くれなずめのレビュー・感想・評価
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愛おしいほどの時間が流れている
友人の結婚式のために集まった昔の仲間たち。今ではそれぞれ異なる人生を歩んでいるのに、いざ顔を合わせると数年のギャップなんて存在しないかのように丁々発止のやりとりが始まるーーーー。ここに描かれた物語に共感しない人なんていないはず。これほど心を寄せてしまう背景には、本作の構成や撮り方、編集のあり方が大いに関わっているのだろう。すなわち、現在の場面では基本的にワンシーン、ワンカットが用いられ、回想になるとそれがカット割された映像へと切り替わる。記憶を浮かんでは消えていく泡沫のようなものと捉えた時、この構成が非常に考え抜かれたものであることが理解できよう。そうやってナチュラルに沁み込むからこそ、96分に及ぶ作品世界が幕を下ろす頃、彼ら一人一人がとても味わい深く大切な存在に思えた。各々の個性を際立たせつつ、全員がギュッと一体化した空気感をも活きいきと写し撮る。愛おしいほどの時間がそこには流れていた。
立ち止まることの肯定。友の記憶と共同幻想
古い友に限らず、家族であれパートナーであれ、大切な人と豊かな時間をともに過ごした記憶はたとえ意識の奥底に沈んでいても、何かを見聞きするなどふとした拍子に思い出されたりするものだ。あるいは、大切な人が「ふっといなくなった」後でも、夢に出てきて何の違和感もなく昔と同じように会話したり笑いあったりということだってある。誰もが経験する大切な人の記憶をめぐるそんな心の動きを、何とも鮮やかな手法で作品化したのが松居大悟監督の「くれなずめ」だ。
友人の結婚披露宴で余興の「赤ふんダンス」を披露するため久しぶりに集まった高校時代の仲間たち。高校当時は帰宅部でさえない彼らだったが、文化祭の出し物を一緒にやったことで意気投合し、卒業後も毎年のように集まっていた。だが5年前にある重大なことが起き、それ以来会っていなかった彼らが久々の再会を果たしたのが、映画冒頭の披露宴会場での打ち合わせだ。
「老けたなあ」「全然変わらないっすね」という再会場面でありがちな言葉のやり取り。あるいは、飯豊まりえが演じる会場スタッフの言動。冒頭のシークエンスからさりげなく伏線がいくつもはられている。ただし、始まってからものの十数分で、この映画の仕掛けに関する種明かし――とまではいかないにしても、かなり明白な示唆――が吉尾(成田凌)の口から告げられる。
「暮れなずむ」からの造語であるタイトルは、昼から夜に移る狭間の時間である夕暮れ時に、先へ進まず敢えて立ち止まることを肯定する言葉として受け止めた。劇中で描かれることの大半は、披露宴と二次会の間にぽっかりと空いてしまった狭間の時間であると同時に、彼ら一人一人の回想を通じて次第に明らかになる、5年前の出来事にうまく折り合いをつけられずにいる人生の停滞期とも呼ぶべき現状だ。
彼らが過去と折り合いをつけられるように本作が用意した仕掛けは、ある種の共同幻想だ。現実の事象に寄せて解釈するなら、集団幻覚に近いだろうか。本作は松居監督によるオリジナル舞台劇の映画化だが、演劇にせよ映画にせよ、劇中の虚構を観客が真実であると信じるという意味で、劇や映画を観る行為もまた共同幻想のようなものかもしれない。
過去の悲劇を克服して前へ進めというポジティブな励ましは世にあふれている。だが無理して進まなくていい、人生に立ち止まる時期があっても、会えなくなった大切な人をゆっくり想う時間があってもいいじゃないか。「くれなずめ」はそんな別の選択肢を示してくれたように思う。
思い残したことなど、都合よく書き換えてしまえ
タイトルに込められた様々な意味を一つ一つ感じ取ると、青春時代の終わりを感じ、妙にしんみりした気分になった。
イケていない者同士が集まって彼らなりに過ごした時代。
お互いのダメ出しをしながら一生懸命生きている。
男子にありがちなバカでふざけたトーク。
5年ぶりに集まった理由は、友人の披露宴でする余興のため。
彼らだけに見えるヨシオは、5年前に心臓病で急逝した。
いつまでも続くと思っている青春が、終わらないまま途切れ、動けなくなっていた。
余興は大失敗した。
原因は、当時のままではないこと。ヨシオがいないこと。妙にその事実だけが彼ららしいバカ一直線のパフォーマンスになれず、気恥ずかしさによる曖昧な演技によって余興が盛り上がらなかった。
彼らが感じた心の空白。
二次会までの時間を使い、5年越しの想いを少しずつ話し始める。一つ一つ当時のふざけた行為を再現しながら、お互いその場所まで戻り、しこりの残った思い出を変化させようとする。
ヨシオが生き返ったかのような映像は、おそらく仲間の誰かのしたことだろう。
特にミキエへの告白はミキエの気分を悪くしキレキャラが際立つが、そもそもキレキャラであるが故、彼女の心情が見えない。
そんなトリックを使いながらヨシオの引き出物を畑に埋めようとする。
その畑の持ち主が現れるが、ヨシオにそっくりで皆驚きを隠せない。
彼の幻想が見え「過去なんか都合よく書き換えろ」というヨシオの言葉で皆であの日の出来事を再現した。
最後に見た彼の記憶と当時の状況。皆同じ気持ちで、ようやくヨシオを送り出せた。
あの日以来滞ったままだった時間。
やがて二次会の時間。
もうすぐ日が暮れる時間。
彼らの青春時代もようやく幕を閉じることになる。
下手でもいい。自分なりに一生懸命だった青春時代。
ずっとヨシオの影を引きずっていた5年間の終焉。
ちゃんと自分たちで締めることのできた青春。
ふざけた映画だったが、心のまま楽しんで生きていた彼らの青春の素直さに涙が止まらない。
涙が出るほどバカバカしい
よかった。
学生の時の友達って、こうなんですよ。
何歳になっても、バカになれる。
そのバカバカしさが
切ないほど愛おしいんですね。
日常の会話、つぶやき、その行間に流れる笑い。
若葉竜也と藤原季節がよかった。
仲間に入れて欲しくなりました。
くれなずむ 夕日背にして 一人立つ かなしからずや 春、遠くなりけり
・30歳の時に研修生の女性の先生の容姿端麗の話なんかしないだろう。
・今の若者はまだ結婚式なんかやってんだろうか?
・18歳高校三年がヒゲはやして、長髪なんて今どきはいるの?知っている範疇では、髪の毛を染める子供はいるが、ヒゲを生やす者は一人もいない。
・仲良しと言うよりもわずらわしいと思う。
・21歳の男同士で酒飲ながら、添い寝するか?
・結局、高校卒業してからずっと酒のんでばかりいる。男だけで酒ばかり飲んでいれば、少子高齢化は免れない。
・30歳位になれば一人くらい死ぬ友達もいるだろう。僕は66歳になってもそんな友達はいない。なぜなら、友達がいないから。
・それは兎も角。友達の死くらいで人生変わらないだろうし、死んだ原因が災害であるようなので、それで良いのだろうか?
『先に手を洗ってから』パンデミックが流行していた時僕もそう思っていた。
『やすい笑いで誤魔化している』つまり『安いお情けで誤魔化している』って事だ
日本の舞台劇の現状でしょう?
30歳くらいでヘラヘラしていては、僕の年になるまでに大変な事になるよ。アドレナリンが出過ぎている。
・踊るなら、ちゃんと踊って貰いたい。
・『老けたなあ』って言うがこれからもっと老けるよ。
それで、この芝居は何を言いたいの?!
劇中の台詞『人の気持も理解出来ないのに芝居をするな』
ばかができるほど愛おしい
ばかな6人組、しょーもない6人区なんだけど
事情を知ると、過去にもどった5人の表情に信じられないほど泣かされてしまった。
引きずったままでいさせてくれ、という言葉にグッときてしまった。
どうしようもなく馬鹿馬鹿しいことができる相手って本当に貴重。社会人になる前に、特に利害関係もなくできた仲間って本当に貴重だって大人になるとよくわかる。
たまらなく友達に会いたくなる映画。
ラストがな~
途中までは「死んだけどなぜか見えている」というありがちな設定を上手く料理している印象だった
ただ、ラストが急にチープなSF展開になって「なんだかな」となった
監督としてはそこがシュールで面白いと思っているのかはわからないけど、ラストで一気に興味がなくなった
バカバカしさで思い出を上書きする
ある程度長く生きていると何かに紐付いた過去の記憶というものがあったりする。紐付く何かは行動だったり物だったり様々だろう。
本作に登場する帰宅部の面々はそれぞれ何かが呼び覚ます記憶として吉尾という男がいる。
吉尾との思い出、それ自体は楽しいものであったとしても、そこから更に思い出すことに後悔があればどうだろうか。吉尾との思い出全てが苦々しいものになってしまうかもしれない。
馬鹿みたいに振る舞って自分を騙して誤魔化して、そんなことで苦々しい後悔を消そうとしてもそう安々と消えることはない。
吉尾の中の未練とは、大事な仲間たちの後悔の払拭だったのかもしれない。
成田凌演じる吉尾はすでに亡くなっている。亡くなっている吉尾が冒頭から普通に出ていて、しかもそれを皆が普通に受け入れているのが面白い。
(死んだはずの)吉尾が何でここにいるの?まあいいか、程度のノリで受け入れてしまっているところが斬新。
そこかしこに幽霊が存在しているかのような半ファンタジーが終盤のさらなるバカバカしさを許容する。
とはいってもレビューをちょっと見た限り受け入れられていない人もいるようであるが。
どちらかというと終盤のバカバカしい展開よりも吉尾がしつこいことのほうが引っかかった。はよ成仏せいと。
しかし、吉尾に紐付く苦々しい後悔がこのバカバカしい展開によって、バカバカしく楽しいだけの思い出に変わったのだと思うとこれで良かったのだろう。
やはり吉尾の未練は、仲間の中にあった後悔なのだと思う。それが上書きされてはじめて成仏できるのかなと。
松居大悟監督はまだ三十代なのにそんなに過去を思い出すのかな。
「ちょっと思い出しただけ」も過去の思い出についての物語だった。
扱う内容として面白いとは思うけれど、どこかちょっとセンチメンタルでネガティブなものを感じてしまう。
創作する過程であれこれ考えていると過去を思い出すというのはままあるとは思うが、作品のトーンに比べて内容が暗めなのがちょっと心配。
前田敦子のキレキャラもいい
2023年11月4日
映画 #くれなずめ (2021年)鑑賞
友人の結婚式で久々に再会したアラサー男子6人組が、二次会までの中途半端な時間を高校時代の思い出とともに当時と変わらぬノリでバカ騒ぎして過ごす
アラサーもまだまだ青春だなと感じさせてくれる映画です
監督自らの
監督の自らの体験を基にして制作された作品です。
高校時代に仲の良かったメンバーが大人になり、結婚式の余興為に集まる事になった。
そんなに中で一人一人が過去を振り返ると、ある事実が浮かび上がってくる。
どこでもあるようで、忘れているような風景を描いた作品でした。
こんな、なんとも言えないような青春のような気持ちが再び味わえると思わなかった。
死んだと分かってからとその前の演技の対比がすごいなと感じた。
役者さん達の実力がもろに現れた作品なのではないかと感じました
赤ふん裸踊り
若者が作った若者向けのバカ騒ぎ映画。
終始バカ騒ぎ、たまに出てくる女性もやくざまがいの汚い罵声、これだけ品性に欠ける映画も珍しい。テンション高ければよいという演出は演劇サークル出身の弊害でしょう、まるで学芸会レベル。脈略のない展開、突飛な妄想、既成の芝居作りに反旗を翻そうという意気込みはわかるが不快感しか感じませんでした。好きな人だけ観れば良いという開き直りでしょうね。
あまりハマらなかった。 男子学生の会話って自然ならもうちょっとくだ...
あまりハマらなかった。
男子学生の会話って自然ならもうちょっとくだらなくて面白いのが多いかと思ったけど、誰かが作ったセリフを演じているからだろうかあまり笑えなかった。
それが陽キャではなさそうな彼らのノリなのだろうか。
亡き友と再び過ごす時間、だんだん鬱陶しくなってくるところ木更津キャッツアイらしさを思い出した。
自分とは違う人種の集まりで苦行!!
バカ騒ぎと中身の無い会話ばかりで、自分とは違う人種の集まりで苦行でした。女性に観てもらってモテたくて作っているのが伝わってきました。中盤、ミキエ(前田敦子)のキレ具合が良かったです。終盤まで観ても、特にストーリーが無かったです。
観るのをやめても後悔しません
のっけから何分?
延々と脈絡なく登場人物たちの悪ふざけ
若かった頃、男子ってこうよなぁと言わんばかりのグダグダ演出
ホントにしんどい。
観るのをやめようと思ったらやめてもいいと思う。
破天荒な展開があるのかと勝手に想像した自分に反省
なんせ序盤に成田凌は死んでるのか?と匂わせられたもんだから
だから何!?
みんないい俳優たちなのにもったいない
彼らもこれが仕事なんだ
リアリティと生々しさを含んだ青春映画
先日松居監督の『ちょっと思い出しただけ』を鑑賞し、甚く感動したので、監督の過去作として評判が高かった本作『くれなずめ』を鑑賞いたしました。本作を紹介した映画レビュアーさんのネタバレ無しの感想などを事前に拝見していたので、ざっくりとしたあらすじ程度は知っている状態での鑑賞です。
結論ですが、面白かった!!
リアルというより生々しい、いわゆる「陰キャ」と呼ばれるような日陰者たちの青春と、大人になってからも続くその友情を描いた感動的な作品でしたね。私も学生時代は自他共に認める陰キャでしたので、登場人物と自分を重ねて観てしまう場面も多く、ちょっと泣きそうになりました。
正直、終盤の急展開とかは面食らいましたけどね。本作を批判的にレビューする人も多いのも理解できます。でも私は何だかんだ楽しめたし感動したし、良い映画だったと私は思います。
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学生時代からの仲良しグループが友人の結婚式で余興をやるために5年ぶりに集まった。披露宴から二次会までの道すがら、学生時代の思い出話に花を咲かせる彼らは、それぞれが仲良しグループの一人である吉尾(成田凌)との思い出を回想する。
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結婚式の二次会へ向かう道すがらの会話と、過去の吉尾との思い出。現在と過去を行き来しながら、仲良しグループである彼らの関係性が描かれます。そして映画中盤で判明する吉尾の死。まるで実際にいるかのように描かれていた吉尾は幽霊とかではなく、他のメンバーたちが自分たちの頭の中に思い描いていた幻覚(妄想とも呼べる)だと判明します。
私は実は吉尾が死んでいることは事前にネタバレ食らってて知ってました。てっきり『シックスセンス』的に本作の終盤の大きなどんでん返しで判明するのかと思いきや、序盤から分かりやすく伏線が張られていたり映画の中盤であっさり判明したり、全くどんでん返しではなかったのが驚きでしたね。本作は吉尾が既に死んでいることは大前提で、彼を喪った仲間たちがどう生き、どう先へ進むのかということが映画の主題であると感じました。
本作の魅力は色々あるんですけど、何より素晴らしかったのが役者陣の演技ですね。
仲良しグループを演じた俳優さんは全員もれなく素晴らしかったと思います。最近大活躍中の若手俳優の見本市みたいな俳優ラインナップです。
個人的には若葉竜也さんが特に好きですね。『街の上で』『神は見返りを求める』でも素晴らしい演技を見せてくれた彼は本作でも光っています。少しチャラけたように見えるけど心の中には情熱を持っている役を見事に演じていました。
正直後半のガルーダをはじめとするトンデモ展開は驚きましたけど、何だかんだあれも計算づくで脚本書いているんだろうな~って感じはありました。多少強引な展開だったのは誰の目から見ても明らかではありましたが、ああでもしないと「あの世にいる本物の吉尾と話す」なんてことはできなかったでしょうし。
多少は設定や構成やストーリーにツッコミどころがあることを認めつつ、しかしながらしっかり感動してしっかり楽しめる作品だったと思います。オススメです!!
友を悼む・・・はちゃめちゃに、弔う!!
日本の若者を《捨てたもんじゃない》と素直に思う。
高校時代の仲間たち6人が、友人の結婚式で余興をする事になる。
5年ぶりに集まった彼ら(成田凌、高良健吾、若葉竜也・・・)が選んだのは。
ウルフルズの「それが答えだ!」を赤フン姿でダンスする余興。
(赤フンドシと言えば、北海道大学のYOSAKOIソーラン祭りの名物です)
赤褌(ふんどし、ね!)の6人衆は圧巻!!
乗り良し!曲良し!振り付け良し!
笑って泣けるメチャメチャいい映画でした。
2021年。監督・脚本:松居大悟。
監督自身の体験をもとに描いたオリジナル舞台劇を映画化しました。
《5年前に若死した友を葬る》
そして若き日の、
《なんとも形容できない愛しき時間》
そんな瞬間を積み重ね、上澄みを掬い取った奇跡の映画です。
そう言えば、松居大悟監督28歳の作品「アズミ・ハルコは行方不明」を、
思い出しました。
(あれに比べれば、松居監督も丸くなったもんです。)
ノスタルジックで友情がやけに暖かい。
死んだ友が、まるで生きているかのようです。
それがテーマなのに、前半はメチャメチャ馬鹿馬鹿しいムダ話のオンパレード。
後半も1時間位になって、ええーっ、こいつ死んでるのか?
とやっと気付く。
だってはじめから死者の扱いをしてないもん。
彼らの中では、その友達は死んでないのね。
いつも隣にいる。
少しの不思議もない。
ウルフルズの「それが答えだ!」を赤褌で踊る6人衆。
6人と言う数が味噌なのね。5人じゃないのだ!
見せ場でしたね!
友を悼む気持ちが溢れてます。
友情は永遠・・・そう思える映画でした。
松井監督の次の監督作品。
『ちょっと思い出しただけ』で、大ブレイクでした。
しばらく気がつかなくて
まごついたが、わかってしまえばいろいろ腑に落ちる。
終盤はちょっと許容できないところまで行ってしまった感じ、まさに披露宴の余興で赤フンダンスされたみたいな微妙な気持ちになる。そこまで織り込み済みなら凄いけど。
二次会ならギリギリありかな。
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