「村上春樹原作ということをかなり考え抜いた作品」ドライブ・マイ・カー 時々映画鑑賞するのが趣味さんの映画レビュー(感想・評価)
村上春樹原作ということをかなり考え抜いた作品
カンヌ国際映画祭で受賞したという前評判を聞いて見に行く。
開始早々BitterEnd(苦い結末)というロゴがちょいちょい出てきて、ああ重いテーマの作品っぽいしそういう結末なんだろうなと示唆される(最後まで見るとこれは先入観持たせるための引っ掛けなんだろうと思う)。
冒頭から棒読みのセリフが続く。村上春樹作品ということで、前にノルウェイの森の映像作品の全編棒読みがトラウマが思い起こされて、「失敗したかな」と思ったが、これは最後にいい意味で裏切られる。メタ的な言い方をすれば、この映画は村上春樹原作だが、監督はまず延々3時間近く村上春樹の意に沿った進め方を忠実に守りつつ、それを最後に裏切って村上春樹を乗り越えるという試みをしていると思う。
村上春樹原作ということで、ストーリーというか雰囲気というか展開みたいなものが前宣伝から大体わかってしまいそうなところを逆手にとっている。
ハイライトは高槻が山賀のストーリーの続きを車の中で語るところだろう(自分には最高の時間でした)。ここを契機に家福は妻に関するわだかまりを抜け出すきっかけを得ることになるのだが、映画の主題の一つにもなっている妻が不貞を働くこととなった原因の秘密というのは、
1.高槻が山賀のストーリーの続きを知っていたことから、脚本家として作品を作り出すために夫以外ともセックスしていた。
2.山賀のストーリーで暗示されているように、女子高生(妻)が山賀(家福)の関心を引きたかったので本心では気付いてほしいきわどい徴(不貞行為)を残していた。
3.みさきの解釈から、音はそもそも夫を愛するということも不貞行為を働くということも本人の中では矛盾なく両立する人だった。
と少なくとも3つ暗示される。
結論は結局出ないしどれだったのか、それともどれもだったのかわからないままであったが、他人の心はどうやってもわからないから、妻の音にどういう理由があったにせよ、見つけたときに、自分の気持ちに素直になる、つまり正しく傷つくべきであったというところにたどり着いてそれまで棒読みだったやりとりが感情あふれるものになって、すごく感動した。
映画の中で劇中劇の練習場面が何度も出てくるのだが、「台本を棒読みする」というところが強調されていた。その劇中劇というのも9つの言語を使う多言語演劇という独特?のものでこれはなんなんだろうと思っていたのだが、これは何か国語にも翻訳されている村上春樹作品のメタファと考えるべきだろう。
つまり、巨匠チェーホフ(村上春樹)の作品のワーニャ伯父さん(ドライブマイカー)を舞台化(映画化)するにあたって、日本だけではなく翻訳されたもの(多言語演劇)も台本(原作)に忠実に行っていた(棒読み)が、最後の最後に感情があふれ出して(棒読みをやめる)、村上春樹のプロットを最後に抜け出した。
とも解釈できるものだと思う。実際ラストが村上春樹作品っぽくない結末であるのになんかなっとくできるもので、これは3時間かけて貯めに貯めたものを一気に吐き出したような感覚でなんだかカタルシスを感じた。
まとめれば、村上春樹原作の作品ということを120%考えに考え抜いた結果、最後は原作者を超えることを目指してそれができた作品であると思う。