「苺のショートケーキ(苺無し) ただし、スポンジとクリームは凄く美味しい」竜とそばかすの姫 kouさんの映画レビュー(感想・評価)
苺のショートケーキ(苺無し) ただし、スポンジとクリームは凄く美味しい
今回の映画は、細田監督の出世作「サマーウォーズ」で見せたデジタル世界の描写に、
「美女と野獣」と「デジタル社会的シンデレラ」をぶち込んだ作品。
正直、「バケモノの子」あたりからは監督には裏切られ続けている印象。
それでも「サマーウォーズ」の頃の、あの演出力の高さを、もしかしたら見られるかも……と、予告映像に少しの期待をして、劇場に足を運んだ。
さて、見てきた感想だが、
件名の通りの感想である。
この作品、個々の描写や演出は素晴らしい。
キャラクターの目線の入れ方。
アニメーションにおける高度な演出・演技を見せてくれる。心理描写や葛藤が繊細に描かれており(しのぶくん除く)これがキャラクターを支えてくれている。
お手本のような伏線。
上記の演技による伏線の入れ方は、まるで教科書のよう。一部、まるわかりのもの(特に竜の正体は、最初の登場カットで一発で分かってしまう)もあるが、それなりのカタルシスは感じる。
豪華俳優陣の声優起用も一部の方はお世辞にも上手いとは言えないものだったが、田舎の人間感は出ていたし、そこで躓くような違和感もなし。
デジタル世界の描写は、やはりワクワクさせられる。
惜しむらくは、現実世界への影響がどれほどかが分かりづらい事。これだけの技術がある世界にもかかわらず、高知の田舎が舞台だからなのか、クラスメイトが噂をする程度。
ベルの姿が東京の大型ビジョンとかに映ったり、株価に影響を与えたり、音楽の収入を寄付しているのであればそこに確かに影響を与えている事が分かったりすると、もっと「デジタル世界⇔現実世界の延長」感が出て良かったかも。
ただ、なりたい「Uならなりたい自分になれる」がウリ文句とも言える電脳空間なのに、自身の生体情報からアバターを生成するシステムなのは意味不明かも。
あと、同じようなモブビジュアルのアバターがいるのも謎(ジャスティスの部下とか……)
……スキンとかあるのですかね?
何よりも音楽が素晴らしい。
オープニングの世界観説明から、歌唱シーンへと入る様子は流石の一言。
鈴役の中村佳穂さんの歌声は、まさにディーバとも言える出来栄え。
作品全体の音楽パートへの力の入れ方は、近年の邦画では見られないほどのクオリティだったと断言できる。
※しいて言えば歌唱自体は素晴らしいのだが、近年のオシャレポップスよろしく一発で歌詞が入って来ないので、心情を吐露するような場面を曲で説明されるような演出は若干置いてけぼりをくらいがちかも……。
ここまで書いていると、「なんだ、やっぱり傑作・良作なんじゃん」と思われるかも知れないが、
残念ながら致命的構造欠陥がある。
この作品、演技演出は上手いのに、キャラクターの行動における動機付けが圧倒的に不足しているのだ。
特に、
・主人公すずが、何故竜に興味を持ち「すごく、あなたの事が知りたい」と思うようになったのか?
については、本当に分からない。
自身のライブコンサートに乱入した無法者に対して、ある程度の関心を持つのは分かる。
もちろんこの世界では「竜は誰?」と色々な人が思っているのだが、彼女の関心の高さは異常である。
いきなり自分のライブ会場に、無法者と自警団が入ってきて、そこで特に何が起きた訳でもないのに、無法者の方に興味を持つのだろうか?
「俺を見るな……」みたいなセリフと目線だけでいけるのか?
せめてここで、竜が瓦礫からベルを庇うシーンや、目があった瞬間に「救い」を感じるシーンなど、彼女のその後の行動への動機付けを支えるカットが入ってくれると、有難かった。
それが無いせいで、この映画は「どうしてこうなった感」が強くなってしまうのだ。
まさに本作の核とも言える
「そばかす姫が竜に対して、何故興味を持ち、深く知りたいと思ったのか」
と言う、ケーキで言う「苺」とも言えるものが、かぎりなく透明に近いゼロなのである。
その後も、
「何故彼女は竜のもとへたどり着く事が出来たのか?」
「何故彼女は竜に脅されて罵倒されても竜に対してアプローチしたのか?」
と疑問は続く。
……竜の城に辿り着いた事に関しては、弟(クリオネの子)意思も介在しているとは思うけど。
竜の城では、「ディズニー版美女と野獣」のオマージュをこれでもかと使用し、互いの心理的距離を詰めていくのだが、これが唐突すぎて、心理の機微を感じず、完全に置いてけぼりをくらってしまう。
せめて彼女を動かす強い動機があれば……。
・母が助けた子供とのリンクを入れる……命を懸けて救った母の背中や、助けを待つ子供の眼などを、竜に対して感じる。
・庇われるシーンを入れる……自分にとって竜は本当に悪い人なのか→知りたいという動機になる。
などあれば……。
それが無いせいで、合唱隊のおばちゃんの「悪い男に惹かれる」でお茶を濁されてしまうのだ。
いやいや、そもそもこれって全編通すと分かるけど、恋愛感情じゃないですし。
どっちかと言えば「親愛の情や家族愛」に近いものですし。
ディズニーの「美女と野獣」で言えば、
・父親の代わりに城に残るシーン
・狼から助けられるシーン
・図書室を開放するシーン
などがなく、
・街で野獣の噂だけ聞いて
・いきなり城に辿りついて
・勝手にバラのある部屋に入り
・野獣に「出ていけ」と言われたのに
・いや。あなたの事、もっと知りたいの
と言って、いきなりダンスシーンに行くのだ。
これが、どれだけ物語における「心理的動機」に欠けているのか、
ベル何がしたいねんって感じが凄い。
個人的に主人公すずの描写で気になるところは、
「お母さんが死んでから、ずっと話してない」的な発言をするのだが、それまでの描写から避けているのは明らかにすずの方である。せめて、「私の方が変な感じになっちゃって…」的な言葉の一つでもあれば……。
この監督、主人公を視聴者から愛されたいと思ってない……?
最近は「行間を読む力が足りない」とか、「細かい伏線を回収し忘れている」とか言う輩もいる。
いや、だって何もなかったよ? あったとしても、それは強い動機まで結びつかないよ?
と思ってしまった。
冒頭で触れたように、各シーンは素晴らしい。
ミュージックビデオ的な観点で言えば、最高の作品だし、
ショートムービーの詰め合わせとしての価値もある。
しかしながら、
作品全体としての連なりや纏まり、一本の映画として見た時、
個々のパーツの良さだけでは補えない、欠落を感じてしまった。
確かにスポンジとクリームは美味しかった。皿も美しくてフォークも純銀のような極上の品だった。
ただ、僕は苺のショートケーキを食べたかったのだ。
苺が乗っていない苺のショートケーキではない。
一番大事なものが、物語から欠けてしまったような、そんな映画である。
そう言えば、傑作と言われている「時をかける少女」も「サマーウォーズ」は脚本別。
若干微妙と言われ始めた「おおかみこどもの雨と雪」は脚本共作。
賛否がハッキリ分かれた「バケモノの子」「未来のミライ」は細田脚本。
優れた監督は、優れた脚本家ではないのかも知れない。
あらゆるクオリティは一級だが、
脚本のせいか、凡作レベルの視聴感に落ち着いてしまった本作。
まぁ前作よりは面白かったので、次は細田監督には監督演出に専念して頂き、
脚本を別でつけて頂けると良いかなぁ……。