ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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余白。ミニマルミュージック。北野武。
静かに淡々と進む物語。
家福お気に入りの車の中で、音の手により「ワーニャ伯父さん」が朗読され、家福がその空きスペースに自分の演技を入れる。何か起こって、車中に戻り、また何か起こって、車中に戻る。この反復が演出の骨組みと感じた。
また、「音(≠家福)」という観点では、セリフと車の音、セリフと波の音、セリフと風の音、と、常に2パーツでの展開に統一され、これが物語に現代音楽のような余白を生んでいる。ここでいきなり「バーン!」と銃声が聞こえたら北野映画だな…笑 と思っていたら、監督ご本人も北野武は通っているらしい。納得。
この描写の反復感がジャブの積み重ねになって、最後に、雪で一杯になったみさきの故郷を訪れた時の、静かな無音の迫力に繋がっていると認識。非常に構築的で、ノンバーバルな部分に粋がある作品。海外の高評価は納得。
主題に関しては、喪失という非常に村上春樹的なテーマ笑。しかし、この映画の粋が極めて映画的=他ジャンルでは語りづらい部分にあるのと同様、ご存知のように、村上作品の粋は極めて文学的=叙述の手触りや感触にある(と自分は思っている)。「移植」として見ても、難易度の高いニュアンスの再現を見事に行なっている高難度作。
3.5点の理由。ここまで言っておいてなんですが、映している世界の骨子は理解すれど、素直な感覚として、初回でそこまで世界に没入できてません笑。たぶん2回3回見たら5になるかな〜という思いがある一方で、う〜ん長いから見ないかもな〜という、極めてくたびれた理由で、点数下げてます。次見たら再評価しますね。
「ワーニャ伯父さん」予習が吉
原作未読ですが、村上春樹っぽさを十二分に感じる作品でした。
3時間という長さなので見る前は少し腰が重かったのですが、見てみたらそこまで長くは感じませんでした。淡々とした演出と嘘くさい台詞回しだからからこそ一層台詞が際立って聞き入ってしまうかたちに。
演劇に疎く、チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」もよく知らなかったので、知っていたらもっと理解できて楽しめたのだろうと思います。ワーニャ伯父さんが家福、ソーニャがみさきになぞられてること、なかなか気付けなかったです。
基本的には好きな映画ですが…、
評価が真っ二つに分かれていて、アカデミー賞につられて観た「パラサイト」が全く受付けられなかった私は躊躇していましたが、観てみました。
結論から言うと私はすごく好きです。
ただ、最期のシーンは「えっ?」となり混乱しました。あれ、必要だったかなぁ
ない方が私的にはよかったかな?
あとは皆さんで想像してください、ってことなんだと思いますが、それならば、伏線を置きっぱなしにしていく必要があったのかな(韓国にいることとか車がサーフのままとか犬がいたこととか)あれがあると想像が限定されてしまうような?
ここは好き嫌いが分かれると思います。
上質な小説
映画は虚構、リアルを求める必要はない、だけど…
なんの事はないNTRの話なんですね…。期待して観たのですがガッカリでした。子供の事が語られるシーンでもはや方向性は決定。これがきっかけとなり夫婦に見えない溝が生じて嫁の「男漁り」が始まる。結局は主人公には、嫁の「男漁り」の理由がわからないまま嫁は死んでいく。主人公の懺悔と再生がテーマというのだろうが方向性がわかった段階で観るのが苦痛になってきました。
そうそう、物語の設定についてもいい加減なところがあって…女性ドライバーの設定。中学生が公道で運転できるほど北海道は「秘境」ではない。北海道を馬鹿にするな😤確かに北海道は車が必要だよ、札幌の中心部以外は車が必要。だからといって中学生が運転した車で毎日送り向かえなんて😩
札幌駅のJRの始発時間が朝の6時以降という事もわかっていない。札幌駅から何時の「列車」(北海道の人は電車と言わない)に乗って7時に向かいに行く駅に着くのだろう…
映画は虚構でリアルは必要ないのだろうけど、野暮な話の展開といい加減な設定で映画を観ている途中に現実に戻ってしまった。
見ごたえはあるが、ギクシャクした場面あり物足りない処もありで秀作とは呼べない。人間関係や自省に関する含蓄ある話ではあるが、一人の男のグズグズした自分探しに180分付き合わされたという印象もあり。
①重要なモチーフである「ワーニャ伯父さん」を劇中劇にしたり(台詞が刷り込まれるように頻繁に出てくる)、劇中劇も手話も交えた多言語での芝居にしたところは確かに上手い構成だと思うのでカンヌで脚本賞を取れたのだとは思う。②180分持たせる演出は確かにしっかりしているが監督賞にノミネートされる程ではないと思う。③終始無表情で運転する三浦透子が宜しい。西島秀俊や舞台俳優・関係者たちのために運転しているうちに少しずつ自分の過去を語り始め悲惨な少女時代を過ごしたことや心に癒せようのない傷を負っていることがわかってくる自然な流れが良い。頬の傷を直し明るい顔で韓国の道を西島秀俊(から貰ったのだろう)の車で走っていくラストは爽やか。③あと、出演者の中ではジャニス役のソニア・ユアンが魅力的。まあ自分の好みですけど。北京語の発音がとてもキレイ。演劇蔡の担当者役の安部聡子は台詞のあまりの棒読みに素人さんかと思ってました。④岡田将生演じる高槻というのも感情移入しにくい役だ。家福夫婦の夫婦関係の実態に光を当てる重要な役どころかも知れないが、自分で応募しておきながら本番近くになって舞台に穴を開ける事を引き起こすなんて舞台人の風上にも置けない。その暴力性を示す兆候が描かれていたり、「分別を持て」とか「社会人としては失格だが」とかの台詞はあるが、それでも唐突感と不自然さとは拭えない。そういう人間であると見抜きながら選んだとすれば、家福の舞台演出家としての分別も疑わざるを得ない。⑥クライマックス。みさきの生まれ故郷に帰るシーン。廃村に続く未舗装の道路を走るとき結構ガタンガタンととてもスムースとは言えぬ母親が乗っていたら座席を蹴られそうな運転だったのが気になった。こういう細部が却って気になるのだ。⑦みさきの倒壊した家の前で二人が対峙し家福が初めて泣きながら自分の弱さを吐露するシーン。映像が硬直してまるで舞台の立ち稽古を観ているような絵。西島秀俊は熱演だが子供のように亡き妻への思慕を吐露したあと余韻もなくみさきを抱きしめて「大丈夫だよ」という流れが拙速過ぎて感心出来なかった。
淡々と、でもあっという間に終わってしまった
休日出勤が速攻終了したので劇場直行。3時間という長さに怖気づいたが...
休日出勤が速攻終了したので劇場直行。3時間という長さに怖気づいたが、さすがは話題作、その長さを全く感じさせなかった。
なんやねん、このやば綺麗な妻からスタート。岡田将生が肝となり、徐々に明らかになる主人公とドライバーの真実。
私のツッコミポイント
・どこか落ち着いて考えられる場所へ…広島から◯◯◯へ。それはないやろ(笑)
・劇中劇が私には無理。あんな多国語(まさかの手話まで)でセリフ言われてもわかるかい!
・セックスすると閃くらしい
ラストシーンが象徴してるが、「なぜか分かるか?さあ考えよ」的部分あり。◯◯賞を受賞する作品、そんなの多いですよね。
シアター4 E-7 神戸国際松竹で見る最後の作品となりました。相応しい良き作品でした。
小説のような
本を読んでいるようなその感覚に出会った作品だった。
主人公は、舞台俳優をしながら脚本家として活動していた。その彼には、妻がいた。とても仲の良い夫婦で誰もが羨むような夫婦だった。だけど、そこには、隠された悍ましい感情があった。
この作品は、とても長い作品だったと思ったけど、時間の長さを忘れるくらい深いものだった。
生きる事、死んでしまう事。
劇中ででくるセリフで印象深いものがあった。
「本当の自分に深く、真っ直ぐに向き合う事」少し売る覚えなので、正しく無いと思う。
自分ってとても空虚なものに感じてしまう事がある。
それは、自分というものに向き合う努力をしてこなかったらかな。
知らない事が一番の恐怖。
たしかにと感じた。
観終わった後には、少しだけスッキリした感じがあっていい作品でした
叙述的な150分、全ての展開が収束するラスト30分
まず、起承転結のあるエンターテインメント作品ではありません。そこんところ注意な。
鑑賞中、「実に叙述的だな〜!実に村上春樹だ〜!」と思いながら観ていました。
同じ様な演出を、時には巻き戻して、時には再度演じ直すといつ形で、ストーリーをゆっくりゆっくりと紡いでゆきます。
分かりやすくポンポンと話が進んでいくのではなく、何度もなぞらせることで観る側に「なんとなくこう?」みたいな事を思わせる。
かと思えば、突然思いもしない展開が待っていたりする。でもそれは、そこまでにばら撒いてきた脚本のベースがあったりするので、おおよそ想定内かなと思わせる。
そしてラストの30分にもっていく。
ある登場人物が、その人に縁のある思い出の地で許しを請うたり、そうする事で自分の楔の様な何かから解放されたりする、というのは寓話にはよくある展開ですが、そんなありきたりな演出にも関わらず納得させるのはお見事。
個人的にはラストのその後も少し見てみたかったですね。
SAABいいなぁ。
決して難解ではないが、集中力を要する。
すごく話題になっていたので鑑賞。内容は全く知らない状態での鑑賞です。
日本映画初のアカデミー賞作品賞ノミネート作品ということで期待値はかなり高かったものの、上映時間が長尺である点と、個人的に苦手な作家である村上春樹原作であるという点と、鑑賞した人が「難しい内容だった」と言っているのを見かけていたので、期待と不安が半々でした。
結論ですが、身構えていたほど難解な内容ではなく安心しました。普通に面白かったです。
ただ、作品に登場するチェーホフの『ワーニャ伯父さん』に関しては全く知識がなかったため鑑賞中はあまり詳しく内容を理解することができず、鑑賞後に色んな方の解説を拝見して「そういうことか」と何となく理解することができました。
劇中のエッセンスを抜き出して考察したりする深い楽しみ方もできますが、普通に鑑賞してもそこそこ楽しめる作品のように感じました。時間と体力に余裕があるなら、観ておいて損はない気がします。
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舞台俳優兼演出家であった家福悠介(西島秀俊)が家に帰ると、脚本家でもある妻の家福音(霧島れいか)が倒れているのを見つけ、彼女はそのまま帰らぬ人となる。2年後、喪失感を抱えながらも舞台演出家として仕事をしていた家福は広島県で行われる演劇祭に演出家として参加することになり、愛車で広島まで向かった。演劇の期間中には演劇祭の主催者が手配した寡黙で高い運転技術を持つ渡利みさき(三浦透子)が家福の車の専属ドライバーとなった。
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本作はチェーホフの『ワーニャ伯父さん』という舞台を下敷きに、村上春樹の3本の短編小説を組み合わせて一本の映画にした作品です。そのため構成や内容はかなり複雑で、劇中劇が映画の現実のストーリーとリンクしていく展開や、登場人物たちの過去のトラウマや思い出が絡み合う展開は正直事前知識が無い状態では理解しきれませんでした。
本作のストーリーの肝は、やはり主人公の家福の人生が、劇中劇であるワーニャと重なっていく点。
チェーホフの『ワーニャ伯父さん』において、ワーニャに降りかかる様々な悲劇は家福の人生で起こった悲劇と酷似しており、それ故に家福がワーニャを演じることを極端に嫌がっていたのです。また、岡田将生演じる高槻というキャラクターは、『ワーニャ伯父さん』の登場人物であるアーストロフと言動が酷似しています。対照的なキャラクターでアーストロフと対立することも多いワーニャを高槻に演じさせるという部分は、妻を寝取ったことに対する家福の僅かばかりの復讐にも感じられます。
そして映画後半に登場する、ワーニャ伯父さんの第三幕においてワーニャが銃を撃つシーンの劇中劇。ワーニャの発砲した銃弾は外れて誰にも当たらないというシーンなんですが、「今の演技だと銃殺してた」「死んだらストーリーが変わっちゃうよ」という台詞がありますが、実際にこの後に人の死によって『ワーニャ伯父さん』をなぞるように展開していたストーリーが大きく転換していきます。
このような演出や構成の妙は『ワーニャ伯父さん』という戯曲のストーリーを知らないと分からない部分ですし、原作小説を読んだ方が「原作は全く別の3つの短編。それを1つのストーリーとしてまとめ上げる脚本力には舌を巻いた」とおっしゃっていました。
映画単体としても十分楽しめる作品だったとは思いますが、原作を読んでからもう一度鑑賞してみようと思います。
ひとりひとりの人生そのものが、ドラマなんだと気付く作品
ドラマチックな展開もなければスリルもサスペンスもない。
やっぱ、村上春樹の小説は難しくてよくわからん
…と、思いながら観ていたが、途中から気が付いた。
そうか、登場人物それぞれの人生の歩みこそが、
「ドラマ」そのものなんだ!
まず、家福の妻・音。幼い娘を亡くした悲しみと、脚本家というプレッシャーから、セックス依存症(だと私は思った)。夫を愛するがゆえに、そんな自分に苦しんでいる。
ドライバーみさきの壮絶な人生。
話せない妻とともに広島へとたどり着いた、韓国人夫婦。
最後にようやく自分の封印してきた感情と向き合うことができた家福。
そして、そのきっかけとなった高瀬の空虚さを抱えた人生。
劇中劇「ワーニャ伯父さん」のストーリーと家福夫婦のストーリーをベースに、
登場人物たちそれぞれの人生が縦糸、横糸となって、織り込まれてゆく。
まるで映画全体が、1枚のタペストリーを紡いでゆくかのよう。
最後にそれが見事に1つの作品として完成したとき、ようやく見えてくる。
ひとりの人間として、「生きる」とはどういうことなのか。
そこには人種も言語も必要ではなく、
ただいつも「感情」が存在している。
…深い!さすが村上春樹。
ラストシーンでは、
家福とみさきのこれからの人生を、想像の余地を残すように終わり、そこもよかった。
このエンタメ度の低い、日本の芥川賞的な映画が、海外でウケるとは正直驚き。
村上春樹作品への愛情と理解は、日本人以上なのかも⁉
吐き気します
もはや村上春樹の使い古されたメタファーの映像化に吐き気さえ覚えるようになってしまった。彼の若いころの新鮮さや奇抜さは失われ同じモチーフの使いまわしに読者は飽き飽きしているのではないか。どうしてこの作家を拾い上げるのか疑問に思ってしまう。さらに悪いことにはチェーホフのワーニャ叔父さんを見せかけの多様性の表現に利用したことだ。浅はかで底意の見える表現だ。ワーニャ叔父さんをこのような村上作品に持ち込んでしまったことはロシア文学に対する侮辱ですらある。
映画としては最低だが、唯一救いがあるとすれば岡田将生という役者を発見したことだ。あとの役者はミスキャストと断言できる。西島は映画「トニー滝谷」の時のようにナレーション俳優であるべき。霧島れいかやその他は何の魅力も感じなかった。そして何よりもひどかったのはあのサーブ900のひどいドアの音である。これほどガラクタな車はないのではないかと思うし、誰の車を借りたのか多摩ナンバーにはあきれ返った。さらに映像で示された妻の他人とのセックスシーンを目撃する主人公の芝居はおぞましいほど吐き気を覚える。このような頭の中でこしらえた理解不能な人物の描写は作家にその責任を問いたい。まったくのどうしようもない創作で、しかも何の意味もなさない。
まことに唾棄すべき作品であった。
最後は??!
西島さんの肉体美から始まります。
なめらかな運転っていいですね。
この映画が決まって免許を取ったという三浦透子さん。安定感ある運転に感じました。
おそらく11月に多摩ナンバーの車で北海道。スタッドレスを履いているのか勝手に心配していました。
タバコをサンルーフから出すのがいいですね。
最後の韓国は??犬がいたし。
マスクをしていたからコロナ禍ですよね。
理解が足りないのでもう一度見たいです。
それでも分からなければ原作を読みます。
今日はこの映画とウエストサイドストーリーを見ました。
トイレは大丈夫でしたが、体はガチガチになりました。
◆追記◆
3日後に再度観に行きました。
今回は劇のセリフも重ねて見ることができ、理解が深まりました。
CMで岡田将生さんを見ると、この映画を思い出し偏見の目で見てしまう…。それほど上手かったです。
車中の目を潤ましての長いセリフがいいですね。
見終わった後、股関節に違和感が。
じっと見る三時間映画は体に良くないですね。
ドライブ マイ ボディー
何故、こんなに評価が高いのか?
アカデミー賞にノミネートされているとか、感想、評価が高いので観に行って来ました。最初の何十分間は性行為の場面が多く、長くて、とてもPG12指定の映画とは思えませんでした。
まかり間違えて中、高校生の子供と一緒に行ってしまった親子がいたら、指導、助言をしなくちゃなんですかね。
親はとてもバツが悪くて(性行為が悪い事ではないけど)内容に没頭など出来ないだろうな~などと思ってしまった。
途中、ついて行けなくなり、何分間か寝てしまったので、全体を観た感想にはなりませんが、片や夫婦の妻の死、片や母子の母の死によって、精神的障害を抱えてしまった二人が出会い、関わっていく事でお互いの罪の心が解放されていくという感じでしょうか。
私の感想は、そういう障害を持ったことがないので、ピンとこないし、この映画の演出なんでしょうが現実と舞台のセリフ回しが同じで、淡々と語ることに意味があるのかも知れないが、私には心に刺さる場面はこれと言ってなかったです。
海外から評価される作品って、凡人の私には理解できない作品が多いように思いました。
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