Mank マンクのレビュー・感想・評価
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今年は「市民ケーン」公開されてから80周年
1 著名な脚本家・通称マンクの「市民ケーン」の創作や30年代におけるハリウッドでの活動の一端を描く。
2 映画界の裏面史モノとして期待して観たが、やや期待外れであった。良くなかったのは①メインストーリーが平板で弱いこと②回想が効果的ではないことに尽きる。
3 メインストーリーは「市民ケーン」の創作過程。冒頭の執筆のキックオフ場面やその直前に起きたハプニングの場面は《つかみはok》で良い感じでした。
しかし、その後は執筆の進捗が語られても産みの苦しみなどオリジナル脚本特有の場面が描かれていません。また、クレジットタイトルにおける名前の扱いについてオーソン・ウェルズとの確執、モデルとなったメディア側からの強烈な圧力などの食い付きが弱い。火星人襲撃のラジオドラマを実況中継風に流すなど、常に話題性のあるドラマづくりをしてきたウェルズ。彼が関わった「市民ケーン」の完成稿とマンクの初稿との違いも知りたかった。
4 メインストリーの途中で、回想という字幕を出してからフラッシュバックする場面が何度も出てきます。大不況時代での映画産業の状況や映画作りの舞台裏が興味深いところ。また、共和党と民主党の選挙戦や上流階級の食事会のシ−ンが描かれ、マンクの思想的立ち位置や内心の鬱積が示されました。こうした点が「市民ケーン」の底に流れる批判的精神の源になったのかもしれません。いづれにしても、回想シーンは面的にまとめて挿入したほうがマンクの人物像を語る上で効果的だったと思う。
5 全編を通じ、台詞回しやシ−ンのテンポがはやく現代的。モノクロ映画にしたのなら、台詞回しや動きをもう少し落ち着かせスタンダードな作りにした方が完成度があがったと思います。
予備知識無しだったらどうだったか
キノの期間限定上映で鑑賞
事前に「市民ケーン」の脚本家の話であることを知り慌てて前日に鑑賞し、さらに映画館に掲示されていたPR用の映画の背景解説を読んだ上で挑んだため、Dフィンチャーの狙いが理解できたような気がするが、
これが全く予備知識無しで鑑賞したら、アル中で骨折している脚本家が物議を醸す作品を書き上げ、それが公開されると何故か絶賛されアカデミーを取った、という解釈しか出来ず、楽しむことはできなかっただろう。
「市民ケーン」もモデルがいるということも背景解説を読むまでは知らなかったため、アングルは挑戦的だが内容は何とも破滅的で寂しい男の話だ、程度にしか理解できなかったため、時代背景を知った上で楽しむ映画はネタバレ防止を意識しつつ情報収集するのは難しいと感じた。
そして同時代の人間として背景や出来事を普通に感じられない者にとっては、いちいち鑑賞しながら答え合わせをせねばならず、純粋に映画を楽しめなかったという印象だった。
Netflixでもう一度鑑賞してみよう。
名作と謳われる市民ケーン。誕生秘話を楽しみにしていたのだが「成る程...
名作と謳われる市民ケーン。誕生秘話を楽しみにしていたのだが「成る程、そうだったのね!」というほどの感慨は得られなかった。当時のハリウッドの香りは漂っているし、退屈することはないけれど、何か物足りない、そんな印象で終わってしまった映画だった。
モノクロ映像が「市民ケーン」の世界観を彷彿
映画史に残る名作「市民ケーン」の脚本家ハーマン・マンキウィッツの苦闘と人間像を描いた作品。「裸足の伯爵夫人」などで弟のジョセフは知っていたが、脚本家である兄の存在は、これまで全く知らなかった。
ハーマンはアル中で、おしゃべり、皮肉屋である一方、内心には強い正義感を持っており、演じるゲイリー・オールドマンがとにかく上手い。
モノクロ映像の質感や撮影技法が、題材である「市民ケーン」の世界観を彷彿とさせる。なかでも、新聞王ハーストの城の動物園(キリン!)、庭園、食卓などのキッチュさが印象的。
ルイス・マイヤー、アーヴィング・ダルバーグ、デヴィッド・セルズニック、ベン・ヘクトなど実在人物が次々に出てきて、予備知識がないと分かりづらいが、1930年代のハリウッド黄金期の舞台裏を覗き見している面白さもある。
デヴィッド・フィンチャーが、父の残した脚本を、念願叶って映像化したものとのことで、題材であるハーマンとともに、「忘れられた人々」にスポットを当てる心意気に、大いに賛同する。
心から書きたいものを、作りたい映画を。
良い映画です。
今作は史実を元にした映画で、主人公マンクが映画史に残る不朽の名作「市民ケーン」の脚本を書き上げるまでの物語。
見所は一見すると不真面目で皮肉屋に見える主人公マンクが信念を曲げずに生きる姿。テーマはアメリカ映画の精神。
1930年代、世界恐慌、共産主義、ナチス、などあらゆる社会不安の中でハリウッド映画は最盛期を迎えていました。
当時ネットはもちろん、テレビも普及しきっていない時代に映画は最も力強いメディアでした。史実でも新しいファッション、ヘアスタイル、あらゆる流行を映画が生み出しました。
そんな映画の持つ大きな影響力は富と権力を持った者が利用し政治思想まで操るようになります。映画にはお金を出すスポンサーが必要なので業界に身を置く人々が簡単に抗える流れではありません。
そんな時代にマンクは当時存命で新聞王と呼ばれ政治的影響も持った大富豪ウィリアムハーストをモデルに、彼を「富と名声と愛を求めるあまり全てを失った孤独な人間だ」と扱き下ろす「市民ケーン」を執筆します。
もちろんハーストとは対立、また大きな時代の流れに抗えない家族や仲間達からも非難を受けます。しかしマンクはある出来事から得た信念を曲げることなくこの脚本を完成させます。
この映画の監督、デビッド・フィンチャーは最新技術を惜しげもなく使った映画を撮ります。まず難しいカメラワークを納得いくまでリテイクして撮影、その後のデジタルでのCG処理や色調整は彼の武器です。
しかし今作は白黒で「市民ケーン」の時代の撮影技術を再現したそうです。100年後の自分の技術を封じて。
またテーマも実は過去に似たことをしています。
フィンチャーが監督を勤めたソーシャルネットワークは現代の大富豪で大きな影響力を持つマーク・ザッカーバーグがフェイスブックを立ち上げ、富と名声を築くも仲間や恋人を失って孤独になる物語。
存命の大富豪が、富と名声を築く中で孤独になっていく。まさに「市民ケーン」の構図です。
つまり「富や権力に恐れることなく作品を作る」というアメリカ映画の精神は過去にフィンチャー自身が体現したテーマです。
自分の得意な表現ではなく、またテーマも過去にすでに表現したものだ。ならなぜマンクなのか?
映画のクレジットに目を向けてみましょう。マンクの脚本家に注目してください。ジャック・フィンチャー。デヴィッド・フィンチャーの父親です。マンクの脚本は2003年に亡くなった父親の遺作です。
デヴィッド・フィンチャーは自身の魅力が最新技術にあることや、過去のテーマの焼き増しになることもわかっています。彼は元々CMを手がけていた広告マンなので強み弱みは絶対に外しません。
それでもマンクを、父の遺作をやりたい。心から彼はそう思ったのです。
主人公のマンクがなぜ大富豪に抗ったのか?共産主義や映画の政治利用への抵抗、貧富の差への抗議?全部違います。劇中で描かれるたった一晩の出来事のためです。
映画マンクが伝えるアメリカ映画の精神とは富や権力に抗うことでも、中立の立場を保つことでもなく、自身が抱いた強い感情に従うことです。
フィンチャー自身もそれに習い自身の魅力を最大限に発揮出来なくとも心から求めたもの、父の脚本に寄り添うことを選択しました。それこそがマンクに学ぶべきアメリカ映画の精神です。
またフィンチャーがマンクに習わなかったこともあります。
劇中でも描かれていますが、本来味方である「市民ケーン」の監督オーソンウェルズともマンクはもめます。色々あって「市民ケーン」はマンクとウェルズの共同出筆という形になります。ウェルズは全く書いていないのに。実際に歴史的名作「市民ケーン」のWikipediaの脚本家の欄には2人の名前が。つまりこの映画において連名は監督と脚本家の対立の象徴です。
一方「マンク」の脚本はデヴィッド・フィンチャーが父親に提案する形で書き始め、意見を出し合って完成させたそうです。また父親の死後、他の脚本家の手も借りて修正を加えた箇所も。しかしこの作品の脚本家のクレジットは父親であるジャック・フィンチャーの名前だけ。私はこの粋な親孝行に痺れました。
長くなりましたがこの「マンク」という白黒映像で当時の技術を再現というデヴィッド・フィンチャーの魅力を封じたような映画は、実はアメリカ映画の精神を、デヴィッド・フィンチャーの精神を最大限発露した映画なのだと私は感じました。
パンチあり。
まず語るべきは古き良き映像美ではないだろうか
銀幕の世界に映える白黒の映像
オーソン・ウェルズの代表作の一つ
『第三の男』は光と影の美しさが評判であった事はご存知のことと思います
それに勝らずとも劣らず素晴らしく光と影の演出がなされ画面の背景はわざとマットペイントと分かるような撮影処理され細かなところではフィルムチェンジの印のパンチまでもがしっかりと映し出されていて映画ファンとしてはこの演出に唸りを上げております
淀川長治さんがご覧になったらどんなに絶賛されたでしょうか
憎たらしいマンクの台詞はホントに面白い、面白いと同時に言われた相手はたまったものではないだろう、私なら最後の言葉までとてもではないが聞いていられないと思う、逃げるか腕尽くで黙らせるかだろうが多分逃げます
腕は折られたくないのでね
それにしてもゲイリー・オールドマンはこのような役をやらせたら天下一品ですね、『トゥルーロマンス』から要素はたっぷりとありますよね
『バットマン』の時の誠実で真面目な役よりこちらの方がハマってる『チャーチル』もなかなかでしたしね
ホントに好きな役者さんです
今度はどんな映画でどんな役を見せてもらえるのか楽しみでなりませんよう
政治や映画会社の話がよく分からなくても楽しめて見れたいい作品でした
あのパンチが出た時は「マジ! パンチじゃんか!」と声が出てしまいましたよ。
黄金時代
80年代や90年代、評論家や文化人が、公開中映画を批評するコラムや、自選映画ベスト10などの特集は、映画情報誌だけでなく、さまざまなメディア系ファッション系雑誌に組まれていた。映画の情報を、紙の媒体から得ていた時代──の話である。
田舎の高校生だったわたしは、それらを感心しながら読んだものだが、大人になるにつれ、評論家の権威主義に嫌気してきた。むかしは映画評論家なる職業があったのだ。淀川さんや水野さんなど、ひとにぎりのテレビ解説者を除けば、御用記者か学閥系だった。
いま紙の映画情報誌があるとすれば、そこにしがみついているのはその流れを汲む権威主義者だけだ。ゆめゆめそんな連中の映画批評を信用してはいけない。(この発言には偏見があります)
それはいいとして。
80年代や90年代に、それらの雑誌のなかで、評論家や文化人が映画ベスト10をやると、かならず市民ケーンが1位になった。
この「かならず」に誇張はまったくない。
かならず市民ケーンが1位になった。
その種の選に参加する評論家や文化人はたいてい壮年から上の人々だった。まず40歳未満ということはない。学者、大学教授、政界、財界、芸能界、放送界、劇界、操觚界、梨園・・・全員が50以上の人々で、とうぜん年齢の影響が選にあらわれた。申し合わせたように市民ケーン天井桟敷の人々第三の男がワンツースリーになった。
たった30年前だが、あの当時のベスト10に多様性はまったくなかった。──つまり権威主義がまかり通っていた。
とはいえ市民ケーンが、いい映画であることに異論はない。
ただ今思えば、選ばれやすい皮相を持った映画だと思う。
知的な人たちの自尊心をくすぐることに加え、人生がぜんぶ入っている感じがする。
本編のセリフにも『2時間で男の一生は描けないが、一生を見たように思わせる』とあった。ほんとである。市民ケーンを見た誰もが、その一生を見たように思った。のである。
この映画は、自動車事故に遭い足を骨折し、オーソンウェルズの依頼でモハービー砂漠の一軒家にこもって市民ケーンの脚本を書くHJマンキーウィッツ通称マンクの、いわゆる「ハリウッド内幕もの」である。
白黒であることに加え撮り方も音楽も往年の方法をもちいていた。
それはいい雰囲気だったが、話が解りにくい。
映画の構造は、巣籠もりして脚本を書いているマンク役ゲイリーオールドマンと速記係のリリーコリンズとユダヤ人の世話係Monika Gossmannが現在の事象で、あとはぜんぶ回想になっている。回想は、市民ケーンを書くに至るまでにマンクに何があったのかを断片で拾っていくが、じぶんは映画の理解力がわりとあるほうだと(勘違い)しているのだが、登場人物が多く、相関も過多で、誰が誰かさえ掴みにくかった。
その解りにくさが、もっと躍動していいはずの内幕を、鈍重にしている──気がした。
おそらくハーストとマリオンが有名な年の差カップルとして周知ならば、違う見え方をするのかもしれないが、こんにち市民ケーンの背景を知っている人は、そうそう多いとは思わない。
そこで、個人的に感じた、この映画の起と結を案内しておくと、起は速記係リタ(リリーコリンズ)の旦那(イギリス空軍に所属する戦地の旦那)の空母が漂流したという手紙で、結は旦那が生きていてオークニー諸島に漂着したという手紙である。回想ではない進行形の話は(簡単に言えば)マンクはアル中だけどいい奴だったという話である。とうぜん移住させてくれたと述懐するユダヤ人世話係の話にもマンクの人柄はあらわれている。それを捉えることが出来たならば、映画は8割補足したも同然だと、個人的には思う。
もちろん興味をもって調べれば選挙や赤狩りやMGMとの主従など、さまざまな歴史上のイベントや命題にぶつかって、より一層楽しめる映画だと思う。
この映画を見たことで確信を深めたのは長すぎるスクリプトを尺に収めたことで、独特のスピード感が(市民ケーンに)生まれていること──である。あの畳み掛ける感じは、マンクの書いた叙事詩が長すぎたから──ではなかろうか。ウェルズはそれを短いカットを重ねていく手法に見せているが、むしろつづめる必要に迫られてフラッシュバックのような映画になった──ような気がしたのである。
ちなみにRKO281(1999)という、やはり市民ケーンの内幕(TV)映画があった。それはマンキーウィッツでなくウェルズが主役で、Liev Schreiberがウェルズ、ジョンマルコビッチがマンキーウィッツだった。
ところで本編ではTom Burkeという人がウェルズ役だったが、声がすごく似ていた気がする。
台風の目
映画史に残る傑作「市民ケーン」の脚本家マンキーウィッツの物語。これだけの意欲的なテーマで、これだけのキャスティングと、これだけのクオリティをもって、ハリウッドの煌めく映画史上の「事件」を描く傑作が<配信業者のネットフリックスで製作されてインターネット配信される>という、映画興行界において悲劇的なブラックジョークに震撼する。大スターを招いてチャイニーズシアターでプレミアをするような、かつての夢の国はもう無いのかな。おそらく2021の映画賞シーズンでは台風の目になるだろう。
フィンチャーの映画愛あふれる傑作
大好きな「ゴーン・ガール」から早6年、デヴィッド・フィンチャーの新作をようやく観ることができた。
これはハリウッド黄金時代へのオマージュ。映画愛が滴り落ちる豊穣な傑作だった。
時は1940年、「市民ケーン」の脚本を執筆するマンクことハーマン・J・マンキウィッツを描く。名作誕生の裏話としても十分楽しめたが、何よりマンクの人間性に魅かれた。
マンクを演じたゲイリー・オールドマンが実に味わい深い。こんな作品でオスカーを手にして欲しいなぁ。
そして女優陣では断然リリー・コリンズ❣️
今作に美しい花を添えた。
昨年公開の外国映画のベストの一本だろう。
タイプライターの音、マンクの愛嬌と知性
なんだかすごく面白かった。ハーストの金持ち振りがあまりにアホみたいに極端で笑ってしまう。ハースト・キャッスルのお庭、噴水、動物園(象、山盛り!)、ゴージャスな室内。趣味が趣味すぎて、悪趣味スレスレ(動物園付き豪邸は、ベルモンドの映画にもありました!「ムッシュとマドモアゼル」原題は、L'animal)。
マリオン(とっても可愛い💕)がパパと呼んでいたので、最初は親バカの父親なんだと思ってたら、その人がハーストだったのか!と遅ればせながら気がついた。そのハーストと愛人のマリオンとマンクはあんなに近い関係で親しかったのか。マリオンとマンクの間には信頼関係があるし、ハーストはマンクと話すのを楽しんでいて彼の前ではいつも紳士。これは事実?フィクション?
マンクはアル中で、凄いインテリで弟もインテリで、言葉と文学の人。そして失業した仲間を助け、命を救おうとしたり、ナチのドイツから村ひとつ分の人たちをアメリカまで逃れさせてやったりと、正義と行動が伴ったリベラルな人。お金もあったんだろうな。
カリフォルニア州知事選挙では、ハーストはあからさまに民主党のシンクレアを叩くでっち上げのラジオ放送・映画を制作し、映画界もそれに媚びて共和党万歳状態!マンクは何が真実かわかっていたから、共和党候補への寄付金はビタ一文出さない唯一の映画人、賭事は大好きなのに。選挙開票待ちの金持ちパーティーには、妻から一言もしゃべらないでね、と念を押されて出席するマンク。悔しいし、むかついただろう。初めは出入口近辺のテーブルだったのに、マンクとわかるやいなや、一番セレブのテーブルにご案内ー!この感覚が面白くてゾクゾクした。この時代はまだ、自分を批判する「道化師」を身近におくことは知的であり余裕であるという感性がアメリカにもあったのかな。
マンクにはなんともいえない愛嬌と魅力があって、脚本家としての才能が飛び抜けていたんだろう。でなければ、オーソン・ウェルズが彼を缶詰めにして書かせる訳がないし、妻のサラがずっと彼と居るわけもない。サラはマンクと居ると楽しい、笑わせてくれるということを言ってた。
世界恐慌直後のものすごい貧富格差、ヨーロッパではヒトラーの台頭、そしてアメリカではヒトラーがまだ過小評価されていたこともよくわかる。キングコングが良きにつけ悪しきにつけ映画界では大きな話題だったんだろう。そんな中での「市民ケーン」の映画化は大変に違いなく、ハーストらによる妨害工作の凄まじさも想像できる。
映画「市民ケーン」は一度だけ、いつかどこかの映画館で見た。とても面白くて素晴らしい映画だと思ったが細部しか記憶にない。一番印象的だったのは、かなり後半部分、孤独なケーンの大豪邸の中の暖炉です。ウェルズがそのまんま屈むこともなく入れてしまうほどの巨大な暖炉です。細部だけど巨大な記憶でした!
とにかく「マンク」面白かった。さすがフィンチャー!この映画のフライヤーの絵が、ベルリンのドイツ表現主義のテイストで映画にぴったり!そして、タイプライターの音に痺れました。
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大体どこの国でも、映画「市民ケーン」はオリジナルに合わせた同じタイトルですが(全部、調べた訳ではありません)、イタリアでは「第四の権力」となってました!映画も新聞も含めたマスコミをピッカーンと刺していて一番いいタイトルではないかと気に入りました。イタリアにはベルルスコーニ、アメリカ合衆国にはトランプが居た(過去形で書いていいですよね)。そのアメリカ合衆国の映画監督が、今、作った映画なんだ!
脚本家ってやつは
現代屈指の鬼才で映像の魔術師であるデヴィッド・フィンチャーが、初めて実在の人物を題材にし、白黒で撮るとは何だか意外。確かに、あったようで無かった。
しかし、この鬼才の手に掛かればさすがのもの!
美術、衣装などクラシカルな雰囲気は『ベンジャミン・バトン』ですでに再現済み。
特に感嘆したのは、開幕早々。まるで当時の作品のような白黒映像や音響。これ、相当こだわったんだろうなぁ…。
そして何より、今回の題材!
『市民ケーン』。
映画好きなら知らぬ者は居ない。
世界中のあらゆる映画オールタイムベストテンに選出もしくは1位に今尚輝く、映画史上随一の大巨星。
産み出した天才寵児、大胆なストーリー構成、撮影技法…後の映画産業への影響は計り知れない。スリリングな人間ドラマは今見ても面白い。
故に、題材にした作品は以前にもあったが、今回は訳が違う。
天才寵児の大名作の製作舞台裏を、現代屈指の鬼才が撮るのだから、期待は自ずと高まる。さらにユニークな切り口。
普通だったら、オーソン・ウェルズを主役に描く。当然だ。監督/製作/共同脚本/主演…言わば『市民ケーン』はオーソンの作品なのだから。
しかし本作は、もう一人の脚本家の視点から描く。
ハーマン・J・マンキウィッツ。
恥ずかしながら、存じ上げなかった。どうしても『市民ケーン』=オーソンなので。
だけどこの“マンキウィッツ”という名は聞き覚えあり。やはり! 後に2年連続でオスカーを受賞する事になる名匠の実兄とは!
通称“マンク”は『市民ケーン』でオスカー脚本賞を受賞。いかにして名作を執筆したのか。
名脚本家の名作執筆秘話が語られる…のだが、
このマンク、かなりの人物だった…!?
まず、極度のアルコール依存症。
呑まないとやってられない。呑まないと仕事にならない。仕事中はベッドの上から動かず、酒を呑みながら。仕事してるんだか、してないんだか…。
時の大手スタジオ、MGMの専属脚本家。でも、問題児扱い。
度々の過激な発言。それは特に政治的な面でも。
それが『市民ケーン』製作の際に、マンクを窮地に追い詰める事に。
ご存知のように『市民ケーン』は、当時の実在の新聞王ウィリアム・R・ハーストがモデルとされている。これを不快に思ったハーストがあらゆる手を使って妨害。上映禁止まで。会社は屈するしかなかった。
が、闘った男もいた。
言うまでもなく、マンク。
彼は端から闘うつもりでいたのだ。自由の表現は権力には屈指ない、と。
その噂はあっという間に映画界に拡がる。マンクがハーストに喧嘩を売った、と。
当初は自分は裏方で、クレジットにも載せなくてもいい、と同意。
ところが一転、クレジットに名を出して欲しいと主張。(これを巡ってのオーソンとマンクの対立は結構有名な話)
その主張が、権力と闘う姿勢そのものだ。
マンクが書いた『市民ケーン』の脚本は複雑で、映画会社関係者から難を示されたところ、「俺にしか書けない物語がある」と強く言い返す。
その反骨精神もまたしびれた。
それを体現したゲーリー・オールドマン。
もうこのオスカー名優の、さすがの熱演、存在感。少々異端の役を演じさせたら圧倒的に場をさらう。
強烈個性と共に、哀切さも滲ませて。
今度のオスカー主演男優賞はかなり強豪多いらしいが、ノミネートは固いだろう。
映画好きとしては、『市民ケーン』製作秘話も興味深いが、当時のハリウッド内幕劇からも目が離せない。
出るわ出るわの実在の映画人。大プロデューサー、名監督、人気女優(マリオン・デイヴィス役アマンダ・セイフライドが快演)…。
夢を与え、スターたちが星の如く輝き、華やかで、ハリウッドがハリウッドだったあの頃…。
ハリウッドの光。
…と、陰。
先述の通り、権力に屈する。
政治介入。
時々聞く映画界の黒い話。それは今も昔も変わらない。
でも、映画の力で権力と闘い、映画が夢を与える事こそ本当だと信じて疑わない。
だからこそ我々は映画を観、映画人たちも映画を作り続けている。
本作の脚本家はジャック・フィンチャー。デヴィッド・フィンチャーの父で、息子が父の遺稿を映画化した。
名作誕生秘話、ハリウッドの光と陰、権力に屈せず闘う…。
往年のハリウッドへのオマージュと共に、脚本家を主役にし父へ敬愛を込めてーーー。
市民ケーンを見ても置いてかれる
『市民ケーン』の脚本担当ハーマン・J・マンキウィッツが『市民ケーン』を書き上げるまでを描いた話。
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『市民ケーン』を見ないと意味わからないと聞いて、ちゃんと予習したけどそれでも分からなかった(笑)たぶん1930年代から40年代のアメリカの映画界と知事選のことを知らないと置いてかれる。
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でも劇中でプロパガンダ的なニュース映画が作られたり、映画を全て信じるな的なことを言っていたのは、まさに「バラのつぼみ」と同じことかなと。
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映画だって、監督が見せたいと思うものを見せられてるわけで、1面しか見せられていないようなもの。私は色んな価値観や世界をたくさんの映画で学んできたけど、描かれていることを疑う目も必要だなとケツを叩かれたような気がしたね。
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マンクのモデルや『市民ケーン』との作品上の関連性など、重層的な読みを促してくれる一作。
モノクロームであるため、一見地味な印象を受ける本作ですが、映像は非常に豊潤、というか偏執的です。これこそ紛れもなく、フィンチャー作品だと納得させられます。映画史の金字塔である、『市民ケーン』の脚本を執筆したハーマン・マンキーウィッツの、まさに執筆過程を物語の一方の主軸に据えた内容であるため、さすがに『市民ケーン』(1941)を事前に鑑賞していないと、本作の舞台設定、人物関係を理解することはかなり困難でしょう。これが本作のハードルを少し上げていますが、『市民ケーン』は現在の視点でも十分に面白い作品なので、未見の方はこれを機会にご覧になることを強くおすすめします。
先に執筆過程の状況を物語の「一方の主軸」と表現したのは、本作には別の時間軸、つまりマンキーウィッツ(マンク)の回想場面が含まれているためです。この過去と現在が交錯しつつ物語が展開していく構造は、まさに『市民ケーン』と同じで、作品全体が、かの名作の合わせ鏡として機能しています。さらに、デジタル映像が主流の現在では全く不要になった、パンチマーク(フィルム交換を撮影技師に合図するために右上に表示される黒い印)を差し挟むという念の入れよう。往年の映画ファンなら本作が、フィルム時代に作成されたと錯覚するかも知れません。こんな細部に、前述したフィンチャーの偏執的な特徴が現れています。
本作は、フィンチャー監督の着想によって作られたのではなく、脚本家だった彼の父親が執筆した脚本を映画化したものです。つまりマンクとは、単なる実在の人物でも物語の登場人物でもなく、彼の父親の姿だった、という解釈も可能でしょう。物語と同様重層的な読みを促す作品です。
富を分配するのが社会主義。
貧しさを分配するのは共産主義。
へ?何だそれ。
兎に角、途中から政治色が強すぎるって。しかも訳わからんw
時期も時期だけに、頂けないねぇ、これは。
と思いながら退散中。
そもそも、個々のエピソードに魅力も無いし、既視感は強いし。どんな意図で、今時こんな話をするのかと。捏造FAKEニュースなんてのも、今の日本じゃ日常茶飯事だし、CNNもスゴイですやんw
乗り切れず、妙なもんを見せられた嫌悪感半分で気分複雑。響かなかったです。全く。
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1/10 追記
マンクの許を訪れたマリオンとの対面場面。
妨害と圧力に抗して脚本が世に出たら「そうなったら褒めてくれ」と言うマンク。私は、そうならない様に動くから「そうならなかったら、御免なさい」と言うマリオン。
クールなやりとりではあるんですが、鼻に付くと言えば鼻に付くんですよね。個人的に、この映画に乗れない要因が「無感情なやりとりの数々」にあります。そこが良さでもあると思いますが、今一つ心に響いて来なかったのは、「画」のつまらなさのせいだと思う。
イヤー、直前にモノクロの黒澤作品をスクリーンで見てしまったんでw
白黒でも、あれだけ美しい世界観が表現できるのに、コッチは残念だし。
って思ってしまいました。
市民ケーンと見事にリンクしてる
NETFLIXでの鑑賞です。
本作を観る方はまずあの傑作「市民ケーン」鑑賞していただきたい。
何故そうなるのかと云うと本作は市民ケーンとリンクしているからです。市民ケーンの世界と混ざり合っていて、鑑賞後どちらの映画のシーンだったのか混乱する程です。
本作はそこを狙って作ったのだと思います。モノクロ画面や音楽の雰囲気、作品内の音など技術的な部分を、80年も前の作品である市民ケーンに合わせているのです。オーバーラップなど当時主流だった場面切り換えも積極的に使用しています。面白いのはデジタル映画にも拘わらず、懐かしのフィルムの切り換えマークまで入っています。
内容的には市民ケーンの脚本の制作過程を中心に、脚本家のマンキウィッツとウエルズ、ハーストとの関係、そしてハリウッドシステム全盛の当時のアメリカ映画界を丁寧に描いていて、とても興味深く鑑賞することが出来ました。
本作を観て驚いたのはマンキウィッツと新聞王ハーストに交友関係があったこと。MGM社長のメイヤーとも友人関係であり、映画界でマンキウィッツは力を持っていたことが分かったことです。にもかかわらず彼は新聞王ハーストに挑んでいったのです。
市民ケーンはご存じのようにハーストの妨害活動によりオスカーは脚本賞しか受賞していません。しかし世界映画史上のベスト10ではいつも上位に挙がる大傑作です。市民ケーンを語る時、必ず最初に挙がるのは天才オーソン・ウェルズの存在です。反面マンキウィッツの存在について語られることは余りありません。しかしあの傑作の物語を書き上げたのはハーマン・J・マンキウィッツであり、本来はオーソン・ウエルズと同等の評価を得られてもおかしくありません。多分監督のデビッド・フィンチャーもそう思い本作を製作したのだと思います。
本作は脚本の見事さと画面の緻密さと美しさ。主人公を演じたゲイリー・オールドマンの演技の素晴らしさ、リリー・コリンズの演技の見事さなど、その他見所は幾つもあります。
昨年は米国内では余り新作が公開されませんでした。しかしNETFLIXのような映画会社が本作のような実に無骨で素晴らしい作品を提供してくれたことは賞賛に値すると思います。
多分今年のオスカーでは、本作によりネット配信会社の映画が初めて作品賞を受賞すると思います。米映画界もこの現状を認めざる得ない時期にもう来ているのだと思います。
市民ケーン
「市民ケーン」の脚本家としてオスカーを獲得したマンクことハーマン・J・マンキーウィッツの波乱万丈の人生を描きながら、1930年代のハリウッド・メジャースタジオの内幕も垣間見せたバックステージもの。一度はクレジット表記を辞退した主人公が翻意したのは、自分の脚本に自身があったからだけではなく責任を持ちたいという独特の映画愛ゆえだと思う。
マンクの精神の根底には権力に迎合しない反骨心が脈打っていた。おそらくオーソン・ウェルズはそのことを見抜いていたのだろう。だからRKOの社運を賭けた作品に協力を頼んだに違いない。
タイクーンという別称で呼ばれていた大物プロデューサーたちがわが物顔でスタジオを闊歩していた時代に俺流を貫いたマンクの功績はもっと称賛されていいと思う。
ノリきれない
「ソーシャル・ネットワーク」の時にも思ったが、パラパラ展開する会話にボーとするし、主人公の劇的欲求がわかりにくい。特に時代背景を理解していないとわかりにくい。内容もアメリカのしかも過去の政治体系に関わる事だったりするからなお共感しづらい。セルズニックとか赤狩りとかわかりにくい。
フィンチャーの父親が書いた脚本らしいが、映画好きの中でもかなりターゲットが絞られそうな内容だった。
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