ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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登場人物や観劇者全てを包み込む圧倒的受容力のある映画
静寂の中に、心の奥底へ通じる激しい脈動がある。映画の深い呼吸に合わせて、観ている側まで世界の深層に沈み込むような感覚になる。
自己や他者や過去を知り、受け入れ、進むことの果てしなさを思い知らされる。
稽古場で「自分を差し出し、テキストに応える」という家福の役者への要求は現実の登場人物の人生とも地続きになっているだろう。世界あるいは他者というテキストに自分を差し出し、応えることで自分の守ってきたものが壊される。その苦しみの中に救いがあるのかもしれない。
ラストシーンの『ワーニャ叔父さん』の台詞がこの物語の全てを温かくまた厳しく包み込む。それが手話で語られることも、観劇体験を強化させている。我々が言葉を丁寧に「話し」「聞く」ことを忘れていることをも思い出させる力強い映画であった。
僕たちは大丈夫だ
声に惹かれる。
今まで出逢った人の中で
何人かいる一人でした。
霧島かれんさん
本作は、
動作音と代替表現を
時間経過の前後差の変化で
伏線や意味を
多く含ませている事にきづいて
その解釈に引き込まれました。
アパートのドア鍵の開閉音
ドライバーの傷
妻の相手
聞き逃すまい
見逃すまいと。
でも、一番の魅力は
人が持つ物語が
関わった人に伝播して
織りなし広がり
落着くところに収まるところ。
それはまるで
考えぬかれた
多彩なメロディで構成された
音楽のようでした。
私が作中で知った生き方の
レシピで
いいなと思った要素は‥
sexの後に紡ぐ物語を
語る本人が忘れて
聞き手が残して作品にする、
一方、
舞台セリフのテープ起こしを
妻がして、夫が暗記に使う。
というように
ライフワークを補完することで
おたがいが必要とする暮し。
日本語、外国語、手話という多彩な
コミュニケーションをキャストが
使う。
世の中には、
こんなたくさんの心の表現方法が
あるけど、心を通わせるのは難しい。
けども、
ドライブでの二人のように
思いを相手に表現することで
人とのつながり方は
変えられるんじゃないかと。
自己保身の間接的殺人者に
なってしまった者の
再生を
すでに再生している広島の街の
シンボルと対比させて
二人の心を通わせるきっかけ
にしている。
ラストシーン
自分が人生で知り合った
良いと思ったものに
囲まれて
変えたいものを
置き換えて
生まれ変わる姿。
次に踏み出す一歩が欲しいとき
観たい作品ですね。
おすすめ。
気付いたら終わっていた
179分という長編ということもあって、主要人物の話がとても濃く描かれていてとても良かったです。
それぞれのキャラ像が見えていく中で主人公の妻が話していたエピソードが主要人物に重ねるとって上映が終わってからずっと考えてしまっています。
村上春樹著作のものを読んでいないのでこの捉え方が正しくない可能性もありますが、、
物語の進め方から序盤から物語の世界に惹き込まれていったため『もう終わり!?』って気持ちになれた作品です。
アカデミー賞受賞おめでとうございます㊗️
心の準備 - タイトルが違うだろ
ロードムービーとか車マニアの話しとか、のんびり気楽に見れると勘違いしてたのが大失敗www
暗い映画で何か考えさせたいにしては、設定、リアリティが貧弱、顕著なのは、被害者が死んでからとか公衆で全部言って逮捕とかないない、話しだからで終わってはいけない。まさか気がつかないわけはないから、そこを考えることから逃げているということだろう。
北海道の場面も端折ってる、心の整理に君の故郷へは納得、そうしたいだろうな、感情移入するぞと意識して臨んだのに、道中も特に大したことはなかったし、、、
また、演劇の作り方とかも知らなかったが、ああ、前近代的な徒弟制度チックでめんどくさい世界だなと、引いてしまった。
また、私はタバコの匂いがすごく嫌いなので、車好きとタバコはどうなんだ⁇ と、せっかくの美しいつもりのシーン、二人でタバコを車外に手を上げるシーンの魅力も半減した。
そして決定的に、ああ原作村上春樹だったwww
下調べ、暗い話しに対するプロテクト、心の準備が全くできていなかったと反省した。しかしメディアの露出はかなりあったのに気がつかなかったなあwww
しかし演技指導と称して、それ単に妻を寝取られた意趣返しで西島くんが若手をいじめてるだけだろwww 仕事なら距離を置いて落とすだろ現実的に、、、見てるこっちが心苦しくて集中できないよwww
あんな美しい大好きな妻の浮気現場は忘れたいだけだろう。死んでたらなおさらだろう。職場でそんなのと顔を合わせたいか⁇💢いちいち顔を見るたび思い出したいか⁇💢
それ平気なら苦しんでないということなら矛盾してるだろ、苦しまなきゃ話しにならないだろ、そこだけでも、この脚本は論理破綻なんだよ、論理的にも感情人間的にもそういうもんだろうがよ💢www
だからこの話しは、そもそも人間が書けてないんだよwww
そういう安直な設定ができる製作者たちwww の人生さえ軽く思える、こいつら薄っぺらで軽く何も考えずに、大して何もない人生を退屈に生きてるんだなー、とさえ思いが至ってしまうwww
若手の短絡的すぎるキレ具合もあり得なさすぎ痛すぎてなんだかなあ、スクリーンの人物の愚鈍さ気持ち悪さに目を伏せた、こんなあり得ない登場人物話しに出しちゃいけない的なのも初めてだったwww
車中の二人の男の独白バトルも、なんだそれwww
話中の小説の話しが面白くても、それで誤魔化している感じかな、、、
母親を見殺した話しも仕事で数ヶ月くらいの関係性じゃ話すだろうかな、寝物語ならあるかもだが、、、
そして韓国カルチャーも入ってきて、何が言いたいのか複雑化、詰め込みすぎ、混乱するし、、、
そう、痛いものをこれでもかと集めてくる性癖が村上春樹にはあるwww
実は終幕5分前でスクリーンに踵を返したのは初めてだが、バカだなと思いつつこうして書いて整理してみて、正しい判断だと今わかった。
この映画は、話しとして破綻している、成立していないレベルのものだwww
賞をもらったからとありがたがる必要はない。
ただ西島くん❤️ の佇まいの正しさだけは犯されることはなかった、、、
ただ、1箇所この映画好きじゃなくて演じているなと何故だか感じたことと、何故だか見た日本アカデミー賞でもあまり嬉しそうな感じはしなかった。ということを付け加える。
現実はただでさえ複雑すぎるのに、楽しめもなんの含蓄もない安出来の作り物の不幸の組み合わせを、お金を払って見ようとは思わないなー、私はナイーブなのだよーwww
おお、我ながらすげー酷評www
褒めるとこは、ああ、セックスシーンは高いレベルにありました。若いカップル赤面だろうなwww
追記
番宣のとおりに、ロードムービー、車マニアの映画に作り直そうやwww
車に詳しい運転上手の訳ありと、こんなバカな若い子使ってしくじりかけて、しかもそいつとも浮気も宙吊りで先立たれた美しい妻の話し、そんなんを仕事に絡めたらいかんなーを、軽いトーンで、でもまあ重いんだけどを、車マニアが喜ぶようなエピソードを交えた車中旅行で、聞いてもらう話しにリメイクしようかwww
だから、タイトルが違うんだよ、この話しwww
もう、そのあたりからこの映画詰んでるのわかるだろwww
何十年も斜陽の、日本映画、出版業界が必死で持ち上げて、つまんないという代表作かもしれない、持ち上げたぶん、余計つまんなくうそ寒く感じるんだよwww
若い才能がある子が嬉々としてやってくるように、業界を刷新するために、自分を粛清したらwww
重苦しくて権威主義なんじゃないのかな、クリエィティブで未だにそんな業界あるんだなwww
村上春樹はバブル期には意味あったけど、それ以降の日本には不必要なの、はよ気がつけやwww
村上春樹使えば利口そうに見えるの、すんごく短絡だから、もうやめたらwww
ああ、まあ、もちろん面白い話しもあるなあくらいだよwww
ノーベル賞毎年煽るメディア操作も、もうさすがに終わったろwww
諸々、はよ気がつけやwww
念を押すよwww
ダメダメ、この脚本書き直しな、つまらん、知能の問題かもしれないwww
ものすごく根源的に率直にありそうでないことを言うと、モテない奴がモテる奴の話しを書いてはいけないwww
春樹www お前もだwww
これが、おれのムダにつまんなかった3時間と1200円のリベンジだwww
筋が不自然でついて行けず
演出家(西島)と俳優(岡田)が車の中で妻(霧島)の作品をどこまで知ってるか告白し合ったが、現実にはそれはしない。妻を愛した俳優が、妻の面影を求めて夫の演出を受けたいと思わない。そんなに演技に熱心になれたのなら、簡単に傷害致死事件など起こすはずがない。そもそも間男を主役に選ぶか?不自然さが延々と続く。多言語演技を展開する作中演出家の意図が理解できない。作中観客は物語の展開に集中できるのか?映画館のお客さんはどうだった?運転手(三浦)の亡くなった母の多重人格の話は少し面白い。三浦透子の抑えた演技が光る。ドライブの光景は美しい。
自分は自分に身を捧げることができるか
物語に溶け込む自分と俯瞰してみる自分。不思議な感覚だった。妻が死ぬまでのシーンは妻がサインを出し続けていたことを示唆する上で必要であったと思う。もしかしたらサインは出ているのに気づかないふりをすることが多くあるのかもしれないとドキリとした。主人公は「演じるとは役に自分の身を捧げることである」と言っていた。役に息を吹き込み、それを生きる問いとして私たち観客に投げかけてくるこの映画はとてつもないエネルギーを持っていると思った。さて、自分は自分に身を捧げることはできているか。これからじっくり向き合っていきたい。(自分を知ることを正直怖いと恐れている自分がいることに気付かされた)
「哀」のみで3時間はきつい
アカデミー賞を取った作品は、娯楽作品ではないので、面白くないだろうと覚悟して見ましたが、それでも、喜怒哀楽の3つを排除して、全編を通して「哀」のみというのはきつかった。出だしは謎めいていて良かったし、子供を失う哀しみは想像したくもない悲しい出来事とは思うが、3時間ドラマにする必要があったのでしょうか。配信でも観られたんですね。映画館に行って損した気分です。
人の奥底にあるもの…?
アカデミー賞受賞作品らしく、芸術性の高い作品と言える。映画というより、本作で扱われているチェーホフの戯曲をモチーフにした、舞台演劇を観ているような感覚だった。村上春樹の原作『女のいない男たち』は、単行本発売当時に既読。本作は、僅か60ページ程の短編の為、それを3時間の映像にするのは、どんな感じだろうと思って鑑賞。
作品としては、3つのステージから構成されている。第1ステージとしては、主人公の舞台俳優で演出家の家福とその妻・音とのミステリアスな愛情劇。第2ステージは、広島で、キーパーソンとなる俳優・高槻等と行う舞台稽古風景。そして第3ステージが、家福の車のドライバーを務めるみさきとのドライブシーンと、特に大きなピークがあるわけでもないが、原作には無いシチュエーションを差し入れて、淡々とした会話劇が続く。
しかし、登場人物がそれぞれに抱える奥深い思いや、美しい日本の原風景を映し出すカット割り、そして、何といっても真っ赤なサーブの中での会話劇の展開に、時間を絶つのも忘れて魅入った。一つ一つのセリフの言い回しや重さ、セックスと言うものへの畏敬を感じさせるのは、それこそが、村上文学の神髄なのかもしれないし、そこを濱口監督が、巧みに映像化している。
主人公の家福を演じた西島秀俊は、妻の死から目を背け、散々、現実逃避をしている中、最後の最後で妻への思いを溢れ出し、人間の弱さを露呈する演技は見事。また、家福のそんな心に封じていた思いを引き出した、ドライバー役の三浦透子の演技も、これまた素晴らしい。感情を表に出さず、数少ない台詞の中にも、みさきが引きずる過去や、家福に与える存在感までも感じ取れた。
また、作品中で扱われていた、チェーホフの戯曲『ワーニャの伯父さん』を日本語だけでなく、英語、韓国語、そして手話も用いて、それぞれの訳をスクリーン映し出して台詞を言うというのも斬新。多文化共生社会への敬意もうかがえ、最後に、物音ひとつしない劇場で、手話によって語られるシーンは、圧巻だった。
ラストシーンは、日本だけでなく、韓国でも認められ、演劇が公開れたということと理解し、韓国への配慮も伺えた。サーブでドライブしながら、みさきと家福が、サンルーフを開けて、煙草の煙をたなびかせるシーンは、記憶に残る名シーンとなるだろう。
ダラダラと眺めていたい作品
休日の昼下がりに、ダラダラと眺めていられそうな作品でした。途中で寝てしまっても、なんか夢の中で続きが観られるんじゃないか?と思うくらい夢心地でした。
多言語の戯曲を初めて目の当たりにしましたが面白かったです。言葉が伝わらない状況は、その人の黒い部分を浮き彫りにするんですねえ。いい脚本、いい映像でした。
伯父が好きそうな作品だったので、誕生日にDVDプレゼントしようと思いました。
孤独な人間の魂とその救い、そして物語を奏でる意義を重層構造で描いた傑作。説明省いたラストもお洒落。
1回目は自分が何を見たのか判然としなかったのだが、原作も読んでの2回目は予想外の出来事として、感動して涙が止まらなかった。孤独な人間の魂とその救い、そして物語を奏でる意義を、劇中劇も絡めた重層構造で描いた創造性に富む傑作映画と感じた。
滝口竜介監督による2021年8月より公開の映画。原作は村上春樹(短編小説集「女のいない男たち」よりドライブ・マイ・カー、シェエラザード、木野)。脚本は滝口監督と大江崇允(恋のツキ等)、製作は山本晃久(寝ても覚めても等)。撮影は四宮秀俊(さよならくちびる等)、音楽は石橋英子(夏美のホタル等)、編集は山崎梓。配給はビターズ・エンド。
出演が、西島秀俊、三浦透子(静かな雨等)、霧島れいか(ノルウェーの森等)、岡田将生(さんかく窓の外側は夜等)、パク・ユリム(韓国、手話で話す)、ジン・デヨン(韓国、通訳役)、ソニア・ユアン(台湾女優)、ペリー・ディゾン、アン・フィテ(韓国女優)、安倍聡子、等。
主人公の西島秀俊が映画内で演ずる戯曲として、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」とアントン・チェーホフの「ワーニャ伯父さん」が登場する。特に、原作にも有る後者は西島の俳優としてのトレーニングの一環としてその台詞が、彼のその時の心理状態と呼応するものがセレクトされるかたちで、車の中で語られる。そして、映画の中で集められた俳優たちが演ずる戯曲でも有り、更に戯曲中の主人公ワーニャと姪ソーニャの関係性は、触れ合っていく中で孤独への救いが産まれて来る西島と三浦に反映される。
チェーホフ戯曲に無知な自分には、字幕を追うことも有り、その重層的構造や1つ1つの台詞に意味が有ることの理解が、1回目鑑賞では難しかった。ただ、主人公の妻役霧島れいかの官能的な美しさを見事に描いた映像や、赤いサーブ900ターボが斜めに走る何処か異国的な上方からの動きの有る映像の見事さには心惹かれた。そして、孤独だった西島と三浦透子が初めて深く会話した後、煙草の2つの灯りが車のサンルーフから出され、寄り添う様に夜の道を走る映像の美しさ。雪の北海道での無音の効果的使用も含め、石橋さんによる音楽も素晴らしいと思った。とは言え、ラストシーンに登場の犬が、ジン・デヨン夫婦が飼っていたイヌと異なることの判別までは、難しかった。
2回目、屋外での「ワーニャ伯父さん」練習でのソーニャ役・パク・ユリムと彼女の継母エレーナ役・ソニア・ユアンとの絡みの演技に感動して涙が流れた。映画の中で、俳優2人の間に何かが産まれたとの説明があったが、孤独で不幸を訴えるユアンを抱きしめるユリムに確かに大きな愛の存在を感じさせられた。俳優2人、特にパク・ユリムの表現力・演技力とそれを引き出した監督の力量を感じさせられた。同時に、俳優の相互作用で生じる物語の力を実感させられた。映画の力を見せつけられて、凄いと思わされた。
また、霧島れいこの語る物語を主人公以上に引き出した岡田将生、西島と正反対にも見える彼の霧島への純真さと自分への正直さ、同居する社会性の無さ、そして孤独感とそこから救いを求める気持ちが見事に表現されていて、拍手。そして、原作を改変した彼女の語る物語に、禁じていた浮気に突き動かされる衝動、夫への罪の意識、告白しようとする意識をはめ込んだ脚本の見事さに、感心させられた。
そしてやはり何と言っても、三浦透子の故郷北海道の雪の中、自分の心と初めて正面から向き合えた西島秀俊の素直な妻への思いの吐露、それを聴き西島を抱きしめる透子の姿。彼女も母親への憎しみとそれを超える愛情を吐露していた。原作を超えて、孤独だった2人が共鳴して前に進もうとする姿に魂を揺さぶられ、涙無しには見られなかった。
ラスト、韓国と思われる異国で、三浦透子は1人暮らしでないことを示唆する大きな買い物を抱えて赤いサーブに乗り込む。車内には彼女が飼ってるらしいMIX犬種(JOY)が乗っている。彼女のほおの傷は薄くなっていて、手術を受けたらしい。そして、初めて見せる穏やかな幸せそうな笑顔。劇中劇ラストのワーニャとソーニャの様に、否それを超え、主人公の2人は明るい、素晴らしい生活を、新天地で一緒に過ごしているものと理解した。説明を省いた、お洒落で素敵な、正に映画的なラストと感じた。
恋人と裸でベッドで見るのにとてもオススメです
私は村上春樹作品は一通り愛読しています。その上で備忘も兼ねてレビューです。
【ストーリー】
村上春樹のもはや定番である、「妻を失った中年男性」が主人公。若く美しい青年の登場が話を展開させ、メタファー(今回は劇中劇)により主人公が少しずつ妻の真実に触れていく、という、村上春樹ワールド全開な作品でした。
著しく低い貞操観念と、この春樹ワールドが苦手な人は絶対に合わないと思われます。
【演技】
リアル過ぎず、舞台演技でもなく、ドラマ的でもない、この作品の世界感のための演技と言えるほど素晴らしさでした。ある種の不自然な演技も、この作品の世界に完全に一致していて引き込まれました。手話も含めた多言語で展開されてるが、全く違和感がなかった。
【映像】
冒頭の印象的な大鏡の使い方や、大胆な表情のアップなど、脳裏に焼き付いたシーンがいくつもありました。一方で、瀬戸内、北海道が舞台なのに自然美へのこだわりがあまり感じられなかった。ドライブシーンでもっと色々な角度や、時間帯、気象条件があっても良いのではと感じました。
【総論】
スローテンポで3時間、主人公の感情の動きも少なく展開するので、正直映画館で集中して見る必要はないと思いました。
ベットの上で、男女が裸で朝に惰性で見るのにちょうど良いと思います。
そして二人でこの世界感に浸るのが理想です。
ラストシーンの解釈
これは村上作品というより、村上作品を下敷きにして膨らませた濱口監督作品だった。
とくに印象的なラストシーン、これは映画オリジナルのもの。みさきの生きてきた背景を想像するとじーんとする。
——でも、仕方がないわ、生きていかなければ!
ね、生きていきましょうよ。
長い、果てしないその日その日を、
いつ明けるともしれない夜また夜を、
じっと生き通していきましょうね。
運命が私達に下す試みを、辛抱強く、
じっとこらえていきましょうね。
今のうちも、やがて年をとってからも、
片時も休まずに、人のために働きましょうね。
そして、やがてその時が来たら
素直に死んでいきましょうね。
あの世へ行ったら、どんなに私達が
苦しかったか、どんなに涙を流したか、
どんなにつらい一生を送ってきたか、
それを残らず申し上げましょうね。
すると神様は、まあ気の毒に、と
思って下さる。
そのときこそ、あなたにも私にも、
明るい、素晴らしい、なんとも言えない
生活が開けて、まあ嬉しい!と
思わず声を上げるのよ。
そして、現在の不仕合せな暮らしを
懐かしく、微笑ましく振り返って
私達、ほっと息をつけるんだわ
わたし、ほんとにそう思うの。
ほっと息がつけるんだわ!——
(ワーニャ伯父さんより)
気に入った車で、いままで飼えなかった大好きな犬と一緒に、生活したことがなかった国で、、そしてマスクをしなくてはいけない今を生きる。あれはみさきの理想郷なんだろうな。家福が指揮する舞台のワーニャ伯父さんのラストシーンでソーニャがいう、あの世で受け取る素晴らしい世界の希望にかけてるんだろう。
みさきのぶっきらぼうで中に秘める温かな役柄と、このラストシーンはとくに良かった。
ただ…村上原作作品にありがちな性描写のシーンが長いのが好みでなく、原作ファンとしては原作との違いがどうしても気になってしまった。
まったく違うものとして観れば、もっと単純に楽しめたんだろう。
きちんと傷付くということ
序盤で妻の不倫を目撃、そして妻が脳梗塞で急死
という事件があるのだが、そのあとの2時間以上は広島での芸術祭でのチェーホフの戯曲を演出するためのオーディションや稽古風景がドキュメントのようにつづいていく
繰り返される棒読みのセリフ
無表情な人々 流れる景色
外国語や手話が混ざり合い進む稽古
パラドックスに迷い込んだかのような感覚
自分の知らない妻を知っている男
他人を理解することなんてできない
大切なのは自分を深く知ることだ
その為に傷や悲しみから目をそらさず
きちんと傷付くこと
真っ白な雪の中に停まる赤いSAAB
静寂
空想話を口にしては男性とセックスし
次の日忘れてしまう女
10歳のサチという別人格でしか娘と遊べない女
狂っているのか演技なのか
でもその女を信じるしかなかった2人の人間
傷を癒すには傷をしっかりと受け入れるしかない
ラストの家福のステージシーンで手話の少女の台詞
そして韓国で顔の傷がなくなり
どこか晴れ晴れとした表情で車にのる
ドライバーに
残された者たちが生きることに少しの光を見出した事を示唆する美しいエンディングでした。
文学的な作品
配役、演技はとてもいい
演出もいい
内容は(当たり前だが)村上春樹作品だなという感じ
妻を愛しているが故に、深く向き合えず、結果として自分自身とも向き合えず後悔を抱えたままの家福。
そんな彼が共通する過去を持つドライバーのワタリ、感情をありのまま出してしまう高槻との接点を通じて自分と向き合い、泣きながら、苦しみながら生きていくことを決意する作品。
感情の描写が丁寧で違和感なく楽しめた。
映画としては…
受賞したから手放しで誉めるというつもりはない。
映画にはエンタメ性と芸術性が同居するから、万人受けするものが映画として優れれているとは限らないからだ。
本作を観た感想は、やはりエンタメではなく賞を獲りにいこうとしているように感じた。
約3時間という上映時間もそうだし、海外でも有名な村上春樹氏の原作を用いている事もそうだ。劇中に多様性を持ち込んでいる事もその一つに思える。
総じて言うと途中までは素晴らしいと思った、妻である音の裏の顔を知りつつも目を背け、愛する妻を手放したくない家福のバックグラウンドを丁寧に描き、妻の死で一幕目が終わる。
そこから二年後、キャストやスタッフのクレジットと共に物語が始まる。つまり、妻の死までは長いプロローグでそこからこの映画の物語は始まるという事なのだろう。
この映画のテーマである【喪失と再生】を描く為に、丁寧に心情を積み重ねていく作り方は理解できるし、劇中の演劇のセリフを用いて再生していく為に必要な言葉は、表現として理解できる。
ただやはり長すぎると思った。3時間近くある名画はいくつもあるが、この作品に関しては長いと思った。既にお腹がいっぱいで終わるかなと思った所から3回程始まる感じがして、最後は疲れてしまった。
賞を獲りにいく映画を作って、カンヌやアカデミーで受賞したのだから、作り手としては狙い通りなのかもしれないが、エンタメ性をもう少し考慮するのであれば、あと最低でも30分、出来れば40分ほど切って2時間20分くらいの上映時間であれば名作になったのではないかと、個人的に思う。
ラストは二人それぞれの再生を見せる必要があるのは分かるので、家福は戯曲をかすみは左頬の傷を消し犬を飼っていた韓国人夫婦と近しい生活をしているのか…。
余韻に浸りました
最初は最近話題だから見てみるか〜という軽い気持ちで見始めて、人間関係の重なりや感情みたいな、物語の黒い渦にどんどん引き込まれていきました。
この作品を朝から晩まで見ていたような気もするし、一瞬の出来事だったような気もします。全てに無駄がなくて、良い意味で時間の感覚が分からなくなりました。人の人生があふれかえって、縮まって、重なりあってました。
人の悪い部分や良い部分、全て合わせてその人である。それを受け入れて生きていかないといけないし、それは自分自身も同様である、ということを感じました。
また、『君の信念が悪いんじゃなくて、君が悪いんだよ』この言葉が印象的でした。
私はどちらかというと、『君自身が悪いんじゃなくて、君の信念が悪いんだよ』という方が一般的なのかな?と思っていました。人の人格を否定するのではなく、その人の行動を否定することで、その人に成長の余地を与える。これが一般的かなと思ってたので正直驚きました。
でもたしかに、この言葉にはこの作品が詰まっているのかなと思いました。どんなに他人が言ったとしても、一度過ちを犯して反省したとしても、その人自身は変わらない。その人のドス黒い部分、反対にその人の良い部分の塊は変わらない。だから、君の信念が悪いんじゃなくて、君自身が悪い、ということになるのかなと。
とっても素晴らしい作品で余韻に浸りました。
あの短編を
どういう風にすれば3時間?と思ったけれど同じ短編集の作品を入れ込んだり、劇中劇を入れ込んだりと元々の短編とは全く異なるものだけど何故か退屈せずに3時間見終えました。ただ最後ちょっと綺麗にまとめた感じが作品の雰囲気とマッチしたないような気がした。
新感覚ミステリー
物語の冒頭から終盤まで車中でカセットテープから流れる演劇の台詞が印象に残る。
主人公である家福は演出家であり、自らも舞台に立つ役者でもある。
家福は妻の浮気を目撃してしまうが、怒るわけでもなく何事もなかったかのように振る舞う。
実はこの夫婦は4歳になる子供を肺炎で亡くしていた。
その事から妻である音は傷心し立ち直れずにいたが、ある日からセックスの最中に物語を語るようになる。
音は大事な話があると言い残し、くも膜下出血により病死する。
2年後、ある演劇祭の仕事で広島に向かい、そのドライバーとしてみさきが登場する。
徐々に距離を縮めていき、お互いの過去のことを話し始める。ラスト近く演劇の台詞が劇中の主人公達にも重なるようなセリフ、不幸なことだらけだけど生きていくしかない、あの世に行ったら神様に憐れんでもらおうというよつな台詞がこの映画の主人公達を表しているように感じた。
終盤まで感情を感じなかった主人公が自分自身に向き合い本当の自分を解放していた。みさきと対話し、重ね合わせることで自分自身と向き合っていたんだと思う。
村上春樹は以前に読んで苦手だと感じていたが、やはりこの不思議さは苦手である。
ただ、映画として引き込まれた。ストーリーが緻密で丁寧に描かれていた。
長い。
話題になったため鑑賞。
まず、プロローグが長い。からの2部?も長い。
役者陣の演技は上手かった。微細な演技や表情の変化がとても良いです。カットやシーンとかも凝ってると思う。サイレントなところやドライブのシーン、トンネルなどなど。ちょい俺にはくどく感じるところや眠くなるとこもあったけど、いいんだと思う、、。
まぁ、あとは内容。俺には難しすぎたかな。ドライバーと徐々に距離を縮めていくところとか、人と人との関わり、こーゆー訴えかける?的なストーリーは刺さる人には刺さるのかな。
子供脳の自分としては、大迫力・ラブコメ・大爆笑・感動・わかりやすい起承転結・ハッピーエンドが好きだから、そこまでハマらなかった。
小説好きな人は、いいかも?俺には早すぎました笑
全201件中、41~60件目を表示