心の傷を癒すということ 劇場版のレビュー・感想・評価
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2本立て1本目。緊急時代宣言下にありがたい。だいたい映画鑑賞で感染...
2本立て1本目。緊急時代宣言下にありがたい。だいたい映画鑑賞で感染拡大なんて聞いたことない。負けるな!劇場関係者。 事前チェックで元はTVドラマと知ってたせいか、どうにもドラマ的に感じてしまった。いろいろ詰め込み過ぎて深さを感じなかった。 ただ我が街が舞台なのは非常に親近感。見ているこの劇場でロケしたんだと思うとそれだけでワクワクした。 「弱いことは悪いことではない」のくだりが印象に残った。
不安の安から、安心の安へ!
名前の問題は、自分のアイデンティティを1番表の部分で最初に表す部分であると思う。 在日韓国人の名乗りの問題もあるし、未だ夫婦別姓が使えない日本で特に女性が不便を強いられる問題でもある。 とても静かに、そして優しく、本質に迫る大切なことをたくさん教えてくれる映画だと感じました。 阪神・淡路大震災の日、東京で暮らしていましがそれでも、あの頃のことが数々思い出されました。 胸が痛んだけれど、痛む心はそのままでいいんだな。 強がらなくていいんだってことも安先生には教えてもらいました。 弱いってことは他人の辛さをより敏感に感じ取り相手に共感できるという良い面でもあるとは、気持ちが楽になりました。 あれこれたくさんやらない理由がある時は、やらない言い訳を探してるだけでやらない理由は何も無いのと一緒、そういう時はやった方が良いのだと頭がすっきり整理されました。 心の問題は、誰一人ひとりにしないこと。寄り添うだけで良いのだということも。 濱田岳がコンサートホール近くの階段で、柄本佑の横が特等席だと言うシーンも好きです。 辛い時に横にいてくれるだけでいいのです。 劇場はすすり泣き、鼻をすする音が聞こえ、観客もそれぞれの立場であの頃のことが思い起こされたのでしょう。 子どもたちの地震ごっこも心の整理のためなんだと受け止める優しさが好きです。 キックベースのシーンも素晴らしかった。 余談ですが尾野真千子とキムラ緑子は声も雰囲気も似ていて、嫁姑ではなく母子のようでした。 柄本佑と濱田岳が、子役を使わず、高校生の時のシーンから自身で演じたところもよかったです。 幼い頃から高校までは安田で、大学生の頃は不安の安と名乗っていたのに、いつしか安心の安と名乗るようになったことからも安先生のアイデンティティの良き変化を感じます。 そして子どものアイデンティティとなる、名付けも大切な部分。 終子さんの第1子が春子さんであったこと。春は始まりの季節ですからね。終子も春子もどちらも良い名前。 父が立ち会えず生まれてきた第3子の名前が、あかりちゃんというところが、希望の灯やルミナリエを思い起こさせてよかったです。 この作品は全ての人がそれぞれの立場で何かを感じれば良いのだと思います。 映画化されてこの作品をしる人が増えて良かったと思います。
一人の精神科医の心の動きを意外なほど軽快なテンポで描いた一作。
安克昌氏は、心的外傷後ストレス傷害(PTSD)の重要性を訴え、心もまたケアの対象であるという、現在となっては広く普及した考え方を提唱し、実践してきた医師です。本作は安氏の業績と言うよりも、その人物像に焦点を当てて描いています。 特に彼の大きな転機となった阪神・淡路大震災時の治療の様子は、派手なスペクタクルなどほぼ皆無であるにもかかわらず、非常に心に迫ってくるものがあります。この時彼が手探りで試みた心のケアの実践が、現在の災害に活かされていることからも、どれだけ彼の役割が大きかったかが理解できます。監督の安達もじりは、NHKの連続テレビ小説の演出家としての手腕を存分に発揮しています。ドラマ版では約200分だった映像を120分に再編集しており、カットが切り替わるといきなり時制がかなり飛んでしまう場面も多々という思い切りの良さ。それが良いテンポとなっており、鑑賞中退屈を感じるような隙はありませんでした。 主演の柄本佑は、芯は強いけど言葉の押しを抑制するという演技で、安氏の心の揺らぎを見事に演じていて、まるでドキュメンタリーを見ているかのような自然さでした。
【”阪神淡路大震災時、身命を賭して、被災者の方々の心のケアに尽くした精神科医が居た・・。” 天災が続く、現代日本における被災者のPTSD研究の基礎を築いた稀有な精神科医の物語。】
ー 今作の主人公は、精神科医だった、故、安克昌さんがモデルだそうである。この方は、阪神淡路大震災時の経験を基に、被災者のPTSDの研究に当たられていた。が、志半ばで39歳と言う若さで、癌で世を去られた・・。ー ■感想 ・”世に役立つ仕事につけ!”という父親(石橋凌:威厳のある男を演じさせたら、この人。ARBのロック魂は健在。)の反対を押し切り、精神科医になった安和隆(柄本明:淡々とした演技がとても良い。)は、終子(尾野真千子:不安を抱えながらも、夫を支える妻を好演している。)と結婚し、幸せな生活を送っていたが・・、阪神淡路大震災に遭う。 ー 父親の言葉に違和感を持ったのは、私だけではあるまい。精神科医は、ストレスが蔓延する現代社会では非常に大切な役割を持った仕事である。- ・自らも被災者なのに、妻子を実家に戻し、避難所で被災者たちに穏やかに声を掛ける安の姿。 ー 平成天皇もそうであったが、彼が被災者に話しかける時、常に同じ高さの目線で穏やかに語り掛ける姿が、印象的である。ー ・自らが、在日韓国人であることを、幼少期に知り、自分のアイデンティティーを模索しながらも、安の言葉は常に穏やかだ。彼が師として慕う医師(近藤正臣:もはや、名優の域に達している。)への問いかけの時だけは、彼の悩みが窺い知れるが・・。 ー 自分に厳しく、人に優しい方である事が良く分かる。ー ・常に肯定的に物事を考える、安さんの思想。 ー それは、大阪のおばちゃんが言った言葉に対し”その人も、きっと怖いんだよ・・”と言う言葉や、避難所で地震ごっこをして遊ぶ子供達に対し、怒るオトナに対し”子供なりのストレス対応なんですよ・・”と言う言葉など。ー ・安が執筆した本が賞を獲ったと知った時の、病に侵された父親が嬉しそうに表彰状を見つめる姿。 ー 息子は人様の役に立ち仕事をする男になったのだという喜びと、自らの写真を伏せるシーンは自らへの深い反省と、”後は任せた”という意思表示であろう。ー <阪神淡路大震災後も、日本は様々な自然の脅威 ー地震、津波、激甚化する気象、そしてコロナ禍ー に晒されている。 このような状況下、安さんのように終始穏やかな表情を保ち、被害者の側に立ち、心のケアが出来る人材は、今後も必要とされるであろう。 安さんの早逝が惜しまれる。> <2021年4月4日 刈谷日劇にて鑑賞>
すごく響いた
ドラマがやっていたことは存じ上げず、柄本さんの演技が見たくて、見に行きました。 作品中でいくつかあった心に残った言葉の中で、「やらない理由がたくさんあるなら、ないのと同じ」という言葉がありましたが、映画中は理解できたのですが、今になって考えると「ないのと同じ」というのがどういう意味だったのか思い出せないので教えていただきたいです。(理解力がないのが悪いのですが、すごく気になるので教えていただけたら嬉しいです) ドラマのダイジェスト的な感じだと聞きましたが、もっと詳しく見たいのでドラマも見たいと思います。 安先生は柄本さんだからできる素晴らしい役だなと思いました。
安先生の人生に深く感銘を受けました!
ドラマ放送時に心を掴まれ、毎話、心震わされた1人です。
安先生にまた会いたいなぁと思い、鑑賞へ。
4話をまとめたとのことでしたが、駆け足な感じは全く無く、2時間飽きることも無く堪能しました。
途中入院した辺りから、こんな場面あったっけ??というシーンが多くて、だからこそ新鮮な気持ちで観れたのかもしれません。
バチが当たったという大阪のおばちゃんや、地震ごっこをしていた子どもたちへの先生の解釈が優しいんですよね。本当に心優しい人だなぁと。
ドラマで好きだった、避難所の学校の校長先生が、仮設住宅で米が無くなったら死のうとしているその寸前に、お隣さんのイカナゴのくぎ煮の差し入れに救われるシーンがカットになっていたのは残念ですが、その分、安先生の最期の日々をしっかり描写できていたのでは無いかと思います。
出てくる俳優さん全てが素晴らしいのですが、やはり柄本佑さんの優しげな口調、佇まい全てが良かったです。
人の心は弱いからこそ、押し潰される前に、どこかの誰かの心が救われますように。
そう願わずにはいられません。
瓦礫の山を前にした人達が、その後どう生きたのか。
阪神・淡路大震災の衝撃の凄まじさは、震災そのものの被害の大きさもさることながら、日本が抱えている問題をも、私たちに突きつけました。 震災の甚大な被害を7時間後に知った総理大臣ってのは論外としても、政府対応の酷さや、自衛隊が被災地での本格的活動開始するのに3日を要した事。震災の8時間後には救援体制を敷き終わっていた米軍空母インディペンスの受け容れの拒否。 救助活動に必要なハードの決定的な不足と運輸手段の問題。レスキュー・医療の人的資源の不足。災害報道の在り方。犯罪と問題行動。 そして復興。 震災の教訓を活かして変化したところ、何の進化も無かったところ、むしろ退化したところは、東日本大震災の際に明らかになります。 PTSDなんて言葉が一般的に知られるようになったのは、阪神淡路大震災の後の事。つまりは、被災者の心の傷を癒すという事の意義・重要性が一般的に認知されていない時代に、被災者の心に寄り添って生きた安先生には、頭の下がる思いです。 安先生の人柄の描写、全般的に抑え気味で間を大切にした演出が好き。震災遊びを止めさせるために、グラウンドを「片付けた」人たちの心は、この時点で前を向いてるんですよね。 立ち上がって、前を向いて、歩き出す人々。 その支えとなった安先生自身が、心の傷を癒すという事の意味を知るのは、死の直前の事。「独りぼっちにしないという事」は、心の傷を癒すという事。「あなたは独りぼっちだ」と、過剰に騒ぎ立てて傷を付けて回る人が闊歩している世の中に御座います。「傷を癒す」とは、どんな行動を言うのかを、この映画は教えてくれます。 NHKのドラマの総集編だってことで、大して期待はしてなかったんですが、結構沁みてしまいました。 良かった、地味に。 沁みた、相当。
柄本佑が素晴らしい
精神科医の安克昌氏が阪神・淡路大震災時に被災者の心のケアを実践した著書を原案にNHKで放送された「心の傷を癒すということ」の劇場版。 安和隆(柄本佑)は自分が在日なのを小学生の時に知ってから、人の心に関心を持つようになり、医学部に進み精神科医となる。 映画館で出会った終子(尾野真知子)と結婚し子供も産まれた幸せな生活を送っていた時、大震災に遭い、避難所などで被災者たちの心の傷に苦しむ人々に寄り添いそして・・・という話。 医者と言うとつい外科など手術で病気を治す事を想像するが、体の傷と同様に心の傷も手当が必要で、安先生の一言一言が心に沁みた。 NHKでの放送を再編集した様で、所々唐突感が有ったが、本質は外してないと思う。 主役の柄本佑、尾野真知子他、近藤正臣など素晴らしかった。
心に残る映画
すっっごい良い映画だったよ…。NHKでやってた時は結局見れなくて、でも劇場版に再編集されたと聞いて意気揚々と観に行ったけど、最初から最後まで良かった。 実在の精神科医・安克昌先生の著書を元に映像化された作品。幼少期に知った自身のルーツや、精神科医に進むきっかけや思い、後に奥さんとなる終子さんとの出会い、家族が出来て精神科医として働いていた安先生たちが住む街・神戸を襲った大震災。私のような勉強不足の人間が立ち入れないところも多々ありますが…丁寧に作られていて繊細なんだけど映画としても見応えがあり、飽きさせない面白さや展開、キャラクター一人一人の個性や悩みや思いが本当に良くて、こういう映画に出会える自分は幸せだなあと終始ジーンときてしまいました。 柄本佑演じる安先生、実際の安先生には会った事ないけど、なんか凄くリアルな気がした。そして単純に柄本佑いつもながら演技上手すぎです。勿論終子さんを演じた尾野真知子も。とても良かった、大好き。2人の映画館での出会い方最高よ、私もそんな風に異性と出会ってみたかったよ笑。 今思い出しても涙が溢れそうな映画だったな。平和に生きている私だからこのような感想を書くんだと指差されればそれまでですが、好きか嫌いかって言ったらこの映画大好きだよ。兄ちゃん役としても出演している森山直太朗の歌、名曲過ぎる。とても良い作品でした。
編集は大胆でも、内容は繊細。
テレビドラマを見そこねたため、満を持して劇場へ向かう。 ダイジェスト版ともとれるやや駆け足の展開ではあったが 本質を損ねることない仕上がりなのではないかと推測する。 泣かせにかかるような わざとらしさのなさにむしろジワリと感動させられた。 主人公は著名な人物であったが、「特別」を感じさせない演出に 物語は誰にも起こり得る、ごくごく平凡な物語ではないかと感じて止まない。 だが、ありふれていながら呼び起こされる感動という「特別」感こそ、 主人公の人生のなんたるかを代弁しているようで尊く感じる。 それがさりげない優しさのようで、 その主人公でありながら主人公を譲るような振る舞いに 寄り添うことの気配を感じ取ることが出来た1本だった。 古くから京阪神に住まう者としては、あの頃の神戸感もまたぐっと来た。 榎本佑さんという俳優さんの良さも知れて、なお良きかな。
編集が力業過ぎませんか??
同じNHKのドラマを映画館で公開するようにリサイズした『スパイの妻 劇場版』というのがあったが、『スパイの妻 劇場版』は、もともと2時間ドラマとして製作された1話完結作品であって、ドラマというよりテレビ映画といったところだが、今作は約3時間ある全4話のドラマを2時間に凝縮している再編集版である。 アニメの再編集版で劇場枠がとられる中で、ドラマまでやらないでもらいたいというのもあるし、本来、2時間ドラマで収めることができないから、連続ドラマとするのではないかと思うのだが、案の定、無理やりな編集感がどうしてもしてしまう。 少し話が脱線するが、最近「劇場版」というワードが乱立している気がしてならない。『劇場版・打姫オバカミーコ』『劇場版 殺意の道程』は編集版であるが、『劇場版ポルノグラファー プレイバック』『劇場版 江口拓也の俺たちだって癒されたい! 大阪の旅』は劇場用新作であったりする。編集版は「劇場版」ではなく、「劇場用編集版」としてほしい。 話を戻すと、今作の放送版は観ていないのだが、それでも「ここ大きくカットしてるな」と思わせるほどの大胆な力技編集がされていて、必要なシーンも削られている感じがしてならない。ダイジェストを観ているようで時代の流れやキャラクター達の関係性の構築が省かれてしまっていて、学生だと思っていたら、次のシーンでは医者になっていたりして、かなり違和感を感じてしまう。もし放送版もそうだとしたら酷い構成の作品なだけに、放送版ではそうでないと信じたい。 あと濱田岳は童顔ではあるけれども、流石に高校生役はもう無理ですよ… 作品自体は、在日韓国人差別から逃れるため、名前を偽ってきた子供時代から阪神大震災前後、そして自身の癌が発覚し、闘病しながら診療して息を引きとるまでを描いた安克昌の人間性が構築されて、その光が消えるまでを描いた、まさに伝記映画である。 震災で多くの命が失われ、家族や友人、恋人を亡くした者たちの心の痛みや損失感、無事でいた人たちも脳裏から離れない恐怖心は、なかなか癒えるものではないが、残された人間はこれからも生きていくしかない。廃人のように生きる気力を失ってしまったとしたら、亡くなってしまった人たちは悲しむに違いない。そんな負の連鎖を完全に断ち切ることなんて無理かもしれないけど、自分にできることをやるしかないと奮闘する安の姿は、精神科医どうこうではなく、医療従事者の鏡であるようにも感じられる中で、安自身も弱い部分が見え隠れすることで、医師であっても一人の人間であることに限りなく、医療技術や知識以前に人と人とが支え合うことの大切さを描いているようでもあった。 だからこそ、エピソードのひとつひとつが大切な作品や安の心情の変化、成長のメリハリであるように思えるだけに、編集の荒さがどうも目についてしまう。 なんだか芸能界の裏の癒着や圧力を感じないでもいられない、柄本家の長男ではあるが、父親の柄本明の分かりやすいコミック的演技に比べて、地道に俳優の道を進んでいるて、今作でも自然体で正に「普通の人」である。「普通の人」でも、むしろだからこそできることを描いているだけに、はまり役である。
心の傷を癒すということ
ある精神科医 の人生のお話。 普通のドラマに見えますが、随所に 心の傷を癒すということがどういうことか、ちょっとした行動などで見えます。 とてもいい映画でした。 ドラマだったということですが、普通に映画として撮ったものみたい。スケール感もちゃんとしてます。 受賞作品ってことも納得できます。 映画館でいい作品に出会えてよかったです。 役者さんってすごいですね。 自然な関西弁で、すんなり入ってきました。、
少し遅くなりましたが、こちらでも公開されていました。
今年33本目(合計100本目)。 ※ 今日(2/13)、なんばシネマパークス、何かバグってたんでしょうか…。「私は告白する」に大量の列ができたり、電光掲示板は無茶苦茶な表示になってたり、変な状況だったようです(機材トラブル?)。 ============== ▼ この映画は、内容の性質上、炎上する要素を若干含みます。 映画の内容に関して「のみ」論評するのであり、それ以外のことは考慮しないので、よろしくお願いします。 ============== さて、もとはNHKで特集されていた内容を映画化にあたって取捨選択して作った映画になります。その関係で、もとのHHKの特集などを見ていれば、あまり見ることはないのかな…とは思いますが、このドラマとてそんなに多くの方が見ていたわけではないですし、特に日本では自然災害が多い国です。その自然災害の最たる例は台風や豪雨ですが、ついで地震です。自身といえば今回扱われた地震や、東日本大震災などがあります。そして今回扱われていたこの時期は、今でいうスマホやパソコンなどもまだまだであり、手探りだったわけです。その中で大震災が起きたため大混乱してしまったわけです。 こんな中、色々なお医者さんや看護師さんが協力要請によって生きている方のお世話になることが多いですが、お医者さんの中でも性質上、内科や整形外科専攻の方が多いです(もっとも、日本の法律上、医師免許さえ持っていれば、内科でも心療内科でも見ることは可能)。確かにそれは「まだ生きている人がいるかもしれない」「避難場所で実際にエコノミー症候群を起こしている人がいる」ということを考えれば至極当然なことですが、一方で精神科・心療内科による心のケアはこの当時ころから言われ始めた(どうも、実在のこの方の活動によってこの考え方が当たり前になったよう)ので(ほか、PTSDなどの語なども、彼の活動から生まれてできた語だと言われる)、大規模災害においてもちろん内科・整形外科の方の熱心な活動があることはよくわかりますが、それと同じかそれ以上に、「いつ余震が来ると怖い」と考える避難者の観点からいえば、心療内科・精神科の立ち位置は非常に今では高いです。それが兵庫の地震の時はまだ黎明期的なところがあり、その活動が認められ、東日本大震災などでは実際に生かされています。その「前例を作った」という点については大きな良い点と言えるでしょう。 減点要素は特にないと思います(実話ものなので、あることないこと書くとおかしくなる)ので、5.0としています。
もはや時代遅れなのだろうか
腰が痛くてペインクリニックに行くと、結構な混み具合である。世の中には身体に痛みを感じている人がこんなに沢山いるのだと少し驚いた。この経験から考えると、心療内科や精神科を受診する人も結構いるのではないかと思った。 本作品は精神科医の人生の話である。精神科医の中には悪徳医師もいて、患者を長期間に亘って閉鎖病棟に強制入院させる事例が数多く報告されている。しかしもちろん大半の精神科医はまともな人間であり、恣意的に強制入院させることの出来る制度を悪用することはない。 本作品では主人公の安医師を演じた柄本佑の演技がとにかく秀逸。コミュニケーションが上手くいくかどうかは言語による部分が15%で、残りの85%は非言語の部分だと言われている。精神科医に求められるのはこういう態度、話し方、声のトーン、表情なのだろうなと納得した。 強制感がない、威圧的でない、急がせない、説教臭くない、落ち着いて穏やかな聞き取りやすい話し方である。こういう話し方は普通の人は相当訓練しないとできないと思うが、俳優柄本佑の演じる安医師はいとも簡単にお手本のような話し方をする。在日であることなどとうの昔に超越している。安は不安の安ではなく、安心の安なのだ。 NHKは「国民の皆様のNHK」から「アベ様のNHK」に変わってしまってからは、基本的に見ないことにしている。しかし優秀なテレビマンはまだ残っていて、時々こういう優れた番組を作る。 河島英五が謳った「時代おくれ」(1986年リリース、作詞:阿久悠)に次の一節がある。 「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、人の心を見つめつづける、時代おくれの男になりたい」 安医師のような人間は、もはや時代遅れなのだろうか。
面白い映画でした
ワンチャン貸し切りかな?て思ってたんですが、案の定貸し切りでした。 安先生の人生と共に心のケアについて学べる良い映画だったと思います。 在日問題についても触れていたのですが、「在日韓国人は日本にも韓国にも居場所がない」って言うのが頭に残っていますね。 良い映画でしたが、映画館で観たいとは思いませんね。 DVDとかでいいと思います。 あと何でこんなに評価低いんですかね? 在日韓国人の映画だからでしょうか? だとしたら最低ですね。 ちゃんと観てから評価すべきです。
地味な割に飽きさせない巧い構成
原作は未読。在日韓国人の精神科医が幼少期から医師となり地域で活躍する姿を描いた実話ベースの物語。 精神医療の現場の話がメインなのかと思いきや、安先生のルーツやアイデンティティ、奥さんとの出会い、家族との関係といった部分が意外と多かった。それは嫌なことではなく、逆に安先生の人となりが丁寧に描かれていてとてもいい効果になっていたと思う。 被災地での活動や実際の診察場面なんかの描写が物足りないのは精神科医の難しいところ。そこがどれだけすごいのかなんてのはたぶん映像化できないんじゃないかと思う。外科手術とかは速い!正確!判断が的確!とかを表現しやすいけど、精神医療ではこんなアドバイスしたから劇的に改善した!なんてことは起きそうにない。だからこそ安先生の人柄がポイントなわけで、いろんなことに誠実に向き合い、精一杯生き抜いたということが十分に伝わってきた。 地味でおとなしい話なのにテンポよく進み飽きさせないのは素晴らしい。説明的なシーンでの場面転換(年数の経過や阪神大震災発生、父が亡くなるシーン、子どもたちの成長等)がとても上手で観やすかった。 それにしてもヤクザと家族に続いて、尾野真千子がいい役を演じていた。今年は彼女の当たり年なのか?
心の傷を癒すには
阪神淡路大震災で奮闘した実在した精神科医がモデルの物語。大げさな演出や台詞を極力排除し、リアルな表現にこだわった作品だと感じた。一つ一つの表情や台詞がじわじわと心に沁みてくる。 心の傷を癒すことは、精神科医だけができることじゃない。自分にもできることなのかもしれないと勇気をもらった。感謝。
セリフだけで癒された
眉間のシワをそっと取り除く、そんな語りかけに癒された。 人生の中で誰もが卑屈になったり、攻撃的になる事はある。 そんな時は、安先生の語りかけを思い出したり、誰かにも語りかけられる様になりたいと思った。 心のケアをする立場ではないが、生きていく上でのヒントをもらった。
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