ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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「静寂」と言う表現の美学、的な。
正直なところ、濱口竜介監督は苦手。村上春樹も殆ど興味無し。3時間もある映画も最近苦手(ポンポ症発症中)。韓国嫌い(ただし政治的なとこだけ)。SAABも嫌い(カッコ悪いです)。最近「カンヌ」と聞くとジンマシン(ベルリンよりマシです)。もうね。ネガティブ要素が列なしてます。
が。
西島秀俊と三浦透子は好き。撮影地は地元広島。あとですねー....ポジティブ要素って、そんだけ?
撮影地が広島だって知らなかったら、確実にスルーしてたと思うんですが。久しぶりに見た「文学作品」でした。「文芸」じゃなくて「文学」。これは良かったです。
台詞は少なめ。演技の抑揚はリアルで過剰演出無し。音楽は有りません。この、文章を噛み締めながら読み進めている様な感覚になる「情報密度の疎」の心地良さですよ。
劇中劇は家福の内心暴露。故に、おざなりに描く事無く、雑に流さず、丁寧な描写が続きます。ユナと家福の舞台のラストには、ハート打ち抜かれましたがな。このシーンは俺的映画史に残る場面になりました。
喪失の怖からの逃避。抑圧への恐怖からの脱出。行動せず、黙り込み、結果として見殺しにしてしまったのは「己のココロ」。別に、立ち向かえだの闘えだのと、勇ましいことは言わず、「それでも生きて行くしかない」と言う流れから、明るい未来がちょっとだけ見えると言うのが好き。
良かった。とっても。
それでも原作は読まないけどw
撮影地の件。広島FCの紹介によると、家福と渡利の2人がユナ夫妻に招かれた家は「クアハウス湯の山」って事になってますが、違います。クアハウスに、あんなログハウスはありません。タレコミによると、湯来の、とある有名な場所近辺の、個人のお宅の模様。Google Mapで確認しましたが、かなり風景が変わっているものの特定は可能でした。ここは、野次馬気分で見物に来られても迷惑なんで、そっとしておこうと言う配慮からでしょうね。
ちょろっと追記。前田多美さんを発見した話。
ホテル(宇品の広島プリンスと言う事になってる)のバーのカウンターで西島秀俊さんと岡田将生さんが話している場面。カウンターの端に座っているカップルの男が、岡田将生さんの写真を撮り、岡田将生さんがクレームを付けに迫ります。そのカップルの女性役が、前田多美さんだったと思います。露出が地味で一瞬だったので見落としそうになりましたが。また、何かの作品で、もっとたっぷり拝見したいです。
人生を歩む〜それぞれの想い
永く連れ添った夫婦らしからぬよそよそしさを冒頭から感じつつ鑑賞。二人には埋められない悲しい記憶が…。
脚本家の妻音(霧島れいかさん)を深く愛しているが故に動揺を隠せない舞台俳優で演出家の家福(西島秀俊さん)と、挑むような眼差しで想いを語る俳優高槻(岡田将生さん)との車内でのシーンが強く印象に残る。
ミステリアスな物語を紡いだ音の想いとは。
家福に頼まれ雪に埋もれた地を訪れたドライバーのみさき(三浦透子さん)が、ラストに見せた表情に救われた。
映画館での鑑賞
映像旅
原作を読む代わりにカンヌ受賞作を見ようと。他の村上春樹作品は読んでいるので、だいぶ忠実に映像化されているのではと思いました。途中まで、村上春樹はやはり逸脱してる部分がある(平たく言えば、頭おかしいなこの人)と思ったが、あるシーンでちゃんと回収したというか、村上春樹が自分の逸脱した部分を受け止めていたので安心して見続けられた。
こんな言い様ですが村上春樹好きなので、きちんと描かれて見続けられたのは嬉しかったです。とある歌詞を借りるなら、ぼくの心のやらかい場所をぐっと掴んでくるので、刺激が強いのですよね。でもまた読んじゃう。
夫婦親子の擬似的な対話と、虚構(嘘)を作る演出家や俳優という装置。他の村上春樹作品にもロードムービー的なものはあるが、本作が映像化されたのは必然だったように思う。手話がとくに、視覚的に説得力がありました。
役者さん達の演技は概ね安心して見られて、特に岡田将生さんは達者すぎる俳優の役にハマっていた。大豆田とわ子と〜の後なのでギャップがそう思わせるのかもしれません。
三浦透子さんの、無駄な要素が一切無い(煙草ぐらいか)キャラクターが光って見えました。
演劇も、ドライバーのいる遠回りなドライブも、自分以外が居て成り立つ、かつ一見生活に必要がないことが懐かしく、光って見えます。映画も文学もですね
感情を抑えたテキストに、呼応するもの。
心に残った箇所を:
ワーニャ伯父さんの劇中のセリフ、
苦しくても生きていくの、そして静かに死ぬの。
にグッとくる。韓国手話のなんと饒舌なことか。稽古では自分の体を使って表現していた手話を、なんて苦しいんだと吐露する家服さんを包むように語りかける、その大きな温かさ。
生きていたら23歳、娘の年のドライバーと、
北海道へ。そこで妻が本当は自分に真正面から関わって欲しいと思っていたことに気づく家福。それまで全ての感情を抑えできた彼が、遅すぎると泣きながら、後悔する、そして
今を見すえていく。妻の声のカセットにかぶさるようにドライバーに問いかける後半の車内、それは妻がいた過去から今、未来へと視点が移っていくことを示しているのか。
車内でタカツキが語る妻の話も圧巻、自分は空っぽだと言いながら、そこには濃密なものがある。だからこそ彼は、彼女といる時間、彼女の脚本に憧れたのだろう。
赤いサーブが何度もトンネルを抜けて走り続ける。サンルーフから突き出したタバコ、唸る車内、そして無音の世界へ。妻の抑えた台詞を読む声が届かない雪の世界へ。
妻が淡々とセリフを読む声と、家服が感情を抑え込んできた日常は呼応している。お互いを気遣い失いたくないあまりに、自分を差し出せないできた日々を象徴するかのよう。
3時間の長さを感じさせない映画だった。
冒頭から意味不明だった
酷評になる。最近見た映画の中では面白くない順位の上位に入れてしまった。
とにかく冒頭の奥さんのひとり物語りが意味不明過ぎてすでに見る気が失せていき…
テンポが遅く3時間は長すぎる。飽きてしまってしょうがない。
原作が村上春樹と知ったのは最後のテロップでだが、なるほどどうりで。何を考えてるかわからないミステリアスな女性が出るはずだ。
コンペティションを目指して作ったのだろう一般鑑賞者にやさしくない(意味不明、長い、展開遅い、話に深みがない)内容と表現。
久しぶりに映画館で見たがもしネット配信だったらすぐ見るのをやめてしまったかもしれない。
なかなか…
予告で想像していたのとは少し違ったかも?
冗長という意見(レビュー)を多々見るにあたり、そのとおりかな…と思った。
交通事故や最後の韓国でのシーン(何故、韓国? 北海道では?)は微妙な気がした。その他、なくても良かったシーンもあり…。
ただ、その割に時間を気にせず観れた気もする。
北海道に行くのは良いとして、戻ってくるのにも時間がかかる訳で、そこを無視していることや、演出家にはドライバーをつけるのに、俳優にはつけないのね…というか、運転させないように劇場近くで缶詰めにしないんだ…という部分にも違和感を覚えたかなぁ…。
主人公が、妻の最後に話したかった(聞けなかった)話にこだわっていたのかと思いきや、あんまりこだわりがなかった気もして、これもこんなものかなぁ…と何かしら納得感がなかった…。
色んな解釈がありそうだが、自分ならどうするか?と考えると、なかなか、難しい話なのかも知れないと思った。
すいません。未消化です。
長さを感じさせない、素晴らしい作品。
タイトルから、ロードムービーで、車の持ち主とドライバーの物語だろうと、想像してたら、全く違ってました。
都内に暮らす夫婦、旦那は舞台俳優兼演出家、妻は脚本家。2人はとても仲良しで、セックスをしては一緒にアイデアを詰めていた。ある日、旦那が仕事の都合で予定外に帰宅すると妻が男とやってた。旦那は見て見ぬ振りをして生活を続けていた。それも幸せを守る為だよね。分かる気がする。そんな生活が続いていたのに妻が突然死。そこで一部が終わり2年後の二部がスタート。
舞台は広島、俳優を辞めて演出家としての仕事で2ヶ月程の滞在予定だ。そこのルールでドライバーは本人以外の人がやらなければならず、若い女性が彼の担当になる。
あら、これ、ドライブ・マイ・カーじゃなくて
シー・ドライブズ・マイ・カーじゃね?て思いながら観てると、だんだん分かってきた。
彼がクルマに乗るたびに死んだ妻の声を聞いているのも、吹っ切れていないから。
マイ・カーって自分の人生の事だったのね。この前観た映画はセーリングだっけどな。
だからマイカーはサーブ900ターボ、彼の生まれた年と同じ型なんじゃないかな。若手の役者が乗ってたボルボは新しかったもんね。なぜどちらもスウェーデン車なのかは謎だけど、人生の厳しさと環境の厳しさを重ねたのかな?
劇中劇もビックリ!字幕付き多言語の舞台、それに韓国語の手話まで!!
主役の西島秀俊もメッチャ良かったけど、1番共感できたのは、岡田将生演じる若手俳優、多分彼は元妻の相手。恋愛感情とは別にエッチをしたりする。空っぽで、自分をちゃんとコントロールできない奴。それ、俺じゃん!
とにかく、人生は大変。順風満帆かと思えば故障したり事故ったり。あちらの世界に行ったら、神様に、自分はとっても苦しみましたと、胸を張って言いましょう。
ん?最後は伏線あっても良かったんじゃないかな。
喪失からの再生の旅
個人的に村上春樹氏(俗に言うハルキスト)が好きなため、気になり観賞しました。
端的に言うと、妻を失った主人公の再生の過程を丁寧に描いた作品です。
なかなか村上春樹の世界観って映像にすると残念な印象になることが多いのですが、監督がうまくそのイメージを拡げていて、3時間の長尺にも不思議なほど耐えることが出来ました。特に広島から北海道までのロードムービー的な動きのある映像は、2人の心情が発露される部分も重なっていき、この映画の1番の見所ではないでしょうか。
観に行く基準としては、西島秀俊さんのファンの方(ベッドシーンが多いので、西島さんの裸体を拝めます笑)
村上春樹ファンの方、あとはフランス映画のようにエンタメよりも文化芸術映画が好きな方にはオススメです。
ちょっと吃驚の出来の良さ
観る前は上映時間の長さに半分近くいやな予感がしていたんだけど、杞憂に終わってよかった。まず何より作り手側の村上春樹作品に対するリスペクトが根っこにあって好感がもてる。俳優もみんなよかったが、特に韓国の手話を操る女性の顔立ちの素晴らしさが心に残った。(誰かを愛する片方で、他の誰かと交わることはあり得る。それをそのまま受け容れることはできないのか?)、ある意味、村上春樹が繰り返し問いかけているテーマの一つでもあるのだけど、小説としてでなく、こんな風に劇映画で観せられると、また違ったリアリティが感じられて新鮮だった。
暗喩が凄いです…!
原作の村上春樹作品は未読ですが、予告が何となく懐かしいというかノスタルジーで観ようと思っていた本作!!
車好きとしては、SABBが懐かしく「走るやろなー」が第一印象。
ストーリーも重厚で、演出の一つゞが意味を持っていて、観賞後は心地よい疲労感でした。
俳優では、岡田将生が良かったです。俳優が俳優の役というのは難しいor簡単なのだろうか…(*´Д`)この年代の俳優で今後期待したいと思います♪
タバコのタイミングや子供の事、頬の傷など各所に爆弾があると思いました。(私のオツムでは、あと2回観ねば理解が…笑) 私自身未婚ですが、結婚したら1日2回は、“目薬をささないと”と思いました◡̈
激しいのが好きな方は、無理かもしれません。後、お腹は空いて無い時に!(無音シーンが多々あります。お隣の女性が盛大にお腹鳴ってました(´・ω・`))
是非ご観賞下さい。
直ぐに映画館に駆けつけろ!
掛け値なしの名作。直ぐに映画館に駆けつけろ。
3時間を超える作品だから、上映前に必ずトイレに行って用を足すこと。
上映初日に鑑賞したかったが、村上春樹の原作をまだ読んでおらず後回しにした。原作を読んで、それほどの作品と思わなかった。これでカンヌ国際映画祭で脚本・脚色賞を取れるものかなと考えていた。
見終わって、66歳になる私が涙目になった。
映画は原作を超えて、素晴らしい名作になっているのだ。原作をにくいほどに脚色を与えて、素晴らしい作品になっている。主人公を俳優から俳優兼演出家に変更している。その妻も脚本家に変えている。その他脚色が全てに当たっている。おまけに、チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」を絡ませて、見事と言うしかない。これで作品賞を獲得できなかったのは、その作劇法が欧米人に合わなかったからではないか。丁寧に作られたのが、受けなかったのか。でも、日本人らしくて良い。
ちょっと残念に思ったのは、地滑り後の現場での西島秀俊の演技。感情が籠もっていないように見えた。寒さのせいかなと思った。欠点はこれぐらいか。北海道へのドライブ中、無音になる場面があった。これも効果的だった。時間が止まったのように感じた。
コトバに頼りすぎていないか??トラウマ物語は昨今流行りなのか?
主人公の妻は現実には居ないような女。
セックス中の朗読が棒すぎて引いた。
これは別の短編も引用している。
全てにおいてこんな奥さんいないよねえ。なんか暗いし。
どうも村上ワールドにいかにもでてくる妻っぽ過ぎて、映画では逆にリアリティーに欠けるしその分説得力が薄くなる。
20年も連れ添っていて、しょっちゅうセックスやらディープキスやら、行ってきますのキスやら、よくそんな情熱があるなあと、半ば感心して観てしまった。
何故こんなにベタベタしてるのか?ふたりとも『何を』四六時中確かめていたいのか?
西島秀俊もいつも演技がかってて、小説の台詞を映画用に変換せずそのまま話してるみたいに聴こえる。脚本にかなり無理がある。どうも人間(生身の役者)が演じてるように観えない。
チェーホフの戯曲を劇中劇とし妻のテープを使い、主人公の人生とリンクさせていた、まあよくある手法だけど、どうせ使うなら……。
村上小説に出てくる主人公や周りの人たちは、台詞がかなり独特で、普段こんな言葉遣いしないよなあ〜みたいなところが多々あるから、違和感を感じるのだと思う。
棒と云えば、劇場の管理者?のおばさんが酷い棒で、彼女が喋る度に失笑してしまった。
アジア人で、日本語がつたない人な役なのか?
韓国のコーディネーターの男性は台詞上手かったし、一番演技が自然だった。始めから彼の人柄に親近感がわいた。
良かったのは韓国人夫婦の素朴で温かい家庭。唯一ありそうだなあって感じた。特にふたりの表情がいい。
劇中劇の中の中国人女優と韓国人女優の公園での演技がとても自然で良かった。2人ともそれぞれに魅力があり、美しい。
ドライバーは不幸な生い立ちのてんこ盛り。帰郷した時の、母には別人格がいたとか、まだ盛りますか?もうお腹いっぱいですよぉ。みたいな。。
原作より10歳は若い設定でしょうか?
私は最初原作読んだとき、ドライバーはアラサーくらいかなとイメージしていた。
無口だか、どこかドッシリしていて、少しふくよかな身体を想像していた。この女性なりの人生もありそう。
マイカーも、お金持ちが乗るようなもっと大きな車を想像していたのでコンパクトでビックリした。
車には詳しくないです。
岡田将生は、自らをカラッポだと言いつつ、その後の熱を帯びた話し方を見ていると、全くカラッポな人には見えない。
主人公と妻がセックス後、神がかった何か?が降りてきて脚本が出来たとか、ジョークか??
文字表現ならばこの不思議な設定アリだけど。台詞にすると安っぽくなっちゃうんですね。
安っぽいと言えば、ドライバーが主人公のマイカーを運転した時の感想も、台詞にすると重みがなくなる。小説のように印象に残らなくなる。コトバが留まらず、流れてしまう。
そして作り手側はコトバに頼りすぎていませんかね?
岡田の傷害致死も突飛。いくらカッとなりやすい性格だからといって、ケガだけでなく亡くなるだなんて。
作り手側が少し乱暴すぎやしないか。
ラストは、せめて映画の中だけはこんなご時世を忘れたいのに、何の意図でドライバーはマスクをしているのか?
『男のいない女たち』
正に主人公は男たちなはず。
なのに、ラスト女が締めくくる。女の出直し映画みたいになっちゃいました。
原作ではドライバーが、
『奥さんは、男と寝ただけですよ。ただそれだけですよ。』
だから、意味なんてないんだ。
それで主人公も読み手も救われる。
そして、絡まりあった糸がどうしても解けないと、もがき苦しんでいたと主人公がその台詞で立ち直る。
実はもっとシンプルだったんだと。
そう、原作は重くも暗くもなくもっとアッサリしてて軽やか。
村上春樹の短編はあんまり読んでなく、スルーしてるものが多い中、この短編は割と好きで印象に残っていた。
今作と、大阪弁を話す男の話、バーのマスター木樽の話。
中でも今作はワタシの中では『沈黙』『眠り』と並ぶくらい傑作と思う。何というかカラッとしてるんです。
まあ、好みですが…。
映画はストーリーがブレブレで、短編小説の良さが全くなくなってしまった。
村上春樹ファンが創ったファンによるオマージュ作品みたいな出来になっちゃったなあ。
村上作品を映画化するには、そのままの文体・コトバに頼って表現するのはやはり難しいのでは?と感じた。
この作家さんがよく仰る『リズム』です。リズムが正直、チグハグしているように観える。
ドライバーの帰郷と、韓国への移住の尺は必要だったろうか?
劇中劇のラスト、聾唖者の女優が素晴らしい演技をした。そこには彼女の発声するコトバは勿論なかった。
手話と、時折パシッと手を打つ音だけ。
これ以上、足すものがあるかな。
ここで映画の幕引きしても良いくらい。多少の余韻を残して…。
韓国ユニットがやたら多かったのは日韓合作なの?と思いきや…日本映画でした。
同じ韓国ならば圧倒的に韓国映画、『バーニング』の方が脚本もよく練られていて、暗喩が効いてて、かなり出来が良いと思った。暗喩は村上作品の鉄板。
あくまで原作読んだことある人間の個人的な感想です。(村上作品を低評価にすると、たまに怒る人いるけど怒んないでね)
織り重なる人、劇中劇、妻の脚本、現実、多層構造のリアル
・余計な要素が多いとの指摘もあるが、この映画で描かれる人間がそもそもテーマとして余計な要素から成り立っている事を突きつけてる。純な要素だけで人はできてない事が、震えさせる映画だなち。
・演じる俳優がバラバラの言語を話す演劇の妙味。
言語が棒読みから感情を乗せる事が劇中劇でも本編でもなされていて、あたかも登場人物が棒読み的ステレオタイプから背景のある影も毒もある立体になっていく事が浮き彫りななる。しかも、それは言語自体で説明不能なものも含む。見事に体現してた劇中劇。
映画や意味を直線的な説明で観るなら、批判しか出ないかもしれないが、
でも、主人公も運転手も岡田も妻も、みんな余計な要素を含んで生きている。
その余計なモノの摩擦が、人生に与える大きさに苦しくもあり、救いでもあり。
そういう立体化された人間劇に震えた。
なんだか引き込まれる
好き嫌いが大きく分かれる映画。一部が終わりキャストクレジットの入れ方がすごく良い。今までは全て前フリでこれから何が始まるのかって感じで引き込まれる。全体を通しての抑揚のないセリフだからこそ淡々と見れるし流石の演出。これがテレビや下手な映画みたいな感情爆発分かりやすいセリフまわしだと絶対に白ける。脚本もあまり抑揚がない分感情を乗せる演出を取りがちだがそこは監督の手腕だと思う。
西島も三浦も役を作って来てるって感じがせず素晴らしい。変わり者同士が惹かれ合って行く感じが良い。
最後の手話メッセージもラストに相応しく見応えがある。現実と劇中劇のリンクも前半と後半にあり伝わる。
撮影や絵の構図が素晴らしくだから観ていられるってシーンも多々ある。監督、役者、カメラ等などすべてが噛み合って素晴らしい映画になっている。映画の教科書を作るならこの作品は載せないとって作品。
「言葉」を体に慣らしていく
多くの方がおっしゃる通り、3時間の長尺がまったく気になりませんでした。
独特なセリフ回しのなか、ストーリーが大きく展開するわけでもないのに、最期の最後まで惹きつけられました。
作中劇のワークショップシーンは、濱口竜介監督の実際の演出方法だそうです。
台本(テキスト)を淡々と読み上げる作業を繰り返し、言葉を体に慣らしていく。
きっと本作でも、丹念にこの準備がなされたのだと想像しています。
この演出方法により作り上げられた、多言語による作中劇は見事で、コミュニケーションにおける「言葉」の持つ役割を考えさせられます。
コミュニケーションにおける、言葉(テキスト)に、感情、体感覚、相互の関係性、空間、環境要因が取り入られながら、コミュニケーションが成立していることが良くわかります。
公園での練習シーンや、ラストの舞台でも、そのことが深く染み入りました。
西島さん演じる主人公が亡き妻に対して抱いてきた特別な想いや、向き合うことのできなかった感情は、演じないことによって表現されていきます。
だからこそ、ラストシーンでの「言葉」を使って発露される感情は、私には大きく響きました。
そして運転手の彼女は、運転しないときには「文庫本(言葉)」を手放さない。感情に向き合わないようにするため、言葉の中に逃避しているように感じました。
濱口竜介の次回作「偶然と想像」(2021年12月公開予定)も楽しみです。
ビートルズは大好きだけど、村上春樹作品はまったく読んだことがありません。
読んでみたいという欲求が高まるまで、もう少し待ってみます。
3時間って長い
自分が何とかできたかもしれない状況で大事な人を失った後の遺された者の悲しさ辛さ、それでも生きていくのだと決意する強さ。
そういったことはわかるけど、なんか余計な要素が多い。演じる俳優がバラバラの言語を話す演劇ってほんとに面白いの?なんで広島に韓国人しかも妻は鴦の夫婦がいるの?説明してたけど説得力なし。多様性はわかるが。緑内障のくだりとか、高槻がする左目をペンで突く話と繋げているのだとしても大して意味はなく、そういった一つ一つがメインテーマに繋がるわけでも特にない。なんでこんなに長くしたのか、私にはわからなかった。
ファンってのもあるのかもしれないけど、車の後部座席で向かい合ってアップで岡田将生が延々と話すシーンが良かった。岡田将生が出てなかったらもっとつまんなく感じたかも。
しかし数分間の顔面殴打で数日後に死ぬってことあるのかな。
大事なことは小さく語られる
原作の要素は、パン作り過程のイースト菌くらいの存在でしかない。むしろ、作中劇として出てくる「ワーニャ伯父さん」をどれくらい知ってるかの方が、登場人物の心情理解に必要。
全てのことが、直接ではなく、間接で語られる。
ネタバレにならない部分で好きな所を言うと、SAABのエンジン音と、旅情を掻き立てる広島と瀬戸内海の風景。長距離のドライブや旅行に行きたくなります。
上映が3時間と長く、トイレ行かない対策しても、ラストは我慢してしまった。ワーニャ伯父を読んでないせいで、理解が充分でなかった。これ以外は、素晴らしい作品でした。
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