「ふしぎっとと私たちのマヨイガ」岬のマヨイガ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
ふしぎっとと私たちのマヨイガ
好きな作品だわ、これ。だって、
東北地方が舞台。私は福島で作品は岩手だが、東北訛りが心地よい。
声の出演に芦田愛菜やサンドウィッチマン。アノ番組かよ!今日は何の“博士ちゃん”!? 大竹しのぶも包容力ある声。
彼らが命を吹き込んだ登場人物たちが織り成す人間模様。人と人の繋がり、悲しみからの再生。支えになってくれる存在、言葉…。何処までも優しく、温かく。
私たちの居場所、家。私たちは“家族”。
美味しそうな料理。これら本当に美味しそう!
心底憧れる穏やかでのんびりとした自然に囲まれた暮らし。美しい映像、音楽。
交流は“人間たち”とだけじゃない。日本の何処かに居ると思わせてくれる。“少し・不思議”。
基の民話や伝承が日本人の心を堪らなくそそる。
まるで『おおかみこどもの雨と雪』×『となりのトトロ』×『まんが日本昔ばなし』のような純日本ファンタジー。
開幕シーン。てっきり勘違いした。
一人の老女と二人の少女。
両親を失い、岩手の田舎の祖母の元へ引き取られ…と、誰だって思うが、実はこれが違う。複雑な訳あり。
17歳のユイ。ある事情から家を出、この地にやって来た。
8歳のひより。両親を事故で亡くし、親戚も震災で亡くす。そのショックで声を出せなくなり…。
震災直後の岩手が舞台。地震や津波の直線的な描写は無いが、生々しい被災跡が残る。
避難所で出会う。身元を聞かれ困っていた時助けてくれたのが、キワさん。
初めて会う自分の孫たち、と。
行き場も身寄りも無いユイとひより。そんなひょんな事からキワさんに引き取られる事に。
キワさんは二人を連れて、海が一望出来る崖の上の古民家へ。
キワさんはここに一人で暮らしているのだが、この古民家、ただの古民家じゃない。
“マヨイガ”。来た者をもてなす不思議な家。岩手県に伝わる伝説。
確かにこの家で暮らすようになってから、不思議な事が。破いた障子が元通り。ちょうどいい湯加減でお風呂が焚かれる。水が飲みたいと言ったら、コップに水が注がれる。氷付きで。お布団も敷いてくれる。そして時々、自分たちに応えるかのような轟音…いや、“声”。
『ハウルの動く城』『ミラベルと魔法だらけの家』など“意思を持った家”はファンタジーの要素の一つだが、やはり私は日本人。一番住んでみたい!
見た目はボロだけど、内装は意外やお洒落で居心地良さそう。
始まった3人の暮らし。
ひよりは悲しく辛い事をこの歳で立て続けに体験してきた。
あるシーンでの本音が胸を打つ。“どうして私だけ? 何も悪い事してないのに…”。
本来ならもっと塞ぎ込んで悲観に暮れてもいい孤独な少々。が、決してそんな顔はせず、健気で純真。元々明るい子なのだ。
複雑なのは寧ろ、ユイの方。
周囲に心を閉ざし、人見知り気味。冷めた目、口調、態度…。時々、皮肉や毒舌も。(ヤバ、マジ…など現代っこで、ちょっとひねくれてもいるけど、許せちゃうのは愛菜ちゃんボイスだから!)
“街の方”に住んでいたユイ。母親が家を出、父親と二人暮らしであったが、その父は威圧的。
“お前の為なんだ”。この言葉、使いようによっては重圧にもなる。
それがどんなに難しい年頃の少女を苦しめるか。母親が出て行った事も、父親との不和も…。
そこから逃げてきた。
そして彼女もまた。“どうして私だけ…?”。
そんは二人に手を差し伸べたキワさん。
作ってくれる美味しそうな料理、優しさに癒される。一つ一つの言葉が諭してくれる。支えてくれる。
“すんぺすんな”。
3人に血の繋がりは無い。赤の他人。
しかし、もはや映画の一つのジャンルとでも言うべき“擬似家族”。私の大好きな『男はつらいよ』もそう。
血の繋がりは欠けがえない。でも時に、血の繋がらない家族の絆は血の繋がる家族以上。
“家族”の姿、在り方を問い掛けてくれる。
前半はこの何気ない暮らし、日常がのんびりゆったりと流れていく。
退屈と感じる人もいるだろうが、私にとってはどれもドストライク!
はぁ、つくづくいいなぁ…。
そして、魅力的な要素がもう一つ。
ある日、お客さんがやって来るという。
さて、どんな人…?
…“人”ではなかった。
何と、河童!
しかもキワさんは、その河童たちと親しげ。
ここは妖怪の住む地…? キワさんも何者…?
足を踏み入れてはならない所に足を踏み入れ、見てはならないものを見てしまったような…。
すんぺすんな。
優しい河童たち。愉快で、勿論きゅうりが好物。ユイが作ったカルボナーラもうまい!うまい!と食べてくれる。暗い事情を抱えるキワさんの“孫たち”を気に掛けてくれる。
彼らの性格はもう、気のいいおじさんたち。
河童だけじゃない。
番犬のような狛犬。
何処からともなく飛んで来たお地蔵様。
3人は遠野へ。キワさんは遠野出身。(ちなみに本作の原作小説は岩手県遠野地方に伝わる民間伝承集“遠野物語”を基にしている)
山奥に別の“マヨイガ”が。まるでお屋敷や旅館のような豪華絢爛さ。料理も大盤振る舞い。一泊してぇ…。マヨイガの“主”なのだろう。
そこに居たのは、各東北地方から集まった妖怪たち。河童は勿論、天狗、雪女、座敷わらし…。
彼らは“ふしぎっと”と呼ばれる世界の妖怪たち。
キワさんは“ふしぎっと”と通じる人間の一人。
この世界に妖怪は居る。でも、むやみに存在を漏らしてはならない。
大抵の人はそう。得体の知れない存在、未知の世界を信じない。敵視する。
きっと昔は、キワさんの他にももっとたくさん“ふしぎっと”と通じる人たちが居たに違いない。
いつしか人は、彼らの存在や世界を信じなくなって、忘れて…。
怖がる事など微塵も無い。すんぺすんな。
彼らやその世界を知る“家族”になりたい…?
うん。なりたい。
“ふしぎっと”の妖怪たちは今、人間たちを心配している。
と言うのも、最近この地で奇怪な事件が起きている。
住人が突然この地を去ったり、死んだ大切な人の姿を見たり…。
思い当たる節は、キワさんが話してくれた民話の中にあった。
人の悲しみ、苦しみ、負の感情を食らう化け物。
蛇のような姿で、大きな赤い目を持つ事から、“アガメ”。
時に人から大切な存在を奪い、その幻すら見せる。
ユイもひよりもある時、このアガメを目撃し、危うく襲われる所だった。
民話上もしくは遠い昔の化け物が、何故今になって現れた…?
原因は、震災。震災によって、人々が抱え切れないくらいの悲しみ、苦しみ、辛さを背負い、それを食らいにまた姿を現したのだ。
これに対処する事になった妖怪たち、キワさん。
前半のほのぼのとした作風から一転、ラストは暗雲立ち込めるサスペンスフルな展開に。
アガメは人の負の感情を食らって食らって食らって、怪獣のようなデカさに。
キワさんはたった一人で立ち向かう。
…って言うか、おばあさん一人で大丈夫…? 案の定、アガメの力は予想を遥かに超え、全く歯が立たない。
遠野のマヨイガに出向いたのは、ユイとひよりを守る為。この危険に巻き込めない。
そんなのイヤだよ! だって、私たちは家族。また3人で岬のマヨイガで暮らす。
ユイとひよりはキワさんを助けに向かう…。
このラストの急展開、人によっては蛇足感や違和感を感じるかもしれないが、私は必要性あると見た。
ユイとひよりにとっての“アガメ”は、各々が乗り越えなければならないもの。
助けに向かっていた時、ユイは父親と出くわす。
強引に連れ戻されそうになる。
この時のユイの台詞…
ここに居たい。ここで暮らす。ここが私の家。
これは東日本大震災被災者の叫びの代弁。
震災によって住む家を失った。大切な人も亡くした。何もかも私たちの周りから消えた…。
だけどそれでも、私たちはこの東北の地で生きていく。暮らしていく。私たちの“マヨイガ”なのだから。
連れ去られるユイ。その時、遂にひよりが…。
“声”は時に人を傷付ける凶器にもなるが、やはり私は信じたい。“声”こそ人の心や思いを伝えるこれ以上ない力。
単に化け物を倒す話じゃない。
悲しみ、苦しみ、辛さを断ち切り、新しい一歩を踏み出す。
まるで鎮まるように消えていったアガメ。
アガメ=つまり、人の心にはそれぞれ抱えるものがある。
“再起”って言葉や口では簡単に言えるけど、実際は難しい。
少しずつでいい。地に足付けて、気持ちを持って、少しずつ。
“擬似家族”と“和製ファンタジー”の児童文学を書き続ける柏葉幸子。
川面真也監督の温もり豊かで丁寧な演出。
名脚本家、吉田玲子の手腕。
彼らの賜物。
コロナ、軍事侵攻、先日再び東北地方を襲った地震…。
今世界は、世の中は、気が滅入り、イヤな事ばかり。
単純に解決出来ず、どうしようもない問題だらけ…。
ただでさえ日々の暮らしも楽ではない。
そんな時だからこそ、この作品に癒された。包み込んでくれた。
心優しく、ほっこりするほど。
悲しくなったり、苦しくなったり、辛くなったり、迷うような事があったら、いつでもおいで。すんぺすんな。
ふしぎっと、マヨイガ、妖怪たち、人々がもてなしてくれる。