「その勇気は評価しなければならない」生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
その勇気は評価しなければならない
恥ずかしながら本作品を観るまで、戦時中最後の沖縄県知事である島田叡を知らなかった。今で言うところのキャリア官僚であり、東大法学部卒で野球の名選手となれば、頭脳明晰、身体頑健で、それだけで出世しそうな気がするが、持って生まれた反骨精神が祟って、出世街道からは外れてしまったらしい。好感の持てる人物だ。
内閣人事局の威光を恐れて忖度を繰り返した挙げ句、国会においてさえも「記憶にございません」を繰り返す現在の官僚たちを見ていると、島田叡の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいである。
島田叡の気骨はどこまでも本物であり、死にに行くことと分かっていながら、沖縄県知事の辞令を引き受ける。死を覚悟して臨んだ沖縄県知事の仕事は、沖縄県民を生きながらえさせることであった。
軍は鬼のような存在である。島田が決死の思いで調達した米を掠め取っていく。しかし軍といっても人間の集まりである。島田の気骨を知る人物がおり、島田と同じような気骨の持ち主もいた。勿論県庁職員にもいた。島田は悪徳政治家やヒラメ官僚以外には人気があったのだ。おかげで県民の北部への疎開などの課題がスムーズに実施できたというわけである。
多くのエピソードが語られる中で中央政府がどうして沖縄を救えなかったのかを考えた。講和を口にしただけで身柄を拘束し場合によっては銃殺した東条英機が権力を独占した結果、戦争を集結させる勢力は発言力を失ってしまった。兵站のできない日本軍は物資が豊富で兵站も十分なアメリカ軍には絶対に勝てないと知った勢力が東条を追い詰め、東条は1944年に内閣を総辞職するが、既に遅きに失した感がある。
中央政府が島田叡のような気骨のある官僚を重用しあるいは昇進させ、重要な地位をすべて占めていたら、軍による政治支配が果たして可能であったかどうか。しかし明治維新の富国強兵政策は昭和になっても依然として続いていた訳で、その政策を否定することができたのは反骨の官僚と政治家だけだったのかもしれないが、島田叡がひとりの官僚として、あるいは沖縄県知事としてできることは限られていた。そんな中でできることを精一杯やった勇気は評価しなければならないと思う。