「美男子俳優の無駄使い!」ダニエル Puti Nakiさんの映画レビュー(感想・評価)
美男子俳優の無駄使い!
The mind will do anything to avoid confronting just how alone
it is in the universe.
世紀の美だんご... 前髪を垂らし、いつも猫背で歩き、暗く、ダサい服装で友達が一人としていないマイルズ・ロビンス演じるルークと髪をオールバックにし、胸を張り、スタイリッシュに着こなし笑顔の裏に悪を感じさせるパトリック・シュワルツェネッガー演じるダニエル...
この二人のコントラストは旬な彼らでしかできない。日本人がいくら手足が伸びても小顔になったとしても彼らのオーラには嫉妬という言葉さえ足踏みをし、尻込みをしてしまう。
対比が顕著に表れるのが、ヴェラザノ=ナローズ・ブリッジの橋脚でのニューヨークのヴェラザノ海峡を望む二人の会話は、美男を好きな方なら彼らの美しさから失神もの⁉ そのシーケンスを支えているクリストファー・スティーブン・クラークによるピアノ曲 "Mumanguish" が彼らの愛おしさを倍増し、この映画の芸術的、耽美的、排他的映像化の粋となっている。
しかもルークが試験中、ダニエルがいきなり裸になり、ダニエルは体に書いた答えをルークに教えたいのか? それともぜい肉をそぎ落とし、鍛え上げられ、ビルドアップした身体をただ見せびらかしたい為か?
危険なカオリも...
"To be naked is to be oneself. To be nude is to be seen naked by
others and yet not recognized for oneself."
イギリスの美術評論家ジョン・バージャーの「ものの見方」より
映画の中で、キャッシーが芸術の世界に飛び込むきっかけとなったジョン・バージャーの言葉を知っているそんなルークの博学なところが好きになり、ラストのシーンのカギを握る女性となっている。
Do you wanna go play?
映画の冒頭のカフェでのショッキングな乱射シーン... そしてそこでダニエルと少年のルークが出会う印象的な場面なんだけど、大概はこんなことをプロットに取り入れる映画ってしれている⁉
数えきれないほどリメイクされている古典映画『ジキル博士とハイド氏 』のような二重人格者の物語なのか? それとも生きることに正面から挑むデヴィッド・フィンチャー監督製作の1999年の映画『ファイト・クラブ』のような映画になるのかと思っていると... 行きつくところは、シドニー・ポワティエ以来二人目のオスカー主演男優デンゼル・ワシントン主演映画『悪魔を憐れむ歌(1998)』には及びもしない亜流のホラー映画になり下がる展開となっていく。
"Patrick Schwarzenegger says he was inspired by Nicolas Cage
for new horror role" ニューヨーク・ポスト2019.12の記事より
俳優イライジャ・ウッドが立ち上げた映画およびゲーム
制作会社SpectreVision... 本作品と何かの偶然か? パトリック・シュワルツェネッガーが影響を受けたとされるニコラス・ケイジが主演を務めた希代の怪奇小説家ラドクリフ原作の映画『カラー・アウト・オブ・スペース -遭遇-』も同じ年にリリースされている。
AMAと呼ばれるインタラクティブ(双方向)インタビュー形式のソーシャルネットワークのサブレディットに2013年、俳優のイーサン・ホークがこんな事を語っていた。「ニコラス・ケイジはマーロンブランド以来、芸術としての演技において実際に何か新しいことをした唯一の俳優です。彼は私たちを表現形式上の自然主義の執着から、古典的吟遊詩人が愛されたように私が想像する一種の演技スタイルにうまく導いてくれました。」
インディ・ワイヤのインタビューでは、ニコラス・ケイジは関連しているような言葉を残している。「私はずっと前に、自然主義的な演技を求めはしないと決断をしました。映画『グランド・ジョー(2013)』でやったように、時々そうしますが、他のインスピレーションもいくつか試したかったのです。私はアートのシンクロニシティ(ユングの提唱した共時性)を信じています。あるアートの形でできることは、別のアートの形でできるということです。ですから、『ゴーストライダー(2007)』でやったように、エドヴァルド・ムンクの『叫び』を真似て、抽象的な演技ができます。またオペラや西洋の歌舞伎にしたいのなら、それもできます。」
パパのシュワちゃんが、息子の映画を見て、息子も成長したみたいなことを言ってたみたいだけど、この映画『ダニエル』に関しては、悪の存在を具現化したことで、アニメティックになってしまい、映画自体もありきたりなホラー映画になってしまっている。前半のスクリプトとかなり違う世間受けを狙ったとしか考えられない安直なところも至極残念な映画と言えるかもしれない。