「入ることのできない物語」竜とそばかすの姫 Masanori Ohashiさんの映画レビュー(感想・評価)
入ることのできない物語
現実をある程度忘れるために映画を見るのだが、それを一周させてまた現実に戻すのも芸術家や映画監督の役割だろう。竜とそばかすの姫はその意味では成功しているかもしれない。児童虐待という問題を入れることによって現実を目の当たりにさせる。だがこれは安否の激しいことになっているようだ。青春+虐待問題+トラウマ回復という3つの項目があり、ここでは虐待問題だけ分離されている。児童虐待は簡単に扱うには重いテーマだが、これをどうにか入れたかったのだろう。これを無理やり入れたので分離され、ここばかりが際立って批判される。このような問題は深く入りこまねば、心を癒やすことはできない。むしろこれが他の物語項目を引き立る項目のようにも感じられてしまう。つまり問題を否応なく軽くしてしまう。
深く入ることができるようで、入ることができない、と感じてしまう。これはまた物語がうまく分離されている。この分離は言語化しにくいが、現実の問題と抽象的なトラウマを解決する問題とがごっちゃになっており、それらが妙に整理されずに表現されているからだと考える。だが主役がうまくこなしていることでそれが感じれないようにできている。中村佳穂のたまものだと考えていいと思う。歌は素晴らしい出来だ。物語はほとんど意味をなしておらず、音楽と映像を感じることだけを取り上げたほうがいいかもしれない(これは多くの人が言っている)。
弱いものがネットを通じて心を通わせる。これは悪くないことだろう。だがそこに入り込んでいくにはその弱さはどこにあるのか、が重要だが、あんまりそこを掘り出して行く感じはなかった。
竜が主人公の周りの誰かと期待させる作りをしており、竜が全く違う人物だったのをみて私は「えっ」となった。なぜボーイフレンドはすずがベルだとわかったのか?(私は竜はボーイフレンドだと考えていた)
私達が成長するには大きな闇の中をくぐりぬける必要がある。この作品には大きな闇がいきなり虐待という形で現れる。そこまでの過程にグラデーションがない。傷が虐待であるまでにいくつかそれを感じさせるものをいれるべきであったのかもしれない。問題はそれが闇であるのはわかるが、すずと同質のものだったか、といわれれば全く別のものである。かれらはどこで分かち合ったのだろう。
主人公の中の傷はわかる。だが傷だけなのである。そこから自暴自棄になってもいなけば、心の闇を広げることもなく、犯罪をするわけでもない。「傷を追ったもの同士」とカッコで囲うことはできるが、同じものではない。その間の橋渡ししたものはなんだったのか。
いろいろ疑問が残る物語だった。主人公がネットに自分の姿をさらけ出したのはどういう効果があったのだろうか?歌を歌うのはあのウェブカメラの前のほうがよかったのではないだろうか?(構成上)等いろいろ考えてしまう。竜の傷は主人公が会いに行くことによって癒えたのだろうか?ただ会えたのはいいが、その後はどうなるのだろう。すずはUで姿を現したあと、学校でいじめられないのだろうか?私が一番気になったのはここだな。スクールカーストが崩壊するだろう。
もう一度戻るが、竜とそばかすの姫の間の共通点はなんだったのだろうか?何が間を行き来した結果のカタルシスだったのだろうか。お互いはインターネットという媒体を取り払って会って理解しあっていたけれど、お互いの中に何が残ったのだろう。私は彼らに聞いてみたい。
私はこの物語には入ることができなかった。それは世代の違いかもしれない。だが入ることができる人はこの物語について何度も考えることができるから幸いだろう。