「【何者かという問い】」心の傷を癒すということ 劇場版 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【何者かという問い】
安さんの趣味の音楽に国境はない。
だから、ジャズを演奏することに惹かれたのだろうか。
だが、民族はどうだとか、国籍はなんだとか、突き詰めると実は曖昧なことが多いのに、帰属や、こうした分類が重要だと考える人はいる。
オリンピックは、アスリートが競う祭典のはずが、国威発揚目的で過度に力を入れてる国もある。
ラグビーワールドカップのように多国籍で戦うことに異論を唱える極右派の人のコメントを聞いたことがあって、なんと的外れなことを言うものだと思った。
こんなことを言っている自分だが、実際に差別的な扱いを受けて、自分は一体何者かと自問自答している人の気持ちをちゃんと理解出来ているとは思わない。
精神科医になった友人がいて、精神科を選んだことに意外だと思ったことがあった。
ただ、どこか深いところで自身で悩みを抱えているように感じたことがあった。
安さんも、在日と括られてしまうことや、親との葛藤を抱え、そして自分の心のと向き合ったことで、精神科医療に興味を持つようになったのではないかと思う。
僕がPTSDという言葉を初めて聞いたのは、阪神淡路大震災の後だったように思う。
おそらく、安さんの尽力によるところが大きい。
その後、オウムのテロや、アメリカで起こったテロでも、多くの人がPTSDを発症していたと聞いたし、古いところでは、ベトナム戦争の米兵にも多くあったと読んだ記憶がある。
僕には、ニューヨークの世界貿易センタービルにあるオフィスで働いていたアメリカ人の友人がいる。
彼は少し遅刻気味に出勤する傾向があって、911のテロが発生した時は、地下鉄に乗っていて難を逃れたが、帰宅を促され、ハドソン川を船で渡っている時に、ビルが崩壊するのを目の当たりにしていた。
その後、彼は人が変わった。
笑うことがひどく少なくなった。
僕は、彼が無事で安堵したが、彼は、前日まで働いていたビルが消失し、何人かの友人を亡くしていた。
今はずいぶん経って落ち着いているが、おそらくトラウマのような感じだったのだと思う。
僕は東北出身で、実家は内陸の山側の方にあって、東日本大震災で親戚や友人、知人に亡くなった人はいない。
ただ、仙台に住んでいる友人や知人は、その友人を亡くしたり、家が全壊したり、親戚が運良く助かったものの、逃れたトラックの荷台ごと内陸まで津波で流されたという人がいる。
被災して大丈夫な人もいれば、トラウマを抱えている人はいる。
東日本大震災で友人を亡くした僕の友人のショックの受け方が、アメリカ人の友人と同じで、とても辛そうだった。
寄り添うことは大事だ。
ただ、忘れるというより、「より時間をかけて」受け入れさせてあげられるような環境作りは、もっと大切だと思う。
頑張れと声をかけるより、向き合う時間をあげる方が、今は大切だと感じる。
阪神淡路大震災は、衝撃だった。
火災も恐ろしいほど広がって、こんな災害があるのかと恐ろしくなった。
そして、今のコロナは大災害と同じだと思う。
大丈夫な人もいれば、そうじゃない人もいる。
肉親や友人など大切な人が、手を差し伸べてあげることができないまま亡くなったら、どう感じるだろうか。
安さんが、阪神淡路大震災で心に傷を負った人々に向き合った時に、相手の民族や社会的地位を考えたことがあるだろうか。
東日本大震災の後も、大きな地震災害は多いし、豪雨による災害も毎年のように、それも複数起こっている。
安さんの姿勢や生涯は、僕達に重要なヒントを与えてはいないか。
社会的地位を得た人でも心に傷を負うことがある。
手を差し伸べてもらうことだってあるだろう。
地球上で唯一、想像力を得たのはヒトなのだから、僕は想像力を可能な限り働かせて生きてみたいと思う。
そして、ヒトは、良い意味で、何者でもないと思う。
ヒトはヒトであるだけだ。