藁にもすがる獣たちのレビュー・感想・評価
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またもや韓国からクライムサスペンスの名作が誕生した
原作は未読。借金を抱えて首が回らなくなった人たちが一発逆転を狙う群像劇。
出てくる人たちが苦悩し恐怖しながら徐々に絡み合っていく展開は、奥田英朗や伊坂幸太郎の小説を読んでいるみたいな感覚。個人的にこういうクライムサスペンスの群像劇が大好きなので思いっきり楽しませてもらった。
派手なアクションはないが、代わりにヒリヒリと乾いた暴力シーンがちょいちょい繰り出される。結構ドギツイことをサラッと描いてて、怖いシーンのはずなのになんならちょっと笑えるシーンもあったりして。原作は日本の小説だが、ここまで面白くなったのは韓国映画ならではなんじゃないだろうか。脚本が素晴らしいからアクションの物足りなさなんて全く気にならなかった。韓国映画のクライムサスペンスの名作がまた生まれた。
ちなみに冒頭出てくるホテル内のサウナの従業員がピエール瀧にしか見えなかった(いろんな映画に出てる俳優さんなんだけど)。どうでもいい話ですみません。
この得点から1を引きたい駄作
上映開始10分目にして、演出力の凡庸さに気づく。
役者たちはステレオタイプの役柄しか与えられず、ただ役務をこなす。
つまり脚本と演出力が下手なのだ。 今までシネマート新宿で見てきた韓国映画は演技陣の厚みと、皆 水を得た魚のように生き生きとしていた。
名女優・ユン・ヨジョンまで配しておいても、気の利いた台詞も用意しない
エンドロール 一筆書きでキャストが紹介される。 あー、このアイデア1本で観客を面白がせれる、、と自信だろうが、観客は始めのチャプターを見た時に既に結末を予想できてしまうのだよ! と言ってやりたい
試写会で見た批評家は、提灯コメントをサービスせざるをえないのか? この初日前の高評価に、そう疑わざるを得ない
終盤になるにつれて1つになる形は引きつけられる
KCIAを観た際チネチッタでこの作品の予告を見て興味をそそられこの度鑑賞。
予告を見る限り一つの大金をめぐり人々が争う様子を想像させられる。
序盤は各々の登場人物の背景から始まる。その登場人物達が共通するのは借金苦で首が回らない状況である。そのお金に困った登場人物達がどうやって纏まったお金を工面し現状を打破するか描かれ物語は進む。
大金を工面するが故にやはり周囲はまともな人間を築けておらず、また悪い事をしてでもいかに大金を手に入れるかというダークな描写が続く。
序盤から中盤にかけては予告で想像させられた登場人物達各々が一つの大金を争い奪う展開やその様子がなく、
またそれぞれの人物達の仕事やら見た目やら共通性が薄い人生をそれぞれ送ってるため一瞬、あれ?という気持ちにさせられるが、
作品が進むにつれてその共通性の薄い人物達が借金苦という唯一の共通性から一つにまとまっていく展開は非常にエキサイトな気持ちにさせられる。
時には嘘をつき人を殺してでも金を得て、そして騙され、殺され金を奪われて…と主要キャラ達が獲得を狙った大金に関わった者全て一瞬の幸を得た後に大きな不幸を遂げる展開が繰り返される。
その展開は時にはバイオレンスに、時にはサイコチックに時にコメディカルにいろんな描かれた展開で進むため終始非常に楽しめる。
結局作中で金を奪い合ってきた人物達は誰一人幸を得る事ができず、最後はまた新しくその大金をめぐって不幸が広がる展開が始まりそうな臭いを漂わせて終わるのがまた面白い。
大金の始まりがあのDV被害を受けていた奥さんが得た保険金からはじまると予想していなかったのでそこも面白かった。
最後の最後に認知症のおばあちゃんが言い放った「生きてりゃなんとでもなる」がこの作品の全てだね。
悪い事、非道な事をしてでも得た物に対し幸は結局長くは続かない。苦しくても他に足つけて少しずつ前に進むのが良いのだろう。
韓国作品らしいとても楽しいサイココメディ作品であった。
究極のノンリニアー... ハリウッドでリメイク間違いなし!!
この映画『藁にもすがる獣たち』には主人公となる人はいない...
それはただ 金だ!!! 失礼、下品でした。
A grown man shouldn't cry. During the Korean War, the whole
country was like this. If you're alive, things will work out. With
2 arms and 2 legs, you can start over.
本作品が始まって、ものの5分ほどで間違いのない映画と... "韓国の至宝" ユン・ヨジョン女史のご登場とは、前もって何も映画について調べていない者にとっては、唐突であり、意外であり、ションベンたれ?であったり... と、この人、凄すぎる。
上記のセリフは映画も佳境に差し掛かった時の彼女のセリフで個人的には、この映画のシニカルさを表現した中に、言葉の意味のアイロニックさを区別した彼女ならではの人柄が表れる毛沢東の造語とされる "反面教師" 的でもあり映画の根幹とも呼べる表現となっている。
Nonlinear narrative... 非線形のストーリーラインの映画の切り口?
本作品『藁にもすがる獣たち』を製作し、また脚本家でもあるキム・ヨンフン監督が AMP(Asian Movie Pulse) のインタビューの中で、コーエン兄弟やタランティーノ監督を尊敬していると語り、映画の企画書と言えるプロットの組み立て方の構成も、本作品は名立たる映画賞を受賞しているタランティーノ監督の1994年の映画『パルプ・フィクション』で見られる時間的な順序とはイビツに異なった流れの当時としては珍しい手法である "Nonlinear narrative" 形式で時間軸を無視した話になっていて、映画自体は6つのパートのチャプターから成り立っている。この映画では、第一章が話の時系列から言うと第六章にならなければならないのに話の組み立ての面白さから順序を真逆にしてラストシーケンスから映画を始めている。
そして、またコーエン兄弟の映画『ファーゴ』でも見られた、人の人生に何が起きるか分からないプロット展開の複雑さの中に面白みも自然と感じてしまう...etc.
“Oh, my God! She’s such a -!” Subtext – what lies beneath
You completed that sentence, didn’t you?! I left a gap, and you
filled it with knowledge from your own experience of life and
people. That, right there, is the secret to subtext. Writers leave
gaps in knowledge; readers project knowledge into those gaps.
Subtext is the knowledge that goes into a gap, and that knowledge
comes from the reader. We’ll find out if ‘she’ is what you think she
is, and if you correctly filled that gap,
before the end of the article. デイビット・バブレン博士のブログより
アンサンブル映画に加え、プロットの時系列を無視したノンリニアーな展開から前半を過ぎても物語の登場人物同士の繋がりや話の整合性が皆目と言っていいほど分からず、話が闇の中に没入されそうになってしまっていた。普通なら非線形な話しの流れを映画製作者側が、ストーリーの筋を分かり易く描くところをこの映画『藁にもすがる獣たち』の製作者たちはあたかもお構いなしにバラバラのまま話をそのまま進めていく。しかし、その分かり難いストーリー展開でも個人的には、何故か嫌な気はしなかった... それは一体何故か?
初となる長編映画『藁にもすがる獣たち』を製作したキム・ヨンフン監督が、このドス黒いコミック・ネオ・ノワールの世界観をジッピーな機関銃ペースのシナリオ展開と共に、更にゴア表現で支えられた暴力の極みのアクションとグーフィネス・コメディの両方を暗闇の魅力的な力でブレンドさせた巧みな手法で上手く融合させ、この複雑な物語を見ているものを飽きさせず、また緊張させ続ける素晴らしいスクリプトをキム・ヨンフン監督は書き上げている。
映画の中で次に何が起こるかを予測することもさらに映画に感情移入をたやすくさせ、楽しくなってしまう。
監督は AMP のインタビューでこんなことも語っていた。「この映画では、誰もが異なる嘘をついていて、色にそれを反映させたかったのです。(ヨンヒ—白、テヨン—青、ミラン—オレンジ、ジンテ—紫など)。カラフルなネオンサインの下に住むテヨンにとって、彼は日光の代わりにもっとより人工的な光に触れさせています。一方、ミランはタングステンの雰囲気があります。」
美学として利用するカラーパレットの色合いやネオン管に現れる決して明るくはないこころを象徴しているように華麗で妖気を発しているかのようでコメントコンサルタントと別の顔を持つ小説家でもあるデイビット・バブレン博士が提唱するサブテキストによる効果と創作物の中で、登場人物がはっきりと明示しないギャップ感がラストに近づくにつれて、話の整合性が見えてきて、あの入り組んだ迷路のようなストーリー展開から終盤に一気に話がまとまり、その解放感は顕著になり、またカタルシスは全開となる。
When you strike it rich, you can’t trust anyone... この言葉は重い!
この映画は、映画『神の一手』で、あたし好みのムキムキのビルドアップした飽きの来ない身体を見せつけ、また映画『無垢なる証人』では有能な弁護士を演じた憧れの的と呼ばれる韓国を代表するハートスロブ俳優の一人のチョン・ウソンとカンヌ女優のチョン・ドヨンを含む経験豊富なキャストの人たちがこれほどのクズ人間を演じるとは信じられない。
特に最近拝見した映画『君の誕生日』でのチョン・ドヨンさんの喪失感の表れから、ほとんどスッピンだったのを思い出すのは容易だったにしても、ヨンヒ(チョン・ドヨン)が浴槽の中で死体を傍らに置いたしり目に浴室で彼女が携帯電話をいじっている場面は、コーエン兄弟の映画『ファーゴ』のピーター・ストーメアがウッド・チョッパーで人を粉砕させるシーンを連想させる... 死体の硬直した足の感じが、フフフ?
彼女、眉一つ動かさずに人を切り刻む超が付くほどの変態的アバズレ(失言です。またまた下品で)女性を演じるとは並の女優さんが演じるとコッケイにしか映らず、彼女ならではのさすがとしか言いようがない。
『おかしなおかしなおかしな世界』1963年のアメリカのコメディ映画ほどのコミカルさはないにしても、ある銘柄のタバコの名前に引っかけてのワン・シーンはチョットやり過ぎ感が出てしまっていたけども、映画のスリリングさがそれでもそんなことはとるに足らないことにしてしまっている。
ペ・ジヌン演じる魚の内臓を好んで食べる巨漢男は異彩を放ち、最後の殺しの場面では映画の中で包丁をあんな風に使ったのを見たのは初めてかもしれない。そのシニカルな殺しがこの映画の凍てつくような冷え冷えした全体の雰囲気と映像美とを形作っている。
前出のAMPの質問に何故、日本の作家の作品を選んだのかという問いに
キム・ヨンフン監督は... 「当時、私が取り組んでいたスクリプトはあまりうまくいきませんでした。それで、私は本屋を訪れました。その本のタイトルが私の目に留まったのです。」この言葉は、一見、監督が行き詰って新しいテーマを探しに本屋に行って日本人の作家の作品と出会った何気ない偶然のエピソードとして捉えることができる。
しかし、世代が変われば話も変わる。
遠い昔、南の島国からの帰り、韓国の知人からぜひ、"日本の京都みたいだから" と慶州を観光してからでも遅くはないからトランジットで韓国に寄ったことがあった。その当時は、まだ韓国での日本の大衆文化の流入制限がされていて、日本語の旅行ガイドを持っていかずに行ったので単純に電車に乗る事すらままならず、少し戸惑った事を監督のコメントから急に思い出した。
そんな時もあった、今の韓国は変ったんだな~っと。
そんな映画です。
「映画」を面白がれる「映画」だ。
こいつは面白い拾い物。終息の仕方が小気味よい、パルプフィクション的な構成術。伊坂幸太郎テイストだが、日本の漫画が原作だそうな。久しぶりに<必見>のスクリューボールな韓国映画だ。
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