TOVE トーベのレビュー・感想・評価
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もっと、踊って欲しかったなぁ
実話だから仕方ないけど、おしゃまさんとはそう言う関係だったかぁ。ちょっと残念かなぁ。
フィンランドがNATOに加盟!
大変に殘念だ。世界で一番好きな国だったのに、大変に大変に殘念だ。トーベはスウェーデン人だから、スウェーデンはNATOに加盟してもらいたくない。若しくは、全世界NATOに加盟してもらいたい。
鑑賞注意!
酒とタバコと不倫と同性愛とダンス、コロナ禍に観るには刺激的過ぎる濃厚接触の嵐!
葛藤もなくあまりにもサラッと始まる不倫や同性愛に気持ちがついていけない。
フィンランドに行った時を思い出して、フィンランドの景色が楽しめるかもしれないと期待したけど、ほとんど室内の映像。もう少し景色が観たかったな。
ムーミンの作者の人生が知りたくて観たけど観ない方が良かったのかもしれない。
あまりに自由奔放で刺激的すぎてムーミンを見る目が変わってしまった。
真実のトーべ像を知ってしまったらもう知らなかった時には戻れない。
でも、お父さんがスクラップブックを残し、トーべの仕事を全部見ていたのがわかった時はちょっとほっこりしました。
世界中どこの国でも親は我が子が可愛いのです。
自由奔放
抱きしめたくなる
ムーミンになりたい
思ってたトーベと違う!!
ただそのようにある
これはだめ
【ドレミファソラシド/大人として、ムーミンをもう少し好きになる映画】
埼玉県の飯能に”ムーミンバレーパーク”ができた時、なんで、バレーなんだよ!?ムーミン谷パークじゃダメなの!?って思った。
でも、ここ、子供が全て喜ぶかといったら、ちょっと違ってて、中には、”カバ怖〜い”と言って泣き出す小さい子もいるらしい。
子供には子供の感性があって、親が思い込みで、子供の嗜好を決めつけるなんて出来ないのだ。
この「トーベ」にも、そんなストーリーが織り込まれている。
いくら、同じ芸術の道を志しても、全く同じというわけにはいかないのだ。人はひとり一人異なるのだ。
でも、トーベのお父さんは、トーベを見守っていたことが判り、胸を打つ。
自分の道とは異なっても、親は子供の成長を見守ることが出来るのだ。
芸術にとって自由であることは重要なことだ。
でも、自由であろうとすると、相手にも自由であることを認めないといけない。
自由は大変だ。
でも、そうした葛藤から生まれる何かもあるはずだ。
この作品は、トーベのアートやムーミンへの取り組み、不倫や、同性愛や、友情や、そして、親子の確執や理解を通じて、大人が、ムーミンを、大人として、もう少し好きになる作品なのだと思った。
僕は、スナフキンと、ムーミンパパ、つくしみたいなのが好き。
ところで、井上ひさしさん作詞の”ムーミンパパの歌”を皆さんはご存じだろうか。
♪ ♪🎶♬🎵
海のうえには なにがある
海のうえには 空がある
空のうえには なにがある
空のうえには シドがある
ドレミファソラシド
♩♪🎶♬🎵
僕はこの歌が大好きだ。
30代、40代はまだまだ迷いの年齢なのだ
どうやらトーベ・ヤンソンの時代は、マンガは油絵や彫刻よりも格が下だと思われていたようだ。トーベ自身も世間の見方に抗い切れず、マンガは生活のためだと言い訳をする。しかしヴィヴィカはあなたの絵よりもあなたのマンガの方が好きだと正直な感想を言う。世間などお構いなしのヴィヴィカの自由な精神がトーベの創作意欲を解き放ったようだ。
それにしてもヴィヴィカという女性は自由奔放という言葉を体現したかのようで、結婚していることに縛られることなく、男でも女でも手当り次第に関係を結ぶ。トーベは嫉妬心を覚えるが、そこは芸術家である。嫉妬心を覚える自分を客観視して、乗り越えようとする。
フィンランドが特別に自由な国だった訳ではないと思う。ヴィヴィカが特別な女性だったのだ。ヴィヴィカに出逢えたことは、トーベにとって幸運だった。大抵の女性は家父長制みたいなパラダイムに縛られて不自由な思いをしていたに違いない。その証拠に、ヴィヴィカはしょっちゅうパリに出かける。フィンランドはヴィヴィカにとってさえも、やはり息苦しい国だったのである。
同じことはフィンランドに限らない。当時の世界は女性解放が端緒についたばかりであった。21世紀の現在に至っても、女性解放は尚も道半ばである。10月4日に発足した岸田内閣の閣僚20人の内、女性はたった3人だ。日本も遅れているが、イスラム原理主義のタリバンが支配するアフガニスタンみたいに、女性の自由などハナから存在しない国さえある。
トーベを取り巻く環境は、女性芸術家にとって生きやすいものではなかった。しかしトーベは、環境に内心まで支配されることはなかった。人間は環境に支配されやすい。戦前の日本の愛国婦人会やヒトラーに熱狂したドイツ人、それに渋谷で集団で騒ぐアホたちもそうだ。仲間とともに意味もなくひとつのパラダイムに酔いしれる。自分で考えないから楽なのだ。
人間は考える葦だが、自分で考える人と人の考えを鵜呑みにする人に分かれる。子供の頃は他人の意見を聞いたり読んだりすると、その殆どでその通りだと思う。しかし沢山の意見や思想に触れるにつれて、食い違いやズレや矛盾に気がつく。一体どの意見、どの思想が正しいのか。そこから自分で考えることが始まる。
本作品はトーベ・ヤンソンの30代から40代にかけての物語で、トーベが迷いから覚めて自分の道を進むようになる姿を描いている。そんな歳になってやっと自分で考えるようになったのかと思う人もいるかもしれない。しかし現実をよく見てみるがいい。女は結婚して子供を産むのが幸せだなどと唱えている年配者はたくさんいる。とっくの昔に終わった筈のそんなパラダイムを後生大事に抱いているのだ。それは自分で何も考えていない証左である。孔子は「五十にして天命を知る」(「知天命」)と言った。30代、40代はまだまだ迷いの年齢なのだ。
トーベは迷いを捨てて、足元を固めた。トーベがふらつくようなダンスを踊るシーンは、その足元の固さを確かめているかのようである。ヴィヴィカの劇団員から「ムーミンはどうしていつも穏やかなのか」と聞かれたトーベは「それは臆病だからよ」と答える。トーベはついに彼女なりの哲学を持つことができたのだ。劇団員は理解できなかったが、ヴィヴィカは即座に理解した。そして笑った。本作品で最も幸せなシーンである。
世界一有名なイラストレーターであり小説も書くマルチアーティストであり同性愛者(なお、当時は犯罪)な自由人
これ、ちなみにフィンランド本国では週間観客同数1位を連続で記録するなど、ロングラン大ヒットを記録したようです。と、帰りがけに買ったパンフより。
それだけトーベ・ヤンソンと言う人物が彼女のキャラクターと共に、国民に愛されているということでしょう。
でも、これ彼女に縁も所縁もない日本でどのように観るべきか。非常に迷うところです。
実際、この映画一つとっても、
①保守的な芸術家の父の下で生まれたマルチアーティストの先駆者
②1971年までは犯罪だった同性愛を貫いていた自由人
③まだ評価の低かったイラストレーターの仕事を有名な画家の仕事レベルにまで高めた俊才
とエッセンスが強すぎて、一体どの観点から観たら良いものか迷う。
ただ、この①~③全部が組み合わさってトーベ・ヤンソンという人物になるので、まあ、うん。相当突き抜けた方ですね。
途中「ムーミンって何で優しいの」みたいな質問を向けられた時に「愛情が欲しいから」っていうような言葉を返してた記憶があるんですが、あれ、ご本人自身のことですかね。
どちらかと言えばムーミンに関する話と言うより、作者であるご本人の主に恋愛話を中心とした生い立ちについての話。
なお、ラストに出ていた女性はヴィヴィカの元を去り後の、次の(むしろ生涯連れ添った)パートナーさんだそうです。トゥーリッキ氏。
パンフレットを読んだら、もう一回観たくなった。
ムーミン映画ではない
ムーミンは踊らない
ムーミンはおまけです。
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