夏時間のレビュー・感想・評価
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生活が描かれている
90年生まれのユン・ダンビ監督の長編デビュー作だが、とても心地よい時間と空間の作れる優秀な監督だと思った。少年と少女の姉弟と父が、夏の間、祖父の家に居候することになる。頑固な祖父とそりの合わない思春期の姉は恋人がいるが、なかなか会えない。さらに家に叔母も転がり込んできて、奇妙な家族生活が始まる。居心地は決して良くはないが、絶対にここが自分の居場所ではないと言い切れるほどに嫌なわけでもないという、奇妙な宙ぶらりんな感覚が全編に溢れている。この気持ちはなんと名前をつけたらいいだろうと戸惑う感情が描かれているのが本作の素晴らしい点だと思う。
特別なことが起きるわけではないが、なぜか匂いとともにずっと忘れない記憶となるような、そんな特別な雰囲気がある。古い家屋の匂い、庭の菜園の匂い、アスファルトの匂い、夏の汗の匂いなどなど、匂いが見える映画だった。
主義主張よりも生活の実態を細かく描く作品は好感が持てる。人の基本はやっぱり生活だ。
癒されたい時に~
…夏休み
父が事業に失敗し
小さい弟と三人で父の田舎へ
行くことになった
古いけど大きな家で庭も広い
階段上ると南側に広い踊り場が
あって足踏みのミシンが置いてある
昔風の家だけど壁がなくて
風通しの良さそうな家
…落ち着ける場所
おじいちゃんは無口だけど
常に微笑んでいるような感じ
幼い弟がやんちゃしても怒らない
そこへ父の妹が帰ってきた
五人で暮らすことになる
家の内に
ゆったりとした時間が流れる
何かが起こる訳じゃない
会話だけだけど
ほのぼのとした雰囲気が
家中に立ち込めている
…そんな中
弟が母と会うと言う
そしてお土産まで貰ってきた
大喧嘩になり
おじいちゃんが仲裁に入って
事が収まった
このときの姉の怒り方は
普通ではなかった。本当は姉も
母に会いたかったのだろう
甘えたかったのかもしれない
おじいちゃんのお葬式の時も
母がきても声を掛けることもなく
一言も話することもなかった
話したいのに話せない
何とも言えない感情が…
そして
おじいちゃんがいない
三人での食事
思わず姉が泣き出すシーンが
…印象的です
我慢していた感情が
爆発し噴き出した
おじいちゃんが亡くなって
…母も居ない空間
一気に寂しさが込み上げてきて
泣きがとまらない
多感に感じる年頃・・
階段の途中に扉がある
なかなか趣のある家
おじいちゃんが居なくなって
売りに出されてしまうのか
どこか懐かしさを感じる作品。
是枝監督の
海街ダイアリーに似てる様な
小津安二郎監督と言うよりも森田芳光監督でしょ
2021年3月26日(金)にユーロスペースで見た。
レビューはどうやら二回目のようだ。途中の顔の事を辛辣な表現として捉えられたようだ。身に覚えがあって、反省するが、何を反省して良いのやら?まぁ、良いか。
『ハチドリ』と比較されるが、『ハチドリ』は消されていない。ハチドリは漢江に掛かる橋の落下事故が途中挿入されていて、たまたまソウルへ行った時にソウルタワーから橋の落下した情景を見た。勿論、瞬間では無い。落ちたあとの情景である。しかし、なんか切ない情景だったと記憶している。
この老人は韓国の団塊の世代で1947年生まれで苦労しているのだと思う。日本の団塊の世代とはちょっと違うのだろうと感じた。そこは評価したい。
我が家は、親爺に黙って家を売っ払って、親爺を老人ホームへ入れた。散骨してから事後報告した。怒ってないと思う。
夏の葬式って暑いんだよね。記憶の限りでは我が家族もみんな夏。でも、悲しく無かったなぁ。だって当たり前で、次は自分だと思った。祖母だけ冬かなあ?祖父の時は葬式に出ないで、京都旅行した。京都北山の祖父峠で冥福を祈った、
最後だけ小津安二郎監督だね♥
小津安二郎贔屓
実家っていいなぁ。実家があるから、皆集まってくる。そう思って観ていたが、観終わると、おじいさんがいたから実家なのだと再認する。皆、意識はしていないが、おじいさんがいたから集まってきたのだ。主人を失った実家は、もう実家ではなくなった。その寂しさは、おじいさんが死んだ悲しみを、倍増させる。最後のオクジュの大号泣には、そんな思いが感じられた。
作品全体の様子が、どこか小津安二郎の作風を感じさせる。随所に現れるローアングルが、深みを醸しだす。この作品では、テーブル・椅子の食事風景がなく、全てちゃぶ台という所も、そう思わせる所以だろう。ラストの、一人号泣するオクジュのシーンで終わる余韻も小津風だった。何でも贔屓目に見てしまう。
繊細な少女から見た風景
どこかにいそうなちょっとダメな父親と叔母、どこにでもいそうな弟、老いてコミュニケーションが取りずらい祖父、特に何があるわけではないがどこかでありそうな日常を繊細な感性を持った思春期の少女目線で描いている。みんな家族はいい人なんだが、みんな少しずつずれているところがあり、少女はそれが少し気になる。役者の演技やロケーションなど、世界観は完成されたものがあり、その世界観を楽しむための映画。
これぞ思春期心理学映画
素晴らしく私好みの作品で、こういう繊細な作品が大好きです。
娯楽映画だけでなくこういう作品(しかも、1990年生まれの新人女性監督の長編デビュー作)を作れる韓国映画界の底力に圧倒されます。
よくデビュー作こそ、作家の最高傑作になるケースが多いと言われますが、本作もその類の作品であり、今後の映画史にこの作品名も連なるのであろうと思える作品でした。
ある思春期の少女の夏の一時を描き、その一時が永遠の様にも感じらる、その時期特有の感性が見事にスクリーンに写し出された作品でした。
その時期、例え周りに悪い人がいなくても、絶えず怒り・焦り・悲しみ・落ち込み・苛つき・不安・悩み・反抗心という感情に覆いつくされている少女に、遥か昔の自分の思春期が重なり合い、見ていてたまらなく切なく愛おしく懐かしく感じてしまいました。これぞ思春期の心情なのでしょう。
心理学で人間にはセキュアベース(安全基地)が必要というのを聞いた事がありますが、それが家族であったり家であったり場所であったりするのだそうですが、本作の少女にとってはまさに祖父の家がセキュアベースであり彼女を見守ってくれていたのでしょう。
役者は全て素晴らしかったですが、特に主役の少女役のチェ・ジョンウンが素晴らしく、心の機微がそのまま容姿に表情に現れていて(恐らく純粋な韓国美人となる顔立ちの)子供と大人のはざまの一番純粋で魅力的な時期の表情を、奇跡的に映画が切り取れた最高の瞬間だったのでしょうね。
懐かしくて、優しくて、切ない
夏のおじいちゃんの家、太陽の下の夏野菜、きょうだいの間の愛情や葛藤。
おじいちゃんとの思い出もないし、弟もいないのに、自分が経験したことのように懐かしく感じるのはなぜだろう。
母親と会って帰ってきたドンジュに対し、厳しく当たるオクジュ、2人に静かに対応するおじいちゃん。涙があふれました。そのあとの、きょうだい二人ですするラーメンのシーン、良かったなあ。
【”多感な少女は哀しいことが重なっても、涙で哀しみを洗い流し、過ぎゆく夏と共に、残された家族と”前に進む。””一夏のある家族の経験を、少女目線で描いた静謐で精緻な作品。】
ー 生きていれば、様々な哀しき事が起こる。だが、その哀しみにいつまでも囚われていたら、前には進めない。だから、哀しみを涙と共に洗い流し、前に進むのだ。ー
■感想<Caution! 内容に少し触れています。>
・静謐なトーンで物語は進む。
冒頭と中盤とラストには”昭和歌謡の様な”哀切な歌が朗々と流れるが、他にはドラマティックな音響は一切ない。
ユン・ダンピ監督が意図的に最小限の音にしているのだろう・・、と推測する。
・夏休みに入り、中学生(位かな・・)の少女オクジュは、弟ドンジュと、父と暮らしていた家を名残惜しそうに後にするシーンから物語は始まる。行先は独り暮らしのお祖父さんの家。
ー 母親はいない・・。ー
・今までの家よりはるかに大きなお祖父さんの家。二人は恥ずかしそうにお祖父さんに挨拶する。お祖父さんは、言葉少ないが彼らを迎え入れる。
ー 淡々と、淡々と、淡々と、物語は進む。ー
・日々過ごす中、オクジュとドンジュはツマラナイ事で喧嘩をしたり、叔母さんが転がり込んで来て賑やかになるが、叔母さんの夫が夜に押しかけてきたり・・。
その中で、観客はオクジュの父親が仕事で行き詰まり、妻と離婚したことを知るのである。
ー 淡々と夏の日々は過ぎていくが、小さな出来事の数々がキチンと描かれている・・。ー
・父と叔母さんが、具合の良くないお祖父さんを病院に連れて行ったり、面倒を見ているが、一方ではお祖父さんの家を売ることを考えている父。
ー 父が路上で打っていたナイキのシューズが偽物だった事、
弟が”自分達を置いて家を出た母親”と会って、お土産を貰ってきた事、
お祖父さんの家を売ることを考えている父の想いが分かり
心に堪った複雑な気持ちを激しい言葉で、口にするオクジュの姿が少し沁みる。ー
・お祖父さんの葬儀が終わり、それまで号泣していた叔母さんやオクジュの母親とお祖父さんの写真の前で、”普通に”食事をする”オクジュの家族たち。
ドンジュはふざけて踊りを始める・・。
お祖父さんの広い家に戻り、父とドンジュとたった3人で夕餉を囲んでいる時、不意に号泣するオクジュの姿。
ー それまでの様々な出来事、想いが緊張が解けた時に溜めていた感情が迸ったのだろうな・・。ー
<そして、翌朝、蚊帳の中で
”それまで、決して一緒に寝なかった弟”
と穏やかな表情で寝ているオクジュの表情が印象的な、静謐で精緻な作品である。>
<2021年5月16日 刈谷日劇にて鑑賞>
少女の葛藤
高校生?中学生?の少女オクジュと弟ドンジュは、父親が事業に失敗し、母と離婚したため、祖父の家(父の実家)に引っ越して来る。さらに夫と喧嘩した叔母(父の妹)までやって来て、5人が一緒に暮らすことになったという話。
オクジュに彼が出来て有名メーカーのスニーカーをプレゼントしたが、どうもニセモノらしく恥ずかしくなって回収しようとしたり、叔母さんと一緒にショーツを干してる時の何気ない会話、二重の手術したいと言い出したり、お母さんと会う弟を罵ったり、少女の葛藤が表現されてて興味深かった。
お母さんが出て行った過程も描いてたら良かったかな、って思った。
西日の射した夏の夕暮れ
父と弟とともに祖父の家で夏休みを過ごすことになった少女。たいして離れてはいないようなのに、疎遠な間柄のようで、ぎこちなく落ち着かない。
祖父が独り身というのが面白い。韓国映画のイメージでは、優しくて賑やかな祖母が出てきそうなものだが。姉弟の母親も離婚して、いない。
祖父の家でのまったりした夏休みの感じは、どこか懐かしい。特に、西日の射した夕暮れの感じ。吊るした蚊帳とか窓辺のミシンとか、古い日本映画の雰囲気もあり、監督が小津安二郎好きということがわかる。
無口な祖父が、夜中に一人で歌謡曲に聞き入っている姿を、少女が階段から見つめるシーンがいい。エンドロールを含めて、歌謡曲の使い方がうまいが、その辺は是枝裕和作品の影響か。
大きな出来事は起こらないが、ラストでは(予想したとおり)祖父が亡くなる。名状しがたい感情を溢れ出すような少女の慟哭が、胸に迫る。
観ていて、腹減った
淡々と進むホームドラマ。
大きな出来事は無いのだが、誰の心の中にでもあるような、記憶が掘り起こされる。
小津安二郎っぽい感じです。
出てくる韓国の食べ物(冷麺など)がメチャ美味しそうだった。
おじいちゃん帽子似合ってる。
めちゃめちゃ懐かしい気持ちになった。まるで自分の思い出かのようなこの情景が心底心地良い。
韓国。郊外の実家で3世代が過ごしたひと夏。姉と弟。兄と妹。父と子。祖父と孫。
両親の離婚で父親に引き取られた姉弟。難しいお年頃の姉。母を許せない。でも本当は会いたい。無邪気に母に甘える弟への嫉妬心。一方の兄と妹。もうお互いすっかり中年で、それぞれの家庭もある。どこか遠慮がちで深く踏み込めない。でもポロッと本音を漏らしてみたり。
本当に些細な表現が上手い。リアリティがあって映画としては地味だけど食い入るように観てしまった。
なによりおじいちゃんがいい味出してる。結局この家族はみんな優しいのよ。
そんな優しさが詰まったラストシーン。間違いなく胸を打つ。ジーンときた。
コロナが落ち着いたら韓国行きたいな~。あの緑色の素麺みたいなの食べたい。近くて遠い国なんて言うけど、お互いの文化を大切に。人同士は仲良くしたいものですね。
ひたすら描いていく
説明がほぼなく、家族の様子をただひたすら描いてくのね。
「この人たちは何を思ってるんだろう?」と思いながら観てるの。なんとなく解る気もするんだけど、全然違うこと思ってるかもなとも思うの。
登場人物の誰も言わないけど「お金がないってツラいな」と思うのね。
それで色んなことが起きてくる。
最後は「主人公は成長したんだな」と思うんだけど、それを淡々とひたすら描くだけで作品にするって、スタッフすごいと思ったよ。
「はちどり」とはまた違う秀作
キム・ボラ監督の「はちどり」に続いて、新鋭の女性監督の・・・という言葉が、映画広告に付けられるわけだが、確かに主人公オクジュは10代の少女だし、「はちどり」のウニ同様、彼女も思春期で苛立ちを抱えている。ただ、どう考えても、オクジュの方が幸せだろう。父が事業に失敗し、オクジュは弟ドンジュ、父と共に広い庭のある祖父の家に引っ越す。その夏休みの思い出なのだけれど、父と言い、叔母と言い、二人ともどこか冴えないだけで、とても優しい人だし、弟も「はちどり」の兄と全く違い、ムード・メーカーでもある。だから、状況が全然違う。広い庭のある家がなかなかいい。「はちどり」の無機的な団地と対照的だ。「はちどり」はカメラワークや省略の巧みさ、そして韓国のある時代を反映する事件を取り込んだことで、世界的に高い評価を受けたけれど、この「夏時間」も別の意味で秀作である。まだ30歳過ぎのユン・ダンビ監督は、堂々とした演出を見せており、演技も巧く引き出していると思う。「はちどり」を観ていいなと思った人も、あまりいいと思わなかった人も観てみるといい。少なくとも「夏時間」の方が分かりやすく、とっつきやすい映画だと思う。
(原題) 남매의 여름밤
思春期の女の子の日常を描いた、近くて面倒な家族のお話。
知らない家族の話だけど、知ることができる感情だった。忘れていた感情が蘇る素敵な映画でした。これは観て良かった。最近観た中で一番良かった。
家族と向き合う少女の心象を繊細にとらえた
韓国の女性監督ユン・ダンビの初長編作とのこと。
主人公の少女・オクジュは高校生なのかな。小学生らしき弟・オンジュと二人姉弟。父親が事業に失敗し、住む家を失い、祖父の家に転がり込んだ。
父は体の不自由な祖父に子供が夏休みの間一緒に暮らすと告げた。事情は告げなかった。
夫とうまくいかなくなった叔母さん(父の妹)も同居することに。
これはオクジュが家族と向き合うひと夏のお話。
ホント家族ってままならない。
決して尊敬することができない父に対する嫌悪、家を出た母に対する複雑な思い、時間とともに育まれていく祖父への温かい感情など、オクジュの心象を繊細にとらえた。
ラスト、観る我々は泣き止むことができないオクジュの気持ちを十分過ぎるほど知ることとなる。おそらくそこにいた父や弟よりも。
未練… 良いです!
思春期の多感な時期に両親の離婚で母親を失い、近しい存在の叔母もまた夫婦関係の終わりを迎えようとしている。
高齢の祖父は、妻に先立たれ寂しい一人暮らし。そして、その祖父の死。
家族としての幸せの形が少しずつ崩れていくのだけど、最後に流した少女の涙は、やはり母親に対する郷愁が大きいのだろうと感じた。
劇中何度か流れる「未練」という歌謡曲の歌詞が、登場人物の心情と上手くリンクしているように感じられて、それを笑みを浮かべながら噛み締める祖父と、階段でひっそりと物憂げに聴き入る少女という場面は、この作品のハイライトだったと思う。
母の実家で過ごした夏休みを思い出す
初長編とは驚きの堂々とした一編でした。韓国映画って本当にすごいですね。
動も静も、関係ないですもんね。いやはや素晴らしいです。
なんだか思い出します。初めて親の実家に遊びにいった時を。ハードな家庭環境ではありませんでしたが、見慣れない間取りに、見慣れない部屋の中。仲良く話せる人は姉だけ。親含め大人がいなくなった夏休みの昼間は、ずっと姉と遊んでたなぁ。まったりと、ボーーーっとしてたあの昼下がり。
あーーーでも、親戚の家じゃなくても、夏休みの昼は姉がご飯作ってくれたなぁ〜。
なぁんてことを思い出しながら鑑賞してました。
丁寧に丁寧に紡いでいきますね。本作。
この幼い姉弟の心細くなっている気持ちに寄り添うように。
背伸びを始めた子供の姉、まだまだ子供真っ最中の弟。
なかなかハードな状況になっている家族が父親の実家で過ごす夏休み。
寂しい理由での住環境の変化がもたらす子供(お姉ちゃんの方)の変化、自覚・・・かな?
やるせない、うまくいかない、納得いかない、しっかりしないと、母親許せない、でも寂しい、早く大人になりたい、親、親ってなんだろう?おじいちゃんって何・・・?家族ってなんだろう?
そんな葛藤が描かれている優しく流れていく時間の中で語られていると思います。
セリフで語るのではなく、日常の切り取り、行動の切り取りで見事に。
経験を重ねると人間は成長するとはよく言われますが、きっとそれは間違いないと思います。
貴重で忘れられない大事な経験をした夏休みになったのでしょう。
車のリアシートで制服に身を包んだ幼い姉弟。
姉の仕草にそれがあらわれていたかな・・・?
押し付けじゃなく、饒舌じゃないけど、雄弁に素敵な人生における夏のひとときを描いている秀作です。
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