アウシュヴィッツ・レポートのレビュー・感想・評価
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歴史にたいする真摯な姿勢、なによりそこです
劇場でこの映画を観終えて一番に思ったことは、自分はずいぶん不謹慎な期待をこの作品に寄せていたなぁということ。『この題材なら、もっとおもしろく作れるはずだ。もったいない!』と。
そう、「おもしろく」見たがっていた自分がわかった。たとえばミッション・インポッシブルのように手に汗にぎるハラハラ感、これ以上はないです、みたいな。
良くも悪くも生まれ変わった島国単一民族の戦後日本。戦争は前世の大日本帝国のやったことで、歴史を振りかえれば遺されたものが遺跡発掘調査のように所々で未だ姿形を現したりもしております ―― 私はそういう感覚で平和な日本で日々を過ごしている。そして映画をいろいろ観て、『そうだなぁ、ナチスものって、まずハズレないよね』という調子でこの映画を観にいった自分……。
だから作品からうけたのは、アウシュビッツの凄惨な事実にもまして、脱出のスリリングさにもまして、まず第一に作り手の歴史にたいする真摯な姿勢である。アカデミックなのである。
そしてこの題材が今でも関係諸国においては、かなりデリケートな題材なのだなと察せられること。この題材に娯楽性の片鱗でも挟んだら、それはこの歴史を何一つ理解していないという証しになり、総スカンを食らうだけ。そういえば2020オリンピックの某関係者がその見本のようになっていたような。
いままでたくさんのナチスや第2次世界大戦やヒットラーもの映画をみてきたのに、現実の過去の出来事としてとらえていないことに気づかされた。私の頭のなかでは、ワールドウォーはスターウォーズと変わりなく、ヒットラーもダースベイダーも同じ次元の役者だったということだ。
少しネットで勉強。公式サイトに「映画『アウシュヴィッツ・レポート』ペテル・ベブヤク監督独占インタビュー」という予告編を含む5分間映像があった。それをみて作品の土台がわかった。また「ホロコースト百科事典」というサイトで知識を増やすことができた。
自分の勘違いはよくわかった。それでもこの題材で別作品が登場してくれることを願う気持ちは、まだ残っている。
面白いとか面白くないとかいう話じゃない
戦後を生きる人間として知らなくてはいけない事実だと思う
悪名高い収容所アウシュビッツ収容所
そこで行われてる事実を外の世界に知らせる為脱獄した二人を描く物語
結果的には知らせても収容所は破壊されなかったが
12万人に及ぶ人間が送られるのを阻止する事につながった
ただひたすら耐え忍ぶ姿は痛ましく
この二人が助かったのも奇跡としか思えない
結局、この収容所は破壊されなかったというのは
話が信じてもらえなかったのだろうか?
それとも戦略的に重要と捉えられなかったからあだろうか?
考えさせられる
最後のエンドロールで
現代にはびこるナチ残党、極右勢力などらしき発言が流れる
こんなにも肯定してるクソ野郎がいるかと思うと怒りが込み上げる
この映画の最初の
過去を忘れるものは必ず同じ過ちを繰り返す
という言葉が重く突き刺さってくるね
また同じ過ちを繰り返しそうな奴が出てきている気がしてならない
そうゆう意味でこの映画が伝えることは意義深い
アウシュビッツからの手紙
表題(↑)は、子供の頃に学校で読み聞かせして貰った衝撃のままに、帰宅後直ぐに母親に懇願して買って貰った児童図書。
児童図書とカテゴライズされてはいるが、挿絵も含めてかなり臓腑を抉られる感じなので、多少の心構えは必要だが、ホロコーストの話になるといつも人に薦めてる一冊である。良かったら是非。
そんなこんなで、歴史好きのままオジサンになったので、ホロコーストに関しても「悲惨」とか「差別」等々の一般的な感覚からは、少し俯瞰して見ることが出来る様になった気がする。正義は見る角度と時間で常に変化するってやつでして、最近はそう言った意味で角度の違う作品が続々と生まれてくるので、ありがたいことです。
この作品は一見ストレート(従来通り)に見受けられたりしますが、絶妙な違和感が最後の最後スタッフロールで爆発するという、何とも後味の(良い意味で)悪いものに仕上がっておりました。闇を覗くとき、闇もまたコチラを覗いている。って感じでしたね。お見事です。
勉強になります
こんなお話もあるんですね・・・
お話としては、この様な話があるんだと当時の怖さや残酷的な行為など知る事が出来ましたが、本作品の作り方が淡々としているので、ちょっとこちらに伝えきれていないと言うか、本当に淡々としているので、もう少し派手にと言うと不謹慎かもしれないけど、もう少し見ているこちら側にもっと伝えるように撮って欲しかったかな・・・
後は、赤十字と言う団体も何なんだよと思うシーンが・・・・
当時のドイツの赤十字って何なんだよ・・・それを信じてどうするんだよ・・・・
淡々とドキュメントのように撮り上げ、臨場感を表現したかったんだろうけど、ちょっとね・・・伝わらないかな・・・・もう少し、もう少し、怖さを派手に表現しても良かったかな・・・・
ラストはちょっと、物足りなさが残るけど、冒頭の言葉とエンドロールの表現の仕方により、制作者の本作品を撮り上げた趣旨がよく分かるかな・・・・
体験せよ
アウシュビッツレポート
「サウルの息子」っぽい作り。観賞後、とても鬱々とした気分にさせられる、というのは最大限の賞賛。人の鬱屈状態を、まるでその人になり切ったかのごとく主観的に体験させるという、表現方法が秀逸。セリフがほとんどない。マッドマックス怒りのデスロードと同レベルぐらいにセリフがない。カメラが常に揺れている。カメラから見える景色は、ほとんどが主人公の主観。全体がハッキリと映し出されるようなカットはひとつもない。ピントが合ってない。夜のシーンが多く。空は常に曇っている。晴れの日は一度も映らない。
私は当然アウシュビッツの囚人ではない・・・がしかし、この映画の主人公の鬱屈した状態が、私がこれまで経験してきた鬱屈した状態に共鳴し、映画に入り込むことができた。
自分がもし絶望的な状況に陥ったらどうするのか?を考えてしまった。なってみないとわからん。
うーん。自分がほぼ100%死ぬと決まった時に、人は他人の幻想の中に生きることを望む、ということなのかもな。「何かを伝える」というのは、他人の幻想の中に自分の存在を残すということだ。
みなさん評価が良いようですが
事実ならば仕方ないがあっさり脱出できて逃走中に腹へっただけでたまたまあった人達もしっかりパン🍞くれて道案内まで親切にしてくれてその後彼等は終戦までどう過ごしたのかな 前半の収容所のシーンも動きがなく退屈!
エンドロールが秀逸
前半のアウシュビッツ部分と、そこを抜け出してスロバキアにたどり着く後半に分かれていると言える。アウシュビッツの収容所にはスロバキア人の棟というのがあって、記録係がここに収容されてきた人数などを記録したレポートを、主人公の2人に託し、木材置き場の下に掘って作った穴に隠れて機会を待つ。点呼で人数が足りないため、スロバキア人全員が連日連夜立たされっぱなしになるが、現状を政府に知らせて収容所を空爆してもらうという目的達成のため、団結しているのだった。
上に積まれた材木をなんとか押しのけて脱出、瀕死状態になった時、森で出くわした女性に助けられ、国境を越えてとある村に到着し、村の人に助けてもらう。何とか弁護士を通じて赤十字につないでもらうが、役人が来るまで2週間待たねばならず、その間タイプライターを与えられて、2人は32枚にわたってレポートを書きまくる。役人が来てからはなぜか英語になるが、2人のレポートに役人は衝撃を受ける。そして「スロバキア政府にアメリカと交渉してもらう」と言うが「交渉じゃダメだ!収容所を空爆してくれ」と怒る。結果、我々が知るように、収容所は空爆されることはなく、役人がおたおたしている間に次々とユダヤ人がガス室に送られ、合計数百万人が殺される。彼ら2人はしかし、ハンガリーのユダヤ人12万人を救うことができたのだった。
ラストのエンドロールでは、現代の独裁者、差別主義者、ポピュリストの演説が流される。トランプだけはわかった。これによって、監督の、今この作品を制作した意図というのが観客に明確になった。
途中、アウシュビッツの伍長が、息子の戦死を嘆き、また悲しむ妻を思いやるシーンがある。目の前で生き埋めにしているユダヤ人にも父や息子がいることを想像しないのが恐ろしいが、逆に、ナチスによって、人間の最も冷酷な部分をむき出しにせざるを得なかった人たちなのかもしれないとも考えた。
エンドロールで映画の価値が上がる
物語自体は既視感満載でサスペンスもいまいち。しかしエンドロールで一気に映画の価値が上がります。日本の入管に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマさんの死も、全く同じ構造であることに気づくことができます。アウシュビッツは世界中のいたる所に存続しているのです。
知るべき事実。
戦争映画とか、戦争体験談とか、事実はひとつでも伝えて残すべき、とつくづく思う。アウシュビッツ収容所、当時はどういうものか周囲の国々には正確には知らされていなかったのか、とこの作品で知ることが出来た。今なら人間の優劣なんて決めつけてはならない事と多くの人が思うけど当時の過酷な現状が改めて見せつけられた。
杉原千畝を1000円札の肖像に
皆さんのレビューをじっくりと読んでいるところです。
当地では上映がなかったので。
ずっと願っていることは、標題のとおりです。つてのある方、発信よろしくお願いします。
渋沢栄一とか経済人もいいけれど。
「過ちを繰り返しませぬから」の言葉に、我が国がどこまで命を賭けられるかだ。
自分の国の歴史に我々がどこまで命を賭けて「レポート」できるかだ。
今の時代だから「こそ」観るべき映画
今年90本目(合計154本目)。 ※投稿が1週間遅れです(視聴は7/30)
タイトル通り、また、多くの方が知っている、いわゆるアウシュビッツ収容所をテーマにする実話もの。
ナチスのこの収容所政策は、主にユダヤの方が犠牲になったとされますが、中には政治犯や思想犯、宗教関係者や、障がい者(身体・知的・精神)、同性愛の心を持つ方にも及んでいます。
始まりの「歴史を忘れるものはまた同じ過ちを繰り返す」というメッセージ、また、一見すると無関係なのでは?と思われるエンディングロールで流れる一連のやり取りも、アウシュビッツ収容所(他の収容所も同じ)が、「少しでも気に入らない人」をどんどん迫害していたその忌まわしい歴史、また、現在においても世界各国で程度の差はあっても迫害行為(ヘイトスピーチ的なものも含む)があること、それを念頭に入れたのでしょう。
その意味で、この映画は「ナチス政権の反省すべき点を描く」という点にあるものの、それを超えて、「真に平等で誰もが基本的人権を享受できるべき」という点を伝えたかったというように解することが可能で、その点は、比較的差別が少ないとされる現在の日本(2020~2021)でも十分ではない(いわゆるヘイトスピーチ類型)ことを考えれば、実際のガス殺であろうが言葉による暴力であろうが「等しく」許されるものではなく、「誰もが基本的人権を持ち、何らの理由もなく迫害されたり不当な差別を受けることはない」というごくごく当然のことを日本も達成しているとは現在でも言えず(それでも少しずつ改善はしている)、この映画が「真に」伝えたかった点、それが冒頭とエンディングロールにあること、それは忘れてはいけない、そう思います。
また、日本ではこのナチス政権のアウシュビッツ収容所政策などについては、義務教育の小中や、便宜的な準義務教育といわれる高校でも学習が疎かになりがちな分野です。日本では教科書には文科省の検定基準がありますが、余りにも残酷なシーンや表現は、当該小中高の一般の子供の心の発達を目安に審査されますから、こうした部分には検定意見が入り修正を余儀なくされます。そのため、小中では「アウシュビッツ収容所等の政策があり…」だけであり、高校で多少もう少し踏み込んで習うとは言っても高校教科書の検定基準に緩くはなっても存在はしますから、日本の小中校の義務教育(準義務教育といわれる高校/高専も含む)では、「そもそも論として」こうした歴史については、単純に「アウシュビッツ収容所政策があった」こと以上のことは習わず、その前提で入試等も作られているわけです。
すると、日本の小中高校生は、自分で積極的にこうしたことに興味を持って調べない限りわからないことなのであり、文科省の「心の発達に応じた記述」という点は理解しても、今のままでは日本の教育も「結果的にそうした史実があることを不完全にしか教えない、理解させない」ことに片棒を担いでいるも同然であり、この点については、日本においては(まぁ、検定のルールがあるような国は程度の差こそあれ同じでしょうが)この事情から、「知らなければならない歴史を教えない、遠ざけている」というのが現状であり(文科省の事情は当然理解できる)、検定の範疇に入らない(映倫の審査しか入らない)映画館でこの作品が放送されたことは、相当な評価があるものと考えています。
採点にあたっては、下記が気になったものの、作品の傷ではないので、5.0にしました。
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(減点なし/他事考慮)公開当日、視聴した方には抽選でスロバキアのミニワインが当たる(もちろん、今のルールでは劇場内では飲めない)というプレゼント企画を映画館でやっていたのですが(初日、金曜日のみ)、この作品にスロバキアワインは明示的に出てこないはずです(最後に、赤十字関係者と話をするときに、飲んでいるのがそれ?)。
まして、アウシュビッツ収容所で収容されている方が間違っても好きに飲めるものではないわけであり、「映画の重み」ということを考えた場合、何をもってこんな「趣旨がわからない」プレゼント企画を実行したのかが本当に謎で(この作品をどう解しても、スロバキアワインを飲みましょうという映画ではない)、正直、「これはモラル的にどうなのか…」と思いました。
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ワクワクの冒険活劇ではない。
スロバキア系のユダヤ人がアウシュビッツを脱出する話。
事実に基づいているので、淡々と話が進んでいく。脱出も活劇的ではないしワクワクする要素もない。
命がけで脱出し、現実を世界に知らせても連合国の思惑からアウシュビッツはすぐには解放されず、どんどん人が機械的に殺されていく。
確かにカタルシスには乏しいが、これがホロコーストなのだ。と、いう映画。静かに犠牲者の冥福を祈り、二度と悲劇を繰り返してはならないというメッセージは感じられました。
耐えて耐えて真実を。
シンドラーのリスト以降このテーマの映画増えたけどユダヤ人は人間にあらずだな。
火葬ではなく焼却とは。今でもえげつないことやってる国あるみたいやし。人間って本当にこの世で一番恐ろしい生き物だわ。ああやって命がけで逃げた人たくさんいるのかな。
報告書が出版されたのは7ヶ月が経ってからだった。あまりにも恐ろしすぎて信じてもらえなかった。
今では周知の事実でも、はじめてこの実態を聞いた人間のどれ程が信じることができただろう。信じたとしても、何割かに過ぎなかっただろう。
そんなことを、戦後7,80年経ってもずっと言ってる。だけど、それは言い続けなくていけないことなんだろうな。この手の映画が毎年のように何本も作られている現状は、そういうメッセージなんだろう。だって、現代においてさえ、差別は公然と、しかも、国の指導者クラスの人間の言動に表れている。それをエンドロールを眺めながら、確かにそうだ、こいつらはそうだ、とまざまざと思い知らされる。
かたや、言いはしないが、無策とか無関心というのもどうか。本日8/6、広島原爆投下の日、メディアや政府の広島に対する関心のなさを見るにつけ、だれかが何度でも繰り返し紡ぎ、語り部として残していくことの大事さを思う。
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