マ・レイニーのブラックボトムのレビュー・感想・評価
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チャドウィック・ボウズマンのフォーエバーショー
1927年、夏のシカゴ。とある録音スタジオで、“ブルースの母”と呼ばれるマ・レイニーのレコーディングが始まろうとしていた。
その4人組のバックバンドの一人でトランペッターのレヴィーは若く野心に燃え溢れ、何かと揉め事を起こす。
遅れて到着したマも主導権を巡って白人のプロデューサーやマネージャーと対立。
さらに、楽曲である“ブラックボトム”を勝手にアレンジしようとするレヴィーとマが…言うまでもない。
スタジオ内は色々ピリピリ緊迫したムード。果たして、レコーディングは…?
実録音楽映画。
恥ずかしながら、“ブルースの母”マ・レイニーも初めて知った。ホント、映画って勉強になるな~。
そのマ・レイニーを演じたヴィオラ・デイヴィスがド迫力!
ブルースの母…いや、ブルースの女王、いえいえ、ブルースの女帝!
服もメイクもド派手。口調もドキツい。相手が誰であろうと自分の主張を頑固として貫き通す。おっかない…。
スタジオ内が暑くて冷たいコーラを買って来るまでレコーディングはやらない!…なんて、ワガママでもあるが、彼女には彼女のポリシーが。
言うまでもなく、彼女は黒人。
この時代、舐められてたまるか。差別/偏見されてたまるか。
マ・レイニーの“女帝”っぷりには、時折一理さも考えさせられる。
歌も披露し、ヴィオラ・デイヴィスのパフォーマンスも圧巻だが、やはり本作は、才能溢れながらも若くして昨年まさか亡くなってしまったある一人のスターへ捧げられる作品であろう。
チャドウィック・ボウズマン。
演じたのは、型破りなトランペッター、レヴィー。
チャドウィック・ボウズマンと言えば、出世作となった『42』やメガヒットを記録した『ブラックパンサー』、ちょうど続けて見たばかりの『ザ・ファイブ・ブラッズ』でのように、正統派、真面目な印象。
しかし本作では、ヘラヘラよく喋り、チャラい。何だか新鮮。
ヴィオラ・デイヴィスがド迫力存在感なら、チャドウィック・ボウズマンは個性的な存在感。
勿論、トランペット演奏も。
そして、彼にはハイライトとなるシーンが。
作品は戯曲が基。
なので、ほとんどがスタジオ内が舞台で、限られた登場人物たちによる台詞劇。
ちと退屈…に感じていた時、それを一蹴してくれたのがチャドウィック・ボウズマンだった。
自分のレコードを出してくれる為に、白人プロデューサーにヘラヘラ笑顔を媚びへつらうレヴィー。
老バンドメンバーたちはそんなレヴィーを疎ましく思う。
が、レヴィーは決して白人の言いなりに成り下がり、ただヘラヘラバカみたいに笑ってる訳ではない。
表の顔はそう。実際の顔は…。
彼の壮絶な生い立ち。
それを語るシーンは、胸が詰まるほど耳を傾け、引き込まれた。
この男もただのチャラい男ではないのだ。
彼も彼なりに人種差別と闘っているのだ。
本作は実録音楽映画だが、名女男優の歌声に、人種差別の問題も込めて。
勿論ジャンルは音楽映画なので、レコーディング・シーンや楽曲などは聞きもの。
1920年代の雰囲気。特に真夏の暑さが物凄い伝わってくる。
名デザイナー、アン・ロスによる衣装も見もので雰囲気盛り上げる。
でもやはり話題は、オスカーノミネートへの期待。ヴィオラ・デイヴィスの主演女優は勿論だが、チャドウィック・ボウズマンの主演男優。『ザ・ファイブ・ブラッズ』での助演男優ノミネートも有力視されており、Wノミネートはかなり固いと思う。主演男優賞はこれまで発表された前哨戦見ると、『サウンド・オブ・メタル』のリズ・アーメドと一騎打ち状態。なるか、死後の最初で最後の受賞…!?
様々な衝突やトラブルを乗り換え、本当に本当に本当に、何とか何とか何とか、レコーディングは無事終了。
しかし、その後も揉め事は尽きない。
マとレコード会社がお金の事を巡ってやり合う。
これは何とか話付いたが…、問題渦中の人物が一人。
またまたレヴィーがマと口論。二度とバックバンドをやらせない!…とクビを言い渡される。
清々したぜ!…と、レヴィー。何故なら、
このレコード会社の白人プロデューサーが気に入ってくれた曲と、自分のバンドで、俺には夢がある!
が、しかし…。
その直後、衝撃の事態を起こす…。
マ・レイニーの事はWikipediaなどで調べられるが、レヴィーの事は一切書かれていない。
実在の人物なのか、基が戯曲だから創作の人物なのかは分からない。
それにしても、この結末は悲しく、後味悪すぎる。
何故、あんな愚かな行為をしてしまったのか。元々、キレ易いそんな人間だったのか…。
彼は才能に溢れ、その一時の怒りを抑えれば、ひょっとしたらその後、別の場所で大成してたかもしれない。
どっちだったのか、分からない。だから、余計に。
当時実際、白人の利益の為にいいように利用された黒人奏者らが大勢いたという。
レヴィーもまたその一人。名も無きその一人。
音楽の世界で成功するのは、ほんの一握り。しかも、あの時代、黒人…。
その悲しい存在を、知らぬ今の我々に伝える為に。
それを体現し、残り僅かな命で最期の仕事としたチャドウィック・ボウズマン。
思い返せば彼の出演作品も、人種問題が込められているものが多い。
おそらく彼は、怒りやメッセージを訴えているだけではないだろう。
平等、自由、平和、永遠に。
改めて、チャドウィック・ボウズマン、永遠に。
音楽映画ではない。
マ・レイニーは何と闘ったか
歌は良いが、常に空気が悪くてキツい!!
二人の主人公はそれぞれ、すぐ突っかかってきたり常にピリピリしているので、私だったら初日で胃が痛いです。たまに歌のシーンを入れてギリギリ体裁を整えていますが、基本的にずっと口論しているだけなので、もっと練習をして欲しかったです。類似作品は数多くありますが、この手のジャンルは人物が一辺倒な描かれ方なのは何故でしょうか。黒人はこんなものだ、粗暴で人間味がない等と決めつけているのではないでしょうか。
1...2...You know what to do~♪口上
皆さん、《ブルースの母》マ・レイニー役パンチの効いた存在感ヴィオラ・デイヴィス × レヴィー役痩せ細ったチャドウィック・ボーズマン = 双方キャリアトップクラスの名演が本作にさらに熱を込める、テンションを高め合う。エネギッシュで決して廃れることのない熱量を真空パックしたようなまま94分片時も無駄にしない。表現としての誠実さという愛情や祖先への尊敬の念が込められているのをヒシヒシと感じる。物事は変わる、だからイエッサーと言いつつ俺はタイミングを計っている。本当にチャドウィック・ボーズマンには感謝しかない。
グッドタイム以上に良い。ただ単に、1927年の暑い日にブルースを収録するミュージシャン同士の衝突を描いたという以上に、黒人全体のアメリカの不都合な今日まで通ずる歴史・痛みに目を向け、それらを音楽(と口論)としてアウトプットするよう。ブルースのレジェンドたちと黒人文化そのものへの最大限の賛辞。なんで《靴》を踏む?この戯曲の映画化は見る者の目を釘付けにし、心を鷲掴みにするようにインパクトを残すこと必至。この上なくスリリングに芸術の高みへも足を踏み入れる微塵も嘘偽りのない本物のドラマだ。だから思う、もちろんそれが全てでないが、アカデミー賞はじめ賞を獲ることに相応しいのではなかろうかと。俺の靴を踏んだ!←名セリフ名シーン
He stepped on my shoe! 見るな
勝手に関連作『フェンス』『ボーイズ・イン・ザ・バンド』
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