「この作品は、このヒロインに尽きる」1秒先の彼女 mark108helloさんの映画レビュー(感想・評価)
この作品は、このヒロインに尽きる
かなり特殊な設定で、設定については後述するとして、なんといってもこの映画、ヒロインのリウ・グァンティンの魅力なくしては語れない。この手の設定では単純な可愛い、美人では務まらない。その魅力を奥底に秘めて、表面上はお茶目でドジな女の子でなければならないが、まさにワンシーン、ワンカットではっとさせられる神がかり的な表情と、絵画のような美しいアングルを持ち合わせなければ鑑賞者の感情移入を引き出すことは不可能である。その点このヒロインは完璧な適役である。作品の終盤にはその美しさと愛らしさに我々は虜になっているはずである。
さてそれはそれとして、この作品のかなめであるSF的設定であるが、この設定少なくとも近年ネット小説などの安易な設定にはよく登場するものの、心あるクリエーターはなかなか採用しにくくなっている。と言うのは、この設定、手塚治虫が1961年に連載を開始、同時にNHKでタイアップで実写放映された「不思議な少年」が最初であったと記憶するが、若手の科学評論家やSF作家の卵たちからその設定のおかしさを数多くの指摘を受けたからだ。子供だましと言ってしまえばそれまでだが、そこはここ日本の凄いところで、こういった細かいことに突っ込みが入るいい意味でも悪い意味でもメンドクサイ時代ではあった。ただこれが日本のサブカルに世界に類を見ない深みを作ったことは言うまでもない。話を戻そう。何が問題であったか?時間は確かに止まったと言う設定だが動作の止まった人々は息をし、風も吹き空気は流動し日も暮れるのである。これでは時間が止まったとはとても言えない。その為日本のSFは「エイトマン」や「サイボーグ009」で見るように加速装置を作った。これはこれで物理法則を納得させるのには一苦労いるが、まだ人だけが止まって見える状態を説明しやすい。この観点から時間を預金して金利が付いた特殊な選ばれた人間が周りが止まって見えるほどのスピードで動く事が出来る亜空間を獲得したと云う事になろう。
元々手塚の「不思議な少年」も手塚の「新世界ルルー」での主人公ロックがゲーテ「ファウスト」の一節からの引用である。のちに矢沢が歌う資生堂の「時よ止まれ」も実はこのゲーテから生まれていると言っても過言ではない。そしてまさに「時間よ止まれ、お前はいかにも美しい」がこの映画のテーマにもなっていくのである。ここまで深読みしないと単なる変態映画になってしまう。この文学性あっての最後のハピーエンドに我々は無理なく誘われるのだと言えよう。
最後にオープニングとエンディングに流れるグラスミュージック主題歌は70年代のアメリカやイギリスのネイチャーカルチャー、カウンターカルチャーの恋愛映画を彷彿とさせる。写真を素材にしたのもいかにも70年代風である。監督の意図するところがその仕掛けとして心地よくはめられていく感がある事を最後に付け加えておきたい。