「道徳の授業とかで観せるべき」プラットフォーム 真中合歓さんの映画レビュー(感想・評価)
道徳の授業とかで観せるべき
上から降りてくる残飯。それを制限時間内に食べ、持ち越しは出来ない。
その意味を知った時から始まるサバイバル・・・・こういうシンプルなのが一番面白いなあ。
リミットだっけ?埋められて助けを求めるアレとか、結局生存本能に訴えかけてくる映画って無条件に引き込まれるよね。
はじめは残飯の汚さと同居人のキモさに「あの、俺は良いっす…」てな感じなのだが、当然腹は減るのでそんな事も言ってられなくなり。
しかし、そんな残飯でも”まだ有り難かった”という事実を後に痛感する事になる、”階層チェンジ”。
これによって『食える者たち』と『食えない者たち』に分かれ、それらが入れ替わり立ち替わることも描写されるエグさ。
明日は我が身。なんで上の奴らは傲慢なの?でも上に行ったら自分らもそうなっちゃうんだ。
そもそも、ちゃんと必要な分だけを食えば全員に行き渡る分量なのに、一桁階の連中からして踏み荒らして汚く食う。
これは一体何故なの?と疑問に思った方も多いでしょうが、別に目の前に食べ物に夢中になっている訳では無いと思うんです。100階以上の人達ならともかく。
これは同居人の爺さんが言ってたように”どうせあいつらもやってる”という事なんです。
つまり、下の階層に居た頃の鬱憤として無意味な嫌がらせをしているという、なんとも人間の醜さと言いますか虚しさと言いますか。それをされた連中が今度上に行くと、そいつらがツバやクソを吹き掛ける。
食べ物に夢中になっているのではなく、わざと汚く荒らしているって事なんですねえ。ほんとヤダなあ。
短い制限時間がよりそれを助長しているとも取れます。
富める者、と言うよりもカースト上位の人間達は苦労せずに幸せに、だけど下の人間達を見下している。そして下の者達を虐げることが出来る。
一方で、下の者達は中抜された富を、おこぼれを預かり、虐げられ、そして反撃することは出来ない。
そんな彼らも入れ替わると同じような役割に落ち着き、結局上の人間も下の人間も立場が違うだけ。本質的には同じであることが示されています。
なんか進撃の巨人の歌でこんな歌詞がありましたね(笑)。
更にミソだと思うのは、そんな彼らは上も下も一階層分しか違わないってことです。ほんの一階、6メートルしか違わない間に絶対的な階層が有る。
それはつまり、目くそ鼻くそ同士でいがみ合っていて、本当の支配者である『最上階の料理人達(管理者達)』は蚊帳の外だという事です。
我々平民は平民同士でいがみ合っていて、本当にこの世界を牛耳っている支配者層には一切ダメージ無し。
でも、そんな支配者層達の富(料理)で生かされている。
何とも虚しいゼロサムゲームをさせられている訳なのです。我々がその支配者層に訴えかけるには、団結してパンナコッタを届けるしか無い。
いやあ~素晴らしいメッセージ性だよ。邦画じゃまず無理だね。