「ミニマルな世界の自己再生のはなし」竜とそばかすの姫 ワンワンさんの映画レビュー(感想・評価)
ミニマルな世界の自己再生のはなし
先日、みんな大好き(僕も好き)『サマーウォーズ』が金曜ロードショーで公開されてて、久々に視聴しました。ババアのコネと数学の才能とおばあちゃん譲りの花札で世界を救う映画で一番ドラマとして心に残ったのは侘助おじさんの葛藤でした。愛に飢えた少年のまま成長したラブマシーンa.k.a侘助は『サマーウォーズ』では誰に手を差し伸べられるわけでもなく、彼自身の歩み寄りで家族という集団に取り込まれていきました。
そこから12年。改めてインターネットの世界を描いた本作では、世界の存亡など関係なく、コミュニケーションを巡るミニマルな物語に終始していたのがよかったです。
主人公すずは幼い頃に母を亡くしたトラウマから歌うことができず自分の殻に閉じこもっている少女。作品全体を通してすずの視点で物語は進んでいきます。そこではお父さんとの不全な会話や、親友との気の置けない会話、ネットリンチ、「応援する」、嫉妬する/嫉妬される、「好き」、根拠のない憶測・・・などなど、様々なコミュニケーションが図られます。ここの肝は出てくる多くのキャラクターが描き込みが足りない、「他者」として現出することにあると考えます。私のことを気にかけるイケメン幼馴染、タイミングのいい相談を持ちかけてくる美人ブラスバンドリーダー、素っ気ない会話をやり取りする父親、彼ら彼女らはその裏で何を考えていたのかは想像や憶測に頼ることになり、物語が進むにつれてそれらは次第に明かされます。現実の人間関係と同じく他者というのは理解するのが難しいです。それは翻って、周りに心を閉ざすすずも周囲の人から見たら理解しづらい他者だと容易に想像がつきます。この周囲の人たちとの繋がりを横軸に、「自分を見捨てて」他者を助けにいった母との葛藤が縦軸として存在し、その延長としての竜への関心が物語を引っ張ります。
クライマックスのライブシーン、これまで他者の心配に対して「何でもない」と心を開かなかった少女は信頼を勝ち取るため竜に対して、そのものズバリな自己開示を以って応えます。同時にここは(歌うという)コミュニケーションをネットでしか行えなかった彼女が、現実の世界でのコミュニケーションに向かい合うというシーンでもあり、大変エモーションを刺激します。(但し、それを誘導するしのぶくんの強引さには抵抗を感じます。責任とれんのかテメエ。)
ここからは覚醒したすずぼんのコミュニケーション攻撃のつるべうち。まずはお父ちゃんとしっかり向かい合います。(個人的にここが一番催涙効果高かった)そして幼い竜の兄弟と雨の中道路でばったり遭遇し、石黒賢と対決します。ここではっきり石黒賢を見つめるすずの瞳を見ていると、中盤ジャスティンとの対話の中で言っていた「あなたは人を抑えつけようとしているだけ(うろ覚え)」というセリフが思い起こされます。強くなったね、すず。
ここで雨に打たれている兄弟は親からの愛を十分に享受できなかったラブマシーン2号3号であり、社会からこぼれ落ちそうな彼らを主体的に拾い上げようとする本作は『サマーウォーズ』から更に進んだアンサーと言えよう。
言及するまでもないかもしれないが、主演中村佳穂の圧倒的なパフォーマンスは素晴らしいの一言二言。冴えない陰キャがネットから現実へ向き合うミニマルな話に華と説得力を添えている。また、ネットと現実のコミュニケーションがシームレスに共存した世界というのも現代的であると思う。
大変好意的に書いたが粗を探せばゴマンと出てくる作品でもある。言及したい部分としては高知からの旅路を女性ひとりで行かせる危険性、虐待された少年に「これからは僕も戦うよ」と言わせ、大人たちは何かするわけでもない描写。
前者はお父さんに車で送って欲しかった。「車で送って行こうか?」と語りかけた前半のセリフは伏線になるし、そのまま良い父/悪い父の対比として描くこともできる。「ただいま」「夕飯どうする」に繋げたかった気持ちもわからんではないが。
後者の描写の問題点は「助ける助ける助ける」と言って助けてくれなかった「大人たち」は結局何もせず、すずの愛(母性とも言い換えられる)を以って立ち直った子どもが自分でなんとかしていく自己責任に落とし込んでしまうことにあると思います。既存の社会制度によるアプローチをきちんと描いて欲しかった。
最後にUの世界の描き込みについて。ビジュアルは素晴らしいんだけど、恐ろしく整合性のないSNSで都度ツッコミを入れたくなった。まあこの世界観には細田監督もそんなに興味ないんだろうなあ。あくまで舞台装置であって、そこから匿名のネットリンチ、衆愚性、新しいコミュニケーションを描きたかったのだと想像。CGと動き回るカメラのネット空間と手書きでフィックスのカメラの現実社会の描き分けは好き。
イノシシヘッドさんの提案大変興味深く読みました。面白いです!
個人的には兄弟の虐待にまつわる描写は、社会的なテーマを大人不在の個人の物語に回収させようとしたのが問題だと感じました。社会的なテーマは社会システムをもって解決、議論させるべきだったと思いました。
「お父さんが東京へ送っていけば・・・」、まさにそのとおりですね。その車中で「お父さん、今まで悪い娘でゴメンなさい。私、いま子供を救うために水の中に飛び込んで言ったお母さんの気持ち、やっと分かった」と和解すれば良かった。東京のご都合主義のケイ君、トモ君との出会いはもう少し工夫が必要だったけど、虐待父がなぜそうなったか?鈴の父親が同行することで、虐待父の心の傷も癒せれば問題は丸く解決したはず。父親が尻尾を巻いて逃げたから兄弟の抱えている問題が解決しないままになった。「ケイ君、トモ君」の母親がなぜいなくなったのか、鈴の経験と重ね合わせてストーリーテリングすればもっと膨らみが出た。地域の5人の合唱団の存在はなくても良かったかも。あとジャスティンのリーダーは「一匹狼」の方が魅力的だった。