ラモとガベのレビュー・感想・評価
全3件を表示
男はつらいよ
ペマ・ツェテン、ソンタルジャ、ドゥッカル・ツェラン。この3人が、「チベット映画の三羽烏」だそうである。 ペマ・ツェテンは小説、ソンタルジャは美術、ドゥッカル・ツェランは音楽と、もともと映画とは異なる背景をもつというところも共通しているという。 彼らを語れば「現代チベット映画」を語っていることになるようで、それほどまでに、まだ発展途上なのが、チベット映画界らしい。 兄貴分のペマ・ツェテンの映画に他の2人が参加するなど、ゴダールとトリュフォーの関係のように、チベット版“ヌーヴェルヴァーグ”なのだ。 とはいえ、前の世代がいるわけではなく、彼らが「第一世代」とのことである。 そのうち仲違いするのであろうか?(笑) この映画を観て、映画「羊飼いと風船」を思い浮かべたので、同じ監督(ペマ・ツェテン)なのかなと思ったら、こちらはソンタルジャ監督作であった。 「女性の妊娠や出家、伝統社会の束縛の中での自立した意思決定」というテーマだけでなく、次第に“秘めた事実”が明らかになってくるというストーリー展開が、2人で似ているのが面白い。 ともに最近の公開作品だから、直接の影響関係はないはずだ。 従来のチベットを題材とした“外国人目線”の映画とは異なり、土着の感覚でチベット世界を描いているので、共通点が出てくるのは当然かもしれない。 本作は、背景を少し知らないと、ピンとこない。 “村一番の美人”である主人公のラモは文盲であり、社会的には下層の人間だ。 彼女の名前は、叙事詩「ケサル大王伝」の中の魔王の妹で、ケサル大王の妻でもある、美しくも残虐なアタク・ラモと同じである。 主人公ラモは、「ケサル大王が、生前犯した悪業ゆえに地獄に落とされたアタク・ラモの魂を救いにくる」劇を演じるよう、村長に命じられるのだが、こんな“悪女”は演じたくないと抗うのである。 一方、ガベというのは、男の標準的な名前であり、何も寓意はないという。 このガベの役回りがつらい(笑)。 何一つ悪くないのに、不運続きなのである。 そして酔っ払ってある事件を起こして、さらなる不幸を招いてしまう・・・。 この映画は、主人公の2人が結婚を約束した仲として交錯しながらも、それぞれのストーリーに関係性が乏しいという点に特徴があると思う。 もうちょっとロマンスがあってもいいはずなのだが、本作では期待できない。 主人公2人の役回りが面白い作品であるが、少しまとまりを欠き、佳作とは言い難い。 それでもチベット映画の独特の世界を体験できる作品である。結末よりは、過程を楽しむ作品かもしれない。
全3件を表示