誰かの花のレビュー・感想・評価
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【愛する人を突然、事故で失った人たちの深い喪失感と、赦しを描いた作品。高年齢化する社会への警鐘。 交通事故被害者の実態。今作は、様々な見方を見る側に委ねる作品であると思う。 】
ー 今作は、観る側に解釈を委ねる映画であると思う。予告編のトーンでは、年老いた両親(
高橋長英&吉行和子)が住むアパートから、風の強い日にベランダから植木鉢が落ち、越して来た家族の父親が亡くなった事を、認知症になった父への疑いを抱いて行く息子(カトウシンスケ)という作品の様に思えた。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・だが、今作を鑑賞すると、植木鉢を落としたのは、両親の家の隣室に住む男(篠原篤)であるように描かれている。
少し、混乱したところである。
では、何故父の手に嵌められた手袋に土が付いていたのか・・。
何故、ヘルパーの女性は植木鉢を落としたのが、認知症の父と思ったのか・・。
・大切な人を交通事故で失った人達の集まりの場、あすなろ会の人々の言葉などを聞いていると、この作品は愛する人を突然失った人たちの深い喪失感を描こうとしたのかとも、思う。
・男の兄は、昔交通事故で亡くなっているように、描かれているし、男がそのことに深い哀しみを抱えている事も後半描かれている。
・今作で、一番不穏なのは、植木鉢により亡くなった男の妻(和田光沙)の息子(太田流星)の行動である。
生卵を落としたり、あすなろ会主催の男の車の運転席に乗りアクセルを吹かせたり、極めつけは篠原篤演じる男が住みにくくなり、引っ越しをした後に男の前で逆立ちをし、同じく逆立ちをした男の脇を擽った後に、腹に一発拳を入れる。
ー 彼だけは、犯人を知っているのであろうか・・。-
<今作は、様々な見方を見る側に委ねる作品であると思う。
高年齢化する社会への警鐘。
交通事故被害者の実態。
鑑賞後も、イロイロと気になる所の多い作品である。>
<2022年7月23日 刈谷日劇にて鑑賞>
今年ベスト級
ジャックアンドベティという横浜の映画館が製作した映画。企画ものと思って侮っていたが、とんでもない傑作だった。日本映画の王道の演出や語り口なんだけれど、そこがどこを取っても期待を越えてくる。
"空白"に匹敵する好演出
2022年劇場鑑賞11本目 傑作 75点
当サイトにて昨年から情報を得ていて楽しみにしていた作品。
2022年、劇場鑑賞12本目にして暫定トップになりました。
テイストは予想通り昨年話題になった映画空白に近い。
空白とは違うあすなろ会という同じ状況にいる人たちが各々思いを吐く場所があったり、団地での距離感だったりと空白よりより密な空間で描かれている風に思えた。
個人的に一番感銘を受けたのは隣人のお子さんが主人公に向けて、ネクタイの結び方を教えて、やある人が重体で搬送された病院で主人公とその奥さんが喫煙所で鉢合わせた際に奥さんの口から重体だそうですと一言。この二人は確かこのシーンが初対面の場面でそのセリフに主語がないところなど。。
うまく説明できませんが、要は主語や本来伝えるべき命題を伏せての表現が随所にされていて、映画としての品の高さを感じたのと同時に、昨今邦画ではわかりやすさに比重を置きすぎている傾向にあるのでセリフ過多で、当方映画を観に来ているので絵や表現で伝えてくれと思うタチなので、こういった表現に長けている作品はもちろん、脚本家や監督も大いにたたえたい所存です。
上映前に劇場のスタッフが今作の説明をしてくださり、より好きになりました。
劇場も本数も限られていますが、是非観て欲しいです。
残像ながら、評価する材料がない…。
ジャック&ベティさんの30周年記念映画ということですが、そんな記念映画にふさわしい題材は、他になかったのでしょうか。
鉢植えが上から落ちてきて死んだとか、そんなネタしかなかったとしたら、記念映画自体なくてよかったんじゃないでしょうか。
鉢植えが落ちたというネタで、2時間引っばられても、映画館の中で、ただの傍観者となるのみ。
はっきり言って、つまらないを通り越して、評価不能作品とさせていただきます。あしからず。
リアル世界にハッピーなエンドなんかない。
こういう作品、好きですねー。
当初予定はなかったのですが、評価良かったので鑑賞です。間接的表現や示唆的表現が多くて、登場人物の心情や「本当のところ」をひたすら思いを巡らしながら観てました。楽しかったなぁ。静かなんだけど激しいんです、心情の応酬が。とにかくずーーーーっと心がモワァァァァンしてるんです。晴
れることはありません。これが人間のリアルだよなぁ・・・と。
「誰かの花」
不思議な題名ですが、ストーリーを考えると絶妙な題名です。「ある物」と「人間関係」を中心に生まれる疑念や心情が、見る立場や角度によって変わる様を巧みに見せて人間の業というか・・・本質をぐりっと描いた作品です。ラストでわかる事実をどう受け止めるか?観る人に鋭く突きつけてくれます。人間は多かれ少なかれ他人に何らかの迷惑をかけながら生きていきます。それはそれは脆弱な関係性の上に成り立っていると思います。いつの間にか思いもよらない状況に陥ったり、耐えられない状況に陥ったり、車を運転していれば100%事故を起こさないとは言い切れない。つまりいつかは加害者になる可能性だってある、またその逆も。人間関係だって同じ。ボタンのかけ違いが生む悲しい関係ってありますよね。うまく言えませんが、人間のモワァンとした本質をビシッと描けているんじゃないでしょうか?
また、人間の本質を描くだけでなくサスペンスタッチでストーリーが進んでいくその演出がこれまた巧みです。これは練られてますねーーー。もしかしたら基本的な演出なのかもしれませんが、観客の心をここまでコントロールできるのか?と驚きました。
「落としましたよね?」でドキッ!
「缶コーヒー飲んでました」でドキッ!
計算してるんだよなぁ、性格悪いんじゃぁないかなぁ?監督(笑)
観賞後に監督のアフタートークがあり、本作のテーマをおっしゃってました。「いろいろあるけど
人間は生きていかなくちゃいけない」いやいや、にしても・・・・辛いよなぁ。ワーーーイ!って笑顔満開で生きていきたいけど人間は疑念やら、先入観やら、保身やら、不条理やら、運命やら・・・・とにかく生きていくことは面倒臭いです。基本「辛い」です。まぁ辛いです。すり減るよなぁ生きていくって。けど、背負っていかなくちゃいけないんだよなぁ。でも生きていかなくちゃね。はぁ。
とても楽しめた作品だったのですが間接表現や示唆的シーンが多すぎてちょっと疲れちゃったかな。あと、間接表現の後に直接表現あったりでくどいなぁって思うことも。ちょっと味付けが濃い気がしました。メリハリをつけた方が良いと思いました。
けどスマッシュヒットですよ。
『誰かの花』というタイトルに込められた想い
良い映画だった。
キャスティングからそこそこ期待していたが、順当に良い映画だった。
不器用で多くは語らないが、実は親思いで実直な主人公を演じるカトウシンスケ、思いもよらぬ事故で夫を亡くした妻を演じる和田光沙、その他も素晴らしい役者陣で、各シーンそれぞれの想いが現れ、誰が非でも誰が正解でもない人間ドラマを醸し出していた。
この『誰かの花』というタイトル。予告編を観て、花瓶が一つの発端になるから『花』なのか、と思っていたが、観終わって、このタイトルに込められた思いが伝わり、長い映画史の中で、初めて映画タイトルに感動してしまった。
被害者意識だったり、加害者意識だったり、そこの間で誰かを守ろうと思うのは、やはり誰でもあるはず。決してどちらかに肩入れせず、それぞれの想いを巧く表現していた。少し前にあった『由宇子の天秤』にも少し似ていて非なる良作である。
消化に時間がかかりそうである
本作品の物語は常に現在で、時系列が移動することはほぼない。しかし現在は必ず過去に左右されるから、思い出やフラッシュバックのシーンがないと、登場人物の現在を理解し難い。その点では難解な作品の部類に入ると思う。
タバコを吸ったりパチンコをしたりするのが悪い訳ではないが、否定的な印象を与えることは確かだ。主人公の孝秋にタバコを吸わせパチンコをやらせるのは、それが狙いだろうか。演じたカトウシンスケは、有村架純主演の映画「前科者」で公園のホームレスらしき人を演じていた記憶が残っていたから、尚更ダメ人間みたいに感じてしまった。
しかしそれは、観客が孝秋に無為に肩入れしないための、周到な土台作りだったのかもしれない。というのも、後半で孝秋のナイーブで臆病な人柄が明らかになると、クズ男ではないことがわかり、徐々にバランスが取れてくるのだ。誰が悪いというのでもない、俺にどうしろっていうんだという、孝秋のやりきれない気持ちが切ないまでに伝わってくる。
プロットには意地悪な部分もある。ちょっとした衝撃でも落ちそうな状態の植木鉢、子供の指の怪我や失せ猫のポスター、それに姿の見えない猫の鳴き声が観客をミスリードするのだ。そのミスリードによって興味を失うことなく鑑賞し続けることになる。当方もうまくしてやられた。
いくつかの仕掛けを上手に配置する一方で、本作品は痴呆症とその家族の問題、家族ロスの問題、加害者に対する恨みと許しの問題という、骨太なテーマを投げかける。更に裏のテーマとして、格差と貧困の問題と不十分な政治サービスの問題が隠されている。シンプルで落ち着いたストーリーだが、重いテーマでお腹いっぱいになる。考えながら鑑賞する人にとっては、ずっしりと見応えがある作品だ。消化に時間がかかりそうである。
恨んでも、赦しても
強風の日に発生した隣家のベランダからの植木鉢落下事故を痴呆の父親のしわざでは?と疑う息子の話。
次男が久々に実家に帰ると痴呆が進んだ父親は、次男のことを交通事故で亡くなった長男と勘違いする様な状況下で巻き起こるストーリー。
植木鉢落下事故が発生して帰宅するとベランダの窓は開き床には土が、そして親父の手袋にも土が…というのを次男とヘルパーさんが見てしまい疑念を抱く様になる展開。
疑念を晴らすとか、真相を明かすとかそういう話ではなく、疑念を抱いてしまったが故の葛藤とか、背景にある長男の死で抱える思いとか、被害者家族の心情とか、そういうものをみせていく流れで、答えは無いし重くてキツいけれど、なかなか響いた。
正義と正義が対峙するとき、この感情はどこに行くのか
人生初のジャック&ベティはまさかの誕生30周年の記念の日。それを祝して制作された映画はなんと舞台挨拶付き。とても有意義な時間に。
作品はというと、「答えのない問いとそれに向き合う人々」がテーマという感じ。『空白』や『由宇子の天秤』と似たような形だが、1番動きが少なく鈍い。さらに言えば、何処よりも彷徨い、心の拠り所がない。監督いわく、正義vs正義の構図になっているがための物だと言う。確かに何処にも責めようのないもう1つの顔が滲む。少し疲れることもあってか、体感時間は長い。
カトウシンスケさんの放漫な雰囲気がすごくハマっているのだが、実際見てみると男らしいオーラを感じる。和田光沙さんも初めて見たが、やはりきれい。子役の子は端正な顔付きで可愛げもある。どうにも読めない雰囲気は作品の良いスパイスになっていたと思う。
少し難しいまま、意味を感じにくいカットも多かったのが惜しいところ。何はともあれ、ジャック&ベティさんおめでとうございます!
ピュアな視線の怖さ
公式オンライン試写会で視聴(2021/11/15)
交通事故、作業現場、事件現場に巻き込まれての事故。さまざまな事故現場で命を落とす被害者も出る場合がある。
毎日のニュース報道で知る一つひとつの出来事に、加害者・被害者を判断して一件落着。どこか一つの出来事の結末を見た感覚に落ち着きたいのかもしれない。
本作の奥田裕介監督は、そうした納得したい一種の安堵感に「そう簡単なことではないのかもしれない」と、気づきを与えてくれる。
団地に引っ越して来たばかりのある一家の大黒柱である夫が、ある日、ベランダから落ちてきた鉢植えが頭を直撃し、亡くなった。その日は風の強い日でベランダの腰壁の際に置いてあった鉢植えが運悪く頭を直撃した事故なのか。あるいは、誰かが意図的に落とした事件なのか…。縁故の線はないのだろう。警察は事故と判断する。だが、ベランダの部屋の住人は、周囲からの痛い視線にさらされる。
ベランダの部屋の住人の隣に住む認知症の老人の手袋が、当日、土で汚れていたのを訪ヘルパーの若い女性が思い出す。老人の息子は、自室のベランダにつながる台所のドアが事故当日開いていて、ベランダ用のサンダルが土で汚れていたのを思い出す。二人の心に「もしかしたら…」という疑念が心によぎる。
事故で亡くなった夫の一人息子は、時折り自室のベランダから階下の出入り口や団地内を眺めている。大人たちの会話にも想いを巡らすような雰囲気。いつしかそのピュアな視線は、大人たちが取り繕うとしている事柄を見つめているように痛く刺さってくる。
サスペンスフルに展開する事故後の日常とそれぞれの家庭と家族の想い。
一つの事故が明らかになることが、どのような意味で重要なのか。さまざまな立場の視線が痛くもあり、想いを吞み込んだ温もりのようになる。
子どもの相太役・太田流星の立ち居振る舞いとピュアな視線が心に残る。人の心の奥深くをのぞかせてくれる佳作でした。
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