ステージ・マザーのレビュー・感想・評価
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とてもよかった。久しぶりに素直に感動した。 この「好転・改善・解決...
とてもよかった。久しぶりに素直に感動した。
この「好転・改善・解決」が、全てリッキーが死なないと起こらないことなのが切なかった。
リッキーが死ななくても起こせた人はいたけれど、起こったかもしれないけど、でも現実問題起こらなかった。これは別にリッキーが可哀想だというよりは、「人は勝手に救われる」ということで、そこに死者目線で切なさを覚えるのは無意味なのだが。でも、死んだ理由が、死によって、あるいは死後無関係な要素によって解決したとて、生きていく理由や死ななくてよかった理由にはならない。むしろ死を選んだことの正当性を強化してしまうとすら思う。人が死んだくらいで解決できる問題を、それでも彼が死ぬまでは誰も解決しようとしてくれなかったし、彼自身も解決できなかった(自死の理由が明確ではないので─そこもこの映画の優れた点だと思う─この「問題」が自死の理由かは傍論に置く)。リッキーが死んだ、悲しい、それはそれとして明日も生きていく、という、この映画の「主観」から外れると、ふいに救われなくなる。私が。
でもこれでいいと思う。だから素晴らしい映画なのだと思う。
なんというか、死を選んだ理由が明確でないからこそ、「弔い」という行為が純度の高い愛によるものだと納得しやすい。そんな感じ。
話が…
とんとんと上手く行き過ぎなところもあるけど、気持ちがほっこりする映画。親の思うようにならない子供。育て方を間違ったのか、田舎テキサス州であれば、尚の事、同性愛に関しては否定的、恥ずべきこととして、最後まで父親は認めなかった。その気持ちもわからないでもない。メイビリンはそれ以上に息子を愛し、理解しようとしたからこそ、彼の仲間たちもすんなり迎え入れたと思う。ネイサン役のエイドリアン・グレニアー、渋い声のアンソニー・スコディが良い。
ジャッキー・ウィーパーの名演
テキサスの田舎に住む主婦メイベリン(ジャッキー・ウィーバー)は、疎遠だった息子リッキーが死んだとの連絡を受け、リッキーが生活していたサンフランシスコへ向かった。そこで、リッキーのパートナーであるネイサンから、息子がドラァグクイーンでゲイバーを経営していたことを知らされるた。バーの経営権はリッキーの親族、つまり母親のメイベリンにあり、そのバーは破綻の危機だと知った。メイベリンは息子が残したゲイバーを従業員に寄り添いながら再建していくという話。
dragを知らず、drugと勘違いして、薬物の女王?と勘違いしてしまった。正しくは「非常に派手な化粧を施すことやウィッグを被る、胸を誇張するなどを衣装の一部として用いること」wikより、らしい。
何の商売にしろ、お客さんに喜んでもらう事、お客さんに来てもらうための営業活動、そして従業員の悩みに真摯に向き合い寄り添う事、が大切だと教えてくれる作品。
最後、あの頑固オヤジの元で慎ましく生活する、訳ないよな、って思ってたら予想通りの展開で、楽しかった。
【"私の息子はスターだった・・"深い悔いを抱えた母が、亡き息子のために勇気を出して行った尊き事。母は偉大である。】
- 息子リッキーが、ゲイである事を受け入れられずに、永年疎遠だったメイベリン(ジャッキー・ウィーバー)は息子の突然の訃報を聞き、テキサスの田舎町から、サンフランシスコへ向かう。サンフランシスコで、息子はドラァグクイーンとして、パートナーのネイサンとゲイバーを営んでいた・・。-
■感想
・幼き頃から、愛して来た息子リッキーとの齟齬を悔い、リッキーの迷えるゲイの友人を"真の母の様に"、時に励まし、時にドラッグから救い、時にゲイになった息子を受け入れられない嘗ての自分の様な母を説得し、時にシングルマザーに暴力を振るう愚かしき男に銃を向け、追い出すメイベリンの姿。
-そんな日々を送るメイベリンが、どんどん美しくなって行く姿。チーフコンシェルジュとも、親密になって行く・・。-
・ネイサンとの関係性も、徐々に好転して行く。
-あのメイベリンの姿を見れば、そうなるよね。-
・経営危機に陥っていたリッキーとネイサンのバーに、客を呼び込むために奔走するメイベリン。チーフコンシェルジュも協力し・・
・最後迄、息子を許さない夫に見切りを付け、再びサンフランシスコに戻るメイベリン。そして・・・
<ラストのメイベリンの"亡き息子"とのファーストショーの素晴らしさ。そして、リッキーに告げた事。保守的価値観と悩みを抱えるマイノリティ達が起こした事。多様性社会の理想を実現させ、第2の人生を歩む決意をしたメイベリンの姿が素晴らしい作品である。>
ステージマザーと聞くといまだに宮沢りえを思い出してしまう
ドラァグクイーンになった息子リッキーが店の舞台で急死してしまい(ドラッグ中毒が原因)、知らせを受けた長年疎遠だった母親のメイベリンが夫の反対を押しきり、テキサス州からサンフランシスコに単身で葬儀に駆けつける。教会での葬儀は仲間により取り仕切られ、まるでお店のショータイム。ダブルショックで途中退席してしまう。そこへたまたま通りがかったのが、ルーシー・リュー扮するリッキーの親友のシングルマザーのシエナ。かわいい男の赤ちゃんも中国系でしたが、名前がリッキー。シエナの部屋で生前の息子のことを聞いたり、子供のお守りをしながら、親しくなってゆくメイベリンとシエナ。シエナの子供の父親はリッキーの盟友だったネイサンらしい(バイかな)。後々、ゲイバーはリッキーとネイサンの共同経営で、名義も協同だったことが判明。メイベリンに相続権があると言われるが、店の経営はリッキーの死以来、苦しくなるばかりで、ネイサンはリッキー名義で借りているアパート代も払えないと言うのだった。息子が愛した店を復活させることを使命と感じ、夫に電話して、リッキーの通帳にかなりの額を振り込んでもらう。本人が死んでしまっているので、口座は閉鎖されてしまい、おろせないはずなのに、映画なのでお金がおろせて、店の復興資金に使われる。観光客を取り込むことを考えつき、チラシを作ってホテルに出向く。受付のボーイはこんないかがわしいものは置けないと、チラシを投げ返し、床にばらまかれてしまう。偶然、そこへ通りがかった支配人の紳士がチラシを拾ってくれる。メルベリンのテキサス訛りに気が付いた彼もテキサス州出身だった。なぜか、おいらくの恋に発展。お店にきてショーの素晴らしさを確かめてと言われ、店を訪れた老紳士は新しくなった店のショーを気に入り、ホテルの客に向けた夜のツアー企画でバックアップしてくれることに。店は以前の賑わいを取り戻し、経営はどんどん順調になってゆく。
重要キャストのひとりがドラッグに依存することを知ったメイベリンが彼のアパートに泊まり込んでまで息子と同じ顛末にならないように支援し、彼もそれに応えて克服する。ちょっとええ話し。
しかし、ロサンゼルス滞在が長引く彼女をよく思わない夫がいた。彼は息子を死んだあとでも受け入れ拒否を通すのだった。彼女と夫の間には深い溝が。そして、夫のことを弱腰で前に踏み出せない小さい男とバッサリと斬るメイベリン。結局、店の経営はネイサンに譲り、売上の20%をもらうことにして、テキサスに戻るのです。彼女のしたたかさにちょっと笑わされました。
テキサス魂のメイベリンがゲイの息子をどう思っていたかが、結構あやふやなので、夫だけ悪役みたいな落ち着きかたにはちょっとだけ違和感感じました。
ステージマザーと聞くと、いまだにサンタフェの宮沢りえを思い出します。貴乃花も宮沢りえと結婚していたら未来は変わっていたかな? 宮沢りえは今とても幸せそうなので、よかったと思いますけど。
ジョアン役のアリスター・マクドナルドがいちばんお気に入りでした。昔よく行ったゲイバーのショーを思い出していました。
音楽ミュージカル映画としては、かなりよかったと思います。
性的マイノリティーを描いた映画
なんだけど何か話に入っていけなかったな
何故だろう?自分でも理由がよくわからないけど
昔はあまり描かれなかったLGBTな人達も
今では事あるごとに描かれる様になってる
それはいいんだけどさ
観てる人大半がLGBTじゃないの忘れてない?
同意求めても得られないのよ、普通な人には
俺はわかった様な理解した様な素振りするの嫌だから
わかりたくないんだよなぁ
逆に理解できないからこうゆう映画見るのかもしれないね
個人的にはLGBTなんて性的嗜好の話でしょ?
俺が俺の性的嗜好の話する?しないよね??
性的嗜好は他人は理解できないんだよなぁ
ま、それはおいといて
映画の内容は普通な感じ
息子がドラッグクイーンだと知った母親がゲイバーを相続
そのゲイバーを存続させる為に奮闘する...
脇役にルーシー姉さんが居たりして注意を引く...割りにあまりそっちの物語は膨らまない
危ぶまれたゲイバーも母親が聖歌隊の指導してる人で指導したらすぐに良くなる
薬やってる仲間が居れば行って世話をしてやり
乱暴者にルーシー姉さんがぶたれていれば拳銃を突きつけもう来るなクソ野郎と言ってやる
なんか予定調和を見守る感じで波乱がないそんな脚本だった
現実のマイノリティーが置かれる状況から飛び出して
ゲイって楽しいよねって言いたいような映画で
映画の本分、物事や人間の関係性を物語を通じて洗い出す様な
逃げられない現実を提示する様な部分が皆無な映画だったな
現実味のない夢って感じでした
悪くはない
もちろん
良くもないが
それぞれの居場所
J.ウィーバー演じるメイベリンは冒頭に息子リッキーの訃報を知るところから始まる。親子関係は破綻しており父親は彼の葬儀に行くことを拒否しメイベリン一人葬儀に行く事となる。
息子はゲイであり彼のパートナーであるネイサンと出会う。
そこで予告にある通り息子が生前経営していたゲイバーの相続やらを引き継ぐ事を知らされ戸惑う。
ネイサンもまた当初はリッキーが生前ゲイである事を両親は十分に理解してくれてないと聞いていたためメイベリンの存在を拒むが、メイベリンはリッキーと十分に過ごす事ができなかった時間、彼がどう生きていたか興味を持ちその道を進み、次第にゲイバー、そしてゲイに生きる者達の存在を理解し始める。
最終的には彼らゲイ達と理解し友となり、メイベリン自身今後も経営に関わる事を望むが、旦那は最後まで理解することはできず最後は別々の道を進むところで作品は終わる。
良い意味で大きな裏切る展開もなく予告通りにストーリーは進むため非常に見やすく、そしてハートフルな作品である。
特に個人的にこの作品の好きなところはそれぞれの居場所を守る大切さだ。
この世界に生きる誰しもが居場所があり自分が所属するサークルを持つ。もちろんその居場所というのは状況によっては失われる事もある。この作品でいえば経営事情が悪化すればゲイバーに生きる彼らの居場所が失われるのは悲しい事ではあるが仕方のないことでもある。
彼らのような社会的には決してノーマルな居場所ではなく、敵を作りやすい居場所かもしれないが、そういう居場所を否定したり奪う権利は誰にもない。
リッキーはゲイであるが故に生前自分の居場所が中々見つける事ができなかったであろう。だからこそあのゲイバーをこよなく愛し、そして亡くなった今でもその場所を訪れたメイベリンがリッキーの強い意思に惹かれたのではないか。
彼女もまた最後に平穏な生活からこのゲイバーに移り行く姿も彼女が見出した居場所であろう。
また同時に亡くなったからそれでおしまいではなく、亡くなってしまったけど生前に理解してあげられなかった事を少しづつ理解しようと歩んでいくメイベリンの姿がとても美しい。
もちろん亡くなる前に価値観を共有し、理解し合える事が何よりも幸せな事ではあるが亡くなってからでも故人の意思を引き継ぐ姿はグッとくる。
上にも書いた通り決して大きな展開があるわけではないが安心して見る事ができそして心温まる作品であった。
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