「朗読」ドライブ・マイ・カー U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
朗読
色々と賞を取った本作をようやく鑑賞。
気付きは多かったけど、退屈だった。
劇中の演出家が提示するような芝居をメインキャストはトライしてるように思う。岡田氏はちょと違うのかもしれないのだけど、女性陣は対応してたように思う。
ほぼ棒読みに聞こえる。
何も、そこに私情を挟まないような喋り方。
あまりに暇だったからやってみた。
Netflixで鑑賞してたから。
…これが結構難しい。
彼女達のような透明度が出てこない。
と、ある種、日本映画における革命を起こしたような本作。日本の演劇というか演技論を根底から覆したような手法に思う。
コレが全く影響を及ばさないのならば、なんだコレ?で済むのだけれど、コイツがまた水滴が落ちるかのような波紋を与えてくれる。
表情から読み取れない何かを、自分の中で補って人物達に補填してるような感じだ。
芝居っ気がないと端的に書ければいいのだが、そういうものだけではないらしい。
物語は随分と詩的な話だった。
村上春樹が原作だからなのかもしれないけれど、やたらに台詞が強い。言葉自体にエネルギーが備わってるかのようで主張が激しい。
だから、詩的だと思ったのかもしれない。
本作の芝居のカラーとは相性が良かったのだと思う。
ドライブマイカーって題名だけれどもよく出来てるなぁとは思う。
車ってのは確立されたプライベートな空間で、自分で運転し目的地を目指す。
生きてく事、そのもののようにも映る。
そのせいか、過ぎてく景色や、通り過ぎる描写が多かったようにも思う。一方向に進んでいく時間。
主人公はその運転を他者に託す。
運命共同体といえば大袈裟だけど、車の運転を任すってのは、ある意味自分の命を預ける事だとも思ってる。
途中から主人公は助手席に移るのだけど、どんな心境の変化があったのだろう?ただ、画面から察するに後部座席に乗ってるよりは、共に目的地を目指す感は強い。
多言語が入り乱れる舞台はなかなかにオツなものであった。考え方というか意図するものが面白くて…他者の台詞を自分のスイッチにするとかなんとか。
なるほど、そういう所はあるように思う。
コレを村上春樹氏がご自身の小説に書いてたのだとしたら、凄い観察眼だと思う。
中でも、手話を使う役者を投入するなんてギミックは、ホントに驚く。彼女がいるからこそ、この演出の目指すべきものが明確にもなっていくようでもあった。
言語による境界を無くす。
舞台上に和訳は提示されるものの、舞台で交わされるのは言葉ではなく感情だ。言葉は感情を表現するツールにしか過ぎず、役者達は共通し共有できるものがあるから、舞台という名の世界は動いていく、みたいな。
言葉に頼らなくとも人は分かり合えるみたいなメッセージだろうか?
手話が挟まれる事で、音すら必要不可欠なものではないという骨太なメッセージに変貌した。
なんちゅうか…当時の評価としては逆輸入感も強くて、日本の商業主義にウンザリする所もあったのだけど、村上春樹っていう小説家の世界観をビックリするほど落とし込んだ作品のようにも思う。
まぁ、問題は俺が村上春樹なんて崇高で高尚な作品を読んだ事がないって事であるのだが。
そんな感想を抱いた。