「沈黙と忘却の罪」アウシュヴィッツ・レポート talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
沈黙と忘却の罪
新しく入所してきた人々はまず名を尋ねられる。その後に名前は忘れろ、これからお前たちは番号だと言われる。美しき青きドナウが演奏され、大量に効率的に最終解決-ユダヤ人虐殺ーが実行されたのがアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所だ。
赤十字もまずは「当事者の国の」赤十字とネゴシエイトしようとした。今の観点から見ると信じられないが戦時中の組織というのはそういうものなのかも知れない。アイヒマンが作らせたというユダヤ人評議会が収容所への移送者リストを作成したりユダヤ人の財産没収の手伝いをしていたという。それがなければあれほど組織的な大量移送は不可能だったという指摘もある。
アルファベット順に氏名が並べられ住所が記され強制移送目的の為に作成されたオーストリア系ユダヤ人のリスト。これが30分以上も延々とスクロールされる場面ー映画「ハイゼ家 百年」ーが蘇る。個々の人たちの存在と彼らの生活がタイプライター打ちの文字と数字に還元される、権力と暴力によって。タイプライターで書かれたレポートは真実を伝達した、脱走した二人の人間によって。
戦後、みんな「知らなかった」と言った。戦後の西ドイツを包んだ巨大な沈黙が、多くのナチ残党が普通に生活したり産業界に帰り咲いたり反共の組織で要職を占めることを可能にした。空間における罪ー庇い合う沈黙があったからだ。
ポストコロニアルの観点から、ヨーロッパの植民地主義が招いた悲惨とナチスの虐殺は地層で繋がっているのではないかという議論もある。ナミビアでの大規模虐殺(1904~5)、ニュー・イングランドの清教徒達による「インディアン」虐殺、オーストラリアやカナダで発見されている1950年代の先住民の子どもへの大規模虐殺が例えば挙げられる。このような数多くの虐殺の歴史を確認しながらナチのホロコーストを相対化して免罪することもない追悼が提唱されている。時間における罪である忘却に陥らない為に、以前も今もこれからも想起し議論し続けていかなければならない。
この映画は沈黙と忘却に対して静かに警告している。
おまけ
反イスラエルと反ユダヤ主義は異なる。イスラエルの政治に対する批判を安直に反ユダヤ主義と結びつけてはならない。
コメントありがとうございました。
「沈黙と忘却の罪」と書かれてますもんね。
ほんと、忘れちゃいけない為の映画なんですよね・・
楽しい「しんちゃん」の後に見たからかなぁ😮💨ホントに、ガガーンと、こたえたワタシでした。
「国民総背番号制」=つまり国民ナンバーカードが、ヨーロッパで浸透せず、受け入れに根深いアレルギーがあるのは、あの「入れ墨」をやってしまった反省からだと聞いたことがあります。
入れ墨が見えてしまってハッとする映画はありますね
「アマンダと僕」とか。
また、確か、新しく、ノルウェーが、ユダヤ人をナチスに引き渡したって作品が上映されますよね。こんな映画は、パンフレットとか、もったいぶらないで、ちゃんとした人が解説しないと、上っ面で、面白いとか、そんな事で終始してるのが沢山いるから、考えないとダメですよね。人は、本当に興味がなければ、それほど教養深くはないですから。
物語だと思うんです。
赤十字が動かないとか、確かに腹も立ちますけど、奥底に潜む人の醜さとか、そういうことなんだと思うんです。
そういうのが、ナチスや戦争であぶり出されたんです。
だから、戦争や差別怖いんです。
それで、ヨーロッパ人にとっては、この問題は、ナチスだけじゃなくて、自分たちの問題でもあるんです。だから、視点を変えた作品が多く作られているんだと。
この作品は、難しいですよね。
600万人って、札幌の人口の3倍もの人がいなくなった事を、広いヨーロッパといえ、疑問に思わない人がいないわけはないと考えられるかどうかだと思うんです。
多くのヨーロッパ人はユダヤ人を迫害してて、こいついなくなれば、この家手に入るとか、この仕事引き継げるとか、考えたんです。だから、ナチスにユダヤ人か否かを伝えたんです。そういう背景があっての、