「車中、劇場、宇宙」ドライブ・マイ・カー char1さんの映画レビュー(感想・評価)
車中、劇場、宇宙
カンヌ脚本賞ということで前々から気になっていたが、ようやく時間をみつけて鑑賞。
傑作だった。近年、日本映画でこんなに感動させられた覚えがない。それくらい胸を打たれる作品だった。
最初は、演技や演出に違和感を感じた。なんというか、不自然なまでに演劇調で、Netflixでみるの海外ドラマのような、現実に即した会話手法とはかなり違っている。日本映画の演技はよく「演劇的だ」と言われるが、それをさらに誇張した感じである。
ただ、主人公の家福が舞台演出家であることがわかり、彼の舞台も劇中に映る頃には、その演出が意図的であることが自明となり、その後はすぐに慣れた。中盤以降は、この演出方法がものすごく効果的に物語を動かす装置になると感じ、観賞後はむしろ、この演出方法じゃないと作れない映画だったのではないか、と思うまでに至る。クレジットに青年団が載っているのが見えて納得した。成り行きでこの形になったのではなく、全て計算づくだった。
少し調べると脚本家の大江が舞台出身だということを知り、さらに納得。近代日本の舞台の手法を、これほど効果的にスクリーンに持ち込んだ作品は、私が知る限り、この作品以外にない。
例えば、音楽の使い方も舞台と似ている。俳優の息遣いまで聞こえるよう、極力排した音楽。そして、時折訪れる、完全なる静寂。本作品の着想の元となったビートルズの「ドライブ・マイ・カー」のポップな曲調から与えられるイメージとは、全く相反する音響であり、そこがまた新たに想像の余白を生んでいるようでもあった。
舞台的な手法と対立的に使われたのが、車中の映像ではないかと思う。これだけは映画でしか成立できないものであると感じた。「車内」と「劇場」が混ざり合うように、劇場の席に座る観客であった私も、同じサーブの車内にいるような感覚になった。
映画の大半が「舞台稽古」というクローズドな世界で繰り広げられるにもかかわらず、広島、ゴミ焼却炉、北海道、バー、キュレーターの家、そして、車中。オトの不可思議なストーリーと、チェーホフの戯曲と入り混ざるようにして、様々な場所で様々な物語が動き、イマジネーションのパレットの広がりを感じた。
褒めてばかりなので、あえて難点だと思ったところを一つあげるとすると、それはタバコの描き方。「かっこよくタバコ吸う」は、現代が舞台の映画だともはやアナクロ。妙にアナクロ趣味が混ざるのはある意味日本的な気もするが、いい加減「かっこよくタバコ吸う」はもう、ストーリー展開の上でも不必要ではないかと思う。
私が感じた難点は、演出上のほんの一部分に過ぎないが、それ以外の脚本、演技、音楽、映像、作品を構成する全てが第一級だと感じ、感服した。
ビートルズ、村上春樹、チェーホフ、濱口竜介・大江崇允と辿っていくことで創出され、俳優たちが演じ、撮影されることで「ドライブ・マイ・カー」という一つの宇宙が作られたような作品だった。