サウンド・オブ・メタル 聞こえるということのレビュー・感想・評価
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中途で聴覚障がいを受け入れざるをえない過程をリアルに描いている
障がいを負って、その障がいを負担に思い、拒み、悩み、逃れようとするのが普通。しかし多くの場合は、病気と違って治らないから障がいとされているのであり、よしんば治す手立てがあったとしても元の状態にはまず戻らない。よって心の持ち方からはじめて、心身共に健やかな生活を送るには、障がいを受け入れる必要がある。障がいがあっても、自分で自分を幸せだと思える生活はできるのだと。「障がいは不便ではあるけれど不幸ではない」
しかし、簡単なことではない。映画はそこを描いている。できなくなること、失うものは覚悟しなければならない。それまでの積み重ねたものを一切破棄するこを強いられたりもする。そんなことをしてまで、その先の人生に意味はあるだろうか、と思い悩む。しかし、それしか道のないことをやがていやおうなしに悟る。
障がいには先天のものと中途のものがある。この軌道修正は中途の場合に強いられる。また聴覚障がいの場合、障がい者の人数が多いため、聴こえない社会、聴こえない文化というものができあがっていて、健常者の世界と隣り合わせに存在している。手話はその地の国語に依存しているが、言語が違えば文化は多少異なってくる。つまり、新たな人生のはじまりであり、生まれ変わることを強いられる。映画はそれを描ききっている。
トレーラーに住んで各地でドラムを叩く暮らしが、個人的にはそれほど魅力を感じなかったので、主人公ルーベンの悩みについていけなかった面はあるけど、本人にとっての大問題は、しょせん本人にしかわからないもの、という「孤立して闘わねばならない辛さ」はよく伝わってきた。
乗りこえたら楽になるのだろうけど、障がい以前の幸せが、大きければ大きいほど足をひっぱりそうである。戻りたかった暮らしがもう戻れそうにない感じに壊れていった点が、ルーベンには救いであったかもしれない。ときに絶望は、つぎの希望を導きもする。ルーベンは強引に障がいを打ち消そうともがいたが、前を向くことだけは外さなかった。だから最後の最後、絶望の向こう側に足を踏み入れることができた。よい終わり方だっと思う。
さすがアカデミー賞の音響賞・編集賞受賞作品。
障害受容というテーマ
音映画
未だ完治は難しい。。。
日本語字幕の内容、タイミング、配置、書体に、関心!
画期的な主人公の表現
【映画のタイトル】
この作品は、観終わった後に、タイトルの意味を再考することになる。
ルーの助力のかいあって、薬物依存から脱したルーベンが、今度は、聴覚障害に陥り、ルーの助言や、施設のスタッフなどの協力もあってだが、絶望から立ち直っていく姿に胸が熱くなる。
演出も、観る側に、聴覚障害者の感覚を知らしめるようにしていて胸が苦しくなる。
前に、人間の耳は非常に微妙な調整を知らず知らずのうちに行っているという、人体の不思議をテーマにしたテレビ番組を観たことがあった。
騒音の程度にもよるが、聞きたいものを優先して聞くことが出来るような調整を行っているという話を含んでいた。
ただ、これは、聴覚という耳に関するところではなくて、聴覚をつかさどる脳の機能がそうさせているということだったように思う。
仕事に集中して、周りの音が気にならなくなるのも、そのうちの一つかもしれない。
(以下ネタバレ)
この作品は、ルーベンが立ち直る姿に心が打たれるが、個人的に衝撃だったのが、ルーベンがインプラント装着後に聞こえる音の感じた、金属音の集合体のようだったことだ。
この映画のタイトルは、実は、このことだったのではないかと考えた。
技術が進歩し、改善されると、こうしたことは解消されるのか、インプラント装着後に医師が、数週間で慣れると言っていたと思うが、時間が解決することができるのか、多少なりとも、ずっと金属音的な感覚は残るのか分からないけれども、聴覚障害の人は、こうしたことでも悩みを抱えるのだと認識させられた。
この作品は、敢えて、こうあるべきだとか、これだという答えを示してはいない。
その代わり、当事者が、様々な葛藤の末、いかなるチョイスをしようと、聴力が普通である僕達にも理解し、考え、そうした選択を、なんであれ、受け入れて欲しいというメッセージなのではないかと思った。
技術が進歩すれば、人が陥りがちな、簡単に、誰もが、それを利用すれば良いじゃないか。そして、健常者のように生活すれば良いじゃないか。それが、社会の負担を減らすということだ…みたいな近視眼的考え方に一石も投じていると思うのだ。
そこに希望がある限り
恋人と2人、メタルミュージシャンとして活動する主人公ルーベン。しかしある時、急に両耳の聴力が落ちてしまい、すべてが変わってしまう所から始まる物語。
初めは自棄をおこすルーベンだが、難聴者のコミュニティに入ってからは、少しずつだが変わっていく。
大きな絶望と少しの希望の狭間に揺れながらも、諦めないルーベンの姿と、笑顔で過ごすコミュニティの皆には本当に勇気をもらえる。
父親は嫌な奴だった。対して、たとえ聴力を失ってもルーベンの事を思い続けた彼女。やはり、心から大切な人がいるというのは良いものですね・・・。
決して望んだ通りの結末ではなかったが、厳しさと物悲しさ、そして僅かな平穏を感じられるストーリーに胸をうたれた作品だった。
私自身、ルーベンとは比べ物にならないが、耳に問題を抱えており、途絶えることのない耳鳴りと生きています。
突発性難聴と言うお医者さんもいれば、メンタル的な問題と言うお医者さんも。中には、魔法じゃなきゃ治んないよ、と揚々と言うのもいました。
今でも不安になることはありますが、本作を観て、現実を受け入れつつも希望を求め続ける大切さを学びました。
ルーベンのような、素直さと強さを持った男なら、きっと大丈夫ですよね!
聞こえない事とは、、、
音の使い方がとても素晴らしい! サブタイトルの「聞こえるということ」を上手く表現していた感じ。
ドラマーのルーベンが突然難聴となり、その苦難を乗り越えようとするストーリー。
彼女のルーに紹介された聴覚障害者のコミュニティーで障害と向き合う中、高額な費用をかけて聴覚を取り戻そうとする展開。
コミュニティーの運営者が「障害は治すものでは無く共有していくもの」みたいなセリフに考えさせられる。
ルーベンは何とかお金を工面して手術により聴覚を取り戻すんだけど、彼の聞こえる聴きにくい音がかなりリアルな感じ。
聞こえる音がこもってたり高音だったり、途切れ途切れな感じ。
劇場のスピーカーから聞こえるその音がかなりのストレス。
この表現方法は新鮮で良かった。
odessaと言う音響の良いスクリーンで観たのでドラムのサウンドに期待したけど演奏シーンは短め。
逆に街の騒音や風の音がかなりリアルな感じで臨場感はかなりあり。
ラストは呆気なく終わってしまった感じは残念だったけど自分的には良作に認定(笑)
主役のルーベン。
難聴になった直後はかなりネガティブな感じだったけど、コミュニティーで子供達と楽しくしているシーンが微笑ましかったです( ´∀`)
聞こえるということ、聞こえないということ
両方を実感する。
実際に耳が聞こえなくなったことが無いので、聞こえないということの心情は計り知れません。
こちらの作品は不穏と平穏が対になっています。
過去にジャンキーとメンヘラだった二人が、お互い支えとなり健康的な生活を送る。
これは分かりやすいかたちの不穏から平穏。
耳が聞こえなくなり、音楽と彼女との二人の平穏な生活が終わり、聾唖者としての不穏・不安なコミュニティの生活が始まる。徐々に慣れコミュ生活も上手くやっているように見えたが…
静寂が不穏から平穏に変わるラストが印象的。
最初、爆裂のメタルバンドでスタートだったので、
DISTORTION
トレーラーハウスに住み彼女と2人でプロのバンド活動をしている男が、突然失聴してしまう話。
ベードラドコドコの心地良い振動から始まり、何だかヤケに健康的カップル?と思ったら彼女はリスカ痕バリバリメンヘラガール?
耳に異常が表れ始めるとあっという間に70~80%失聴し、知人だかエージェントだかを通してグループ治療を紹介されて…。
音楽を生業にしている主人公にとって失聴は致命的。
しかも治療に際し彼女も心配だし、自分にも依存症が。
少し尖った感じもある主人公が自分の出来る最善策を模索しつつ変化して行く様や、そこに立ちはだかる壁や落とし穴、そして希望も…。
決してハッピーエンドではないけれど、彼なら大丈夫とも思える終わり方で、少しは希望もあったのかな。
タイトルのもう1つの意味
ルーベンがドラムを叩く爆音の世界、耳鳴りとともに音がくぐもって聞こえる難聴の世界、そして全く無音となる失聴の世界。音響設備が整っている劇場だからこそ、その違いがはっきりわかる。
そしてもう一つのメタル(金属)の音。メタルミュージックは僕にとって刺激的で心地よい音だが、本当の金属音となると話は別。高音でキンキンとするノイズが、ずっと耳に入ってくる世界があるとするならば、とても耐えることはできない。人口内耳という装置を初めて知ったが、まだまだ攻殻機動隊のようにはいかないらしい。
支援団体のリーダーであるジョーが語っていた言葉が心に残った。「失聴はハンデではない。そして治すものでもない。」憐れみ目で見ること自体が差別である事を思い知らされる。団体が運営する学校では、耳の不自由な子供たちも教師も笑顔で日々を送っていて、ヘレンケラーの名言「不便だが不幸ではない」を思い起こさせる。
ルーベンのその後の物語は想像するしかないが、コミュニティで得た経験をもとに聴覚障害者が体感できる音楽を作っていくのだと思う。
まさにフクロウみたい
私は、聴力を失った男性が、元には戻れず、
彼女とも別れ、インプラントの手術をしたものの結局は聞こえない世界で生きる姿に、元には戻れなかったと悲しくなりました。
しかし、一緒に見ていた人は、
最後彼が晴れ晴れした顔をしていた姿から、再び歩き出す印象を受けたそうでした。
自分の感じたことは否定しませんが、
私は自分の視点(もし自分なら)で、
彼がかわいそうだ。と思いながら見ていたが、友人は彼の視点で映画を体験していたのだなと思った。
彼のフクロウのような
何か薬をやっていた、やっていそうな
顔つきからだんだん変わる演技がすごいなと思いました。
また、映画館でオデッサという?すごいところで見ましたが、
逆に音が大きすぎて、耳が痛くなってしまいました。
それでも、聞こえなくなる時
正常に聞こえている時
静寂
その違いがよく分かり、帰り道では耳をいろいろな音に傾けたくなりました。
自分が、当たり前に聞こえていることに感謝です。
静寂は自分を包み込んで許してくれる。
人にそれを求めるのじゃなくて、
周りの静寂は、いつでも私を許してくれているのだということに気づきました。
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