日間にフォーカスした意欲作、というと聞こえは良いが、そんなに軽く扱っていいの? というのが率直な感想。
それに対する言い訳めいた冒頭の「寓話」というフレーズが更に印象を悪くしている。
確かにこれまでにも、彼女の庶民的な面や普通の弱い人間だという部分を捉えたものはあったが、本作では自傷癖のある変人ぶりが殊更に強調され過ぎている感じ。
アン・ブーリンのくだりは、それに対する補正というか中和させるような意味合いで取ってつけたような感じ。
それと、細かいことだがゲロを吐くシーンがあるのも個人的にはダメ。
制作側としては死後四半世紀という節目に、今まで散々語り尽くされた感のあるダイアナ物に少し違った視点でアプローチしてみようという意図だったのだろうが、少し中身が伴ってなかったかな。
クリステン・スチュワートは美しくエレガントでダイアナを演じるのに相応しいとは思ったが、本作においてはセミヌードも厭わない美人女優という位置付けだけでキャスティングされたのかなとしか映らないし、決して、彼女の代表作にはなり得ないと思う。
ところどころ過激
面白くはないが、変わった映画で楽しめました。
「事実をベースにした寓話」と本編冒頭にクレジットがありましたが、自叙伝や暴露本、インタビューなどから組み立てた「推測と想像の創作」という色合いが強いように感じました。
冒頭の第一幕では、一見すると生活習慣や伝統に適応できないワガママ女の錯乱話に思えます。
だが途中、二幕目あたりから、しっかり旦那が浮気しているのがバレた時期ゆえ、精神が壊れた、という描写となっておりました。
鬱によって正常さを失った女性と、それを取り巻く環境を、ホラーやサイコサスペンスの技法で描いていて。
「いかに怖がらせるか?」のあとに「この緊張をどう破綻(解放)させるか」。
『シャイニング』のような積み上げで、『ジョーカー』に近い解放の仕方かな。
カカシに着せていたダイアナの父の古着がキーワードとなり、「私はカカシのように立っているだけにはならない」と「私は王室に負けない、スペンサー(旧姓)として自分らしく生きる!」と決意するだけの内容だから、その気になれば10分程度でも表現可能なほど薄いのですが。
その決意に爽快感を覚えられるかどうかが、この作品を楽しめるかのポイントかな、と。
「あんな豪華な暮らしで、なんの不満が?」「大人ならちゃんと役割を果たせ」と、パワハラ肯定派なご意見の方には、全くつまらない映画だと思います。
表現はところどころ過激。
執事や衣装係にSPが四六時中付き纏い、監視している目を振り払うためとはいえ、
「〇〇がしたいから一人にして」
ってセリフはやり過ぎ感。
ダイアナが信頼する侍女のマギー(サリー・ホーキンス)が、「愛してます」と告白するシーンは、コミカルな百合に見せてますが、おそらく「国民の代表」として、ダイアナへの好意を代弁する意味なのだろうと解釈。
ロイヤルコーギーにしては、犬の毛の手入れがちょっと荒かったように感じました。
3日間だけで描ききるダイアナ妃の苦悩
ダイアナ妃の苦悩をクリスマス休暇のたった3日間だけで描ききった脚本と主演のクリステン・スチュワートの演技が秀逸でした。
ダイアナ妃視点での寓話ですからどこまで真に迫っているかわからないですが胸が苦しくなるよう映画でした。でも息子たちとの時間とサリー・ホーキンス演じるマギーの存在とラストの決意のシーンは救いだったな。
フライドチキン食べたくなりました
観てよかったです。
この作品はこれで完結しているので
意外とよい終わり方をします。
もっと、重くて救いようがなくて、
後味の悪い終わり方をイメージしていました。
観ている途中までそう思っていました。
やはり人間が生きていくには「愛」が必要なのだと
思いました。
お二人の王子様が
お母様からの愛情をちゃんと受けて
お育ちになっているのか?
気になるところですが
期間は短くても
ちゃんとお母様の愛情をうけて
いたことを知って
少し安心しました。
あと、この後、ダイアナ元妃ご自身が
人生の中で本当の愛にめぐり会えたのか
気になるところですが
希望的に妄想して劇場を後にしました。
観るか観ないか迷った作品ですが
観てよかったです。
役者さんってすごいなって思ったのが
○○○婦人(当時)役の役者さん、
表情だけの演技なのですが
すごく嫌な感じが(申し訳ですが)
うまく表現されていました。
びっくりするぐらい嫌な感じだったのです。
監督さんの腕なのか役者さんの演技力なのか
その両方なのか
とても嫌な感じがちゃんと伝わってきました。
そのことだけでもダイアナ元妃の壊れ具合が
十分納得できました。
うまく言えなくてすみません。
映画としては優れていると言いたいのですが‥
抑圧は永遠ならざる解放へ
ダイアナ
(プリンセス・オブ・ウェールズ)
現英国王チャールズ3世の最初の妻
1981年に恋愛結婚で結ばれ
第一位王位継承者ウィリアムら
2子を設けるも
常に注目される立場
度重なる夫の不倫や
王室生活へ馴染めず
精神的な状態悪化も重なり
1992年に息子たちを連れ別居
1996年についに離婚
その翌年にパパラッチに
追われた際の交通事故で
非業の死を遂げる
その類まれな
ファッションセンスや
人当たりの良さ
慈善活動への積極性など
英国民ならず世界中にファンが
多くその早世は大変
惜しまれることとなった
この映画はそんなダイアナの
人生の岐路ともいうべき91年末の
サンドリンガムにおける王室の
クリスマス休暇において
精神的にピークに達し
心を置ける人も周囲におらず
疑心暗鬼の塊になっていた
当時若干30歳のダイアナを
ほぼ同時期の年齢の
クリステン・スチュアートが
憑依したかのように演じている
作風はただただ陰鬱
妄想と現実が入り混じるような
あたかもホラー映画のような
描写が印象的です
サンドリンガムの離宮の
ダイアナの部屋に置かれた
「アン・ブーリン」の本
アン・ブーリンとは
離婚がしたいこいつのせいで
英国国教会が本家から分離する
羽目になったヘンリー8世の
2番目の妻でエリザベス1世の母
でありながら国王暗殺の
嫌疑をかけられ処刑された
悲劇の王妃
ダイアナは王位継承者を
二人も産んだ事で自分も
同じだと思い込むようになって
いきます
王室には伝統と仕来りがあり
クリスマス休暇の前と後で
1kg太る事や王位継承者が
キジ撃ちを覚える事など
ダイアナは自分の息子たちを
精神的な支えにしていましたが
とうとう年齢的にもそんな時期
どんどん王室に染まっていく
中でウィリアムは王になる事を
覚悟を決めており
適応できない自分への苛立ちも
抱えることに
夫チャールズも
そもそも姉セーラと付き合っていた
中で王室にふさわしい人的として
プロポーズしてきたのに
結局ずっと付き合っていた
カミラと言う女性の存在など
女性関係は荒れているにも
かかわらず王室の人間として
馴染もうとしないダイアナには
頭を痛めていた現実も
あったようで味方をして
くれません
あまつさえカミラにも同じ
ものを贈ったという
真珠の首飾りを巻くたびに
拒絶反応が出るような描写が
印象的でした
ダイアナ唯一の味方の衣装係のマギー
も着替える際に部屋のカーテンを
閉めなかった(=パパラッチ対策をしない)
とロンドンへ帰してしまいます
チャールズは抗議するダイアナに
「国民が望む生活を我々はしなければ
ならない」とダイアナを説き伏せようと
しますが国民が望む生活とは?
王室が伝統を守る事なのか?
不倫はええのか?
矛盾をダイアナも映画を観ている人も
強く感じるところです
ただ指定されたドレスを着ない
ダイアナへのエリザベス女王の
「どんな格好をあなたがしても
結局国民が最も目にする私たちは
紙幣の肖像画なのよ」というのは
なかなか深いです
面白いのは王室の従者たち
別に孤立しているダイアナを
王室に馴染まない存在として
敵視しているわけではなく
最大限接してくれています
料理長のダレンや
クリスマス休暇の護衛任務の
責任者を務めるグレゴリー大佐は
チャールズの部下なんでしょうと
言うダイアナへ
「我々が仕えているのは王権にです」
という言い方をします
ダイアナはサンドリンガム亭の
近所にあった自らの生家である
廃墟となったスペンサー家の屋敷へ
子供時代の自分を探しに行きますが
そこでついぞ自殺企図を起こしますが
アン・ブーリンの幻影に止められ
ダイアナは真珠の首飾りを
引きちぎります
そして息子たちがキジ撃ちに
向かった日
ダイアナは息子たちを連れ
屋敷を出ていきます
ついに「別居」となったわけです
まぁ寓話を前置きしていますので
そこまで実録的に捉えなくていい
作品だと思いますが
日本にも皇室があり
丁度年齢もダイアナ妃に近しい
雅子様の苦しみなど似たような
境遇があることを記憶します
周りから見ればそういう家なんだから
合わせなければならない
そうやって続いてきたんでしょ
という意見もごもっともだと思いますが
家柄や才覚だけではどうしても
合わせられない事があると思います
そうした苦しみを理解するには
良い作品だと思いました
当時を知らないでこの映画を観た印象
クリステンスチュワートが好きなので鑑賞。
ダイアナ妃の事は、繊細なタイプで王室に馴染めない上に皇太子に浮気されて更に悲嘆に暮れた人というイメージ。
このスペンサーではダイアナをさぞ好意的に描くのかと思いきや、一度観た感じでは、ダイアナの未熟さに途中イラつくくらいであった。
王室側の人間はダイアナを気遣ってるし、皇太子も嫌味っぽくはあるけど立場を考えるよう諭しているのは分かる。浮気は良くないけど。
あとクリステンが演じるからか、強気なんだわ。あーし悪くないし!みたいな。笑
ダイアナ妃本人のあのすぐ折れそうな繊細さみたいなのが感じられなかった。(勝手なイメージ)
美術はすごく好み。王室のインテリア、衣装、特に食事…
拒食症のダイアナが夜な夜な冷蔵庫漁って食べちゃうの気持ち分かるくらい美味しそうだった。
最後呆れた所があって、愚痴るダイアナに優しくしてくれてたシェフの人に見送られるシーンで
ダイアナ「(シェフがダイアナを気遣って作った)スフレ食べたかったけど、食べたらど〜せ吐いちゃうから食べなくて良かった〜」
みたいな事言っててシェフも呆れ顔(に見える)で…
あんた〜!作ってくれた人の気持ち考えんしゃい!とおかあちゃんみたいな気持ちになりました。
向いてないコトから逃げるのは別に悪い事では無いと思う。
自分にとって環境が悪い場合、それを変えるだけの力が無いなら諦めるか別の場所に行けば良い。死ぬよりマシ。
"正しい"事を強要する人達は、自分はそれに耐えられる素質があるから他人も出来ると思うだけ。
自分の感情に振り回されて我を失わないようにするには自分で自分を大切にする。
他人を当てにしない事だと思う。
ささやかな幸せ
クリステン・スチュワートさんの演技が素晴らしかったです👏🏻✨
笑顔から不安や怒りまで表情が豊かで、感情移入してしまいます。
綺麗な瞳に吸い込まれるような感覚もありました。
様々な衣装を着こなす事が出来ていて、凄いと思いました!
建物の内装や部屋の装飾が、豪華で美しかったです。
PORSCHEの空冷エンジンサウンド・オープンカーの開放感がスクリーンから伝わってきました!✨
終盤のダイアナ妃がマギーさんと海辺ではしゃぐシーン・子ども2人を連れて楽しそうにファストフードを食べに行くシーンがとても好きでした╰(*´︶`*)╯✨
ダイアナ妃が精神的に追いつめられてしまっているなか、大切な息子2人と過ごすのが、1番幸せそうな印象でした☺️✨
心情のみを描く
これはダイアナに関する著書を熟読してる方が観ると違うかもしれないが、上部だけしか知らない私が観たらなんだろうと感じた。何を伝えたかったか分からなかった。
物語がダイアナの心の状態を主にして進む。
そのことが気になるのではなく、彼女がどうしてそうなったのかをしっかり描いて欲しかった。
なんとなく誰もが知ってる事柄ありきの表現なんだよ、みたいな感じではこの物語で何を語りたかったのかが全く伝わらなかった。
もし彼女の言動やその時の状況より紐解きたいならドキュメンタリーの方が合ってる様にも感じた。
それなりに
序盤の、ダイアナ妃が車を降りてカフェに向かうシーン。
後ろ姿ですが、おぉ、ダイアナさんだ、と。久し振りに役者さんの演技に鳥肌が立ちました。そしてカフェに入った後のやや首を傾げて肩に力が入っているような仕草。お見事としか言いようがない。完全に魅了されました。
もう一つ印象的だったのは、キジ狩りの個所です。
あのシチュエーションで、皇太子が言ったセリフ。
助けてあげなさい。これ以上の言葉はないのでは。
おそらく、殆どの人が切れてもおかしくない場で、あの言葉はでてこないでしょう。ま、育ちが違うと言えばそれまでですが、あんなことが言える人は世界中で数えるくらいしかいないでしょう。
しかし、作品としては万人受けは難しいでしょう。
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