Mank マンクのレビュー・感想・評価
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ひたすら個人的興味で映画を作ってしまう。
なんていうマニアックな企画。確かに劇場用映画では成立してないだろう、というストライクゾーンの狭さ。私的興味の固まり。ゆえに面白さで比肩するものがない。圧倒的な技術を持っていて、そして会話のほとんどが業界会話だし。
しかしハリウッドは脚本家主人公の映画の系譜があるよね。まあだいたい閉じ込められる。ここで締め切りがセットされて、しかも脅してくる相手が若き日の天才オーソンウェルズ。こっちは大ベテラン。そこに至るまでが断続的に回想で突っ込まれてくる。
正直、このハーストネタから市民ケーンへと至る創作ネタをもっと盛り上げて欲しかった。でも敢えてなんでしょうね。熱がこもりそうな書いてる姿は描かず寝ておきてばかりだし。
ということで、盛り上がりには欠く。あくまで市民ケーンのシナリオができるまでの話なので。でもラストシーンはなんかいい気分になる。
オルガンを弾くサル
市民ケーンは数十年前に観たことあるけど…ぐらいの状態で鑑賞。
ケーンーマン・マンキウイッツ=マンクが市民ケーンの脚本を書いた話。
1940年、クレジットに名前を載せないという契約を交わしたマンクが牧場宿泊施設に缶詰状態になり、60日間で脚本を仕上げて行く。
半分は映画会社や関係者、政治家との1930年代の様々なシチュエーションでのやり取りの回想シーンで、時には回想シーンから更に回想したり。
もっとヒリヒリするような波瀾万丈や障壁があるのかと期待してみたけれど、その時勢におかれた何かに例えて遠回しにはなしたり、能書きが多くペラペラ良く喋る主人公のメンタルの話が主という感じ。
市民ケーンや主人公そのものに特に思い入れや興味が無い自分には、いつの話なのか、何の話なのか良く判らないところも結構あるし、判る部分でも、なるほどというところはあっても響くものはあまりなかった。
パロディも随分昔に観たことある程度じゃわからないしね。
その時代のハリウッドや市民ケーンに造形が深い人じゃないと楽しめないんじゃないかな。
【変わらぬアメリカ、変わるアメリカ】
1930年代、アメリカは1929年に起きた大恐慌の悪影響が続き、大不況は続いていた。
こうしたなか、作品中には、脚本家組合が設立された話が出てくるが、今のSAG-AFTRAの前身となる全米俳優組合組合もこのころ設立され、それぞれ、労働条件の改善や、搾取に対抗する条件などを求めて制作者と交渉していた。
こうした組合は、当時はまだ、社会主義的と見做され、企業側や、共和党からは忌み嫌われる存在だった。
映画「市民ケーン」では、ケーンが労働者の側に立ちニューヨーク州知事の座を争うのだが、この「マンク」では、カリフォルニア州知事選を競う場面が出てくる。
マンクの執筆した脚本は、マンクが直前に経験したことが多く盛り込まれ、そして、没落するケーンのモデルは実在のハーストだった。
作品で取り上げられるカリフォルニア州知事選の共和党側の宣伝工作は、あらためて考えると、フェイクニュースだ。
フィルムを使って、堂々とフェイクニュースを作成して、流していたのだ。
現代のアメリカの大統領選挙となんら変わるところなどない。
そう、この作品は、今、作られるべくして制作されたのだ。
そんな対比も、実は滑稽だったりする。
当時の映画作品で多かったのは、どうもギャング映画のようだ。
何度も皮肉たっぷりに引用されるのはキングコング。
娯楽作品がほとんどで、教養が重視されるような環境ではなかったのだろう。
まあ、これも現代と似たようなものかもしれない。
その中で、「市民ケーン」は異色だったはずだ。
成り上がり、労働者のための政治家を目指し、そして、スキャンダルなどを経て没落して行く人間の物語。
「市民ケーン」が史上最高の傑作とされる所以は、物語のノンフィクション的という独創性や、脚本だけではない。
オーソン・ウェルズのワンマン映画とされるものの、そのおかげで、今では当たり前の撮影ノウハウなどが新たに導入され、物語に重みを与えている。
ただ、やはり、「市民ケーン」はマンクの執念によって出来たことは間違いない。
ケーンは力を失う。
しかし、現実では、共和党も実は力を失い、作中で社会主義的と揶揄された労働時間は今や8時間がベースで、福利厚生は改善、人種差別は大きく後退し、ジェンダーの差別も当然無くなってきている。
それに、今や、大統領選でカリフォルニア州の選挙人を共和党が獲得できるとは誰一人思わないだろう。
民主党のケネディは銃弾に倒れたが、クリントン、オバマは長期政権を全うした。
白人労働者を鼓舞したトランプは、大統領の座を追われることがほぼ決まりだが、何かに取り憑かれたように、フェイクを発信し続けている。
既得権益にしがみつく、当時の映画制作者や企業のようでもあり、皮肉だ。
そして、多くの俳優やシンガーは、人種や国籍を問わずパフォーマンスし、米国の屋台骨となっているITやハイテク産業の労働者も対象の市場も、人種やオリジンを問うたりしないし、相手は世界市場だ。
トランプを支持する白人至上主義者は所詮ワン・オブ・ゼムでしかないのだ。
この世界最高傑作の映画誕生にまつわる物語はモノクロで撮られている。
しかし、色褪せず僕達に語りかけている。
普遍的な価値観はあるのだと。
時代や環境が変わろうと、それは変わらないはずだと。
我が国の現状を鑑みると気後れしそうになる。
因みに、「市民ケーン」は、作中で数回紹介されるコンラッドの「闇の奥」の制作を断念して取り組まれた作品だ。
「闇の奥」からインスパイアされて作られた作品はコッポラの「地獄の黙示録」。
#BlackLivesMatterのムーブメントで、標的とされた銅像に、ベルギーのレオポルド2世のものがある。
「闇の奥」のモデルとされる人物だ。
何か、最近の出来事と連なって、シンクロニシティとは言わないが、妙な縁を感じる作品だと思った。
まあ、制作者は意図してると思うけど。
多くの人に観て欲しいと思う。
ハリウッドの光と影をモノクロの世界で
メジャー映画の製作工程の中で描かれる人間の心の葛藤。
デビッド・フィンチャーが撮る所に意味がある。
市民ケーンやこの当時のアメリカの歴史を知ってから、鑑賞すると良いかも。
イビキをかいて、寝ている輩がいました。
私としては、予想外に面白く重厚な映画でした。
市民ケーンを見るべきだった
市民ケーンの脚本家ハーマンの市民ケーン誕生秘話や同時にその時代のハリウッドの様子を描いた作品。
市民ケーンは恥ずかしながら未鑑賞ながらこの作品を鑑賞してしまった為全く作品が理解できず退屈な時間となってしまった。
もちろん役者は豪華なメンバー故に非常に魅力を感じ惹きつけられたのだが、やはり母体が分からないとダメだ。分からない上にモノクロ描写だとさらに理解ができず結局そのまま終わってしまった。
元々あまりポプュラーな作品ではないようにも感じる上に知識不足だとこうなってしまう。
もう一度見る機会があるのであれば市民ケーンはやはり抑えておくべきか。
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