ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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大切な人を自らのせいで失った = "殺した"人たちへ
音の引き合わせ --- 出会べくして出逢ったふたり。見殺しにした、(比喩的でも)人を殺した = 残された者の生き方。自分と向き合うことで、完璧じゃない大切な人のそんな欠点や嫌な部分もありのまま受け入れられるかも。すべてが嘘偽りなく共存するその人。少なくともそうした努力や歩み寄り、理解に努めること。たくさん傷付いた者たちがそれでも歩みを止めないで生きて生きて生きた先に待っている景色。一種そうした象徴としての舞台・広島のようにも思えた。傷の舐め合いとかじゃなくて、互いの非も時に認めながら肩を寄せ合ってそれでも前を向く。そして静かなカタルシス。
世界の村上春樹 × 濱口竜介監督 = 作家主義というか独特かつ確固たる個性の溶け合いが唯一無二の世界を形作っている。ひたすら画がいいこの物語と登場人物たちに引き込まれている自分がいた。多様性に平和への希求、平坦じゃない道のりをゆっくり滑らかかつ丁寧に描く人生というロードムービー&キャラクター映画。病気の身近にある、そして突然訪れる恐ろしさも実感。このいつまで経っても終わりの見えないコロナ禍において必要以上に気をやまず生き抜く術も垣間見えるかも。
自分を差し出せるテキスト
とても大事にされているのが分かるので --- どんな役でもワーニャ伯父さんでも、やっぱりあの髪型・アシンメトリー前髪は崩さない西島さんの訥々とした、と言うと語弊があるかもしれないけど、あの普段に近い雰囲気がよく合っていた。非喫煙者からの印象だけど、『MOZU』とかの頃と比べるとタバコ(を吸う役)もだいぶと慣れてきた気がする。再ブレイク以降、やっと映画好きに見合った出演作が来たなと。【劇中の台本読みのように淡々とした話し方、台詞回しは何も彼だけじゃなく、濱口監督のスタイル演出方法のよう】。運転の上手い人の車に乗っているような心地いい作品だった。
また、いつからか様々な役柄で二番手、三番手と主演以外の地位に落ち着いた感のある岡田将生も好演。【不祥事に懲りないキモチャラ軽薄イケメン俳優(何も役者に限ったことでなくアイドル、ミュージャン、そしてどんな分野においても益々ルッキズムの台頭する現代において何人も思い浮かぶ有名人の顔!)の末路がリアル】。だけど、上述したような部分で主人公・家福と似た者同士じゃないけど、彼もまたある面を象徴していて【表裏一体・背中合わせ】。鏡に囚われる。深い、どこまでも深く考えてしまい、魅せられる。
OK、今日はここまで。That's it for today.
観る人を選ぶ作品
超退屈な作品…ではなかった
封切り日初日に鑑賞。座席の半分しか客入れしないのだが、それがほぼ埋まった印象。
導入部、主人公とその妻とのセックスに絡めながら、物語を語っていく手法が退屈でどうなることか、と思いながら見始めた。しかし、その妻が亡くなってからの展開。劇中劇として、演劇人である主人公、それを運ぶ女ドライバー、俳優らとのかかわりが、だんだんとリズムを持ち、生きていくことの意味を見る者に示していく、という非常に高邁な内容であった。
映画をあまり見ない人、娯楽性の高いものしか見ない人にはかなり辛い3時間かもしれない。しかし、生きていくことに何とはない疑問、苦しさを感じているような人がこの映画を見たら、かなり心を動かされると思う。
その意味で、生きていくことに難儀を感じているなら、ちょっと騙されたと思って映画館に足を運んでほしい。
西島秀俊と岡田将生しか知った俳優が出ておらず、結構重々しい展開だが、決して長尺を長いと感じさせないほどよい濃さの物語に引き込まれるはずだ。
カンヌ映画祭で4冠というのも、納得の内容、と言っておく。
風景、光を見ていた
車の中で自分の戯曲に浸ることができないからと拒否したドライバーが...
車の中で自分の戯曲に浸ることができないからと拒否したドライバーが完璧な運転をし、ドライバーがいることの存在さえ消してしまうと言う想定は過酷でもある。ドライバーの母が殴りながら彼女に覚えさせた技術だからだ。それは、通常なら母に求めたいコミュニケーションを完全に抑制して他者の前で気配を完璧に消すという行為。でも、逆説的にそれを通じて、ドライバーは彼の信頼を勝ち取って行く。
セックスで始まる妻の物語の裏バージョンでは、もう一人の空き巣の左目を刺すということの比喩。
西島は悪くないのだけど、どちらかというと、私は岡田くんの方が良かった。
夫婦の方が親子よりも過酷かもしれない。一定以上、踏み込めない仲。
空き巣物語。彼の印や痕跡を欲望するとともに、自分の痕跡を残していくというストーリー。それは、夫婦の間で妻が求めたものでもあり、夫は拒否したものだった。
手話の表現の豊かさについては、北川さんのドラマでいつも感じていた事だけど、今回も良かった。
車からの撮影シーンが乗ってる感を与えててよかった。
原作を読んでないからわからないけど、村上春樹的中2病の要素は邪魔な感じ。監督は、人格の分裂(村上だと多重人格か)が声とか物語や演劇の形式で出てくるところに、映画監督として惹かれたのかな。小説よりはこの点で、芝居や映画の方がいい。車という設定、村上だとフェティッシュに収斂しやすいけど、赤い車の存在感が映像の中にある。
長い夜を待って、、、
私も 同じ 話し方に なります
無音、沈黙の場面と情景が美しかった。演劇パートでは稽古も本番の舞台も手話によるユナの台詞が一番心に沁みた。
みさき(ドライバー)も皆(演劇祭関係者)も言葉が少なく話す速度もゆっくりでそもそも平板アクセントの日本語がもっと平板になっている。だから違和感があった。そのせいでアクセントを気にしないよう努力しなくてはならず、その結果言葉の内容に普段以上に意識を向けざるを得ない。これほど言葉の一つ一つを全身で掬おうと思って見た映画、あったかな(皮肉というかあまりいい意味では言ってません)。カンヌではこの映画のメイン言語の日本語も字幕なのだろうが、その話し方がかなり独特であることを日本語母語話者以外の観客は理解しているのだろうか?
家福は後部座席に座っていて高槻が語る(この場面の岡田将生、とても良かった)時も二人並んで後部座席。その後高槻は彼の車に乗ることはもうないが家福は助手席に座るようになる。みさきと家福が共に車内で煙草を吸う場面はいい。音楽と脚本と映像、良かった。原作未読。村上春樹作品、女性が本当によく死にます。
自分が一番抵抗を感じた点の一つは、音と家福という夫婦は妻の脚本作りの為にセックスしてたのか?です。妻はオーガズムを得てそして語り始めるのだと家福は言っていた。本当にそうだったのかなあ。夫はそう思うことにしてただけなんじゃないかな。だからそういう鈍感というかわかってない男の左目(緑内障にかかってる方の目)を刺すんじゃないか。妻も逃げていて、その内容は夫でなく高槻に語る。語った内容を妻は翌日は都合よく「忘れる」しなあ。
なんだかめんどくさい。こういう言い方は失礼なのかなあ。相手と普通に話せばいいのに。喧嘩になるかも知れないし沈黙するかも知れない。よくわからないけれどそういう会話ができない人たちを見てるのがめんどうだった。それを見せる、感じてもらうのがこの映画なのかもしれないことはちょっとはわかる。フィクションということで理解すればいいのかな。
でもこの映画のおかげで色んなこと考えてチェーホフまで久しぶりに読んだ。「ワーニャ伯父さん」は面白い!ありがとう💐
素晴らしい映画。あと「10回は観たい」
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