グッバイ、ケイティのレビュー・感想・評価
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髭くらいそれ! 人種を無視した銃と薬が登場しない地雷映画
ここにもあった薄気味悪い地雷映画。
アメリカがおかしな国と思えるが、どうやら、おフランスがかかわっているらしい。まぁ、現実の方がひどいだろうけど。
それは兎も角、脚本も設定もましてや演出もなってないし、演技も一本調子で迫力が無い。
現実は銃が加わるから、もっと酷い。だから、警察が貧困層を取り締まる大義名分で黒人を虐げる。
この主人公を黒人で描けば、その勇気は買うけどね。
『娼婦に愛など無い。』って台詞。それが当たり前。愛があってたまるか!!
『行こう』は良いが、アメリカなんてどこ行っって同じ。途中から消えた男が『どこ行っても同じさ』って語っているでしょ。
abused woman
グッバイ、ケイティは日本の映画、とりわけ女性がひどい目に遭う映画によく似ています。まわりには彼女とその性を食い物にする人たちがいて、暴力があって、搾取されるたびに愁嘆場がありますが、不屈の生命力によって困難に立ち向かう──そんなAsused Womanのザ日本映画にそっくりです。
海外の批評家からは概ね酷評されています。
──Rotten Tomatoesにあった批評家評を引用します。
『作家/監督のウェインロバーツによるこのHarshな映画のポイントは無実の人にひどいことが起こるということです。が、ケイティは愚かさの点で無罪です。おとぎ話のような人生を素朴に信じている彼女は哀れよりも迷惑です。』
英訳的な日本語がわかりにくいですが、ケイティはひどい目に遭うけれど、彼女はばか(脚本がばか)なので気にならない。彼女の無垢には哀感よりも呆れる──と述べています。
同じような評が多数ありました。
感傷的で悲惨で見るのが辛い拷問ポルノだと評されています。
アートハウスを装っているがたんなるミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)映画だと言っているのもありました。
ケイティは経済的困窮と野望のために身体を売っていますが、それが日常の中に置かれていることでHarsh(厳しい/辛い/とげとげしい)な現実を強調しています。
でも、やらせてくれる女がいて、そこに群がってくる男たちがいる──そういうもんだろう──と言っているような世界観はとても貧相です。
『無邪気で優しい(という設定の)ケイティは本質的に彼女の背中に「KICKME」のサインが貼られたsmiley faceです。彼女は映画世界の犠牲者ではなくウェインロバーツの犠牲者になります。』──との批評もありました。
『背中に「KICKME」のサインが貼られたsmiley face』とはケイティが「わたしをいじめて」と言っているような女であると指摘しているのです。
Rotten Tomatoesの批評家評はいずれも同意できるものでした。
日本映画が海外の批評家から好かれている──という一定の先入観がありますが、グッバイ、ケイティに対する評からも、それがあり得ないことは明白だと思います。
封建的な世界観にたいしてもはや殆どの外国人がI've gotten tired of Japanese films about abused women.と言うはずです。いまさらロマンポルノやATGをやっていいはずがないのです。
砂漠の一軒家のようなダイナーと、着の身着のままのピンクのウェイトレス服──のケイティはなんとなく非現実的な存在でした。そこから幻想に向かえば良かったと思いますが、ケイティはきわめて人間的な困難と悲哀にまみれます。観る者をひたすら辛くさせる映画でした。
オリヴィア・クックには思うところがあります。本作でもぼくとアール~でもサラブレッドでもレディプレイヤー1でもLittle Fishでも思いましたが、もっと軽くて、ハッピーで、底抜けに笑っているオリヴィア・クックが見たい。悲しそうなクックはもうお腹いっぱいです。
不運を背負い込んで
働かない母親は隣近所で不倫中、娘17歳のケイティはウェイトレスをしながら町の男たちに体を売り、目指すはサンフランシスコへの夢の為に、一目惚れをしたブルーノとの幸せを描きながら。
ケイティには同情すら出来ない、人が良いのを通り越して詰めが甘過ぎる行動と言動に自ら不幸を呼び寄せているように、周りの理不尽な行動に振り回される顛末。
全体的に爽やかな印象は薄れないままに強く逞しく生きようとするケイティに希望があるようで無いような、全てを諦めてしまいゼロから始める人生に冴えない学習能力だけが悩みの種。。。
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