「少女の自由な心のまま生きるダイアナを演じるスチュワートがなりきりが素晴らしい」スペンサー ダイアナの決意 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
少女の自由な心のまま生きるダイアナを演じるスチュワートがなりきりが素晴らしい
「実際の悲劇に基づく寓話」。「スペンサー」は悲劇の皇太子妃、ダイアナが主人公。没後25年を迎えた英国のダイアナ元皇太子妃が、まだ王室にいたある3日間を描くにあたり、物語の冒頭、こんな文章が掲げられました。
悲劇とは彼女が王室に入ったことでしょう、そしてタイトルの「スペンサー」は彼女の生家の名前です。これは、王室という森に迷い込み、出口を見失ったスペンサー家の女性の物語なのです。そこから導かれる教訓とは何だったのでしょうか。
エリザベス女王逝去を嘆く英国民をニュースで見るにつけ、女王がいかに慕われたかを実感しました。しかし王室が居心地のいい場所とは限りません。
本作は、1991年のクリスマス、女王の私邸、サンドリンガム・ハウスで王室を去る決意をするまでの3日間を描くもの。といっても王室を去る決意をするという具体的な事実を再現するのではなく、王室という制度の牢獄にとらわれた一人の女性の、絶望と孤独を描き出す物語でした。
勢いよく邸宅に乗りつける車列。手際よく降ろされてゆく食材がキッチンに積み上げられます。シェフ長の命令一下、軍隊のように規律正しく、居並んだ料理人たちが整然と調理をこなしていきます。軍事オペレーションのように進行するのは女王の私邸サンドリンガム・ハウスにおけるクリスマス・ディナーの準備でした。
エリザベス女王(ステラ・ゴネット)が王族を集めて執りおこなう食事会は、ある意味では国家を滞りなく運営するための儀式なのでした。
準備が進められる女王の私邸に、一人遅れて到着するのがダイアナ皇太子妃(クリステン・スチュワート)でした。
チャールズ皇太子(現国王/ジャック・ファーシング)と離婚する前の1991年、クリスマス前後の3日間を過ごすため、ダイアナ(クリステン・スチュワート)は女王の私邸に招かれたのです。
けれどもダイアナはクリスマスの行事がイヤで仕方ありません。自分で車を運転して道に迷ったうえに寄り道までして大遅刻。遅れたダイアナをとがめるでもなく、義母(つまり女王)や夫(皇太子)をはじめ居並んだ王族たちは冷ややかな目を向けるだけ。3日間の行動は着る物まで定められ、ぐずるダイアナをせかす侍従たちは決して逆らおうとしませんが、ダイアナが従うまでその場を動こうとしないのです。一挙手一投足が見張られ、しかも筒抜けの状態でした。
加えて、しきたりを守らず、パパラッチに追い回されるダイアナを王室の面々は快く思っていません。チャールズとの仲も冷え切っていたのです。
壮麗だが温かみのない屋敷と、その中の無表情な人々。逃げ道のないダイアナは追い詰められて文字通り食事も喉を通らず、次第に正気を失って妄想と現実が混然となっていきます。その姿はまるで、不条理な迷宮に迷い込んだホラー映画のヒロインのようでした。
ダイアナにとって心を許せるのは衣装係のマギー (サリー・ホーキンス)ただ一人でした、彼女とのあいだも引き裂かれてしまうのです……。
戦争でも始まるのかという物々しさで、大勢の軍人が女王の私邸にクリスマスの食材を運び込む冒頭から目がくぎ付けになりました。そんな珍しい英国王室のクリスマス映画”としても興味をそそられたのです。ラライン監督はダイアナの主観的な視点で全編を物語り、抑圧された彼女の内面を巧みな描写であぶり出しました。ヘンリー8世に処刑されたアン・ブーリンの亡霊、夫チャールズの裏切りを象徴する真珠のネックレス(カミラ現王妃と同じものが贈られていた)。さらにダイアナが自由だった少女時代へと回帰する終盤は、情感とサスペンスが時を超えて混じり合い、出色のシーンとなりました。
豪華な装飾やきらびやかな衣装、食卓に並ぶ極上の料理が織りなす現代の宮廷絵巻。王室の伝統孤独な3日間その中で、王室にとって重要なのは伝統を守ることです。
クリスマスに集う面々はまず体重を量ります。楽しい時を過ごし、帰宅時には1㎏太っていなければならかったのでした。3日間の場面に応じて衣装が用意され、順番に着ていく決まりも奇妙に感じました。チリ出身のパブロ・ラライン監督は王室の冷静な観察者といえそうです。
ダイアナは、写真撮影でエリザベス女王より遅れて現れました。しかも予定の服も着ていません。使用人たちにとって迷惑な存在。でも公然と非難はしませんが、無言の圧力を与えてくるのです。ダイアナの視点に立つ映画は、軍隊のように厳しいキッチンの準備を王室の非人間性の象徴として描いたのです。
助ける人はいません。一人廊下を歩く姿、ドレスを着て洗面所でうずくまる姿、いくつもの映像が重なり、孤独があぶり出されていきます。格調高いバロック風の音楽、疾走感のあるジャズ調の音楽が混ざり合い、壊れそうな彼女の心を表現し、息が詰まる思いでした。
終盤、近くにある閉鎖された生家に無理やり侵入した彼女は、幻想と現実が交錯する中で、幼く無邪気に自由だったころの自分を思いだします。幸せだった時代の記憶が今の苦しみを浮き出させ、白眉の場面となっていました。
ところで、映画の中でクリスマスを仕切るグレゴリー少佐(ティモシー・スポール)はダイアナに「英国軍兵士は人間ではなく王冠に忠誠を誓う」と諭します。先ごろ公開されたドキュメンタリー「エリザベス 女王陛下の微笑み」では、王冠に人生をささけた女王が気高く描かれていました。対照的に本作では、王冠に自由と希望を封じられた皇太子妃の苦悩が克明に描かれているのです。制度と個人を巡る寓話。日本人が見れば、「菊のカーテンの向こう側」にも想像が巡ってしまうのは、不謹慎でしょうか(^^ゞ。
自由を希求するダイアナに、口調や振る舞いだけでなく、メイクや衣装も総動員し、スチュワートがなりきって素晴らしい演技です。きっとダイアナを知らない世代やダイアナを忘れたしまった人たちにも、ダイアナはどんな女性だったのか、伝えてくれることでしょう。今作で米アカデミー賞主演女優賞にノミネートされのも納得です。
スチュワートばかりが注目されそうですが、少女の自由な心のまま生きるダイアナに、つねに変わらずはぐれ者を愛する役まわりのマギーを演じたホーキンスが味を見せてくれました。
ダイアナの心象を反映し、重い雲が常に垂れ込めているような作品。支えは2人の息子だけ。彼らとの、現実にはありえないラストシーンは、悲しみに包まれた元皇太子妃への、ラライン監督からの供花に見えました。
最後に、本作でクレア・マトン撮影監督はフィルムで撮り、奇麗な軟調でまとめました。導入部で、かかしを見つけたダイアナが小走りで確かめにいく場面、晴れていても日本画の「臓朧体」のような柔らかさ。邸内の多数のロウソクは装飾で、見せ場の晩さんの広い空間から、暗い息子たちの寝室まで、巧妙な照明で軟調表現を作っていたのです。要所を締める美しいダイアナの大きいアップでピントが甘く見えるのは、軟調用フィルターやレンズの絞りを開いて、見た目の柔らかさを作ったからだそうです。とにかく悲劇の物語を包む柔らかくて美しい映像が印象的でした。